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『東京裁判と、日本人の思考停止』 【つづき】

■以下引用_________________________

Aobadai Life 2010年08月15日(日)

『東京裁判と、日本人の思考停止』

さて、つまり、ある段階から、日本は、植民地統治や、外交、さらに軍事戦略においても、過剰に自己を過大評価するという、過ちをおかして、リスクを十分に検証せぬまま、バクチのような戦略をとりつづけるようになる。
それは、上記のような植民地統治もそうだが、戦略的に検証も十分にせずに、日独伊軍事同盟を結んで、アメリカ、イギリスを敵にまわしてしまったことや、いざ戦争をはじめても、インパール作戦のような無謀な戦闘に、貴重な兵力を投入している件からも明らかだろう。

対する連合国側が、チャーチル、ルースベルト、スターリンなど、憎々しいほどに老獪な政治家たちが、軍部を手なづけながら、外交でもしたたかに勝利をおさめていくこととは、対照的でさえある。

              《中略》

さて、このようにブログをつらつらと書いてきても、15年戦争当時の日本は、日露戦争当時の日本よりもむしろ、現代の日本に似ているのではないかと思うのだが、結局、その理由は何かというと、やはり、東京裁判をもって、戦勝国の側で太平洋戦争を総括し、日本人自身が考えることを「思考停止」してしまったからであったのではないかと思うのだ。
つまり、戦前から戦後にかけて、日本人の手で、戦争を総括することができていないから、本質的には、負の構造を引きずったまま変われていない、ことになる。

東京裁判では当然、統治する側のアメリカ(GHQ)にとって、都合のいいところだけが切り出され、都合の悪いところは隠蔽をされる。
また、都合のいい人間が無罪となり、都合の悪い人間は処刑される。
しかし日本人は、例によって、戦勝国アメリカ(権力と同時に、権威を持つ)が決めてしまったことを、「思考停止」して、そのまま、ずるずると受け入れしまい、例によって、記者クラブで統制されたマスコミの偏向報道のもとに、アメリカが塗り替えた戦争史観をそのまま受け入れることになってしまったわけだ。

だが、ここにきて明らかになっていることだが、CIA文書で明らかになった、アメリカのエージェントとなっている岸信介、児玉誉士夫、正力松太郎、それからかなりグレーである緒方竹虎、笹川良一。
これらの主要人物は、当初、A級戦犯指定されながら、突如として、許されるわけだ。
普通に考えれば、岸信介なんて、東条内閣の商工大臣である前に、満州国の統治を「弐キ参スケ」の一人として主導して、さらには、官僚時代には、「新官僚」として、国家総動員法を、主導した人物でもある。A級戦犯中のA級戦犯である。

そんな人物が、アメリカの後押しを受けて、首相に就任し、それで、アメリカの属国統治を決定づける安保改定を、国民の猛反発をさえぎって、強引に推し進めてしまうわけだから。その後も、清和会の重鎮として、日本政治の黒幕に君臨するが。
ある意味、二重で国家を裏切ったともいえる。

岸は岸なりに、国家を考えていたというが、極めて独善的であると思う。
一方で、「落日燃ゆ」の主人公となった広田弘毅のような人物も、A級戦犯にはいる。

彼が、首相在任中に、軍部大臣現役武官制度を、軍部の圧力に抗しきれず、認めてしまったのは事実だが、しかし、それをもって、彼を戦犯とするのはあまりに乱暴すぎた。
広田の政治家や、官僚としてのキャリアのほとんどは、「幣原外交」の担い手として、協調外交の実現につとめ、また、軍部からの不当な要望も無力化することに尽力し、中国との和平にも、努力した人物である。
A級戦犯と一括りにされるが、彼のような、本来、和平努力につとめた人物も、東京裁判の結果、処刑されているのである。

結局、私たち日本人は、この戦争を通じて、300万人もの人命を失いながら、また、アジアでは中国、インドネシアを中心に、1,500万人を超える人命を奪っておきながら、日本人自身が、十分に、その検証を行ってきたいのではないかと考える。

靖国神社には、A級戦犯が祭られているから、参拝の是非がどうこうと、あるが、しかし、そもそもそのA級戦犯の定義自体が正しいのか。
安易に、われわれは中国、韓国などアジア諸国への「お詫び」がどうこういうが、そもそも、いったい何が「お詫び」する点だったのかを検証できているのか、そして、反省をきちんとできているのか。

また、アメリカによる原爆投下で30万人近い人がなくなっているが、この必要がなかった虐殺に対して、アメリカに戦後、きちんと抗議ができているのか。そして、世界に核兵器の恐ろしさを伝える努力を政府はしてきたのか。

また、戦後も長らく、犠牲になった沖縄について。
われわれは、いったい沖縄が一身で引き受けてしまったその苦労を、どこまで理解をしているのか。そのうえで、基地問題と、安全保障を議論することができているのか。

結局、いまだに日本人は、「思考停止」をしたまま、あの戦争も、悲劇のドラマとして、自分の涙腺の快感を満たす道具にさえ使って、本当に、戦争から、学ぶべき、反省や、検証ができていないのではないかと思う。

ここで私がいっている反省や、検証というのは、単に、アジア諸国や、戦争被害者に、お詫びをするべきだとか、そういう議論をいいたいのではない。
日本人自身が、戦略性のなさや、外交力のなさ、マスコミに踊らされる体質、マスコミそのものの既得権益としての実態、官僚主義とは何なのか、検察や裁判は戦後、民主化されたのか、われわれの集団無責任体質、それから暴走癖。
こうしたことについて、きちんと、いまだに検証も、議論も、反省もできていないのではないか。
東京裁判をもって、思考停止になってしまったのではないか、そのことを、きちんと考えなければいけないと思うのだ。
こういう反省や、検証ができないままでいるから、戦後、65年たっても、いまだにアメリカの間接統治を甘んじて受け入れているのだと思う。

_____________________________引用以上






火中の栗
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