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今日のテレビの明らかな戸惑い

 既に多くの方々が指摘されているように、私も数年前、少年期における成長の中でいつの間にか自然にテレビ離れをしてしまったうちの一人である。
 理由は単純で、あらゆる事象を取り上げては必ず「面白おかしく」加工して届けてくれるテレビのご丁寧さに、ウンザリしたからである。家の外の世界で人々との対人関係(互いに送受信し合う「生きた」やりとり)を満喫すれば、帰宅した後にまでわざわざテレビに楽しませてもらいたいなどとは思わない。ましてや、笑わせてくれなんて頼んだ覚えは一度もない。仮に個室で一人寂しい気持ちになっても、残念ながら携帯電話やインターネットを介して他者に「会えて」しまう。テレビの出番はない。最早その必要性が見当たらないのだ。
 我々のこうした実情に適応できずに、テレビは明らかに暴走・迷走しているというのが今日の現状だ。では、テレビ側はそうした危機的状況に対して全く無自覚だろうか。
 やはりうすうすは感じているのだろう。その焦燥感の結果が今日、テレビの内容をワンパターンにさせている。つまり、「本当は面白くない」ということが実は分かっているから、無理やりにでも面白くしようと必死に空しいあがきをしているように見える。そうした暴走・迷走番組に出演している芸能人らの表情を見ても、明白な困惑の様子が見てとれる。それを見ている我々の方がかえって彼らに同情してしまい、ますます我々の心はテレビから離れていく...こんな悪循環の繰り返しの中で、テレビというマスコミの主要な一角は、自らの衰退・滅亡という運命すら、最後まで傍観・逃避的姿勢を貫いてゆくのだろう。
 もちろんテレビを先駆けとして、全てのマスコミが今、自分達の破滅への歩みを傍観している状況にあるだろう。日々の業務そのものが他者の現実を扱うものであるという傍観者特有の性格上、いざ自分達自身が困難な現実に直面しても、それを直視しない逃避的姿勢に「反射」してしまうことは避けられないだろう。
 しかし他方我々は、今「みんな不全・滅亡への危機」という人類共通の切迫した問題を抱え、この解決的方向の模索という緊急的課題にあたって、今日のマスコミのこのような実態をまさに「反面教師」として歓迎すべきだろう。つまり、マスコミが今までやってきたことと、正反対のことをしてゆけば良いのである。少数の傍観者による支配的共認世界から、多数の当事者による普遍的(本源的)共認世界への移行。そのモデルは、「反旧体制」「反旧観念」なのだから。しかしだからといって、来るべき新しい共認形成が明確な輪郭を帯びて見えてくるためには、今後の我々による更なる事実の追求・分析が求められるだろう。



ジャック・ダニエル
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