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テレポリティクスの危険性

> そう考えると共認原理へと時代が変わったにも関わらず、ごく一部のマスコミや教育機関によって肝心の社会の共認内容が決まっている事に現在の根本的な閉塞の原因があるのは間違いないでしょう。
(『マスコミの第一権力化』59487)

指摘されているとおり、特に、政治に関しては、テレビへの露出度で政治家の選挙当落が決まってしまうほど、マスコミによる世論支配は決定的になっている。この傾向は、ここ10年くらいで、ますます強まってきているようにも感じる。


結論から言えば、この、マスコミによってつくられる「テレポリティクス(テレビ政治)」は、「全般的な思考停止」という、極めて危険な状況を作り出しているのではないかと思える。

例えば、昨今の政治の中心テーマである「構造改革」をめぐる論議もそうである。世論の支持を得ているかに見えるが、この言葉が示す意味内容は、大体において、非常に曖昧で、具体的イメージが共有されているとは言い難い。現在ほとんどの政治家が何がしか「改革」を唱えているが、スローガンだけが(ご都合主義的に)ひとり歩きしている感が否めない。

問題は、具体的な中身の論議(原因・構造解明)がほとんどなされないにも関わらず、「改革」という言葉だけが、価値観念化して(暗に正しいこと・必要なものという含意を伴って)流通してしまっていることではないかと思う。

具体的な中身がないのだから、当然、現実は変わりようがない。そこで、また、改革が進まないといって特定の政治家・官僚を批判したり、(中身もなく)改革の必要性を繰り返したりするわけだが、結局、ここ10数年、政治は、何も生み出さない堂々巡り=全般的な思考停止状態に陥っていると言ってよいのではないか。

つまり、マスコミによってつくられるテレポリティクスは、安直なイメージを価値観念として拡大・流布させ、肝心な中身の議論を空洞化させる構造を持っているのではないか。そして、その構造が、現実に何が問題なのか、という状況をますます見え難くし、事態の混迷度・閉塞度を加速させているのではないか。



岩井裕介
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