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マスコミと観客化の捉え方

社会統合・社会共認という地平からもマスコミなどのメディアの問題はとても重要だと思います。

>マスコミ的に今の社会を見れば、確かに、一部の有名人(文化人、政治家、芸能人など)と、その他大勢という関係があり、ここでは、その他大勢は匿名存在の観客です。<(15594、岩井さん)
>ところで、ここでいう「有名人」の出自は、明治期の文士たちの世界に見られるのではないかと想像しているのですが、彼らは従来の制度からの離反者、現実からの逃亡者であったわけです。<(15594、岩井さん)

私は、なぜ一般大衆が観客化(匿名存在化)するのだろうとすぐ思ってしまうのですが、大衆の欠乏の側で捕らえなおす必要もあると思います。日本のマスコミ(新聞)の原点は、江戸時代の瓦版に求められるでしょう。瓦版のネタはなんといっても「事件物」。めったにない事件は今でも新聞紙面を飾りますが、猟奇的な事件とかの非日常性を感じるものほど記事になりますね。

マスコミを新聞と捉えると共認形成を図る統合階級とすぐに結びつけて考えてしまいます。実際に読売新聞第一号(明治7年)では、布告・新聞(今の社会面)・説話・広告の4欄のみに分け、官令と通達、社会雑報、解説、教訓的記事を掲載していたようです。明らかに大新聞は支配階級の側からの社会共認(強制共認)という色彩が強く出ています。

ところが、瓦版はもともとは庶民の中から生まれた号外であり、これは明らかに庶民の解脱(充足)ツールの位置にあると思います。江戸時代の春本のたぐいの性(または擬似)充足と合わせて、この非日常的な事件をのせた瓦版は江戸庶民にとって、よっぽど面白かったことでしょう。そういえば、火事とケンカは江戸の花と言われていましたね。こんなところにも観客化(野次馬)の原点があるのではないでしょうか。





吉国幹雄
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