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「芸術」がこれからの社会にできる事

「芸術」がこれからの社会にできる事
 「1758 :心の時代」を読んで、「心の充足」を得るために「芸術」が道具になっていると、言い返せば「芸術」が根底からの充足を生み出していないように述べられている。がしかし、私にとっては「芸術」とはこの現代において新しい可能性を開き、観念機能及び想像力を育む古来より人類にとって最も必要なものと考えている。よって、「芸術」の持つ可能性を述べたい。
 今日グローバリズムが台頭し、人々の文化の記憶を破壊しつつある。世界の均質化が進む中で、人々は孤立し、心理的な鬱状態に陥っているように思われる。こんな状況は歴史上これまで無かった事だろう。つまり、20世紀に大衆社会が完成されたという事である。生活様式が均質化し、人々は古くからの農村に在ったような共同体を失い、孤立化に陥っている。そこから極端に感情的結合を求めるファナティシズム(狂信主義)が生じる恐れを、特に日本などではオウム事件を通じ人々は感じ取っている。そこに芸術が果たす一つの役割があると思う。
 私は建築を専攻している事もあってよく劇場や美術館に足を運ぶ。その中でいつも感じるのだが、演奏会などでの聴衆は、家に帰ればバラバラの寂しい群衆であるが、演奏に耳を傾けている間、非常に緩やかな連帯を感じているはずである。皆が一斉に感動し、自然に拍手がわく。昔の村や教会のような固定的な集団ではないにせよ、それは一つの救いになるはずではないだろうか。
 それらの中で、グローバル化がかってあった「小さな村」を壊してしまった。「小さな村」は境界に仕切られていたが、内部には自由があった。その破壊の一つの現況は或る意味においてインターネットではないだろうか。これらは情報をもたらす。情報は知識と違って断片的で、前後の脈絡は弱く、無秩序に人々を襲い不安にさせるところがある。しかし、情報を拒否する事は不可能だし無益でもある。むしろ情報を想像力でまとめていく以外に道はない。想像力を授けてくれる教育の場が芸術である。芸術の想像力こそ理性と感性の中間にあって、現実にまとまりを作り上げる事ができると私は信じている。
 人類は太古の昔から、神話がそうであったように隠喩としての言葉、言葉の「いのち」を用いながら苦悩を乗り越えてきた。これを儀式、儀礼として繰り返す事が、人間を救うための手段となってきた。ところが、グローバル化の中で言葉の豊かさが失われ例えば三角形のシンボルを見ても、そこから何か別のものを想像する力が衰えてきている。芸術を通じて人間は失いつつあるその力を、甦らせる事ができるはずではないだろうか。
 文化・芸術は儀礼性そのものである。儀礼や作法の中で人間は動物的感情を形式によって飼いならす。文明はそう言う儀礼を作り上げてきたが、二十世紀は、一方では感情をただただ解き放ち、他方では機械的な合理性を発達させてしまった。こうして破壊された文明を回復させるために芸術は役に立つ。文化の想像力を回復しなければならない。つまりそれは不安や閉塞間で膨れ上がった社会に対し、人々の観念機能作動に少なからず繋がっていく事だろう。
 又、それにつけて浮かび上がってくるのは人間の身体性、つまり人間は体を持っているという事である。情報化社会でも人が劇場や音楽会に行くのは、身体から直接発せられる何かを受け止めるためである。身体には、想像力を刺激する特別の回路があるようだ。そして、人々は出会いによってお互いに刺激を受ける。記号や情報が氾濫するこの世界に、身体の出会いの場を回復しなければならない。そういう場を提供するのも芸術なのであり、そのような場を増やす事が建築における真の宿命ではないかと僕は考えている。





江岸元 
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