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ラムズフェルドは軍事法廷で自殺した。自然の原因で死ななかった 

ラムズフェルドは軍事法廷で自殺した。自然の原因で死ななかった 
リンク https://ameblo.jp/35itataw/entry-12687268918.html

以下引用
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ラムズフェルドは
戦争犯罪 大量虐殺を犯した

桜井ジャ-ナルの記事から
そしてジョージ・W・ブッシュが大統領だった2001年1月から06年12月に国防長官をラムズフェルドは務めたが、ブッシュ時代にアメリカ軍は従属国の軍隊を率いて2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒している。

この戦争で殺されたイラク市民は100万人を超すと推測されている。
 6月30日、主流メディアは、88歳で確かに墓に片足を持っていて いつでも失効する可能性のある元国防長官ドナルドラムズフェルドの6月29日の死について報じた。

彼の死因は、白血球に形成され、骨、腎臓、免疫系に損傷を与える癌である多発性骨髄腫としてリストされました。
彼は重病だったかもしれませんが、癌は彼を殺しませんでした。

むしろ、彼は、ラムズフェルドの命令で、架空の大量破壊兵器を米軍が捜している間に死んだイラクと アフガニスタンのアメリカ兵の死の責任を彼に問われた軍事法廷で自殺した。

軍がラムズフェルドをどのようにつかんだかについての詳細は不明ですが、RRNは彼が5月27日に逮捕され、すぐにディエゴガルシアに飛んだことを知りました。 。

私たちの審判の内容の大部分はGITMOでの裁判に由来するため、RRNはこのニュースを入手するのに時間がかかりました。

RRNは、軍が9/11への関与と、米国国防総省と取引を行っていた証券会社であるキャンターフィッツジェラルドの「偶然の」破壊についても彼に質問するつもりだったことを知りました。

650人の従業員は、ラムズフェルドが彼の個人的な「ブラックオプス」プログラムに資金を供給するために2.3兆ドルの国防総省の現金を悪用したという証拠を持っていると言われました。

実際、9.11の前日、ラムズフェルドは国防総省がその金額を不可解に「失った」ことを認めました。

しかし、軍事委員会の事務所は、裁判でその証拠を提示する機会も、ラムズフェルドから告白を口にする機会もありませんでした。手続きの15分後、米海軍裁判官提唱者総隊が容疑の広範なリストを読み始めたとき、ラムズフェルドは耐え難いほどの肉体的苦痛のように顔をしかめ、その後、けいれん発作、スパッタリング、口の中での泡立ちで床に倒れました。

救急隊員が部屋に突入したが、彼を救うための彼らの努力は無駄だった。
数分以内に、ラムズフェルドは死にました。

7月1日の検死により、ラムズフェルドの老眼鏡は、裁判で着用を許可されていたが、眼鏡の先端に顕微鏡の針が隠されていたことが明らかになった。

針は致死量のシアン化カリウムを保持していました。
軍事法医病理学の調査官は、ラムズフェルドが無邪気に眼鏡を外し、舌や頬に毒を注入したに違いないと述べた。

RRNは、発生した場合に追加の詳細を提供します。

 ドナルド・ラムズフェルドが6月29日、ニューメキシコ州の自宅で多発性骨髄腫のために死亡したと報道されている。88歳だった。

 ジェラルド・フォードが大統領だった1975年11月から77年1月、そしてジョージ・W・ブッシュが大統領だった2001年1月から06年12月に国防長官をラムズフェルドは務めたが、ブッシュ時代にアメリカ軍は従属国の軍隊を率いて2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒している。

この戦争で殺されたイラク市民は100万人を超すと推測されている。
例えばアメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたという。

イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人が死亡、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。

こうしたことから、ラムズフェルドを「戦争犯罪人」と呼ぶ人がいる。


 ラムズフェルドが表舞台に出てきたのはフォード政権の時である。リチャード・ニクソンが1974年8月にウォーターゲート事件で大統領を辞職、副大統領だったフォードが昇格したのだが、選挙でニクソンが勝利した時の副大統領はスピロ・アグニューだった。

このアグニューが汚職事件の捜査対象となって1973年10月に辞任、下院議員のフォードに交代していたのだ。

 フォード政権の特徴はデタント派の粛清とシオニストの一派であるネオコンの台頭である。粛清の中でも特に重要な意味を持つと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代だろう。

1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからラムズフェルドへ、76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへそれぞれ交代している。
 コルビーはアレン・ダレスの側近として第2次世界大戦中から破壊工作の分野を歩いていた。
ベトナム戦争の際、1968年から71年までベトナムの農民を殺戮するフェニックス・プログラムを指揮していた。

大量殺戮を行った目的は共同体を破壊し、抵抗の基盤をなくすことにあったと

推測する人もいる。

ソンミ事件はその作戦の一環だったと見られている。

(以下省略)




光大
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