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tele-visionというblackboxの存在理由と我々との関係 さあ現実の砂漠(厳しい外部世界)へ PART1 

もう既に多くの人々が潜在思念の中でTVの必要性に対して疑問を抱き始めている。それはやはりTVが変わったからではなく(勿論50年前からは内容や製作や企画などは変化しているが、根本的な構造は不変)、それを受け取る我々のTVに対する認識が変わったことが大きいと考える。にも拘らず、未だに人々がTVを買い続ける理由は何か。
つまり、現在のTVの存在理由である。
当初は一つのstatusの道具として認識され,私権時代においては現実の私権圧力の中においての息抜き的存在=不全感の蔓延る現実に疲れた者達の代償充足を果、このようなTVの効用(役割)は麻薬に似て、厳しい現実から逃れ、容易なecstasyを手に入れる手段である。
これは“悪薬は口に甘し”であり、後に副作用として破滅が待っている。麻薬の場合は、精神異常/人格崩壊であり、TVに於いてはマスコミ達やTV局が作り上げる“虚”としての現実提示による思考倒錯である。
映画や演劇やは完全なる“つくりもの”(シミュラークル)であり、受け手の観客達もその事を承知の上で前提として捉えており、ゲームも同じ。(基本的には)そこから娯楽以上のものを期待していない。しかしTVはこれらよりもタチが悪い。というのも“現実を土台(ネタ)にしながらそれらを人為的に操作”しているからであり (最近ではTVドラマにおいて“この番組はfictiionです”が余り流されていない) 、時に視聴者はそこから現実の情報を仕入れようとしている(news等)からである。
この視聴者達の期待とは逆にTVにおける非現実性は今や明白で、マスコミ達による現実情報操作から実と虚は転倒し、実の虚像化/虚の実像化が働かされる(これはアメリカ後期資本主義社会(私権時代)が生み出した人間の心的構造の二重化を描いたJack Londonの『Martin Eden(主人公は結果的にこの二重化の倒錯により自殺してしまう)』の内容通りである)。またジム・キャリーが出演した映画『トゥルーマンショー』も同じ事である(主人公の生活が24時間テレビ放送され、周囲の人々は全てextra、出来事も全てシナリオ通りでその町(空なども含む)全体が作られたsetで、それを多くの人が傍観者として鑑賞する)。つまり、TVというblackboxは我々の日常現実を“傍観者達の視聴する対象物に転倒”(現実⇒虚構)させる恐ろしい力を持っているということである。
あのアメリカ同時テロにおいてWTCに追突する飛行機をTVで眼にした多くの人々は“まるで映画(screen)の中の出来事だったかのようだ”と述べている。そして驚くべき事にこの発言は被害を受けたアメリカ人達からも多く聞かれる事である。これまで第一世界のアメリカという大国はTVで流される第三世界で起こる内戦や、テロ、紛争に対して“恐怖は「ここ」で起こっているのではなく、「あそこ(どこか別のところ)」で起こっている”と認識していた(特にアメリカは後期資本主義消費社会=私権社会において「現実の社会生活」そのものが脱物質化した、見世物への転倒=非現実性である事は多くの人々が指摘している)。つまりここではテレビによって傍観者的な視点・認識が植え付けられ習慣化(被支配)していた事が分かる。文字通りtele(遠く離れた)-vison(映像)である。またこれまでハリウッドで製作されてきた数々の映画の中での非現実の世界として写ったのである。
最近よく見かける“この番組はお子様に悪影響な映像を含んでいます”という言葉もうけての我々を傍観者たらしめているものであり、我々を「彼ら」から「彼らの属する現実から」乖離させているものである。
そしてあの9・11によってアメリカはこれまでのTV的な完全に閉鎖した自己完結世界(傍観者)から、外部世界(当事者)を垣間見た(恐怖は「ここ(我々の属する世界=現実)」で起こっている)のであり、安全な非現実世界から危険な(厳しい)現実世界へと引きづり出される(気付かされる)事になる。(しかもこの多民族的大型私権集団(カタワの集団)に気付かせたのがイスラム原理主義という地方的理念を共認している本源集団であるところが興味深い)。このことをスラヴォイ・ジジェクは“現実界の砂漠にようこそ”と言い、アメリカの例外的な立場(「球域」=外部世界から隔離された完全に自己完結した安全な世界=TVの世界のUtopia)の終焉を示している。上記のジジェクの言葉は映画『Matrix』のMEGA-PCによって生み出されたvirtualな世界から現実世界へ戻った際の、地球の終焉的な光景=廃墟と化した世界にも表れている。もはや“自由”の国アメリカなる観念は外部世界に対して全く通用しないものである事が露呈された。アメリカの“自由”という観念は人々を個人に拘束して、共同体の一員である事を忘却させているのである。



桶皮竜希
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