FC2ブログ

「解脱」とそのネタとしての「芸能」の行き詰まり

解脱に対する観念化が進んでるように思います。

例えば人を遊びに誘う場合でも、以前は「○○行こ」とか「○○しよ」とか一言で済んだのに、今じゃその気にさせるのに色々説明しなきゃいけなかったり、自分がする場合も、わざわざ尤もらしい理由を付けたりことさら楽しさを強調したり。

単なる発散に過ぎないのに、色々と講釈つけないと、集客力もなく、自分自身嵌れなくなってしまっている。

でも、「楽しけりゃいいじゃん」の世界でややこしいこと・難しいことを言い始めたら、自分で自分の首を絞めるようなもんです。

潜在思念では現実直視の認識収束がどんどん強まっている中で、あくまで現実逃避の解脱に拘るなら、離れていく心を引き止める為には観念で武装するしかありませんが、旧観念を使えば使うほど、人々からは(自分の潜在思念からも)見放されてゆきます。
(>一般的には充足収束⇒本源収束からズレた既成観念は捨象され、潜在思念の本源収束が進んでゆく。18423)
(>今後、代償物にすぎない様な感応観念が新しく登場してくることは、もはや無いだろう。18571)

芸能や解脱は、今やすでに、根本的な自己矛盾に陥っているのではないでしょうか。



西知子
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

97才の一遍聖人97代目が運転免許証を返納、健康と思っていても60才過ぎたら健康チェックをしよう

 97才の一遍聖人97代目が運転免許証を返納、健康と思っていても60才過ぎたら健康チェックをしよう・朝腕立て伏せが連続10回出来なくなったら突発的認知症発症の可能性大、そしたら運転免許は返納しよう、横浜市港南区で87歳の男性の軽トラックが児童の列に突っ込み、小学1年の男児が死亡した事故に心を痛めたとして、一遍上人から数えて74代目の時宗法主にあたる他阿真円(たあしんえん)上人(97)が15日...