fc2ブログ

メディアとは何か・・・スプートニクが言っていることが興味深い

先日、日本のマスコミの自立性について、国連が「問題あり」と言った。政府から不当な圧力がかかっている、と言う。疑うべくもないが、指摘すること自体に異論はない。

で、これをきっかけに、スプートニクが面白いことを書いている。以下、紹介する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『公正なメディアは存在するのか?マスコミと権力、フェイクニュースについての考察』リンク

(前略)
どの国にもそれぞれの問題があるが、ケイ氏の日本批判に見られるように、メディアと権力との結びつきは全世界的な傾向なのか?との問いに対し、国際情勢解説者の田中宇氏は「メディアと権力の結びつきは、マスメディアが形成された19世紀からのもの。公正なメディアなどというものは最初から存在しないし、『問題がない』マスメディアなど、おそらく今後もずっと存在しない」と答えている。

そして最近、メディアを語る上で欠かせなくなってきたのが「フェイクニュース」という言葉である。アクセス数を稼ぐためだけに作られた完全な嘘の情報はもちろんフェイクニュースだが、田中氏は、歪曲が入った解説記事もフェイクニュースだという見解を示している。

田中氏「欧米日のマスメディアの国際報道、とくに解説記事のほとんどには、歪曲が入っており、フェイクニュースです。フェイクニュースという言葉は、トランプ当選後の昨秋、マスメディアがオルトメディアを攻撃するために使い出したものですが、フェイクニュースという言葉を使い出したことは、最終的にマスメディア自身が『天に唾する』結果になると思います」

それではジャーナリストはどうすればいいのか。その問いの答えになるかどうかはわからないが、ロシアジャーナリスト連盟が公開している「ロシアのジャーナリストのプロフェッショナルとしての倫理規範」から、興味深い一文を抜粋してご紹介しよう。そこには「ジャーナリストは報道の中で、事実と、意見・説・推測といったものを作り上げているものとは、明確に境界を引かなければならない。並行して、自身のプロフェッショナルとしての活動の中で、中立でいなければならないという義務はない」と書かれている。公正、中立、客観的という伝統的な日本メディアの理想からすれば、真逆とも思える考え方だ。

エッセイストのイリヤ・ブラジニコフ氏は、「中立な立場から物事をとらえることは そもそも無理であると最初からあきらめたほうが正直だ。中立であることを放棄し、むしろ自分がどの側についているのか立場を明確にした上で、論理を組み立て、あとは読者の判断に委ねるべきだ」と話している。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ロシアのジャーナリストの規範は「事実は事実として認めること」、それを「意見・説・推測と混同しないこと」としている。
なるほど。これは、メディアに限らず、人に何かを伝える(報告する)場合に外してはならない普遍的なことだろう。これが日本のメディアのようにごった煮だと、一般企業では問題になる。

で、ロシアのメディア規範の興味深いところは、そのあと。「並行して・・・(中略)・・・中立でいなければならないという義務はない」。
日本人が不文律的に信じているメディア像からすると、ロシアのメディア規範は“逆ギレ”的に思えるだろうか。が、これは、正しい宣言であると思う。

「言論の自由」が中立である保障はどこにもない。むしろ、自由にものを言いたいのなら、中立を保つことなど出来ない。
ロシアのメディア規範は、その事に価値を置くと言っているように思う。すなわち、鋭敏な洞察力に知的な分析を織り交ぜて、言葉化する能力をメディアの力としてみなしている。

メディアは「中立の立場で、偏りなく事実を報道すべき」と信じている日本人。メディアの性質を知って情報を取得しているロシア人。両者を比べて、賢いのはどちらだろうか。



多田奨
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)