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かつてハロウィンは、権威に戦争を仕掛ける子どもと大人の戦争だった

かつて若者はいろいろなものを破壊した。常に体制や学校や企業などの「権威」が、そこにあった。今ではそれを徹底的に否定される概念が構築され、今や若者たちは、権威ではなく「弱いものを攻撃する」ようになった。

リンクより

●ハロウィンがすべて悪意で、そこに善意はなかった時代

ハロウィンは 2000年前に、ヨーロッパ北西部のケルト諸国で生まれた。 11月1日はそれにふさわしい時期だった。暗闇と寒さの危険な季節の始まりであり、古代ケルト人たちがサムハイン(Samhain)のと呼ばれる収穫祭をおこなった日だ。

民間伝承によれば、それは善と悪の両方の霊を解放する現実の裂け目を作りだす。それらの「善と悪の精霊」は、その年に起きた恐ろしい出来事を作り出したとされた。たとえば、妖精の丘の中で消えた人々や、霧から出てきた危険な生き物などはその精霊が起こしたものだ。アイルランドとスコットランド出身の移民たちは 18世紀と19世紀にハロウィンの迷信をアメリカにもたらした。今の私たちアメリカ人の偉大な祖父母たちは、アメリカで最初のトリックの実行者になった。

その時から、アメリカの子どもたちは、ハロウィンの日には、暗闇の中の道を歩き回るためにアパートや建物のドアノブと他の建物のドアノブにロープを張り、窓にはガラガラと音がなる飾りをつけ、道路にボートを並べた。子どもたちのイタズラはエスカレートしていった。1887年には、礼拝堂の座席が糖蜜で覆われ、1888年にはパイプ爆弾が爆発、1891年には新しい家の壁が黒く塗りつぶされた。

1894年には、ワシントン DCで 200人の男の子たちが、路上電車に乗っている身なりのいい人たちを小麦粉の大袋で叩きのめした。それ以前のアメリカ人たちは一般的に小規模なコミュニティに住んでおり、隣人を多く知っていた。ハロウィンのイタズラが起きるのは地元の草原だった。子どもたちはハロウィンにトラブルを引き起こすけれども、大人たちはその罪を自分に向け、笑って過ごした。

しかし、20世紀初頭に多くのアメリカ人たちが大都市に移住して以来、都市部の大きな貧困の問題が噴き出し始め、別離や失業などの新たな問題が浮上した。その頃になると、ハロウィンには、子どもたちは火災警報器を鳴らし、店の窓に向けてレンガを投げつけ、校長の家に猥褻な絵を描いた。子どもたちは主に富裕層や大人、権威を徹底的に攻撃した。子どもたちは、それらにお金やお菓子をねだり、くれなければ「荒らすぞ」と脅した。

大人たちの中に、子どもと戦い始める者たちも出てきた。20世紀初頭のアメリカの新聞には。わずか 11歳から 12歳の子どもに銃で発砲して応じた大人の話が書かれている。ロチェスター校の校長は、「タイヤから空気を抜かれるのは、もはや楽しいことではない」と新聞に投稿した。拡大するハロウィンの日の暴走に、アメリカの第二次世界大戦への参加が激化していた 1942年、シカゴ市議会はハロウィンを廃止する代わりに、10月31日を「保全の日」として新たな記念日を設けることにした(ただし、実行されていない)。

第二次世界大戦が終わった後も、ハロウィン休暇を制限し再調整しようとする当局の努力は続けられた。それは、ハロウィンの日に大人たちが屋内で祝い、子どもたちを破壊的な行動から遠ざけるためだった。トルーマン大統領直轄の上院司法委員会は 1950年、地域社会が子どもたちのモラルを育むことを望み、ハロウィンを「青少年の栄光の日」として、別の目的の日に改正することを推奨した。

1962年、ニューヨーク市長のロバート・ワグナー・ジュニアは、ハロウィンの夜の行動の重点を慈善行為に変えるために、ハロウィンを「ユニセフ・デイ」という名称に変更したいと考えた。しかし、すでに、現実的な問題解決の方法はそれまでに実用化されつつあった。

子どもたちは、すでにこれまでのハロウィンでお金やお菓子を大人に要求していたので、このことを「建設的な伝統」に変えてみようと試みたのだ。すなわち、隣人からお菓子をもらう際に、それを丁寧に尋ねる方法を子どもたちに教え、準備が整ったら大人にお菓子を持たせるように促す。

これを「トリック・オア・トリート(trick or treat)」と呼ぶことにした。

1930年代後半に、アメリカの雑誌『アメリカン・ホーム』に、「トリック・オア・トリート」についての最初の記事が掲載された。数多くの家族向け、子ども向けのテレビやラジオ番組でも全国の視聴者に対して、トリック・オア・トリートのアイディアを発表し続けた。1952年に発表されたドナルド・ダック(Donald Duck)の漫画『トリック・トリート』は、映画とテレビを通じて数百万人にこの内容を伝えた。これは、おとぎ話の中で、「爆薬のかわりにキャンディーを与える」という内容を含んでいた。

無秩序なハロウィンから、トリック・オア・トリートへの移行は、そうすぐには行われないかもしれないという可能性もあった。しかし、菓子などを扱う食品会社の何社かが、このトリック・オア・トリートに注目してキャンディー事業に参入した。1965年には、ハロウィンのキャンディーと衣装の利益は 3億ドルを突破し、利益はその後も上昇を続けた。

そして、この「トリック・オア・トリート」という言葉が、その後のハロウィンの代名詞となったのだ。

この言葉は、特にベビーブーム時代の若い世代に爆発的に受け入れられた。ハロウィンの日の破壊と無軌道は次第に消えていき、コスチュームを着た子どもたちが海岸から海岸までライトを持ちながら歩き、大人たちは楽しくそれを歓迎した。今日、トリック・オア・トリートは変化し、子どもたちは車から車へとキャンディーを求めて歩く。

匿名希望
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