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「近代思想」そのものは大衆には根付いていない

>'70年以降、あまりにも自分主義の弊害が大きくなってきたので、「他人の自由や権利を最大限に尊重するのが、本当の個人主義だ」という論調に変わってきました(そうでないと人々の共認が得られない)。(972)

 露店でお客さんと話している時のこと。よく出てきたのが、「自分を持つ」とか「人それぞれ」ということば。その言葉だけを捉えてしまい、上記のような個人主義に立脚した発言だとして対立してしまったこともあったが、何かかみ合わないというか、ズレを感じていた。

 「自由、個人、権利」などの観念を核とした近代思想も、かつては輝きを放っていたが、貧困がほぼ消滅した70年代以降は急激に輝きを失っていき、大衆から見捨てられていった。だから普通の人は、「自分」とか「人それぞれ」という言葉は使うが、その立脚点を「個人主義」という思想に置いている人はほぼいないと思う。「自分」「個人」「人それぞれ」といった類の言葉は、そういったところから用いられているのではない。

>分かり易い言葉というのは、要は価値対立の起こらない言葉であり、誰もが認める言葉のことである。

 こっちが答えなのだと思う。誰かと価値対立を起こさないように使ったのが「人それぞれ」であり、分かり易い「自分」という言葉であっただけのこと。新しい概念、言葉がないために旧い言葉をよりどころにせざるをえなかっただけで、中身は決して近代思想を原点にしてはいないということ。その言葉だけを捉えて、「それは個人主義だ!」と批判すれば、的外れもいいところ。言葉のみが浮いてしまい、相手は引くだけだ。

 このるいネットでは、近代思想(旧観念)の問題性を明らかにすることが一つの議論の核であったと思う。その議論の中でわかってきたことは、「近代思想そのものは、決して大衆に根付いた思想ではない」ということなのではないだろうか。だとすれば、とっくに見捨てられた旧観念をわざわざ引っ張り出して批判するのはムダになる可能性が高く、やってもズレるだけ。「普通の人はそのような考えなどとっくに見捨てている」という認識は非常に重要で、それを忘れてはならないと思う。

 むしろ注意しなければならないのは、今議論の中心となっているマスコミの発信であり、彼らを監視していくことの方が、今は学者批判よりも求められていることなのではないか。


矢野悟
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