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共認闘争としての芸術の幕開け

「演者=傍観者」という視点に関する一連の投稿を読んでいくと、「演者=傍観者」が内に秘める問題点は、演劇のみにとどまらず、現代の諸芸術のあり方そのものの転換を迫っているように感じます。

傍観者としての演者による演劇が、他の人々を引き付ける求心力を失っている現状を考えると、現代社会を切り離した次元で成立する、自己表現を主目的とした芸術が、もはや表現者(演者)の自己充足以上の力を有していないことを示しているように思います。

しかし、現在表面化している演劇の衰退は、演劇そのものに対する否定ではなく、傍観者としての演者による演劇の否定であり、演劇のみに限らず、傍観者の親分としての表現者と、傍観者の子分としての聴衆という、現在の諸芸術の根底をなしている構造そのものに対する否定であるように思います。

こうした、自己表現としての芸術に向けられた現代の否定のまなざしは、共認闘争としての芸術の幕開けを感じさせます。共認を深化させていく上で、人々の精神に直接訴えかける芸術の果たす役割は大きく、今後求められる芸術は、共認への意志を呼び覚ます芸術。共認をベースとしたうえで創造された芸術であるように思います。当然表現者は共認を意識する人々の厳しい目による激しい共認闘争をしいられ、この厳しい視線によって、芸術と称して生まれる多種多様な作品群の氾濫を抑え、万人によって必要とみなされた本物のみが産み落とされる環境が築かれるのではないでしょうか。




KOU
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