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現実のある場所

「特に皇太子ご成婚パレードは忘れられないよ。テレビに映し出されたあの華やかな光景には本当に目を奪われた。」私は祖母の言葉を思い出した。彼女は何度テレビの中に憧れを見たことだろう。

1953年テレビの本放送開始当時、受像機の価格は高くテレビは高嶺の花であった。また、テレビは生活の中で頻繁に話題の中心となり、テレビから発信される映像を見聞きしているかどうかを試される機会が増えていった。テレビを手に入れることは一種のステイタスであり、そして必須であった。ここに「私権統合」と「私権の強制圧力」の姿を見て取れる。

70年代貧困が減少し、私権は衰弱した。憧れがテレビの中にあった時代は過ぎ去った。全面的な閉塞状態に陥っている社会の中で、人々は真の充足を求め現実に向き合い始めた。現実から新しい社会を構築しようとしているのだ。

しかし現実はテレビにはない。日々テレビに映し出される映像は、「現実」を題材にしたマスコミによるSHOWでしかなかったのだ。観客に感動や怒りといった何らかの感情を持たせ、注目させ、観客の関心を繋ぎとめておくために、現実を観客のウケがいい様にアレンジする。アレンジされた現実=SHOWからはもちろん本当の現実を知る事は出来ない。

現実は現実の中で生きるみんなの中にしかない。

テレビは変わらないし、何も変えない。テレビは単なる表現者また傍観者である発信階級が作り出す現実の一方的な押し付けの場でしかなく、新たな社会構築に向けた認識の生み出される場所ではない。現実は現実の中で生きるみんなの中にしかないと気付き、みんなと関わり合う場を必要とする社会の当事者は、そんなテレビを必要としない。ましてや「面白さ」など感じることなど出来るはずもない。




中瀬由貴
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