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テレビのベクトル みんなのベクトル

テレビというのは、麻薬に例えられるものではないか。もっと身近な例でいえば、煙草やアルコールに置きかえることができるかもしれない。ある人間がコカインやマリファナなどの薬物に手を出す動機は大抵、「なんとなく」とか「友達にすすめられたから、仕方なく」とかであろう。逆に、明確な意思や断固とした計画性を持って「さぁ、ヤクをやろう」という人間は、私のまわりでは聞いたことがない。
そしてそういった心境は、テレビを見るケースにも応用できる、と私は考える。たとえば、テレビを見ようと頭の中で思っていなくても、気がついたら画面の前で2時間半、という体験を多くの人が一度でもしたことがあると思う。それも先に述べたような、「なんとなく」の無意識的・非主体的な心理が作用しているからではないだろうか。つまり麻薬と同じような性質が、テレビにはそなわっているのではないかということだ。


日本において貧困が消え、私権統合の終焉が到来して以来、社会における人々の志向は、徐々に且つ劇的に変わっている。今、人々は集団から脱し、人間社会において能動的・主体的に行動するようになり、そこでは「現実」「真実」を常に探し、求めつづけている。これら「現実」や「真実」の追究・認識・再認識は、私たちに楽しさ、面白みなどをストレートに与えてくれる。だがそのためには、まず社会というものを直視しなければならない。幻や嘘に翻弄されてしまっていては、いつまでたっても現実認識が得られず、社会において現実的な興味深さを持つことはまず不可能である。

しかし考えてみると、メディアが放つ情報というのは幻であり、虚であり、一種の夢のようなものである。ニュースが伝える情報はわざと人々の目を引くように「加工」され、バラエティー番組は視聴者を離さないように次々と嘘を捏造する。フラフラした人間がこういったメディアの罠にはまる事態が、しばしば見受けられる。こういった意味でテレビというのは、やはり麻薬の夢幻的な効用と同じ心理的役割を果たすと捉えることができる。
また、このような幻・虚は、「傍観者」たちが放つ旧観念とも、とうぜん結びついてくる。

それに対し、私たちは今、「事実がどこにあるのか」「真実とは何か」に飢えている。他者と交流し、考えをぶつけ合い、認識を深く語りあい、新しい認識共有を生み出すことを強く求めているのである。そういった社会において、テレビやマスコミが放つ「虚」はもはや興味を惹かれない、意味をなさない、誰も必要としない、いわば御祓い箱なのである。

テレビがなぜ面白くないのか。
テレビから伝えられる情報や解釈が「虚」であり、私たちが求める情報や認識が「真実」であり私たちはそこに充足を見出すのだから、両者の間に深い溝が存在していることは明らかなのである。それはテレビ・メディアの志向と、みんなの志向、つまり「ベクトル」がまったく違うという言葉で表すこともできる。テレビは「視聴率獲得」「視聴者獲得」いう志向をもち、一方私たちは「事実の認識・獲得」という志向をもっている。したがって、テレビの情報には、私たちが期待しているもの、求めているもの、認識を得ようと思わせる「素材」がでてこない。ここにテレビが面白くない、大きな理由があるのではないだろうか。



匿名希望 
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