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私たちはメディアによって 知らぬ間に「感情」を操作されている

今テレビをつけると、ウクライナやコロナの話題であふれかえっている。
ウクライナやロシアのニュースを見ていると、こんなことが起こりうるのかと、感じるところも大きい。
だが、感情的になってしまっては、何が事実なのか盲目になってしまう。
改めて、メディアの本当の姿をとらえておきたい。

リンクより
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●「新しい偶像」は感情移入を誘発する新種のウィルス

山本氏は、「新しい偶像」という言葉を使っています。御真影や遺影などの存在は、写真を含めた新しい映像・図像だと言えます。

 新しい偶像の対象は、現代のメディア、テレビなどの映像文化も含まれます。これらは古代から続く偶像とは異なり、ほぼ元の姿そのままを再生できます。そのため、善悪の前提を結び付ける偶像化も、古代よりも遥かに容易なのです。

 もう一つの要素は、明治以降に黙示文学的な技術が日本に導入されたことです。黙示文学とは本来、ユダヤ教・キリスト教の古典を意味しますが、山本氏は「言葉の積み重ねで映像的にイメージを伝える技術」としてこの言葉を使用しています。

 非論理的な言葉の積みかさねが映像的に把握され、人がこれを臨在感的に把握してそれに拘束される場合があり、その典型的な例をあげれば黙示文学である(*7)。

 以上のような目で日本の新聞を読むとき、人びとはそれが、ある種の思想を黙示録的に伝達することによって、その読者に一切の論理・論証をうけつけ得ないようにして来たことの謎が解けるはずである(*8)。

 描写や図像にも隠れて思想性があり、明治維新以降に「思想を伝達する目的の描写や図像利用」が、日本に新たに導入されたと理解することもできます。新種のウィルスの日本上陸のように、黙示文学的な表現や思想を誘導する図像に日本人は免疫がなく、新しい形の空気の醸成に利用され続けている可能性があるのです。

●マスメディアは偶像を生み出す装置である
17世紀に欧州から始まった新聞を起源とするマスメディアは、偶像を生み出す新たな装置として機能し、明治になって日本に新聞が登場する頃には、メディアによる偶像創造の技術はさらに洗練されていたのではないでしょうか。

 明治以前の日本人は、偶像をつくる新たなメディアに免疫がなく、明治以降はその大衆扇動力に操られてきたのかもしれません。もともと、古代からの偶像は、人間の祈りや救済を求める心が、感情移入により像に乗り移ることで成立してきました。

 ところが最新メディアと映像などの技術は、対象と善悪の感情を為政者の都合のいい形で結び付けて、人々の思考を拘束することに利用されてきたのです。

●西欧世界は数千年かけて空気を克服してきた
前提というのは、精神的な要素に限るなら、人の心にあるものです。しかし、それを特定の外部の対象に投影させると、自分の心の中の拘束が、あたかも外に出て現実の物理的な拘束力となる錯覚が生まれるのです。

(略)
空気の扇動で日本人と日本が滅亡の危機に直面したのは、太平洋戦争とその敗戦が最初だったのではないでしょうか。

 戦時中の惨禍と、異常な社会統制を体験した人の多くは、何らかの形で「空気の存在」を後世に伝えようと苦闘しました。日本という国が、古代の多くの民族と同じように、空気に操られることで滅亡の危機に瀕していることを、肌で感じていたのでしょう。

 空気の記述は、「この理不尽を何とか止めてくれ!」という日本人の叫びなのです。その中で、山本氏が最も精緻に空気の存在を描写し、構造をこれ以上ないほど探究してくれていたことで、現代日本人は、空気打破の手がかりを多数得ているのです。

 西欧を含めた各国は、空気の克服にすでに数百年、数千年をかけてきました。その背後には、空気の大衆扇動力を打破できず、滅亡した民族が無数にいるのです。

 日本と日本人は、空気の欺瞞を見抜き、悪意ある空気を打破できるのでしょうか。私たち日本人の、学習能力と問題克服能力が、まさに今問われているのです。
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(匿名希望)
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