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『日本国民に告ぐ』 一学究の救国論~外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か

◆外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か

それはともかく、幕末から明治にかけて来日した外国人の言葉によると、日本は江戸時代に、今日に至るまで白本以外の世界のどこにも存在しなかった、貧しいながち平等で幸せで美しい国を建設していたのである。こういった見聞録に対する現代知識人の冷笑主義に私は与(くみ)しないが、百歩譲ってその言い分を認め、そのような印象が単なる幻影だったとしても、少くとも当時来日したほとんどの外国人に、そのような幻影を抱かせるような現実が、当時の日本にあったことは間違いはない。

その現実とは何か。明治四年に来日したオーストリアの長老外交官ヒューブナーはこう断言する。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」。
貪しいながら人々の顔に表れた幸せと滞足感が余りにも著しかったから、すべての来日外国人がこの想像しにくい状況に瞠目し書き記したのである。

無論、幸せとか満足感に基準はない。当時の欧米は産業革命の真只中でありその歪みも出始めていたが、その頃の自国の人々の表情と比べての印象であることは否めない。
それにしても、表情に表われた幸せや満足感をすべての人々が見聞違うなどということがあり得ようか。人々が健康そうで礼儀正しく正直だったこと、鍵のない部屋や机から何も盗まれなかったこと、街頭や農村で見た人々が子供から人足、車夫に至るまでみな、冗談を言い合っては笑いころげていたこと、これらは現実ではないのか。苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)にあえいでいたはずの当時の農村で、人々が貧しいながら皆幸せそうにしていたいと多くの外国人が言う時、「苛斂誅求にあえいでいた」の真偽を疑うことが先決ではないのか。日本をよく見て歩き将軍家定に謁見までしたハリスが、「将軍の服装は質素で、殿中のどこにも金メッキの装飾はなく、柱は白木のままで、火鉢と私のために用意された椅子とテープルの他には、どの部屋にも調度の類が見当たらなかった」と書いたのはハリスの幻だったのか。彼が「日本には富者も貧者もいない。正直と質素の黄金時代を他のどの国よりも多くここに見出す」と書いたのは錯覚だったのか。


世界のどこの地域でもなしとけられなかった、かくも素晴らしい社会を作りた日本人の、卓越した特性をなぜ日本人は誇りに思わないのだろうか。日本以外の国であったら、世界が目をみはった日本文明に関し、歴史教科書で誇り高く詳述するであろう。世界の中で品格をもって生きて行くためにどの国民にとっても必要な、「祖国への誇り」を育くむために活用するだろう。

現代日本の教科書では無論ほとんど一切触れられていない。前述のように歴史家がそれを嫌い、知識人がそれを忌むからである。自らを自慢することはしたくない、という日本人の謙遜もそこには働いている。祖国への誇りを子供に育くむのは軍国主義につながりかねない、愛国教育ではないのか。などと本気で心配したり、近隣諸国条項を考慮したりする。近隣諸国条項とは一九八二年に教科書検定基準として定められたもので、平らたく言うと、「中国、韓国、北朝鮮を刺赦しかねない叙述はいけない」という政治的なものである。歴史的あるいは国際的な客観性より外交を優先するという代物だ。無論、これら三国にそのような滑稽な規定はない。


昨春、私はお茶の水女子大学を定年退官したが、定年前の十数年聞、専門の教学以外に、一年生対象の読者ゼミを年に一コマか二コマ担当していた。よく新入生にこう尋ねてみた。「日本はどういう国と思いますか」。彼女達の答えには、表現の差こそあれ、「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などと否定的なものが多かった。理由はほぼこういうものだった。「明治、大正、昭和戦前は、帝国主義、軍国主義や植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民重義もなく庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと」。そう習ってきたのである。そう理解することでやっと大学合格にまで漕ぎつけたのである。

私は彼女達がかくもひどい国に生まれた不幸に同情した後、必ず聞くことにした。「それでは尋ねますが、西暦五〇〇年から西暦一五〇〇年までの十世紀間に、日本一国で生まれた文学作品がその間に全ヨーロッパで生まれた文学作品を、質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」。これで学生達は沈黙する。私はたたみかける。「それでは、その十世紀間に生まれた英文学、フランス文学、ロシア文学、をひっくるめて二つでいいから拳げて下さい」。学生は沈黙したままだ。私自身、『カン夕べリ寸物語』くらいしか思い浮かばない。

私は学生にさらに問う。「この間に日本は、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、源氏物語、平家物語、方丈記、徒然草、太平記……と際限なく文学を生み続けましたね。
それほど恥ずかしい国の恥ずかしい国民が、よくぞ、それほど香り高い文学作品を大量に生んだものですね」。理系の学生がいればさらにたたみかける。「世界中の理系の大学一年生が習う行列式は、ドイツの大天才ライプニッツの発見ということになっていますが、実はその十年前、元禄年間に関孝和が鎖国の中で発見し、ジャンジャン使っていたものですよ」。学生は完全に沈黙する。毎春の授業風景であった。

これは私の学生のみに見られる傾向ではない。世界数十カ国の大学や研究機関が参加する「世界価値観調査」によると、十八歳以上の男女をサンプルとした二〇〇〇年のデータだが、日本人が「自国を誇りに思う」の項で世界最低に近い。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」は一五%と図抜けて世界最低、ちなみに韓国は七四%、中国は九〇%である。恥ずかしい国を救うために生命を投げ出すことなどありえないのである。
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つづく





なりわいとも
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