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就活生が"残業ゼロ企業"を追い求めるワケ

就活生が"残業ゼロ企業"を追い求めるのは、学生時代のアルバイトが働くことへの先入観を生んでいるよう。
何故働く意欲が低いのか?活力源の転換時期だと感じる。

リンク:リンク

なぜ最近の新人社員や就活生は働くことの熱量が低いのか。人事ジャーナリストの溝上憲文氏は「大学時代に6割の学生がブラックバイトを経験していることが労働環境優先の企業選びの大きな要因」と分析する。どんな経験が学生を委縮させているのか――。

■就活生が「残業の有無」を必ず質問する理由

2020年に卒業予定の大学3年生が就職活動を本格化させている。いま取り組んでいるのは「夏のインターンシップ」だ。

学生側が有利な「売り手市場」が続くなかで、とりわけ「残業の有無」を気にする就活生が増えている。日本能率協会の「2018年度新入社員意識調査報告書」によると、会社を選ぶ決め手として「残業が少ないこと」(22.0%)が最も多かった。


▼仕事はあくまで「人並みに」

これに加えて特徴的なのが、働くことに対する“熱量”の低さだ。日本生産性本部の調査によると「人並み以上に働きたいか」という質問に「人並みで十分」が61.6%。これに対して「人並み以上」は31.3%だった。


実は2012年度までは「人並みで十分」派を「人並み以上」派が上回っていた。だが、13年度に「人並みで十分」派が逆転して以降、差が広がっており、今年度は「人並みで十分」が過去最高を更新した。

さらに驚くのは「仕事中心派」の低下だ。仕事中心か、私生活中心かという質問では「両立」が78.0%で最も多く、その継ぎに多いのは「私生活中心」の15.2%だった。「仕事中心」は6.7%で、2014年度以降は減りつづけている。

■大学生のブラックバイト経験率は6割に達する

これらの調査を見て「最近の若者は……」などと小言を漏らす人がいるかもしれない。しかし、ワークライフバランスを重視したり、プライベートを優先したりする傾向は、若者自身の変質というより、取り巻く社会環境の変化も影響しているだろう。

電通やNHKといった大企業での過労死が大きく報じられ、政府自らが「働き方改革」を推進している。こうした状況は以前には考えられなかった。

さらに別の要因もある。地方国立大学のキャリアセンターの職員は「学生の多くが『ブラックバイト』を経験しているからではないか」と話す。

厚生労働省の調査(2015年11月)によると、アルバイトを経験した学生の60.5%が労働条件などで何らかのトラブルがあったと回答している。トラブルの中身はシフトに関するもの、賃金の不払い、労働時間が6時間を超えても休憩時間がないといった事例が挙げられている。

▼「急なシフト変更」「1日6時間超でも休憩時間ゼロ」

キャリアセンターの職員によると、「人手不足で代わりがいないと辞めさせないと言われ、2カ月間必死で代わりを探している」という飲食業でバイトをしている男子学生もいたという。学生に辞めることを勧めると「それは無責任です」と答えたそうだ。

京都府などが調査した「学生アルバイトの実態等に関するアンケート調査」(2018年3月19日)によると、トラブルが最も多いのは「一方的に急なシフト変更を命じられた」「1日6時間を超えても休憩時間が与えられなかった」というもの。ベスト10には「準備や片付けの時間の賃金が支払われなかった」「暴力や嫌がらせを受けた」「時間外労働の割増賃金が支払われなかった」が入っている。さらに「退職を申し出ても退職させてもらえなかった」(9.8%)もいる。

■ブラックバイトを辞められない学生側の「懐事情」

そもそも労働法などのワークルールを知らない学生も多い。バイトを通じて会社という組織に初めて接し、何が正しくて、間違っているのかという免疫を持たない学生も多いだろう。そして学生たちはこうしたバイトの経験を経て就活に直面する。キャリアセンターの職員は「バイトの経験が多分に就職先選びに影響している」と指摘する。

「電通事件やメディアの影響もあるかもしれませんが、ブラックバイトを通じてこんな仕事や生活は二度としたくないと思う学生が多いのです。バイト先でいじめられている社員を見て、こんな会社には絶対に入りたくないと思ってしまう。賃金未払いやパワハラが日常的に横行している会社はそんなにたくさんあるわけではありませんが、学生はそうした場面に遭遇し、それだけで会社とはこんなものだと萎縮してしまう。辛い体験でも学生時代の1~2年程度だからがまんできますが、一生そうだとしたら嫌だという思いがあるので就職先選びでは職場環境など気にするのだと思います」

「ブラックバイト」での辛い経験が、就職先に過度の期待を抱かない原因になっているかもしれない。

▼「出世なんかどうでもよい」という諦念を抱く理由はバイトにあり

先の日本生産性本部の調査によると「どのポストまで昇進したいか」という質問に対し「どうでもよい」と回答した人が最も多く(17.4%)、昨年度まで1位だった「専門職<スペシャリスト>」は16.5%と2位に転落した。せっかく入社した会社でも「出世なんかどうでもよい」という諦念を抱く理由の一端はバイトにあるのかもしれない。




匿名希望
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スマホやSNSが生み出した権力

(リンク)より

政治家を除いて、インターネットやSNSが普及する直前に権力者だったのは、メディアにかかわる仕事をしている人達だった。20世紀後半の、あの肩で風を切って歩くようなメディア業界の栄華は、経済的成功だけでなく、彼らの絶大な影響力にも支えられていた。出版や放送に携わる人達によって、人に何かを語って聞かせる力、人に影響を与える力、人を集める力、人を束ねる力は寡占されていた。

ところがインターネットやSNSが普及したことによって、この権力の寡占状態が破壊されてしまった。  
人に何かを語って聞かせる力、人に影響を与える力、人を集める力、人を束ねる力は、メディア関係者の寡占物から、ネットユーザーそれぞれに分け与えられることになった。特にスマホとSNSがもたらしたインパクトは大きい。「スマホやSNSで生み出される権力」の特徴は、「シェア」ボタンや「リツイート」ボタンで誰もが権力の分け前に与れることだ。
 
SNS以前のインターネットでさえ、そこでなんらかの権力を獲得するためには、言語や文章に親和性が高くなければならなかった。「一定以上の文章を読み」「一定以上の文章を書ける」ような、いわば学校制度のなかで十分以上の成績が取れそうな人達によって権力が寡占されがちだった。当時のインターネットで持ち得る権力など、たかが知れていたが、それでもネットで生起する権力には《読み書き能力という意味の》リテラシーがしっかり結びついていた。
 
だが、SNSは違う。「シェア」ボタンや「リツイート」ボタンには「何かを書ける、文章にできる」能力も、手間暇も要らない。ボタンひとつで気に入った発言の拡散に参加できる。気に入った発言の拡散に参加できる=モノが言えるということであり、言葉が飛び交うメディアに権力を投射できる――あるいは“投票できる”と言い直すべきか――ということでもある。これまでメディアの傍観者になるしかなかった人達も、SNS時代には「シェア」や「リツイート」によって、簡単にメディアに参画できる。
 
もちろん、「シェア」や「リツイート」で最も大きな権力を獲得するのは、相応の文章やメッセージを作成できる人間だが、それだけではなくなったのだ。「シェア」や「リツイート」は、ボタンを押す人間に少なくともボタン一回分の“投票権”を提供する――これは、既存メディアにも00年代前半のインターネットにも無かった機能だ。今までは声をあげようにもあげられなかった人、学校制度のなかで劣等生のレッテルを張られていた人も、メディアに参画し、なにが正当でなにが不当なのか、なにがアリでなにがナシなのかの議論に参加できるようになった。また、忙しすぎてメディア空間からもデモンストレーションからも遠ざけられていた人達も、隙間時間でメディアに参画できるようになった。
 
だから、スマホとSNSが普及した社会は、「言論の自由」を謳いながらも専ら中産階級的なフィルター越しにメディアが営まれ、読み書き能力や時間に恵まれた人に権力や影響力が寡占されていた社会よりも、ずっと「言論が自由」な社会だとも言えよう。



柏木悠斗 

TVはもはやマスメディアではない

日刊ゲンダイ より転載します
リンク

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ホリエモンは正しかった…TVはもはやマスメディアではない
2018年7月26日

 タレントになっても、食えない。テレビでは食えない時代が目の前だ。民放は全局で広告収入が前年度比でマイナスに転じた。そこには当然、視聴率争いでトップを独走してきた日本テレビも入り、肝心の視聴率でも落ち始めている。テレビ局全体の地盤沈下が止まらない。

 局もあの手この手の策は講じている。日テレはもう何年も、高すぎる社員給与ならびに制作費カットに出ている。テレ朝は、そんな日テレの制作スタッフを引き抜きにかかっている。常勝軍団だった日テレのノウハウが狙いだ。

 テレ東も「池の水ぜんぶ抜く」などのヒット番組で気を吐いてきたが、頭打ちで、新番組の企画を内々に大募集していた。その募集案がおもしろい。

「これがテレ東という、らしさのある新しいソフト。フジテレビにまねされるような」であった。

テレ東の企画を実際にパクってきたフジテレビはようやく失地回復したところもあるが、次の関係者コメントが言い得ているように聞こえる。

「あのとき、ホリエモンに買収しておいてもらったらよかった。そうしたら、今ほどの凋落はなかったし、トップを走っていた可能性だってある」

 あの2004年、ライブドアの堀江貴文社長はフジサンケイグループのトップにあったニッポン放送を買収し、フジを自分たちの傘下に置こうと試みた。Tシャツの若造で、社会常識もないIT長者ごときに、日本の大メディアを牛耳られてはならん、というのが大人たちの世論だったと思う。それがどうか。テレビとネットの融合などを目指した堀江氏の方向が正しく、それを蹴散らした当時会長のドン日枝氏の判断が間違っていたと、関係者まで言っているのだ。

テレビはネットに追いつかれたどころじゃない。今やのみ込まれ、凌駕されつつある。

その節目が今年のように見える。それはハレー彗星などのように、「今まさに夜空に見えます」と言われても、どこかピンとこないけれども、あと何年かして、2018年が転換期だったと分かっていくようになるのではないか。

 テレビの現場にいると、それはひしひしと感じる。家電のテレビコーナーに並ぶ最新テレビはリモコンの一番上に「ユーチューブ」などネット動画の閲覧ボタンがついているし、10代から20代の男女に「テレビ見てる?」と聞くと、十中八九、「見てません」と言う。スマホを触りながら。

 その昔、学校の教室で、その前の日にお茶の間で見たテレビ番組の話題をし、皆で盛り上がったことなど、彼らには知る由もない。彼らはネットで動画を見て、ニュース速報も、テレビをつけるよりツイッターなどを閲覧していく。何かあれば、その場でコメントをつけるだけ。テレビはもはやマスメディアではないのだ。(つづく)

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(転載おわり)





孫市 

「してるふり」にご注意を

地方マスコミは何故、キレがあるのか。
主要マスコミは何故、権力に立ち向かえないのか。
自覚しているくせに。

西日本新聞(リンク)の記事からの引用です。

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 安倍晋三首相の政権運営を巡って「外交が得意」という評価をしばしば耳にする。新聞やテレビでも「不祥事で苦境の安倍首相が、得意の外交で挽回を図る」などの解説を見かける。

 共同通信社が6月中旬に実施した世論調査では「安倍政権を支持する理由」で「ほかに適当な人がいない」がトップだが、「外交に期待できる」が2位につけている。「外交が得意」のイメージは広く世間に共有されているようだ。

 外交担当記者としては、首をかしげてしまうのだ。本当に安倍首相はそれほどの外交上手なのか。

   ◇    ◇

 安倍氏が首相に返り咲いてから5年半。第1次政権時代も合わせれば、首相在任期間は戦後3位だ。

 外交問題は一朝一夕に動かせないとはいえ、すでに十分な時間を与えられたと考えるべきだろう。

 しかし安倍首相自身が最大の課題に掲げる「拉致問題の解決」は現時点まで全く進んでいない。残念なことに、これが事実である。

 トランプ米大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の首脳会談で、楽観はできないにしろ、北朝鮮が非核化へ動く可能性が出てきた。同時に拉致問題解決のチャンスも訪れている。ただし、米朝会談実現の功労者は韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領であり、安倍首相ではない。

 もう一つの日本外交の大きな課題は北方領土問題だ。安倍首相はロシアのプーチン大統領とすでに20回以上も会談を重ねているが、経済協力を求められるばかりで、領土問題解決や平和条約締結への道筋は、ほとんど見えてこない。

 在任の長さを考えれば、拉致問題や北方領土で一定の成果を上げない限り「外交が得意」などの評価はできないのではないか。アジア外交も停滞している。目立った実績といえるのは、オバマ米大統領(当時)の広島訪問ぐらいだろう。

   ◇   ◇

 ではなぜ「外交が得意」のイメージが広がるのか。私はそこに興味を持つ。

 会社勤めを長くしていると「仕事をしているふりがうまい人」がいるのに気付くものだ。読者の皆さん、今、うなずいたでしょ。

 安倍首相もこれと同じで「外交で実績を上げてるふり」がうまいだけではないのか、というのが、失礼ながら私の仮説である。

 「仕事をしているふり」がうまい人には、いくつかの特徴がある。「得意先の誰々と会った」など途中経過をやたら報告する。小さな成果をアピールする(大きな成果は上がらない)。誰かが大きな仕事をすると「実は自分も関わっていた」と便乗する-などなど。

 安倍首相は国会答弁で、北朝鮮が米朝会談に応じた理由について「日米韓が最大限の圧力をかけた成果」と強調している。間違ってはいないだろうが、このうち日本の圧力がどれだけ効果があったかは不明だ。

   ◇    ◇

 会社という世界では、人事担当者の目が節穴なのか、意外と「仕事をしているふりがうまい人」が高く評価されてあぜんとすることがある。読者の皆さん、また、うなずきましたね。

 ただ、これが政権となると、査定するのは人事部ではない。われわれ国民である。間違った査定をしないよう、イメージに惑わされず、事実を吟味して正確に評価する目を持ちたい。

 (論説副委員長)

=2018/07/22付 西日本新聞朝刊=





井上誠

軍産複合体に支配された米国マスコミとって、ロシアとの緊張緩和は反逆行為

以下、「事実ではなく、まったくのたわごとで作られているロシアゲート」リンク より転載。
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 ロシアとの関係を正常化して、軍安保複合体の莫大な予算を脅かしているというだけの理由で、大統領執務室に不適切な住人だという更なる批判対象に仕立て上げようと、NPRの売女マスコミくず連中は、あらゆるゲストや話題を駆使し、今日終日、トランプ大統領についてわめき散らし続けていた。NPRのくずどもは、 モンテネグロの大使を、電話に出させ、モンテネグロ人は、自らを守ることができる、強く攻撃的な国民で、彼らを守るため、アメリカ人家族の息子を送りこむ必要はないと述べたかどで、トランプを大使が非難するよう、あらゆる手を尽くしてせめ立てた。モンテネグロ国民についての、この礼儀をわきまえた賛辞が、どういうわけか侮辱と見なされている。大使は反トランプの立場にされるのを拒否した。NPRはしつこく試みたが、うまく行かなかった。

 元ウオール・ストリート・ジャーナル編集者として、NPRは、ジャーナリズムと、何かを主張することの境界線を超えており、もはや501c3非課税公的財団の資格はないと確信を持って言える。

 トランプ大統領に対するNPRの攻撃は大規模な画策の一環だ。同じ記事が、長くCIAの手先だと思われているワシントン・ポストにも掲載された。その可能性は高いが、あらゆる売女マスコミに掲載されている。リンク

 1961年、アイゼンハワー大統領がアメリカ人に、それについて警告したが、結局は無駄だったアメリカ国民に対する言説を支配する軍安保複合体の能力が、大多数が洗脳された。アメリカ国民を生み出した。

 例えば、下記にリンクしたケイトリン・ジョンストンのコラムで、洗脳された阿呆か、陰の政府お雇いのアラシ屋だと私は思うのだが、カート・アイヒェンヴァルトが、要点は、アイヒェンヴァルトが、諜報機関がそう結論づけていると主張する結論は絶対出していない“わが国の諜報コミュニティー”を信じるか“プーチンを支持するかだ。人は愛国者か売国奴か阿呆かなのだ”と言っている。

 民主党や、多くの共和党員や、アメリカのあらゆる印刷メディアやTVメディアやNPRと同様、ニーズを満たされていないアメリカ納税者からむしりとり、画策されていだけで、ありもしない脅威からアメリカ“守る”ことで、超富豪の懐を肥やす年間1兆ドルを守るため軍安保複合体が繰り出す虫のいいウソを信じる連中を、愛国者だとして、アイヒェンヴァルトが定義しているのに留意願いたい。アメリカ人からのこの窃盗を支持しなければ、アイヒェンヴァルトによれば“売国奴か阿呆”なのだ。

 我々を破壊することが可能な核大国との平和な関係を実現しようとするのは反逆罪だという言説にだまされるアメリカ人がいかに全く愚かかをケイトリン・ジョンストンは語っている。つまり、ジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソン、ジミー・カーターやロナルド・レーガン大統領は反逆罪なのだ。これがアメリカ売女マスコミや、民主党や、軍安保複合体の公式見解なのだ。それは“アメリカ左翼”だと自らいつわっているニセ組織の見解でもある。

 平和を実現しようとするのは、反逆行為だという、この全く馬鹿げた見解が、まさに腐敗したアメリカの印刷メディアや、TVメディアや、NPRの見解だ。それが民主党の見解なのだ。これが議会の共和党議員連中、軍安保複合体に雇われているジョン・マケインやリンジー・グラハムなどの戦争商売屋の見解だ。

 ロシアとの緊張緩和は反逆行為だという説を信じるあらゆるアメリカ人は、自分たち、友人や家族、そして全世界のために核のハルマゲドンを準備していることになる。


 記事原文のurl:リンク





村上祥典

悪意のある統計に要注意! 「因果関係」で見抜くデータの真意

データをどう読み解けばいいかわからない。どのデータを信用したらいいかわからない。そう悩んだことはありませんか。
プレゼンテーションに対するよくある批判として、「データがないから説得力に欠ける」というものがあります。確かに、統計などのデータを用いていない主張は、どこまでが事実でどこからが憶測なのかの区別が全くつきません。また、バズワード的に使われるビッグデータという言葉や、エビデンスに基づく政策決定(EBPM)の必要性の議論など、今の社会はとにもかくにもデータを重要視します。
確かに、もっともらしいデータが添えられた主張は、良い主張、正しい主張のように見えるもの。しかし、そこには落とし穴があります。もっともらしいデータが添えられているからといって、その主張が正しいかどうかはわからないのです。
「もっともらしさ」に対して意識的に疑問を挟んでいかなければ、私たちは気が付かぬ間に損をしたり、間違った意思決定をしてしまう可能性があります。今回の記事では、統計がいかに人々を騙すのかを紹介し、統計に騙されないようにするにはどうしたらいいかを考えていきます。
統計の悪意

例えば、こんな文章をテレビのコマーシャルで見たことがあるのではないでしょうか。
医師の97.5%が当社製品の使用を推奨しています。
これを見て、「そんないい商品なのか。使ってみようかな」と一瞬でも思ってしまう人は多いのではないでしょうか。しかし、これは故意に誤解を誘導する、悪意のある文章である可能性が高いもの。なぜなら、このデータには次のような背景が隠されているかもしれないからです。
製品の広報担当者は、実態はさておき、その商品を優れたものと消費者に信じ込ませたい。そこで、権威のある人たちである医師に意見を求めた。その医師はランダムに選んだ医師ではなく、製品を作っている会社の研究に協力し、報酬を得ている医師たち。そして、医師たちに「この製品を使ってもよい」「この製品を使うべきではない」という2択式のアンケートに回答させた。医師たちは、契約や金銭の関係があることも手伝い、ほとんどの人が「この製品を使ってもよい」に〇をつけることになった――。
この統計の取り方には、様々なおかしい点があることに気づくと思います。まず、サンプルが偏っていること。そして、回答の選択肢が偏っていること。「使ってもよい」という選択肢には、「ぜひとも使いたい」という強い気持ちから「他が無いならこれでも致し方ない」という程度までを網羅した幅広い回答が含まれる一方、「使うべきではない」という選択肢は、強い拒否しか当てはまらないような範囲の狭い回答であり、不公平です。
ここで示したものは、極端でかつ分かりやすい例ですが、これと同じように、見る側に疑問を抱かせないような巧妙なデータは世の中には多くあるのです。


こうしてあなたは騙される!

統計の悪用方法には、主に二つのものが挙げられます。
1. 相関関係と因果関係の混同
何かの主張に対し統計データを用いて理由付けを行う際、頻繁に使用されるのが、相関という概念。その相関関係とごちゃまぜにされやすいのが因果関係です。
例えば、「一日の摂取カロリーが多い人は、体脂肪率も高い傾向にある」「一日の学習時間が長い生徒は、良い成績を出しやすい」といった主張があるとします。
統計を取ると、これらは明らかな傾向として出るでしょう。そして、これが往々にして因果関係として説明されることとなるのです。ですが、「摂取カロリーが多いということは、その人はすなわち肥満体形である」「勉強を一日20時間しているから、その生徒は確実に一位を取る」といった論理になると、これは一気に正確さを欠きます。
摂取カロリーが平均の倍あっても、その人はアスリートかもしれません。勉強を20時間していても、スマートフォンをいじってばかりで成績が上がらない人がいるかもしれません。このように、相関と因果関係は全く別物なのです。
2. 因果関係の逆転
因果関係の逆転というのも、よく使われる手法です。例えば、「バスケットボール選手は、そうでない人と比べて背が高い」というデータがあったとします。これはややもすると、バスケットボールをすることによって骨などに何かしらの刺激が行き、身長が伸びやすくなると解釈したくなりますね。しかし、現実は違います。バスケットボールは競技の性質上、身長の高い人が圧倒的に有利です。競技を続けるうえで、活躍してモチベーションを保つことが大切であることを考慮すれば、高校生、ましてやプロにもなるとバスケットボール選手に身長の高い人が多くなるのもうなずける話ではないでしょうか。
このように考えると、「バスケットボールを続けることによって身長が高くなった」のではなく、「身長が高い人がバスケットボールを続ける」という風に、直感とは逆の因果が存在しているのです。

統計の悪意に負けないために

では、私たちはこうした統計の悪意をどのように見抜けばいいのでしょうか。
悪意のある統計データに負けない第一の方法は、「本当にそうなのか?」と疑う心を持つことです。インターネット上で検索すれば、情報はいくらでも出てくるもの。その中には、一見して明らかに間違っている情報が数多く存在します。そうした情報に対して、「どうしてこの情報は間違いだと言えるのか?」を考えるようにしてみてください。情報を疑い、真意を追究する癖がつきます。
また、一見納得してしまいそうな情報であっても、その情報には問題がないのか、意図的な操作がないのかを考えることも必要です。統計を取る人たちは、何かの意図を必ず持っており、アンケート調査に私たちがどう回答するかやどう誤解するのかを、非常によく理解しています。アンケートの主催者側が回答者たちを操作しているかもしれないのだということを踏まえ、そのデータや文章の背景にある、情報発信者の考えを推理しましょう。
 



大川剛史

わかりやすい「原因」や「悪役」が登場する話を、なぜ信じてはいけないのか。

リンクより引用
***

数あるSNSの中で、Twitterは(今のところ)最も面白い。

なんでかなー、と思って考えると、文字数の制約が、一種の「大喜利文化」を生み出すからではないかと思う。

~中略~

Twitterの中には特に、「わかりやすい悪役」が登場し、共感、義憤を感じるようなネタがとてもたくさん転がっている。

しかし、こういった「ネタ」はあくまでもエンタテインメントの範囲にとどめておかなくてはならない。

これを現実の世界と混同する人が増えてくると、それは多少困ったことになる。

ではなぜ、わかりやすい「原因」や「悪役」が登場する話を、軽々しく信じてはいけないのか。


私の前職はコンサルタントだった。そして、その仕事の一つは「業務改善」だ。

マーケティング、販売、購買、在庫、生産……テーマは多岐にわたるが、いずれの業務改善も、最初の一歩は「ヒアリング」である。

たかがヒアリング、と思う方もいるだろうが、ヒアリングは次の目的を達成するために、とても重要な仕事だった。

1.事実確認
得られたデータ、数字に間違いないかどうか、そしてどのように計測しているかを確認する。

質問:
残業時間が◯時間ですけれども、どうやって残業時間を入力してますか?

回答例:
実際には記録をつけていない残業があり、今月の残業時間は◯時間が正確である。
残業時間をつけていい、と言われた人だけつけている
など

2.主観の確認
上のデータを「どのように捉えているか」を聞く。

質問:
いただいた資料には残業時間◯時間と書いてありますが、これについてどう思っていますか?

回答例:
とにかく忙しすぎます
人が足りません
もう少し効率化したいです
特に忙しいとは思っていません
など

この「事実」と「主観」を比較し「その人達がどう世界を見ているか」を把握できることがヒアリングの価値なのである。

だから、インタビューをしていると、徐々にその人の「思考のクセ」のようなものが見え、インタビューを何回か行った後には

「こんな提案をしたら、あの人はどんな反応をするかな?」
ということが、ほぼ見えるようになり、その後のプロジェクト推進が素晴らしく楽になる。

さて、本題に入ろう。

20年近くもこうした仕事をしていると、「思考のクセ」にはある程度のパターンがあることがわかってくる。

そして、特に注意を要するのが「わかりやすい「原因」や「悪役」が登場する」話だ。

例えば、以下のような発言である。

「◯◯さんが、悪いんですよ。」
「◯◯の業務があるから他のことができないんですよ。」
「モチベーションが下がっているからです。」
「給料が安いからです。」
「◯◯部が協力的でないからです。」

インタビューの素人は、こういった発言に対して「いい話が聞けた」と喜んでしまうのだが、実はその逆である。

むしろ自信を持って「わかりやすい「原因」や「悪役」が登場する」話をする人は、あまり有益な情報を持っていないとみなしたほうが良い。

心理学者のエイモス・トベルスキーはこれを実験によって確かめた。
トベルスキーは、ある訴訟についての情報を、3グループに分けた学生に提供した。

第一グループは原告の弁護士から、第二グループは被告の弁護士から、そして第三グループは両者から話を聞いた。

その結果、おもしろいこと「どちらか一方」だけからしか話を聞いていない学生の方が、自分の判断により自信を持っていたのである。

その理由は「情報が少ないほうが、自分の話の辻褄を合わせやすいから」だ。

参加者は全員、状況を完全に理解しており、原告か被告どちらか一方の弁護士からのみ説明を聞いたグループも、相手側の主張をたやすく推測することができた。

にもかかわらず、一方的な説明は彼らの判断に顕著な影響を与えた。しかも一方の側からだけ説明を受けたグループは、両方から説明を聞いたグループより、自分の判断に自信を持っていた。

そう、まさに読者もお気づきのとおり、手持ちの情報だけでこしらえ上げたストーリーのつじつまが合っているものだから、この人たちは自信を持ったのである。

ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。

心理学者のダニエル・カーネマンはこれを「自分が見たものが全てだ(What you see is all there is))」と呼んでいる。


ネタに突っ込むのも野暮な話であろうが、冒頭の「婚約者がいるため、東京勤務でなければならない」と言った新入社員の話を検証してみると、

・そもそもこの新入社員は入社前に「転勤の有無」「勤務地」の話を人事としていなかったのだろうか?

・支社があり、社長が人事を一存で決めることができるくらいの規模の中小企業で、コストを掛けて採用した社員が辞めてしまうようなリスクを取る会社があるのだろうか?

という疑問が浮かぶ。

さらに「勤務地 希望」でググってみると、

【勤務地希望と理由の書き方|彼女、地元を離れたくない時の対処例あり】
というページがトップに出てくる。そのなかに、模範解答として、

○模範解答:婚約者がいるため、東京勤務を希望します。
という一文があり、これを元ネタにしたのではないかと思われる。

そういうことで、こういう話を鵜呑みにするのは、いただけない。

現実はもっと複雑なのだ。




別所彦次郎

朝日新聞の凋落とデジタルメディアの浸透

日本の新聞で読者の信頼度が高いのは
1位が日経新聞、2位地方紙、3位読売新聞、4位産経新聞、5位毎日新聞、6位朝日新聞はとなった。
2012年には約762万部だったが、今年5月の販売部数は約590万部とし、約172万部ダウンとなっている。
もはや“朝日離れ”というよりも、紙媒体離れと言っていいかもしれない。


「朝日新聞の凋落とデジタルメディアの浸透」(リンク)

(以下引用)

2018年7月4日:〈朝日新聞の信頼度は日本の有力紙の中で最下位〉という衝撃的な調査が発表された。英国オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所が毎年行なっている国際的なメディア調査レポートの最新版『Digital NEWS REPORT 2018』によると、日本の新聞で読者の信頼度が高いのは1位が日経新聞、2位地方紙、3位読売新聞で、朝日新聞は産経新聞(4位)や毎日新聞(5位)より下の6位となった。“日本で一番信頼できない新聞”という評価だ。

「朝日の凋落」は数字からもはっきりわかる。信頼を失うきっかけは誤報問題。同紙の朝刊部数は2012年には約762万部だったが、安倍政権になって福島第一原発事故をめぐる吉田調書報道や慰安婦報道での誤報が批判されると、2015年度には約670万部と3年間で92万部も落ち込んだ。その後も部数は減る一方で、今年5月の販売部数は約590万部とさらに80万部ダウンだった。反朝日の保守層ではなく、朝日読者の“朝日離れ”が深刻なのだ。朝日新聞社会部の若手記者は最下位への“転落”を実感している。過去には、田中角栄元首相を失脚させたロッキード事件をはじめ、竹下内閣を退陣に追い込んだリクルート事件、自民党分裂につながった東京佐川急便事件など大型疑獄事件はいずれも第一報は朝日のスクープだった。しかし、新聞がいくら政治の腐敗をスクープしても、媒体が国民に信頼されていなければ世論を動かせない。

このレポートは世界37か国を対象にデジタルメディアを使った報道について調査しその結果をまとめたもの。日本を対象とした調査データやその分析も掲載されており、そのサンプル数は2033となっている。調査は2018年1月末から2月初めにかけてオンラインで行われた。なお、オンライン調査である点から結果に一定の偏りが発生している可能性があると調査レポートでは注意している。

(引用終り)




匿名希望