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マス・コミの問題は人々を傍観者にする構造にある

>マスコミはどうして本当の不正を正し、社会統合の透明性を実現してくれないのか、かえって社会統合を「難問化」させているだけではないか。という不満を抱えています。(山澤さん)

もっとも端的に言ってマス・コミというものは、ネタから分析・論評までのほぼ全てが「借り物」でしかない究極の傍観者であり、不正を正すことや透明性の実現などはもともと出来ることではないと言うことでしょう。

そもそもマス・コミが登場する必然性は、個的な存在と化した人々が無数に暮らす社会における共認不全を背景とした情報伝播にありますが、情報を扱うだけでいいというような仕事は、どこまで行っても「ひとごと」でしかない極めて特殊な仕事です。

問題はマス・コミが大衆に迎合的あるいは共認的(さらには民主的)かどうかではなく(そうした意味の迎合やごまかしは構造的に当たり前であって)、マス・コミの登場により人々が急激に傍観者化したことではないでしょうか。当事者でないマス・コミが扱えるものは比較的当たり前の規範的な価値観でしかありません。こうした「ひとごと」のような旧観念に触れることが、傍観者の論理を学ぶことなのであり、それだけで人々を傍観者へと変えてしまうことの恐ろしさを、我々は強く認識しなければなりません。




斎藤裕一
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