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テレビの時代の終焉

確かに子供の頃の記憶を振り返っても、テレビが一番面白かったのは60年代から70年初頭ではないかと思います。爆発的な人気だった「てなもんや三度笠」「ひょっこりひょうたん島」「鉄腕アトム」も何となく夢を感じたし、お笑いにしても毒気が無かったように記憶しています。テレビの本質が代償充足であるとしても、「貧困」という「みんな不全」を脱するためのエネルギーや、未来への夢がテレビの中に感じられたように思います。

ところが貧困が消滅し始めた1970代に入ってテレビ番組も大きく変容していったように思います。70年代は反体制運動がほぼ終焉し、万博と「モーレツからビューティフルへ」というコマーシャルによって幕が明けます。未来への夢の言葉と裏腹にテレビは、11pm、野球拳、ハレンチ学園、etcいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」と言う言葉に代表されるように、刹那的刺激や毒気が大量に含まれた番組がどんどん増えていった様に記憶しています。
おそらく貧困の消滅に伴って、「みんな不全」が消え、貧困と社会矛盾の解決のための「連帯や団結」というスローガンも輝きを失い、人々はどんどん「個」へと解体されていったそれが70年代なのではないかと思います。実際若者の意識も「自分主義」へと傾斜していった訳ですが、それを支えていた自我(相対優位の欠乏に基づく、自己正当化と他者否定の意識)が憂さ晴らしとしての捌け口を求めていた、それがテレビに反映していたのだと思います。(個人的には私はこのころからテレビに退屈し、すっかりテレビは見なくなっていました)
更に80年代に入って更に「核家族化」と「個室収束」が進行。「今が楽しければ、それでいい」という意識の元でテレビも人をコケにする「ワイドショー」とお笑い番組が全盛となっていきます。あたかも人々の「失われた手応え」を刹那的刺激によって埋め尽くすように。

しかし現在若者を中心に人々は、明らかに仲間や人つながりに向かっています。また人類の適応不全という新しい「みんな不全」の顕在化に伴って、答え欠乏が反意識化されてきています。そして何よりも多くの人々は「反応充足の手応え」を求めています。

それらの変化に伴ってテレビが面白くなくなってきた、ということは結局この30年間のテレビは、浮遊し肥大した自我欠乏に応えるだけの存在であり、それは希薄化しつづけた人間関係や「みんな期待」に応えること等の真っ当な反応充足が閉ざされた中での、歪んだ代償物に過ぎなかった、といえるのではないでしょうか?



北村浩司
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