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「Google検索」すればするほど、思考は狭くなる

自分が過去に検索した情報を元に、興味関心の高い分野の情報を提供する「フィルターバブル」(リンク)という機能がある。
しかし、そのことで検索結果が偏り、思考の蓋をしているという現実を認識する必要がある。

以下リンクより引用

>「インターネットの存在は、私たちが触れることのできる情報を無限大にしてくれた」
そう思っているあなたは、とんでもない勘違いをしている。
今や検索サイトの代表格となっているGoogle。
しかし、そこに表示される検索結果は、あなたと隣の人では全く異なるかもしれない。

実際にこんな結果がある。
ある2人の男性がGoogleでそれぞれ「エジプト」と検索したときの結果を比較してみると、1人の男性の検索結果にはエジプトのデモに関する記事がずらりと並んで出ていたのに対し、もう1人の男性の方にはデモについての記事が全く表示されていなかった。
誰が見ても同じ結果が出ると思われていた検索サイト。しかしながら、もはや今「標準の検索サイト」は存在していないのだ。
さらに皮肉なことに、私たちが検索すればするほど表示される検索結果は偏り、私たちが興味のある情報しか提示されなくなってしまっている。
このようなカスタマイズを行っているのはGoogleだけではない。
Facebookもそうだ。
こうした情報操作は、あなたが過去クリックした情報が基になっている。
その履歴をベースに、アルゴリズムがあなたの好きそうな情報を選び、その情報をあなたに届けているのだ。
このように、ユーザーが知らないうちに自分の好みによって変化するアルゴリズムのフィルター機能によって、知らない情報や反対意見が手に入りにくくなることを“フィルターバブル”と呼ぶ。

検索サイトだけでなく、自分が好きな情報だけを集めて読むことのできるSmartNewsやGunosyといったキュレーションメディアも、私たちがよりフィルターバブルにとらわれやすくなる一因になっていると考えられる。
GoogleやFacebookなどのメディアでは、ユーザーの個人データを大量に集計している。軽い気持ちで検索したワードの履歴や、たまたま押してしまった広告サイトまで。
そのため、企業は“あなた”個人に向けて、興味のありそうな情報や広告を流すことが可能になる。そしてそれは、あなたの未知なる可能性を狭めてしまうことになりかねない。
テレビCMや雑誌広告において、企業は“不特定多数の誰か”に向けてメッセージを発信している。そのため私たちは様々な広告に触れることができる。
しかし、ネット広告に流れが移り変わりつつある今、企業は“あなただけ”に対して特定のメッセージを配信することが可能となった。

現代の技術の発達により、私たちは沢山の情報の中から簡単に自分の好きな情報、知りたい情報を見つけることが可能となった。
しかし、その利便性と引き換えに、私たちは無意識のうちに知るべき情報から目を背け、自らの思考を狭めてしまっている。気が付かない間にフィルターバブルの渦にとらわれてしまっているのだ。

フィルターバブルを抜け出すためには、まず自分がフィルターバブルの囚人であることを知ること。
その上で、普段興味のない、自分にとって不愉快な情報を積極的に見て、バランスのとれた情報摂取を心掛けてほしい。
そうすれば、あなたは“見えない相手”に操作されることなく、自分の意思で情報を掴み取ることができるようになるはずだ。



仙人掌
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コメント

狭さ天皇的なSimple光の歩み方の道も時代突破には有効である。一般平均的な見てくれは評判は気にすることないだろう些末だ。全体バランス感覚が元からなかった戦後民主国でそう言うこと言う資格はない。バランスは寧ろ思考を超えた気質気概のなせる業である。ThinkよりもSinkである

トレンド的なネット専門論の重視の論考と見える。思考って情報ごときでするものなのかな。とっくに画一化のマスコミュニズム情報社会の一億白地。ネットはまだ光がある。Orネット層が寧ろマスコミュニズム化している。類の論でも「ひたすら自分を貫いて(恐らく普遍に到達)」これは石原流か。平均人になれないことを恐れる人間は二流である。前向き積極的な徹底化がないとそうなる。
新聞ですら元気健康活力を減退させるニュースは見ないと誰か書いてたな。情報洪水PacificFloodはマスコミ社会の頃から一億白地化であるとっくに。全てが洗脳的。近代力学の閉鎖空間。
本がいいんじゃねの?。証言「報道番組よりも本読んでる方が遥かにいいですよ」当のテレビ人が言っている(テレビニュースを情報操作垂れ流しておいて自分は読書にふける自己矛盾詐欺図式の例)。ずっと前から全体が偏った劣化の国である。これと言えるバランスは既にこの民主社会にはない。賢明な統治がないから容易に大勢に無自覚に流される過去でも。
傲慢にも上から啓蒙目線絶対主義で二人称で言う前にご自分が流行議論用語に乗せられてないかも考えたらどうか。この分野が一度たりとも取り上げてないもっと総合的な壮大な問題がある。報道番組情報では決して見えない。時代空間を突破には一般目線からは時代からは偏るしかない。仰々しい輸入横文字定義はいらない。
だから類流に言えば「人類の答え知恵を聖書に。あとはおしゃべり情報貴族議論はいらない。Simpleな人間営為だけ。それだけで十分に社会運営は成り立つ」。
米国のコミュニテイ参照で。He sinks while others just think…
あるいは「いわゆるに過ぎない」狭さを逆に武器にして一点突破の大業と言うこともある。一概に善悪を言えない(or大学でも自分が興味あるテーマをやりたいですと言う個人主義の既に多いこと多いこと。それこそAmericanDreamAD時代人生論)。「平均人の想定こそ狭い危うい社会」だ。部分専門主義にならなければいいのである。マスコミしか読まない奴でも狭いコンセプト不純動機リベラルでないアートな奴らはいる。今に始まったことじゃない。東洋医学も関連。脳専門にこだわることはない。信長主義の限界でもある。



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