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みんな期待に応える場では、全員が供給者=需要者

共認域の形成において、供給者の登場がそのカギになることは、私も全くその通りだと思います。しかし同時に過去の宗教や芸能と、現在のみんな期待に応える共認域の形成の戦いとの違いも意識しておく必要があるように思います。
古代宗教や近代思想は、私権の絶対性に対する「実現不可能視」→「頭の中だけの代償充足の必要性」という人々の潜在期待を受けて、供給者=教祖や思想家が登場し、彼らとその弟子達が布教していく、という形で欠乏が顕在化し信者が組織され共認域が形成されていく、という過程を辿ります。ここにおいて特徴的なのは一部の供給者と大多数のそれを受容するだけの大衆=信者という構図です。つまり供給者と需要者の分裂です。

おそらくそれが必然化する理由は次の2点だと思われます。一つは大多数の大衆は日々の私権の獲得(生産労働含む)だけに手一杯で、所詮は代償充足に過ぎない供給内容=思想内容を考え出すような時間も余裕も無いこと。加えてこの普遍期待に応えるためには(共認闘争に勝つためには)その中味=質が要求され、(半)専任化が必要とされたことです。
更にその後、信者が多数になり社会共認に決定的な力を持つようになってくると、それは教団や大学などの形で制度化され、それを専業としてメシを喰っていく階級が登場します。ここにおいて共認内容を獲得することは私権=身分の獲得と一体化され、需要側は信者や学生として一方的に組織化されるだけで、供給者と需要者の分断は完全に固定化されていきます。
芸術・芸能は音楽や絵画スポーツなど様々な代償充足の様式をもっており、夫々が専門分化されているという違いはありますが、供給者の登場→組織化→専業化というプロセスや、供給者と需要者の分断という構造とそれが必然化される理由は、思想とほぼ同じ理由と思われます。

それに対して、現在の適応不全に基づく「みんな期待」に応えることを巡る共認域の形成は、過去の思想や芸能と決定的に違う点が存在すると思われます。それは一つには、過去のそれらが実現不可能視に基づく代償充足の欠乏に過ぎなかったのに対して、今回は「何とかしようとする」当事者欠乏であること。また別の言葉でいえば、過去人々は私権課題に全的に縛り付けられることによって、当事者=供給者の道をほぼ封じられていたのに対して、私権の衰弱によってそれが解放されたことです。つまりこの二つの条件から、人々が供給者であり需要者でもあるという過去と全く違う構造が可能になるという点です。

つまり、過去の共認域の縄張り闘争が、供給者の組織化に加えて、信者や観客などの需要者の組織化という課題があり、共認域の拡大とは専ら主要に後者を意味していたのに対して(この点では市場における供給者も同じ)、現代の共認域の縄張り闘争は専ら供給者=需要者の組織化一点に課題が集約される点が決定的な違いです。つまり共認域の形成とは、最終的に供給者の組織化一点に収斂します。
しかしこの点は同時に新たな課題も発生させると思います。つまり過去の供給者達が普遍期待に対応させるべく質の高度化の為に専業化していったように、現在の共認域の獲得においても、質=中味の上昇の為に半専業化(副業化)若しくは供給内容を巡っての高度化競争→質を巡っての精錬・陶冶の仕組みが要求されると言う点だと思われます。




北村浩司
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