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禁煙運動という危うい社会実験


養老孟司(東京大学医学部名誉教授)が禁煙運動について下記のように述べています。

■国が押しつけることではない

世界で最初に禁煙運動を始めたのは、ナチスドイツのヒトラーである。ヒトラーは非喫煙者で、国民の健康増進運動の一環でたばこを禁止したが、それが優生思想に結びついた。精神病患者の安楽死に始まり、最後はユダヤ人の大虐殺に行き着いた。日本でも〇二年に健康増進法が施行され、健康増進に努めるのが国民の責務とされたが、国が国民生活に踏み込み、習慣を変えさせようとするのは、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」と同じである。

たばこは健康に悪いかもしれないが、肺がんの主因であるかどうかについては疑問がある。現実に、日本人の喫煙率は下がり続けているのにもかかわらず、肺がんの発症率は上昇する一方である。日本人の寿命が延びたことも理由だが、発がんのメカニズムは複雑で、原因となるものも食生活から大気汚染、ストレスまで無数にある。たまたま肺にがんができたのを肺がんと呼んでいるだけで、でなければ非喫煙者で肺がんになる人が山のようにいることを説明できない。

健康至上主義がはびこる一方で、日本では交通事故で毎年五千人が亡くなり、自殺で三万人が亡くなっている。いくら健康に気をつけていても、明日、クルマに轢かれて死んでしまうこともあるのだ。本当に国民の命が大事だというのなら、禁煙運動より先に自動車反対運動をしたらどうか。自動車だって排気ガスで大気汚染を引き起こしている。私には石油業界と自動車業界がたばこをスケープゴートにしているようにしか見えない。

■たばこは脳に溜め込んだ無秩序を清算する

なぜ人はたばこを吸うのかというと、脳の研究者として私はこう考えている。仕事や勉強をするという行為は脳の中で「秩序を生み出す」行為である。秩序を生み出すにはエネルギーが必要で、エネルギーを消費するとエントロピーが増大し、無秩序が生み出される。つまり、無秩序は常に秩序と同じ量だけ生み出されるのである。人間は一日の三分の一は眠らないと生きていけないが、眠っている間に溜まった無秩序を清算してスッキリさせていると考えられる。

たばこを一服するというのは睡眠と同じで、無秩序を少しだけ清算しているのだ。だから、たばこをやめれば別の方法で無秩序を解放する必要があり、そうしなければ溜め込むばかりになる。単に中毒というのではなく、何かメリットがなければ、こんなに多くの人々が吸い続けたりはしない。たばこは健康に悪いかもしれないが、メリットもたくさんある。だから、やめれば問題解決かといえば必ずしもそうとは言えない。

■融通の利かない原理主義の世界

この世の中に一対一で「こうすればこうなる」という単純な図式で描けるものなどほとんどなく、想像もしなかったことが必ず起きる。禁煙運動が奏功し、日本人がたばこを吸わなくなれば、もしかしたら無秩序を溜め込んで、心の病になる人も増えるかもしれない。

経済の側面から見れば、神奈川県では昨年、禁煙条例が施行されたが、零細な飲食店では分煙施設を導入できずに閉店に追い込まれるなど、莫大な経済的損失が起きているとも聞く。こういう融通の利かない社会というのは、まさに一神教の世界、原理主義の世界の話である。それもそのはず、禁煙キャンペーンは欧米のサルマネである。私はこういった欧米発のキャンペーンの類いには強い疑いをもっている。

アル・ゴアの『不都合な真実』の前半は地球温暖化の話で、後半はなぜか禁煙の話だ。いったい何の関係があるのかと言えば、要するに反捕鯨、禁煙、地球温暖化の三つは同根なのだ。反捕鯨は日本を従属させ、禁煙は人類を喫煙者と非喫煙者の二つに分けて片方を葬り、地球温暖化は人類すべてにエネルギーを使うなと強要する。世論操作で何ができるか、徐々に対象を広げて実験をしているのだ。しかし、日本人は意外にルーズで常識的なので、お上がいかに世論操作の片棒を担いでも、適当なところで祈り合いをつけるだろう。私だって近くの人から「吸わないで」と言われれば控えるし、分煙に反対するつもりはない。喫煙者と非喫煙者が共存できる社会を作れると信じている。

引用:リンク


中 竜馬
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