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マスメディアが伝えない”新聞・テレビの歴史といま”~その2

THINKERより
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□加速する新聞・テレビ離れ
しかし、巨大なシステムとなったマスメディアにもいま危機が訪れています。インターネットの登場以来、テレビの視聴率と新聞購読者数の低下は著しく、若者を中心に新聞・テレビをみない人が増えています。その影響として、広告収入が下がり、記事や番組の制作費が削減されて質が低下し、つまらなくなり、さらに新聞・テレビの人気が落ちていくという悪循環になっています。

マスメディアの衰退は、新聞・テレビの流す情報に異議を唱える人が増えている証拠ともいえます。「マスメディアは、何を伝え、何を伝えていないのか」それが、インターネットで調べてみると、一般市民の私たちにもまる見えだからです。インターネットで多様な情報を得ている人からしたら、新聞・テレビが一部の限られた情報しか伝えていないことは、一目瞭然です。

次に、時代によって新聞・テレビがどんな役割を果たしてきたか、日本のマスメディアの歴史をみていきます。歴史は、マスメディアの現在の体質を、きわめて客観的に教えてくれます。

□江戸のメディア=瓦版
江戸時代には、瓦版(かわらばん)という新聞のような一枚刷り(木版)の雑誌のようなものがありました。おもに天変地異や大火、心中など時事性の高いものや政治以外の社会ニュースを伝えていましたが、明治に入ってからは、新聞にとって代わり衰退していきました。

□幕末
幕末の開国以来、居留外国人の間では英字新聞が発行されていましたが、日本語の新聞はまだありませんでした。というのも、幕府が出版物を厳重に規制し、新聞の編集・発行の知識と印刷技術がまだなかったからです。

□明治元年-創刊するも即発禁に!
戊辰戦争で、国内が混乱してくると全国で、「今、何が起きているのか」とニュースを求める声が高まると、英字新聞の発行に携わっていた人達や旧幕臣が、日本語の新聞を発行しはじめ、全国各地で新聞社が立ち上げられました。

もっとも早く発行された「中外新聞」(明治元年創刊)は、部数を急速に伸ばし(1500部)、その成功が後に続く新聞の発行を促したことから“ 日本近代新聞の祖 ”とみなされています。

当時の新聞発行者たちは、旧幕臣など幕府を支持する者が多かったため、記事の内容も薩長中心の藩閥政治を批判するものもありました。これは、新政府の怒りを買い、逮捕・投獄される者まで出ました。以降は政府の許可なしに新聞の発行は、一切禁止となり、生まれたばかりの新聞は、即壊滅、いったん社会から消えたのです。

翌明治2年に新政府は、「新聞紙印行条例」を発布し、検閲を受けることを条件に許可を得た新聞の発行を認めましたが、いずれも政府の顔色を窺うものになってしまったのです。この後、明治3年に創刊された「横浜毎日新聞」は、現代と同じ活版技術で印刷された、日本初の日刊新聞です。

□文明開化・明治時代「新聞=政府の御用新聞」
同じく明治3年には、木戸孝允の出資により、『新聞雑誌』が発刊されました。また前島密は、明治4年に『郵便報知新聞』(現・報知新聞)を発行しました。 政治家が新聞を発行し、直接的に世論誘導をしていることが特徴です。これらの新聞には、新政府の広報としての機能のみが求められました。

□新聞紙条例=新聞撲滅法
自由民権運動が高まり、言論が活発化してくるとそれまで政府の御用新聞であった各紙も政府に批判的な記事を掲載するようになります。
そのような社会状況の中、明治8年には、 新聞・雑誌の反政府的言論活動を封ずるための「新聞紙条例」が制定されます。 その主な内容は、以下のものでした。

①発行を許可制とする。

②違反者には、罰金・懲役を課す。(社主、編集者、印刷者の権限・責任を個別に明示し、 違反時の罰則などを規定)

③記事に本名(住所・氏名)を明記することを原則とする。

④犯罪者(当時の法律下での犯罪)を庇う記事を禁ずる。

⑤政府の変壊・国家の転覆を論じる記事、人を教唆・扇動する記事の掲載を禁ずる。

これらは、さらに明治16年に改正・強化されると、全国で355紙あった新聞が199紙に激減し、俗に「新聞撲滅法」とよばれました。

□伊藤博文と「朝日新聞」「毎日新聞」
大阪朝日新聞(明治11年創刊)は、当初、政府(伊藤博文など)と三井銀行が資金援助する御用新聞でした。明治14~26年までの間、政府から極秘の資金援助を受ける代わりに密約を結んでいました。

この密約の重要な点は、『大阪朝日新聞』が政府を表面的に弁護することはなく、「中立ヲ仮粧シテ」みせることでした。これは政府のきわめて巧妙な新聞政策で、当時「多事争論」といわれた様々な言論活動をうまく統制するために「中立」言論を育成し、新聞界での支配権を握るためのものでした。

また明治21年には、伊藤博文の腹心・伊東巳代治が、『東京日日新聞』(現・毎日新聞)を買収し、伊藤系長州閥の御用新聞となりました。

□戦争報道でマスメディアに成長
一般の新聞読者の興味を引くものは、戦争報道のような大事件です。

日清戦争(明治27年-)と日露戦争(明治37年-)における戦争報道は、人々の興味を引き、その結果、発行部数を飛躍的に伸ばしました。これを機に新聞は、社会的地位を一気に上げ、マスメディアとしての地位を獲得します。

しかし、戦争報道で獲得した多くの読者を新聞記事に惹きつけておくためには、戦後にも一工夫が必要です。そこで、様々なアイデアが発行部数を維持・拡大するという営利目的で、実行に移されていきました。

□三面記事の脚色-平時に発行部数を伸ばす手法
戦争のような大事件がないと、新聞はあまり売れません。そこで平時においてもよく売れるように、新聞各社は三面記事に脚色しはじめました。事件にドラマ性を持たせ報道したのです。

よくあった例は、若い男女の心中、強盗殺人事件などを取り上げ、悲劇のストーリー性を強調したり、犯行の残忍な描写をすることです。こうして、読者の興味を惹きつけました。これは、今でもよく日常的に使われている手法で、現代の私たちにとっては、ごくあたりまえの事件報道ですが、この頃から用いられてきた古典的な脚色技術です。

さらにこのような三面記事に用いられた手法は、政治・経済・戦争などの報道においても、応用されていくことになります。大事な情報を客観的に伝えたり、戦争の是非を問いかけたり、事件報道の与える社会的影響を考慮することは、すべてが売上アップのために犠牲にされていきました。

(続く)


中村英起
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