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『日本国民に告ぐ』 一学究の救国論~外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か

◆外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か

それはともかく、幕末から明治にかけて来日した外国人の言葉によると、日本は江戸時代に、今日に至るまで白本以外の世界のどこにも存在しなかった、貧しいながち平等で幸せで美しい国を建設していたのである。こういった見聞録に対する現代知識人の冷笑主義に私は与(くみ)しないが、百歩譲ってその言い分を認め、そのような印象が単なる幻影だったとしても、少くとも当時来日したほとんどの外国人に、そのような幻影を抱かせるような現実が、当時の日本にあったことは間違いはない。

その現実とは何か。明治四年に来日したオーストリアの長老外交官ヒューブナーはこう断言する。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」。
貪しいながら人々の顔に表れた幸せと滞足感が余りにも著しかったから、すべての来日外国人がこの想像しにくい状況に瞠目し書き記したのである。

無論、幸せとか満足感に基準はない。当時の欧米は産業革命の真只中でありその歪みも出始めていたが、その頃の自国の人々の表情と比べての印象であることは否めない。
それにしても、表情に表われた幸せや満足感をすべての人々が見聞違うなどということがあり得ようか。人々が健康そうで礼儀正しく正直だったこと、鍵のない部屋や机から何も盗まれなかったこと、街頭や農村で見た人々が子供から人足、車夫に至るまでみな、冗談を言い合っては笑いころげていたこと、これらは現実ではないのか。苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)にあえいでいたはずの当時の農村で、人々が貧しいながら皆幸せそうにしていたいと多くの外国人が言う時、「苛斂誅求にあえいでいた」の真偽を疑うことが先決ではないのか。日本をよく見て歩き将軍家定に謁見までしたハリスが、「将軍の服装は質素で、殿中のどこにも金メッキの装飾はなく、柱は白木のままで、火鉢と私のために用意された椅子とテープルの他には、どの部屋にも調度の類が見当たらなかった」と書いたのはハリスの幻だったのか。彼が「日本には富者も貧者もいない。正直と質素の黄金時代を他のどの国よりも多くここに見出す」と書いたのは錯覚だったのか。


世界のどこの地域でもなしとけられなかった、かくも素晴らしい社会を作りた日本人の、卓越した特性をなぜ日本人は誇りに思わないのだろうか。日本以外の国であったら、世界が目をみはった日本文明に関し、歴史教科書で誇り高く詳述するであろう。世界の中で品格をもって生きて行くためにどの国民にとっても必要な、「祖国への誇り」を育くむために活用するだろう。

現代日本の教科書では無論ほとんど一切触れられていない。前述のように歴史家がそれを嫌い、知識人がそれを忌むからである。自らを自慢することはしたくない、という日本人の謙遜もそこには働いている。祖国への誇りを子供に育くむのは軍国主義につながりかねない、愛国教育ではないのか。などと本気で心配したり、近隣諸国条項を考慮したりする。近隣諸国条項とは一九八二年に教科書検定基準として定められたもので、平らたく言うと、「中国、韓国、北朝鮮を刺赦しかねない叙述はいけない」という政治的なものである。歴史的あるいは国際的な客観性より外交を優先するという代物だ。無論、これら三国にそのような滑稽な規定はない。


昨春、私はお茶の水女子大学を定年退官したが、定年前の十数年聞、専門の教学以外に、一年生対象の読者ゼミを年に一コマか二コマ担当していた。よく新入生にこう尋ねてみた。「日本はどういう国と思いますか」。彼女達の答えには、表現の差こそあれ、「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などと否定的なものが多かった。理由はほぼこういうものだった。「明治、大正、昭和戦前は、帝国主義、軍国主義や植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民重義もなく庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと」。そう習ってきたのである。そう理解することでやっと大学合格にまで漕ぎつけたのである。

私は彼女達がかくもひどい国に生まれた不幸に同情した後、必ず聞くことにした。「それでは尋ねますが、西暦五〇〇年から西暦一五〇〇年までの十世紀間に、日本一国で生まれた文学作品がその間に全ヨーロッパで生まれた文学作品を、質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」。これで学生達は沈黙する。私はたたみかける。「それでは、その十世紀間に生まれた英文学、フランス文学、ロシア文学、をひっくるめて二つでいいから拳げて下さい」。学生は沈黙したままだ。私自身、『カン夕べリ寸物語』くらいしか思い浮かばない。

私は学生にさらに問う。「この間に日本は、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、源氏物語、平家物語、方丈記、徒然草、太平記……と際限なく文学を生み続けましたね。
それほど恥ずかしい国の恥ずかしい国民が、よくぞ、それほど香り高い文学作品を大量に生んだものですね」。理系の学生がいればさらにたたみかける。「世界中の理系の大学一年生が習う行列式は、ドイツの大天才ライプニッツの発見ということになっていますが、実はその十年前、元禄年間に関孝和が鎖国の中で発見し、ジャンジャン使っていたものですよ」。学生は完全に沈黙する。毎春の授業風景であった。

これは私の学生のみに見られる傾向ではない。世界数十カ国の大学や研究機関が参加する「世界価値観調査」によると、十八歳以上の男女をサンプルとした二〇〇〇年のデータだが、日本人が「自国を誇りに思う」の項で世界最低に近い。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」は一五%と図抜けて世界最低、ちなみに韓国は七四%、中国は九〇%である。恥ずかしい国を救うために生命を投げ出すことなどありえないのである。
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つづく





なりわいとも
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アメリカの援助で復興したという嘘

日本の戦後復興は寛大なアメリカの施政のおかげ・・・、みたいなイメージが僕らの頭に残っているが、全く事実とは異なる。

池田香代子ブログ より
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以前にも、CNNでトンデモ発言が飛び出しました。アマンプールさんという女性ジャーナリストが司会をする討論番組で、テーマはアフガン問題でしたが、ひとりがおよそこんなことを言ったのです。

「ドイツや日本の戦後復興を助けたマーシャルプランのようなことをアフガンにも……」

「はあっ?!」って、はしたない反応をしたくなりました。戦後復興をアメリカが資金援助したマーシャルプランはヨーロッパが対象で、日本は埒外でした。なにしろ、その正式名は「欧州復興計画」なのです。討論では、誰もこの勘違いを訂正しませんでした。

日本にも、アメリカの復興資金は来ました。ガリオア・エロアと総称されるもので、ガリオアは「占領地域救済政府資金」、エロアは「占領地域経済復興資金」の略です。ありていに言えば、占領を円滑に行うための資金です(占領費用そのものは被占領国、つまり日本が負担しました)。それが、1946年からの5年間で17億ドルほどでした。西ドイツはガリロア資金だけで1兆6500億ドル、日本のほぼ1000倍です。ドイツには、その上にマーシャルプランがあったわけです。日本には、当時アメリカ国内でだぶついていた脱脂粉乳やコーンなどの雑穀が送られ、それを日本国内で売った収入を、日本政府が使いました。

エロア資金、当初は無償ということだったのに、アメリカはあとになって突然、「あれは貸したものだ、返せ」と言ってきました。日本政府としては寝耳に水です。7年ものすったもんだの交渉の末、年賦で返すことになり、日本は70年代に入ると前倒しで完済しました。

ララ物資というのもありました。アメリカのNGOから贈られた脱脂粉乳や衣料で、戦後の学校給食はこのララ物資の脱脂粉乳に始まりました。わたしも、小学校の昇降口に並ぶ、脱脂粉乳の紙製のドラム缶を憶えています。

ところで、このララというNGO(Licensed Agencies for Relief in Asia アジア救援公認団体)は、日系人の組織でした。アメリカの海外支援NGOは、ヨーロッパだけを支援の対象にしていました。それで、日本に特化した支援団体を日系人がつくったのです。けれど、このことはGHQが極秘にしました。ただ、「アメリカの民間団体」とだけアナウンスしたのです。

日本の戦後復興は寛大なアメリカの施政のおかげ、と信じているのは、アメリカ人だけではありません。そう信じる日本の人はけっこういます、と言うか、いまだにほとんどの人がそう信じ込んでいるのではないでしょうか。わたしより上の世代は、「自分も『ギブ・ミー・チューインガム』と言ってしまった」という、自尊心への傷が深すぎたのでしょうか。その「(桃太郎の)きびだんご症候群」が、あとの世代にももちこされているのでしょうか。まるでDNAのように。だとしたら怖いですね、ホラーです。

民間資本も入っていません。日本は明治以来、植民地化を警戒して、外国資本受け入れにきわめて慎重でした。貧しいくにだったのに、人びとの多大な犠牲のもと、莫大なお金をかけて、たとえば富岡製糸場を自力でつくりました。わたしも去年行きましたが、その壮麗なこと、当時の為政者たちの殖産興業に賭けたただならぬ決意を思い知らされました。こうした大工場は、たとえばインドにもつくられましたが、すべては東インド会社の投資で、富はイギリスに吸い上げられました。ですから、外国資本に門戸を閉ざすというのは、帝国主義時代の後進国としては、唯一正しい道だったと思います。もちろん、外圧はあったでしょう。よくはね除けたと思います。

このくには、戦後もこの外資拒絶の方針を採ったのです。60年代の半ばになると、経済成長めざましい日本に投資したくなったアメリカが、資本の自由化を要求してきました。日本は、しぶしぶすこしずつ自由化していきましたが、あの頃の社会を覆った不安を、わたしもうっすらと憶えています。こんなに外国のお金が入ってきて、これからいったいどうなるのだろう、と。ひるがえってグローバリゼーションの現代、どのくにでも外国の投資を呼びこむことが課題とされています。まさに隔世の感があります。

日本は自力で焼け跡から立ち直り、経済成長を遂げたのだ、そう日本の人にもアメリカの人にも声を大にして言いたいところです。が、それもあまりねえ……と言うのは、戦後の復興は朝鮮戦争という犠牲なしにはありえなかったからです。だとしても、戦後復興から現今の安全保障まで、「すべてはアメリカのおかげ」という洗脳状態、いいかげんに抜け出しませんか。その上で、安保条約をふくめたこれからの日米関係をどうするかを議論しませんか。
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(転載以上)
少しアメリカさんから借りたかもしれないが、キッチリ返している。

それに現在日本からアメリカに貸している莫大な債権(しかも円高で毎年目減りしているし、利子ももらっていない可能性が高い から考えると、どちらが寛大なのか?

日本人の洗脳状態は根深く、事実を報道しないマスコミの罪は重い




井上宏

EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)は「自由貿易」という名の市場囲い込み競争

『金子勝:歴史の中の「自由貿易」 錦の御旗を立ててみたけれど...』(News Spiral 金子勝氏) より転載します。
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 ~前略~

実際の歴史的事実に即してみると、自由貿易という考え方は絶対的とは言えない面が見えてきます。自由貿易主義の起源をたどっていくと、国家主導の重商主義を批判して、自由貿易の効用を説いたイギリスの経済学者アダム・スミスに行き着きます。しかし、これに対して、後発国のドイツでは、フリードリッヒ・リストが自国の産業の育成のために「保護貿易主義」を掲げて、先進国の「自由貿易主義」に対抗しました。

 ~中略~

つまり、歴史的事実としては、どの国もまず「保護貿易主義」を採り、自国の産業が強くなった途端に「自由貿易主義」を訴えるようになります。それが自国産業に最も有利だからです。当たり前のことですが、自由貿易は弱肉強食になりますから、国際競争力のある国には断然有利ですが、これから自国の産業を育成しようという国は、丸裸で市場にさらされると負けてしまいます。

 ~中略~

日本側も、バブル崩壊後、護送船団方式に対する批判や、日本のシステムは「社会主義」的だなどという声が強まり、日本は米国の要求にしたがって「自由貿易」「市場主義」を選んできました。そこには郵政の民営化のように世界的に普遍的とは言えないような対日要求も含まれていました。対米輸出が多くなる限りで、それは正当化されました。が、今は米国についていくメリットは次第に失われ、もはや中国をはじめアジア諸国が輸出先としては圧倒的に高い比重を占めるようになってきました。

さらに、これまで対米交渉のたびに、いつも農業が保護主義のやり玉に挙げられてきました。農産物が米国の重要な輸出品だからです。実は、その結果、コメ、コンニャクなどの関税は例外的に高いものの、農産物の平均関税率は10%ほどで、EU諸国より低くなっています。農家の戸別所得補償も欧州諸国は粗生産額の8割も出しており、欧米諸国に比べて非常に低い水準にあります。むしろ米国への譲歩を繰り返すうちに、日本の農業はほとんど裸同然にされてしまったというのが正確な実態です。それゆえに農業が衰退してきたと言ってもいいかもしれません。世の中ではきちんと検証しないで、まったく逆のイメージを流布するイデオロギーむき出しの議論が横行しています。

 ~中略~

では、今日、なぜ自由貿易がこのように強調されるのでしょうか。その一つの理由は大恐慌期の教訓から来ています。80年前の大恐慌の時、列強各国は、為替切り下げ競争という「近隣窮乏化」政策をとり、宗主国が植民地市場を囲い込む「ブロック経済」政策を採りました。要するに自分さえ良ければよいという「自国中心主義」に走ったわけです。世界中が一斉に保護貿易に走ると、世界市場が縮小して不況を一層悪化させてしまい、その結果、世界大戦に突入してしまいました。その反省からいま「自由貿易」の必要性が唱えられているのです。

ところが、過去の歴史を振り返ると、最も強い国が率先して貿易を開き、弱い国や産業にはセーフティネットとして一定の例外規定を認める国際的自由貿易体制ができないと、国際経済は安定しないというのが正しいのです。それが実現したのは、パックス・ブリタニカやパクス・アメリカ― ナの全盛期くらいでしょうか。

しかしEPAやFTAも、よく考えると、二国間・少数国間だけで「自由貿易」を推進する協定であって、その他の国々には高い関税などを課すものです。本来的に世界中の多国間で自由貿易主義を推進するのはWTOです。実は、WTOという国際自由貿易体制が十分に機能できない中で、EPAやFTAは「自由貿易」という名を借りた「市場の囲い込み競争」という面を持っているのです。それは、ブロック経済の現代版と言えなくもありません。TPPも基本的に同じです。まさに、やりたいことと正反対の理由をあげて、やろうとすることを正当化するやり方です。

 ~中略~

まずTPPが「国を開くか開かないのか」という選択だと、インチキな恫喝をかけるメディアがありますが、それは本当でしょうか。TPPにはロシアはもちろん、ASEAN+3でFTAを進めてきた中国は、米国主導のTPPには乗らないでしょう。また米国とFTAを締結した韓国も参加しないでしょう。実は、米韓FTAではコメが例外品目ですが、TPPではそれが許されませんから。今や世界で最も成長し、実際にも日本の輸出先として圧倒的に重要な中国などの東アジア市場でしょう。その中国や東アジア諸国が加わらないのに、TPPが「国を開くか開かないのか」という恫喝はないでしょう。これらの国々と個別に EPA、FTAを結んだ方が日本にとってずっと得です。

 ~中略~

じゃあ、TPPで日本の農産物が壊滅的な打撃を被る一方で、日本の製造業品の輸出が伸びればいいのかもしれません。しかし、日本の製造業品の対米輸出が本当に伸びるんでしょうか。どうも、それも期待できそうにありません。オバマ政権は中間選挙で大敗したため、議会は機能しない中で、再び、金融危機が再燃する恐れが強まっているからです。オバマ政権が取りうる経済政策は限られています。そこで、オバマ政権は、今後5年間に輸出を倍増して雇用を200万人増やすと表明しています。つまりTPPは米国の輸出を倍増する計画の一環なのであって、決して日本の対米輸出を増やすものではないのです。

そう考えると、TPPで問題になるのは、実は農業だけではありません。実はTPPは単なる輸入関税の話ではなく、より広範なパートナーシップを目指したものであり、さまざまな分野が協議の対象となるかもしれないのです。いくつかの可能性があります。

①公共事業などの入札に関しては、すでにWTOルールにしたがって事業金額規模に基づいて政府調達へ海外企業の参加条件が決まっています。その金額の引き下げが求められてくるかもしれません。

② 金融分野で門戸開放も含まれる可能性があります。このテーマであれば、民主党が2009年マニフェストで掲げた郵政民営化見直しも含まれると考えるのが自然でしょう。米国政府の要求は「自由貿易」というより「公正貿易」なので、米国企業が参入していないこと自体が問題だということになります。郵貯や簡保資金の運用に関して、米国金融機関への割り当てをよこせということになるかもしれません。

③BSE絡みで米国産牛肉は月齢20ヶ月という輸入条件がありますが、その条件の緩和が要求される可能性もあります。

④労働市場の開放によって、ベトナムなどから移民労働を受け入れる問題も出てくる可能性もあります。

まだ分かりませんが、米国が「年次改革要望書」であげる対日要求のどれが出てもおかしくないでしょう。TPPに乗ることで、先に挙げた対日要求が強まり、むしろ日本は犠牲だけを強いられるのではないでしょうか。米国が「不公正慣行」だといえば、財界は諸手を挙げてそれに賛成するのでしょうか?

 ~後略~





猛獣王S

朝日新聞がんワクチン報道捏造疑惑~ツイッターの可能性

ツイッターの場合、その人がつぶやいたことは、その人をフォロー(この人のことをいいと思って、“お気に入り”に入れること)してくれている人全員に、その内容が出回ることになります。

なので、上杉氏や岩上氏のように、フォローされている数がより多い人に訴えかけ、その人が反応(返信)してくれると、いっきに拡大していくことになります。
具体的には、この件では影響力のある8人に訴えかけ→うち2人(上杉氏・岩上氏)が返信してくれただけで、彼ら2人をフォローしている計12万以上の人に、一気にその返信したツイート(つぶやき)が広まるわけです。
さらに、それを受け取った12万以上の人のうち、さらに同様に反応してくれる人がいます。その反応した人は、最初に訴えた8人よりはフォロワー(フォローしてくれている人)は少ないかもしれませんが、その反応した人のフォロワーたちに拡がっていきます。
ツイートを見ただけで、反応していない人も情報は見ていますから、情報拡散力は底知れません。ねずみ算式にどんどん、どんどん広まっていくわけです。

より多くの人に広まるという点ではマスコミとも似ていますが、フォローしている人(何かしら可能性を感じている相手)から直に受け取る情報という点では、不特定多数の人に発信され、受けても受身の情報として流れてくるだけのマスコミとは大きく異なります。
そのため、受け手もより主体的に、情報を広めようとツイートしていくわけです。

このように、積極的な情報拡散が出来るツールという点が、ツイッターの1つの大きな可能性といえるのではないでしょうか?




パンちゃん

枠組みとは恐ろしい、閉塞の原因は頭の中に在る。

宮崎哲弥さんという著名なコメンテーター(評論家)の話です。
彼は経済成長が低迷する社会を憂いて、なぜ経済成長が必要かをTV番組の中で話していた。正確ではないかもしれないが、以下のようなニュアンスである。

「巷に経済成長はストップしてもそれに適応する社会をつくるべきだという議論が始まっているが、自分はそうは思わない。今の社会のシステムは全て経済成長を織り込んで作られている。福祉にせよ、医療にせよ、学校にせよ、税制にせよ、ほぼ全ての制度がその枠の中に存在している。逆に言えば社会のシステムは経済成長があって初めて成立しているのであって、もし経済成長を止めてしまうとそれら全ての秩序が立ち行かなくなる。それでは社会が成り立たないから少しでも成長できるような政策を考える事が必要だ。」

制度を守る為に経済拡大は必要であるという説。世論が秩序収束している現在、彼の理屈は一見正しく聞こえる。

しかしこの話は詭弁である。社会を混乱させてはいけないという一点をとって持論を主張しているに過ぎない。むしろ経済成長ありき、現在の制度はありきという枠組みが最初から頭の中を支配している。

確かに現在の制度は経済成長を前提に作られている。宮崎氏の言うようにそれらの制度が立ち行かなくなると社会的混乱は少なからず生じる。年金を突然もらえなくなる世代、医療を受けられなくなって病気に見舞われる人達。
しかし制度とはその時々の社会の外圧に適応する為に作られるのであって社会が急激に変化する過渡時には制度を維持する為に社会を旧いまま延命するのではなく、むしろ新しい外圧を受けた社会に併せた制度を作り変える事に力を注がなければならない。
何より宮崎氏の話を聞いて違和感を感じたのは、なぜ経済成長ありきの政策が作られたのか?というケインズ経済学への疑問視が出なかったという点。また、現実はこれだけ豊かさが実現し、物的に飽和しているのになぜ経済成長を続ける必要性があるのかという基本的な疑問への回答が見られないことである。
さらに現在のこの世界的な経済不況の背後に何があるのか?その構造はどうなっているのか?という根本的な歴史追求がないことである。

持論を打ち出すのならそれらの素朴な疑問に答えてから展開すべきで、逆に言えば今や誰も答えを持ち合わせていない中、持論を敢えて出す必要などない。何か答えを出さなければいけないという意識も評論家の悪しき枠組みである。
むしろ求められるコメンテーターとは単純に社会の状況をなんで?どうする?という形で視聴者と一緒になって追求する人である。




田野健

豊かさ期待の消滅⇒遊びの終焉によって、近代社会が騙しであることが露わになってきた

>放浪の旅に出かけたり、仲間(仕事の同僚や友人、知人etc.)と、サークル活動やカラオケで盛り上がったり、線路のガード下の飲み屋で飲みながら、「明るく、楽しく、前向きに、皆仲良く」という本源風規範観念で過ごしていた。しかし、なかなか本当の答えが出せなくて、不全が解消されないままであった。「本当に豊かなものとは?」

遊びで不全が解消されなかったのは、そこに騙しが混じっていたからでしょう。逆に言うと、人々が遊びから離脱しているということは、その騙し性に気づきつつあるということを意味しています。

この数年で、「近代社会全体が騙しだったのではないか」という認識がしだいに強くなってきました。今では、ほぼそう断定できるところまで根拠が固まりつつあります。

何故、人々は騙しに気づくようになってきたのでしょうか?

近代を貫く社会意志=豊かさ期待の中にも大量の幻想(騙し)が混じっています。万人が豊かさ期待の中にいる時代は誰もその騙しに気づきません。例えば、豊かさ期待を正当化する主張である近代思想の欺瞞性には、誰も気づきませんでした。

ところが、豊かさ期待が消えると、人々の意識との乖離が目につくようになります。例えば、豊かさが実現されると、誰も市場拡大には可能性を感じなくなります。ところが、特権階級は市場拡大絶対の主張を垂れ流し続けます。すると誰もが「この連中は、どこかおかしいのでは?」と感じるようになってゆきます。これも、豊かさ期待という社会意志は消えたが、観念はそのままなので、社会意志との乖離が大きくなり、矛盾が目につくようになってきたことの一つの事例でしょう。

ここで問題が一つあります。

豊かさ期待の消滅は約10年前ですが、騙しに気づくようになったのは最近1年の話です。それは遊びの終焉と密接に関係しています。

近代思想に収束したのは一握りの知識階級にすぎません。大多数の大衆が収束したのは芸術・芸能・娯楽です。これは言い換えれば、解脱埋没=麻薬漬けになって何も見えなくなるということと同義です。

遊びを失速させたのは秩序収束⇒課題収束の潮流ですが、それによって解脱の麻薬から覚めると、「近代社会の全てが騙し」ということが透けて見えるようになってきたのです。

このように時代潮流の変化が背景にあるので、今後、騙しや詭弁が急速に通用しなくなるのは必然です。社会的には、騙しや詭弁を弄するしか能がない学者やマスコミは、大衆から総スカンになってゆくでしょう。

自分発の認識の典型が学者で、正当化のための詭弁以外は何も生み出せずに、200年前から変わらない同じ話をあれこれとこね繰り回しているだけです。

豊かさ期待は消滅して、人々の期待は実現期待・本源期待に向かっています。従って、これまで自分発の観念で人々を騙してきた学者やマスコミとの乖離がどんどん大きくなっています。そして、ついに「近代社会は騙しで出来上がっている」という認識が登場しました。今後、人々は「自分発ではダメ。みんな発でないと何も生み出せない」ということに急速に気づいてゆくことでしょう。




冨田彰男

【書籍紹介】『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』

相撲賭博問題で、相撲協会を処罰する警察がパチンコ業界と癒着して巨悪を働いているという話も出てきたが、パチンコ業界の裏側が良く分かる書籍を紹介します。


amazon の紹介

出版社/著者からの内容紹介

パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃん車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を取材してきたが、2006年暮れ、たまたま旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。
日本では、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着して、抜き差しならない関係になっていることは、およそ薄々知られているが、それならなぜ、韓国ではそれが全廃できたのか、日本と韓国とでは、何が違って何が共通していたのか、ますます疑問を深めた著者は、再び韓国に渡り、事情を取材して歩いた。
本書は、そんな韓国のパチンコ事情の報告に加えて、日本におけるパチンコを取り巻く種々の問題点を取り上げ、パチンコ廃止の必要性を世に訴える。

内容(「BOOK」データベースより)

韓国にできて、日本にできない恥辱。日本は、まともな国といえるのか!?韓国では、往時にはパチンコ店が1万5000店、売上高は日本円にして約3兆円にのぼった。それが、2006年の秋に全廃され、いまは跡かたもない。だが、その事実を伝えた日本のメディアはなく、それを知る日本人は、いまもほとんどいない。日本でいち早くそれをレポートした著者は、その後も何度も韓国を訪れ、なぜ韓国にそれができたのかを取材した。そこから見えてきたものは、日韓であまりにも対照的な社会の実態だった。


心に青雲 より紹介

韓国がパチンコを禁止したのを、日本では筆者が始めてリポートしたが、それを報道した日本のマスコミはない。筆者のリポートが最初である。

 韓国以上に被害が大きい日本で、なぜ違法な状態のままでパチンコが長年放置され続けているのか、素朴な疑問が消えることはない。それどころか、日本では国会議員が超党派でパチンコの換金を合法化しようとする動きが報じられている。日本の政治家は、パチンコの被害に目を瞑り、国民に不幸をもたらしているパチンコを法律で合法化しようとしているのである。

 この現実を、日本人も真摯に受け止める必要がある。パチンコの問題に、この国の政治、行政、マスコミの実態が凝縮されている。一言でいえば、「数千人の莫大な利益のために、数百万人を泣かせる行為」が、パチンコなのである。この国では、一部の人間の利益のために、法的には違法なバクチが、長年放置されてきたのだ。

 日本のマスコミは、パチンコ依存症による犯罪が多発しても、ほとんど問題にすることはない。日本の新聞で、パチンコ業界を批判する記事は、ほとんど見ることはない。パチンコ業界から、多大な広告費で恩恵を得ているためかどうかは知らないが、韓国では、新聞が社説でパチンコの問題を痛烈に批判したのを嚆矢としてパチンコ反対の気運が盛り上がり、全廃にまで漕ぎつけたのとは、好対象である。

 この違いはなんなのか、今の日本は、世界のどこの国よりも金銭がすべての国になっている。金銭の臭いのするところには、それがどんな類の金であろうと、政治家を筆頭に、警察、官僚、マスコミまで、我も我もと群がる。

 日本の絶望的な状況が、パチンコの問題に凝縮されている。

 韓国は、なぜパチンコを禁止できたかを検証したくて、ここ数年、何度も韓国を訪れた。その度に、日本の救いようのない状況が浮かび上がってくるばかりであった。日本では、パチンコによる悲惨な事件、事故が多発しても、政治家を筆頭に、マスコミも官僚も、われ関せずを通している。つまり、政治家は政治家の、官僚は官僚の、マスコミはマスコミの、果たすべき役割を、当たり前に果たしているのだろうか。そんな疑問が次々とわいて出て、尽きることがない。

 筆者は、骨の髄まで日本人だから日本が好きだが、心よりも金銭を重視する日本という国は、このまま国家として存続できるのか、という危機感を禁じ得ない。こんな著者の問いかけに、賛同してくださる読者が一人でも多くいれば、嬉しく思う。





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親米特権階級と新自由主義

終戦後、日本は事実上アメリカの属国となり、65年が過ぎた。
親米派の特権階級が戦後史を彩り、最近では中曽根元首相や小泉元首相、竹中平蔵のように露骨なまでの日本売りを仕掛ける統合者がいた。


政治経済動画サイト「日本を変える論客たち」(http://論客.jp/)から引用
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アメリカの占領は今も続いている(2010年10月18日)

日本の最大の危機は間違いなく第二次世界大戦の敗戦だった。
日本人は誰もが死を覚悟し、本土決戦で全滅するつもりだった。無条件降伏を受け入れ、米軍の占領を受け入れたときもおそらく同じ気持だっただろう。

しかし、アメリカの占領軍(GHQ)は意外にもやさしかった。
彼らは戦争で戦った日本人を許したばかりでなく、自由と平等を標榜する理想国家へと作り変えてくれた。そして日本人に愛された占領軍は日本復興の役目を終えるといさぎよく自国へ去って行った。

自分もそんな歴史を信じていた。
しかし、よく考えてみよう。
多くの命の犠牲の上に手に入れた占領国。
そんなにやすやすと手放すお人好しの欧米人がいるだろうか??

自国の国益を少しでも考えたなら、いかにして目に見えない占領を続けていくかという方法を考えたのではないだろうか?
A級戦犯の容疑に賭けられ、投獄され、死刑になってもおかしくなかった男が日本の総理大臣になった歴史があることをご存知だろうか?

その男の名は岸信介、56、57代総理大臣(安倍晋三の祖父)だ。
岸信介は米軍と裏取引をし、A級戦犯としての裁きを免れ、CIAのスパイとなってこの国をアメリカの都合の良いように動かした。岸信介がCIAのエージェントであったことは、すでにアメリカ側の公文書が公開され、公然の事実となっている。
日本の総理大臣がアメリカによって買収されていたことは驚愕の事実であるが、その後の歴代の総理がそのようなアメリカの裏の支配を免れているという保証はどこにもない。

日本人の顔をしたCIAのスパイ(いわゆる売国奴)は首相以外にもこの日本にいくらでもいる。戦後読売新聞社のオーナーとして権力をふるった正力松太郎氏。
この人間もCIAのエージェントであったことが公文書にはっきりと記されている。
日本国民は読売新聞や日本テレビを通じて知らず知らずのうちに洗脳されてきたのだ。
代が代わっても異常に権力風を吹かせるあのナベツネ(渡辺恒雄)がアメリカとグルになっていたとしても何の不思議もない。

東京地検特捜部もそうだ。
特捜部には逮捕、起訴を自分たちの判断でできる特権がある。
アメリカの意にそぐわない人間がいたら牢屋に閉じ込め、社会から抹殺することは簡単にできる。もともと東京地検特捜部はGHQの意向で作られ、上層部はCIAと親密な交流があることはよく知られている。

そして日本の中央銀行、日本銀行もそうだ。
バブル崩壊以降不況に苦しむ日本だが、実は日本銀行が本気になれば景気を自由にコントロールすることができる。
なぜなら、彼らは日本に流通する通貨の量をコントロールすることができるからだ。
しかし、総裁がアメリカの意向で決められてしまう日本銀行は日本国民のためではなくアメリカの経済政策を優先するとんでもない売国奴集団なのだ。

アメリカ軍は戦後65年たった今も日本の要職に自分たちが自由にコントロールできる人間を送り続け、間違いなくこの国を支配し続けている。
残念ながら日本は今もアメリカの占領国なのだ。
完璧なまでに生き血を吸われ続けている。
アメリカの軍隊は日本に駐留続け、高い請求書を送り続けているし、日本人が必死で稼いだドルは日本に投資されることはなく、そっくりアメリカに貸し与えられる。

政治家やマスコミ、あるいは官僚はそのことに気がついていながら、無視、あるいは世論操作をしかけてくる。
なぜならアメリカの意向に従うことが彼らの既得権益としっかり結びついているからだ。






やまと

NTTはCIAに所属する末端組織

『NTTは、CIAに所属する、末端組織』(オルタナティブ通信) より転載します。
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第2次世界大戦中、本格的なスパイ組織が必要と考えた米国ルーズベルト大統領は、第1次世界大戦の英雄ワイルド・ドノヴァンに、その創立を依頼する。ドノヴァンは、英国スパイ組織MI6の協力の下、そのスパイ技術の指導を受け、CIA(当時はOSS)を創立する。

戦後、ドノヴァンは、CIA創立の経験の蓄積から、世界各国でスパイ組織の創立者=スパイの養成担当者=スパイ・マスターとして活躍する。

戦後、日本に初めて全国的な電話回線網が作られ、電電公社(現在のNTT)が創立された時、創立に必要な「資本金は、全て、米国とCIAから出されていた。」

この日本の電気通信網=現在の携帯電話、インターネット網の原型を創立するに当たり、「日本側、NTT側の担当者として、電電公社=NTT創立を指揮したのが、スパイ・マスター=ワイルド・ドノヴァン」である。

ドノヴァンは、電気通信網の「専門家では、全く無い」。

ドノヴァンはCIAの、諜報網、スパイ網の、「形成」が、専門の、スパイのボス=スパイ・マスターである。

日本の電気通信網は、CIAにより創立されていた。

日本の電信通信網が、CIAの末端機関である以上、インターネット、携帯電話での会話・情報の行き来が、全て、CIAによって盗聴・チェックされ、スパイされていても、「当然」である。
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猛獣王S

日本が核武装しないのも、戦争をしないのも、「しない」と自己決定したからではなく、「させてもらえない」からであるという現実は認識した方がいい

内田樹の研究室 より引用します。

日本が核武装しないのも、戦争をしないのも、「しない」と自己決定したからではなく、「させてもらえない」からであるという現実を認識し、こうなったプロセスを考えることの重要性について書かれてあります。

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(前略)

「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」

それがとりあえず最優先の政治的論件であり、これについて連日あらゆる角度からあらゆる情報を精査して議論することが何よりも必要だと私は思っているが、私の知る限り、この論件のために国会審議をしたり、紙面を割いたり、ニュースの解説時間を費やすことに日本人はきわめて不熱心である。

というか、まるでしていない。

しかし、「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」を問わなければ、在日米軍基地問題の解にたどりつくことはできない。

「アメリカが沖縄や日本国内に基地を引き続き持ちたがっている」ということから議論が始まっており、「なぜ、なんのために」基地があるのかについては、不問に付されている。

その理由が解明されなければ、日本人は何もできない。

「なんだかわからない理由で居座っている人をどういう言い分で立ち退いてもらうか」というような難問に解はない。

アメリカが日本にいる理由がわからない限り、基地問題の解はない。

けれども、日本人はその理由を意識化することを拒否している。

何度も言っているように、日本はアメリカの軍事的属国であり、日本には国家主権がない。

日本は自己決定によって外交を展開したり、条約を締結したり、核武装したり、戦争を始めたりすることができない(もちろん憲法は不戦を規定しているが、この憲法はアメリカからの下賜品である)。

私は核武装したり、戦争を始めたりしろと言っているわけではない(当たり前です)。

そうではなくて、核武装しないのも、戦争をしないのも、「しない」と自己決定したからではなく、「させてもらえない」からであるという現実は認識した方がいいと申し上げているのである。

日本は平和国家であり、そのことを私は心から喜んでいるが、それは日本人が平和的であることを選んだからではなく、平和的であること以外の選択肢を許されなかったからである。

結果は同じでも、プロセスが違う。

だから結果を変えろと言っているのではない。

こういうプロセスでこうなったという事実をクールにみつめた方がいいと申し上げているだけである。

その現実を直視しない限り、基地問題はある日アメリカが「あ、基地もう要らなくなったから、いいや。じゃあね」と不意に立ち去る日まで解決しないということである。

韓国の米軍基地は韓国国民のつよい反対運動によって、3分の1に縮小されつつある。ソウル駅近くの龍山基地は邪魔だからというので撤去された。

フィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地は米軍の海外最大の基地だったが、フィリピン政府の「出て行ってくれ」という要請に屈して先般撤去された。

どうして韓国やフィリピン政府にできることが日本にはできないのか。

というより、どうして東アジアにおける米軍基地の撤去が進んでいることについて、日本のメディアはおおきく取り上げないのか。

韓国やフィリピンと日本の違いは、アメリカとの同盟関係の軽重にあるのではない。

もちろんアメリカに強く出られるほど軍事力や経済力があるからという理由でもない。

日本は敗戦国だが、韓国やフィリピンはそうではない。

そこだけが違う。

敗戦国であることは恥ずかしいことではない。

歴史上無数の敗戦国が存在したし、帝国の属領になった土地も無数に存在する。そのすべての敗戦国や属領がそれだけの理由で国民的矜恃を失ったわけではない。多くはその後も絶えず叛乱と独立の機会をうかがい、しばしばそれに成功した。

敗戦国民の基本的なマインドセットは「臥薪嘗胆・捲土重来」である。

「次は勝つぞ」なのである。

それがいかに現実的に困難なことであっても、気概としては「次は勝つぞ」でなければならない。

その上で、「宿敵」アメリカとの歴史的和解を「主体的に、決然と、選択する」というのがことの筋目なのである。

そのような筋目を通していれば、基地問題は国民感情としては「ねじれ」ない。
それはアメリカの一方的な領土占拠であり、日本人は一丸となってこの全面撤去を求めるのが筋だからである。

それに対してアメリカが「自国の」安全保障上どうしても日本列島に基地が必要だと懇請するのであれば、日本政府がネゴシエーションのテーブルにつくのは外交オプションのうちである。

そして、こう訊くのである。

「いったい、どうしてアメリカは自国領土からこれほど離れたところに軍事基地をおかなければ安全保障が成り立たないようなリスクの高い制度設計をしているのか?あなたがたはいったい西太平洋で何をしたいのか?」

この問いに十分説得力のある回答が示されれば、私は一有権者として米軍基地が日本列島に置かれるというオプションを支持してもいい。いや、ほんとに。

基地問題を論じるときの最初の問いとなるべきこの問いを私たちは自ら封じている。

なぜ私たちはこう問うことができないのか。

まずはそこからだ。

(引用おわり)





福島健

日本の食文化は欧米に崩壊されたのか? いや、崩壊されたのは日本農業である。

今現在、TPPの問題が論争されている。農産物自由貿易(関税)である。
しかし、今頃大騒ぎするのもおかしい。政府は全くそんなことには興味がないのではないかとすら思う。今更と言いたいのである。

■子供の頃から、パン・ミルク製品・肉料理が嫌いで、ごはん主食の『和食』が好きだった。もちろん今も全く食べないとまではないが、やはり洋食系は極少ない。それは、昭和30年代(1955年頃)の「(小中)学校給食」のパンや極端にまずい「ミルク(脱脂粉乳)」が原因だったと思う。

 脱脂粉乳は、生乳(きにゅう)から脂肪分(バター・クリームを作る)を抜いたもので、還元乳はまたそれを戻して再生したものだが、「脱脂粉乳」は、欧米では人が喰うものではなく豚など家畜の餌に使ったり廃棄処分されるものだ。
その様な「豚の餌」を食べさせられてきた世代は、かなりミルク系嫌いが多い。

しかし、近年の多くの人たちは、私のような過去の影響は少なく、まるでそれらに慣らされたかのように「米(和食)離れ」がすすみ、食糧自給率・健康面などでも色々な問題が増えてきた。

では、どうして学校給食がいまだに「パン」「ミルク」がセットになっているのか。
◆アメリカは戦前から大型農業機械と化学農薬・肥料多投の大規模農法によって膨大な小麦収穫をあげ、大戦中も食糧難地域へ援助(有償)をしていたが、戦後食糧増産が復興してくると余剰農産物の処理に困っていた。

◆昭和26年(1951)、サンフランシスコ講和条約が調印され、我が国は一見「独立」を復興したかのようだったが、結果的には現在に至るまで「確固」たる占領下になったに過ぎない。それも命の糧である「食料」によってである。

◆というのも、翌1952年、アイゼンハワー大統領政権で「公法480号・農業貿易促進援助法」が公表された。アメリカ議会ではその法を露骨に「余剰農産物処理法」と呼んでいたそうだ。結局、日本への小麦援助「学校給食」を「占領政策」の一環として始めたのである。

◆その公法がアメリカで成立するや、日本では即対応して「学校給食法」が成立した。その「施行規則」に「完全給食とは給食内容がパン(または準ずる小麦粉食品)、ミルク及びおかずである給食をいう」と明記された。要するにパンとミルクが絶対セットにならなければ「給食」として認められないのである。(現在も基本的に変わっていない)

◆昭和30年代に入ると、日本全国に「学校給食」は行き渡った。もちろん日本の予算と児童世帯が支払う「給食費」で賄われたのである。

アメリカは「余剰農産物」の代金を日本国内に積み立て、これを投融資の形で日本の「経済復興資金」と在日米軍の住宅建設などに充てたり、経済復興資金として「警察予備隊(のちの自衛隊)」を作らせ、武器、兵器を買わせられ、『共産圏』に対する軍事威圧にした。
結局、アメリカの指示のもと日本政府はその経済復興資金づくりに、アメリカの余剰麦と脱脂粉乳を当時の子供達にどんどん食べさせたのである。

■そして、ケネディ政権の時の「平和のための食糧計画(1963~)」初代局長に就任した「G・S・マクガバン」は当初からこの計画の責任者だった。そして、キッチンカーを旧厚生省と計画・実行した、アメリカ西部小麦連合会長リチャード・バウムは、

「学童昼食計画ほど、少ない資金で多くの純益をあげる対外(援助見せかけ)計画はない。それは、子供の時から麦製品を胃袋に入れて育つと、必ずその食習慣は無意識に根付き、大人になってからもその食卓によって、またその子供にも、増えることはあっても、減ることはないだろう」という計画だったのだ。

日本(厚生省)はアメリカの販売促進を担うべく、「経済復興資金」の一部で「キッチンカー〔=キッチン付き改造車〕」なるものが作られ、日本津々浦々まで栄養士さんなどが「麦製品」を「栄養指導」と称して広げて行った。また、当時大学の先生や学者を使って「米を食べるとバカになる」「糖尿病になる」「ガンになる」「太る」「ニキビが出来る」「足が短くなる」などとまるでバカのような根拠のない珍説を唱えさせた。

結果は、1970年(昭和45年)を境として急速に「米消費量」は落ち込みだし、30年間で30%も減少した。その後もますます低下の一途である。逆に小麦の輸入量はうなぎ登りとなり、今や90%以上を輸入している。
昭和30年代頃まで、春の農村では一面に黄金の麦畑が広がり、多量の麦が生産されていた。近年業務用の国産麦生産はほぼゼロに近い。




原賀隆一

東大の世論調査を疑え~企業丸抱えのイカサマ~、田中龍作ジャーナル

東京大学社会科学研究所は、社会調査の原則を逸脱した世論調査を実施した。学者・特権階級の劣化が甚だしい。
田中龍作ジャーナルで、その事を鋭く指摘している。

東大の世論調査を疑え~企業丸抱えのイカサマ~

以下引用・・・・

【ハケンという蟻地獄】

“東大”に日本人は弱い。「東大が言ってるんだから」と信じがちだ。新聞記者も「東大●●研究室によると」のクレジットで書けるので、あまり迷わずに記事にする。

ところが眉に唾したくなるような世論調査結果が先月、東大のある研究室から発表された。「派遣社員の55%が製造業への派遣禁止に反対している」とする世論調査結果だ。

派遣切りに怯えながら一日中働いても貯金もできない製造業への派遣は不安定雇用の典型だ。このため、製造業への派遣のうち需要がある時だけ雇用関係を結ぶ登録型派遣の禁止は「労働者派遣法・改正法案」の目玉のひとつとなった。

派遣ユニオンなどは派遣労働者の総意としてこの改正案に賛成した。「派遣はなくなった方がいいんですよ」と目を潤ませて話した労働者の顔が忘れられない。にもかかわらず東大の世論調査では「半分以上が『製造業への派遣禁止』に反対している」のである。

摩訶不思議な世論調査の種あかしをしよう。調査を行ったのは東大社会科学研究所「人材フォーラム」。人材派遣会社大手のスタッフ・サービスから奨学寄付金をもらっていたことを自らのホームページで公にしている。

しかも調査は派遣会社の業界団体である日本生産技能労務協会の会員企業を通じて行った、というのだ。24日、本郷キャンパスで開かれた同フォーラムのワークショップで佐藤博樹教授がにべもなく明かした。

派遣会社からお金をもらって、実際の調査は派遣会社が行う。アンケートの調査対象は派遣会社に登録している労働者たちだ。彼らは「派遣に反対」などと答えられる境遇にない。業界の意向に沿った調査結果が出るような仕掛けが2重3重に施されているのである。

筆者はワークショップに潜り込んだ。参加者のほとんどは派遣業界の人々だ。「録音も撮影も禁止だからね」。佐藤教授は釘を刺すように言った。録音も撮影もできないワークショップなんて聞いたこともない。

「派遣禁止に反対」へ誘導する設問

アンケートの設問自体が派遣業者に都合の良いように作られている―

「もし今後、労働者派遣法が改正されて製造業務で派遣社員として働くことができなくなったとしたら、あなたが失業する可能性はどの程度あると思いますか?」

派遣法改正案が禁じているのは、需要がある時だけ雇われる「登録型派遣」だけだ。「常用型派遣」はこれまで通りの存続を認めているのである。ところが、設問は「派遣法が改正されるとまったく仕事がなくなる」ということを前提にしているのである。クイズでいう“引っ掛け”だ。

そもそも製造業への派遣解禁がなければ労働者は派遣切りに遭うこともなく、直接雇用なので収入も相当に多かったのである。

「明らかな誘導ではないだろうか?」筆者は佐藤教授に質した。佐藤教授は「質問の意味が分からない」「製造業への派遣解禁が悪いということ?」などとして答えてはくれなかった。

筆者と共に会場に潜り込んだ新聞労連の田中伸武・副委員長は 「(アンケート調査の)生の数字を教えて下さい」と求めた。佐藤教授は「後でネット上に公開する」と答えたきりだった。

この日、派遣労働者やユニオンのメンバーは赤門前でアピールを行った。マイクを握った30代の女性は、東大社研「人材フォーラム」に奨学寄付金を提供していたスタッフ・サービスに登録する派遣労働者だ。

「私はスタッフ・サービスから●●社(神奈川県内の企業)に派遣され、そこで3年以上働いている。●●社から直接雇用の提案があったが、スタッフ・サービスから『あなたは金の卵だ』と言われて、直接雇用の話を潰された。スタッフ・サービスが私たちから絞り取ったカネで寄附を受けている、あなたたち(人材フォーラム)の世論調査は信用できません」。

女性の震えた声が日本の最高学府に向かって響いた。

・・・・引用終わり




レオンロザ

尖閣諸島問題ビデオ流出「事件」の本当の狙い

『尖閣諸島問題の、ヴィデオ流出「事件」の、本当の狙い』(オルタナティブ通信) より転載します。
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かつて、日本の年金記録の、ズサンな管理が、マスコミによって大問題化された時、

その目的は、社会保険庁の解体と、年金資金の運用を外資=アメリカの金融機関に「任せる」事によって、日本人の金融資産で、アメリカ金融界に「大儲け」させる事にあった。

マスコミに、のせられ、社会保険庁叩きの大合唱を行った日本人は、自分達の年金資金が、アメリカの銀行に「奪われる」結果になる事を、全く知らない衆愚であった。


かつて、民間で出来る事を国が行う必要は無いとして、郵政民営化が行われた時、

その目的は、郵貯・簡保の莫大な資金を、外資=アメリカの銀行に任せ、日本人の金融資産で、アメリカ金融界に「大儲け」させる事にあった。

マスコミに、のせられ、「小泉首相の、カッコヨサ」に、熱狂した日本人は、自分達の郵便貯金が、アメリカの銀行の「ギャンブル投機に使われる」結果になる事を、全く知らない衆愚であった。2010年、現在も、サブプライム債券の暴落で、郵貯・簡保が、莫大な損失を出し、郵貯・簡保の掛け金が将来、戻ってこない事に全く気付いていない。


かつて、中国から毒入りギョウザが輸入されてきた事が、マスコミによって大問題化された時、

その目的は、市民の生命の源=食品を「国が徹底的に管理する、新しい官庁」を創出し、食品業界を国家の「統制管理」下に置くことにあった。


海上保安庁の情報流出が、マスコミによって、大問題化していたが、その目的は、「国益」に関わる民間企業情報、国家・官庁の情報、ネット上の情報流通を、国家が超中央集権的に管理する「システム作り」にある。

やがて、どこでネットに接続するにも、国民総背番号制のIDの入力が必要になり、誰が、どのサイトにアクセスしたかの情報が、国家によって「全て備蓄」される事になる。

個々、バラバラに起こっている、こうした事件・出来事が、全て、用意周到に準備され、マスコミに「戦略的に流されている」事が、アメリカの国家戦略、対日戦略の「策定を担う」戦略家、ジョセフ・ナイの戦略文書によって、明瞭に見えて来る。

 ~後略~
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猛獣王S

消費こそつねに支配者によって仕掛けられている

>娯楽作品に支配観念が・・・ >

大衆を洗脳し支配する、その手法に関する記事を紹介します。

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洗脳支配   日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
苫米地英人・著  ビジネス社  2008年3月刊

 テレビの世界で起きている恐ろしい現実

<前略>
テレビ画面に、テロップや字幕ふうの活字(スーパーインポーズ)を映すやり方です。最近のバラエティ番組では、タレントのしゃべりにかぶせて、大きな活字でその内容を採録したり、第三者的にツッコミのナレーションを入れたりするようになりました。その活字が踊ったり、さらにそこに効果音がかぶせられたりすることも、よく見受けられるようになりました。
これこそが、人間のIQを下げるもっとも効果的な方法だとされているのです。実際、過去に行なわれた実験で、次のような結果が生まれることが証明されています。

その実験では、被験者に映像を見せながら、画面に映った内容を表す擬態語など、抽象的な単語を次々と見せていくということが行なわれました。それを続けていくと、わずかな時間で段階的に思考能力が失われました。そして、さらに続けていくと、被験者の脳波が何も考えていない状態と同じ波形になり、そのままそれが継続していきました。つまり、そうした映像がついには見る側の思考そのものを止めてしまったということです。

人間は、そうした刺激を受けると、能動的に思考を行なうことができなくなります。これができなくなれば、物事を見て、感じとり、そこから抽象的な思考をすすめていくこともできなくなるわけです。抽象的な思考を行なうことは、人間の脳の前頭前野、もっとも高度な部分における脳の働きなのですが、この働きをそっくり失ってしまうのです。

テレビ局の人間は、一般の人々が想像する以上に、映像における大衆操作についてよく学んでいます。もちろん、制作会社のADさんがそうだといっているのではなく、テレビ局のなかには、大衆操作の禁じ手など、テレビの闇テクニックに通じた専門家がいるのです。
<中略>

人間は抽象的な思考ができるという能力を持っています。たとえば、「弱肉強食で勝たなくても、まあいいや」とか「自分のことはいいから、隣の人を助けてよ」というのがそれです。私たちが日常的に行なっているこうした思考こそが、私たちが人間であることの本来の証ですが、支配者たちにとっては、これをやられると困るのです。なぜでしょうか。
それは、人間のコントロールが効かなくなるのです。支配者たちが人間をコントロールするためには、自分のことだけを考える人間の集まりであればあるほど都合がいいのです。抽象的に物事を考えようとせず、それに与えられた価値を疑わずに忠実に動いてくれれば動いてくれるほどいいわけです。

 消費コントロールという名の支配システム

テレビのホームコメディ番組を通じて、アメリカ流の生活様式や思想が日本人の頭に深く刻みこまれるようになったのは、1960年代のことです。戦後、GHQ(占領軍総司令部)が日本人に罪の意識を植えつけるために、WGIP(War Guilt Information Program)を徹底的に行ないましたが、それはテレビなどの番組制作にも色濃く反映されています。

たとえば、NHKが1960年代に制作した数多くの太平洋戦争ドキュメンタリーは、その典型的な例といえます。戦争に担ぎ出された兵隊の人生や、戦争に巻き込まれた婦女子の悲哀、大量の自決者を出した沖縄の悲劇、ヒロシマ、ナガサキの原子爆弾の恐怖。こうしたドキュメンタリー番組は、左翼がつくったのではないかと疑うほど、ひとつひとつの映像が日本軍部などに対する強烈な告発意識で貫かれていました。

おそらく、GHQの意向を受けて、NHKが1960年代の番組制作能力を総動員し、入念に撮影・編集したものと思われます。私たちはこうした番組を見るたびに、「日本の軍部が悪かった。日本人の選択こそ間違っていた」との意識を埋め込まれたのです。

その洗脳の地ならしがあらかた出来上がると、今度はアメリカ流の生活様式や思想がいかに素晴らしいものであるか、コメディーや西部劇といった番組を通じて埋め込まれることになります。
アメリカ流の生活様式や価値観に対する憧れは、すぐに国民的な消費に結びつきました。これが1950年代の白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機という「三種の神器」から、60年代のカラーテレビ・カー・クーラーという「3C」への、すさまじい消費熱を呼ぶわけです。

私が前振りとしてこんな解説を述べたのは、消費こそつねに支配者によって仕掛けられているものだからです。資本主義のなかで支配者たちが行なっていることの最大のものは、消費行動の徹底的なコントロールです。なぜなら、私たちがお金を稼ぎ、そのお金を彼らのコントロールが利かないところで使われると、彼らの支配システムが維持できなくなるからです。

たとえば、明治維新以来、日本に「洋モノがいい」というカルチャーが根づきました。カルチャーというと、人々の間に自然発生的に生まれたかのような印象を受けますが、これは支配者たちによって意図的に仕掛けられたものといわざるを得ません。原初的には、尖兵となった貿易商がヨーロッパの魅力的な品々を手がかりに彼らの価値観を日本人に植えつけることから始まったということです。

その仕掛けは現代に継承され、たとえばルイ・ヴィトンやグッチというブランドの隆盛となって現れています。実際、これらのブランドのオーナーは、みなヨーロッパの支配階級です。互いに競合関係にあるブランドですが、オーナーはみな仲間内の人々といえます。スポーツブランドのアディダスやプーマにしても、オーナーは兄弟なのです。

彼らの消費コントロールは、じつに圧倒的な力で私たちを支配しています。
たとえば、マイクロソフトのビル・ゲイツは巨万の富を築きましたが、ジーンズとTシャツという格好をしていますが、日本の若い女の子は、わずかな月収にもかかわらず、ルイ・ヴィトンのバッグを提げて歩いている。なぜこのような馬鹿げたことが起こっているかといえば、仕掛けられた消費コントロールの力以外にありません。

金持ちの支配層は、すでに世界の富の99.99パーセントを押さえていますから、それ以上の富を我が物にすることを目指しているわけではありません。彼らは消費行動をコントロールし、彼らが世界に敷いたシステムを維持するために、人間の思考そのものを支配下に置きたいのです。
このように、支配は消費行動をコントロールすることで決まります。
<後略>
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麻丘東出

生物多様性の何が悪いのか? 絶滅、進化、そして生物種 (武田邦彦氏)

生物多様性について、ブログ武田邦彦(中部大学)で科学的視点から考察されている。

生物多様性の何が悪いのか? 3 絶滅、進化、そして生物種

以下引用・・・・

生物多様化の国際会議も終わったが、先進国が途上国の発展を抑えるという目的に日本も荷担した議定書ができた。
この問題を最初から「思想、政治」で扱うこともできるが、「科学」という面ではどうだろうか?

科学は次のように考える。

第一:「生物」が「多様」であることは大切か?
 (地球にとって)  どちらでも良い、
 (生物界にとって) やや少ない方が良い、
 (人間にとって)  やや多い方が良い。

第二:現在の多様性のレベルは適切か?
 (生物界にとって) 多すぎる
 (人間にとって)  分からない

第三:「多様」とは具体的に何万種、あるいは何を意味しているか?

・・・・・・・・・
(理由)
多細胞生物が爆発的に増えたのは今から約5.8億年前のカンブリア紀で、もちろん多細胞生物が増える前は種の数は少なかった。
それから2.3億年後にペルム紀の大絶滅が起こり、1000万種程度の種の90%ぐらいが絶滅したとされている(古生代の終わり)。
またゼロから始めたようなものだが、「種の元」というのがあったのだろう。恐竜で有名な中生代には、1.9億年で2000万種になった。
この時点(中生代の終わり)で、種の70%が絶滅したとされているので、600万種から再スタートして、現世の3000万種まで増えてきたとできる。

そうすると、古生代が2.3億年で1000万種、中生代が1.9億年で2000万種、そして現世が6000万年で2400万種となり、時代とともに種の増え方が大きくなっている。

また、過去の大絶滅の時にどのぐらいの種が絶滅したかについて、上に書いてきた従来の考え方(化石の状態から見る)のと、2004年のGastonとSpicerの研究のように、「種の元」のようなものは残ったと考えて、古生代の終わりに2割程度、中生代の終わりに1割程度が絶滅したとするほうが妥当だろう。

・・・・・・・・・
(さらに)

新しい種ができる理由は、

 1.ニッチ(種がいない空間)があったとき
 2.従来種より強い種が誕生したとき
 3.従来種が絶滅したとき

である。生物の進化という意味では、古生代は生物が増えた頃だから、1.(いない空間)があったから新しい種はあまり強くなくても生き延びただろうけれど、中生代になるともともと1000万種もいたので、2.とか3.によって新しい種が誕生したと考えられる。

たとえば、恐竜が繁栄していた時代に隕石が落下し、競争力の強い(体が大きいことも大切)種が滅びたので、ほ乳類が誕生し、そして人類が生まれた。

だから、生物が「進化する」ということが「良いこと」ならば、「絶滅」は望ましい。逆に生物が「今のままで停滞する」ことが「良い」とするなら、「保護」が望ましい。

・・・・・・・・・

「生物多様化」という社会的課題を「人間のため」と限定すれば「絶滅は危険」という考えも成立するが、「自然のため」とすると、「絶滅は歓迎」ということになる。

視点をどこに置くか、それをシッカリしておきたい。

2010年に行われたCOP10の会議は、このような科学的視点を持っているものではない。その点、学者や専門家は「生物多様性が大切だ」というのに慎重であるべきと思う。

「多様」というのは100万種なのか、1000万種なのか、それがハッキリしていないで、「大切だ」というのは家畜のレベルである。

・・・・引用終わり





レオンロザ

戦争を欲する勢力が存在しているということをはっきりと知らねばならない~アフガン大統領:テロの背後にアメリカの警備会社あり~

【ROCKWAY EXPRESS】 より、『アフガン大統領:テロの背後にアメリカの警備会社あり』 を投稿します。
--------------------------------転載
 アメリカの戦争勢力は民間警備会社を使って、アフガンやイラクなどでテロをつづけて戦争を継続せざるを得ない状況を保持してきた。これは、あの9・11テロ事件が起きた時、「テロとの戦争」を語り、それが今後50年は継続する、とブッシュ大統領(当時)が宣言したことに表されている。テロが起きねば、自分たちで起こすまでなのだ。

 このような魑魅魍魎の動きが世界には実際存在することを、一般人は知らない。しかし今やそのような事実に目覚める時が来ていることを知るべきである。
 皆が平和を求めているのにどうして平和ではなく戦争が起きるのか、という人がいるであろうが、「皆が平和を求めている」、という前提が間違っているのである。

 この世の中には、「戦争を欲する勢力が存在している」、ということをはっきりと知らねばならない。だからこそ、世界から戦争はなくならないのである。皆が平和を求めている、という前提は、中学生までである。大人は事実はそうでないことを、残念ではあるが、しっかり受け止め、その事実の上で、では何をすべきなのか、とう発想にならねばならない。

 アフガンのカルザイ大統領は、アメリカがしつらえたアメリカの傀儡大統領であったが、どうやらいつまでも傀儡でいられなくなったか、あるいは傀儡でいることに嫌気が差してきたのか、アメリカの圧力に抵抗しだしている。

 これも時代のなせる業であるかもしれない。魑魅魍魎たちの跋扈はそろそろ終焉の時に近づきつつある、と思われるからだ。これは既に以前から指摘してきたことである。従って今後は、この者たちの闇の悪行が白日の下にさらされるようなことが増えだすであろう。
 彼らの思惑は実現せず、彼らの意図は挫折させられるようになるだろう。彼らの行き場はなくなりつつある。

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●アフガン大統領:テロの背後にアメリカの警備会社あり
【2010年10月25日 PRESSTV】

 アフガンのカルザイ大統領は、以前はブラックウォーターとして知られたLLCを含むアメリカの民間警備会社が、アフガンでのテロの背後にいる、と指摘した。

 カブールでの記者会見で、アメリカの警備会社が女性や子供たちの命を奪った爆弾事件などの背後に存在している、と大統領は語った。

 アフガン大統領は更に、これらの警備会社は過去数ヶ月アフガンの各地で起きた「爆発とテロ」を引き起こした、と語った。

 カルザイ大統領は、彼の政権はタリバンの民兵が起こしたテロとアメリカの警備会社の起こしたテロを見分けるのが困難であると語った。
 「実際、これらの爆発事件のいくつがタリバンの犯行で、いくつが彼ら警備会社の仕業なのか良く分からない」

 ブラックウォーターは過去数年間でアフガンの一般人の殺害事件に関わっている。このブラックウォーターは、いくつかの裁判闘争をしているところだ。この中には2007年のバグダッドでの17人の一般人の死者を出した襲撃事件も含まれている。
 
 6月のはじめ、ブラックウォーターが隣国のパキスタンにいる武装勢力とみなされる標的に向けて、アメリカの無人機に爆弾を装填していたことをCIAは認めたと言われている。大統領はまた、アメリカの民間警備会社は腐敗しており9年間の戦争を煽ってきたと指摘した。 
 「民間警備会社の名称の下でなされてきた取引は、アメリカ政府の建物の廊下でなされ、それは15億ドルに上る」と語った。
 
 カルザイ大統領は、民間警備会社がおかしな契約の下で経済マフィアと大統領が呼ぶ会社を経営していることを非難している。
 「この15億ドルという資金は、アメリカでブラックウォーターやその他の会社にに支払われている」

 これは悪名高いブラックウォーターがアフガンでの活動で国務省の100億ドルに上る5年間の契約を受けたところから、始まったのだ。

 この8月、カルザイ大統領は全ての警備会社に対して年末までに解散するよう命令した。
外交官や軍の将校の中には、カルザイはこの彼の決定を再考するよう強烈な圧力を掛けられている、と語る者がいる。

 しかしながら、カルザイ大統領は、アメリカからの再考を求める圧力にも拘わらず、アフガンに存在する外国の警備会社を解散させるという自分の決定は翻さないと言い張っている。

 この民間会社は、外国の高官や大使館、それにアフガンの開発プロジェクトを警備することを請け負っていると言われている。

 カルザイ大統領は、一般人の死と、問題の多い区域での腐敗構造に対し傭兵らによるものとして非難している。

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金貸しが戦争を起こし、両国から利益を得る手法は、いまや、民間の警備会社=傭兵企業が企画するに至っている。
【この世の中には、「戦争を欲する勢力が存在している」、ということをはっきりと知らねばならない。】
これは、陰謀でもなんでもない。貧困の消滅から私権獲得意識の衰弱より、モノを売って利益を上げられない状況の中、唯一、戦争で金を稼ぐという手法しかいまは残っていない時代である。そういった同類を殺すという手法をもって、自分だけの利益を得ようとする輩がいることは事実である。明らかに自然の摂理に反するこの手法(同類を殺して儲けるという手法)は、人類という種の滅亡を意味する。それらが、支配階級=統合階級と繋がっていることに現在に腐敗の最大の問題となっている。ここを切開しなければ、種としては、生き残れないと思う。






彗星

「消費者的ふるまい」が国を滅ぼす。

>市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。(31251)

本来、モチに生えたカビに過ぎない市場が、いつのまにかイデオロギーに化けて、人々を洗脳し、社会システムの根幹である医療や教育を破壊しようとしている。現代日本の最先端=現場で進行する惨状を紹介します。

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少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースステーションに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか?」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。

僕はそれを聞いて、これはまずいだろうと思いました。これは医療の根幹部分を損なう措置なんじゃないかと思って率直にそう言いました。その場にいたおふたりとも頷いて、興味深い話をしてくれました。

「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果」ですと、笑っていました。

当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。医療を商取引モデルでとらえれば、「患者さま」は「お客さま」です。病院は医療サービスを売る「お店」です。そうなると、「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。

「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。看護学部長が数え上げた三つの変化はまさにこの図式を裏書きしています。

厚労省がこんな奇妙な指示を発令したのは、彼らが社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきだという信憑の虜囚になっているからだと僕は思います。

小泉内閣のときににぎやかに導入された「構造改革・規制緩和」政策とは、要するに「市場に委ねれば、すべてうまくいく」という信憑に基づいたものでした。「市場原理主義」と呼んでもいいし、「グローバリズム」と呼んでもいい。行政改革にも、医療にも、教育にも、さまざまな分野にこの信憑がゆきわたりました。

すべては「買い手」と「売り手」の間の商品の売り買いの比喩によって考想されねばならない。消費者は自己利益を最大化すべくひたすらエゴイスティックにふるまい、売り手もまた利益を最大化するようにエゴイスティックにふるまう、その結果、両者の利益が均衡するポイントで需給関係は安定する。市場にすべてを委ねれば、「もっとも安価で、もっともクオリティの高いものだけが商品として流通する」理想的な市場が現出する。市場は決して選択を誤らない、というのが「市場原理主議」という考え方でした。

そのモデルを行政もメディアも、医療にも適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たちの組織的な出現です。

(中略)

この「患者さま」たちはたぶん主観的には「日本の医療を改善する」ことに貢献しているつもりでいるのです(完全には信じていないにしても、半信半疑程度には)。そしてその確信を支えているのはメディアが「消費者モデル」の有効性を声高に賛美しているからです。万人が消費者として容赦なくふるまうとき、市場は最高の状態に向ってまっしぐらに進化してゆく。このイデオロギーはもともと行政が主導したものですけれど、メディアはこのイデオロギーの普及に積極的に加担してきました。僕が知る限り、医療機関に対して仮借ない批判を向けることいよってのみ医療の質は改善され医療技術の水準は向上するという信憑をメディアは一度も手放したことがありません。

さすがに医療崩壊がここまで進行すると、あまり「仮借ない」のもどうかな・・・というくらいの自制心は出てきたかもしれませんが、それでも自分たちが展開してきた医療批判が医療崩壊という現実を生み出した一因だということをメディアは認めない。


内田樹「街場のメディア論」

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いつでもどこでも「消費者的ふるまい」が当たり前になるとき、人間社会で長らく培われた規範は吹き飛び、国は滅ぶ。マスコミの洗脳には、決して乗ってはいけない。






阿部佳容子

特権階級を生み出す構造

> 自分達と特権階級の間には、それだけ大きな意識のズレが存在しているのではないか?と思いました。

暴走する特権階級の人間たちも、元を正せば普通の一般人と同じただの子どもだった筈。それがどうしてここまで断層が広がるのか?そこには、大きく3つの要因があるように思います(他にもあるかも知れません)。

1)試験制度の弊害
2)共認非充足
3)偽ニッチの構造

1)は、答えの用意されているペーパーテストの解答を自己責任で当てるという、現実にはあり得ない問題をこなし、その点数をひたすら上げるだけという“無機的な目的意識”が形成されてしまうことです。財務官僚の殆んどが東大法学部卒で占められ、入庁時の国家公務員試験の席次が後々のポストまでを決めると言われる霞ヶ関官僚とは、まさにこの試験制度の中で一生を過ごす人間たちだといえます。

2)と1)の前後関係は微妙(共認非充足だから試験制度にはまるのか、試験制度に染まることで共認回路が錆付くのか)ですが、おそらく親からの期待に応えて試験制度に過剰適応した層が、クラスの中で浮いたり虐めを受けるなど仲間関係の共認非充足を塗り重ね、ますます無機的な目的意識にはまっていく過程を辿るのではないかと思います。

中には、その体験を通じて彼らは“日本”に恨みを持つようになり、だから日本の官僚は強度に海外を崇拝する傾向を持つとの指摘もあります。官僚が金貸したちの傀儡になっていくのも同じ構造かも知れません。

3)の偽ニッチは、そのようにして特権階級の地位を手に入れた少数の人間たちが思うままに己の私権獲得に邁進・暴走できてしまう構造です。多くの普通の人々は私権が衰弱していく一方なので、特権階級の振る舞いに対する(私権存在の立場からの)反発も監視圧力も働かず、彼らが好き放題できるスキマが、現在生まれてしまっています。

このような現代社会の構造を認識して、どうする?を考えることが、私たち多くの普通の人間たちのこれからの課題だと思います。






田中素

“御用聞きコメンテーター(専門家の意見:学者、評論家、エコノミスト他)”を信じてはいけない

よくテレビに出てくる「専門家の意見」。その実体を報告する記事がありましたので紹介します。

以下、“御用聞きコメンテーター”を信じてはいけないリンク より転載。

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日銀短観や国内総生産(GDP)などの重要経済統計の発表、あるいは急激な円高進行や株式市場の暴落など、さまざまな経済ネタが新聞やテレビで報じられない日はない。統計や市場の動揺などが伝えられる際、著名な大学教授やシンクタンクのエコノミスト、あるいはアナリストがコメントを寄せているケースが多いのは多くの読者がご存じの通り。だが、こうした「専門家の見方」という体裁には、いささか危険な側面があることはあまり知られていない。今回の時事日想は、コメンテーターの資質に焦点を当てる。

●今日はどんなトーンで?
 筆者が駆け出し記者時代、先輩から1枚のリストを渡された。外為市場が荒れた際、あるいは日銀短観などの指標が発表された直後、コメントを求める専門家の一覧表だった。

 冒頭で触れた通り、リストには著名な大学教授や経済評論家、シンクタンクのエコノミストのほか、凄腕ディーラーなど、そうそうたる顔ぶれがそろっていた。

 この中で、筆者が注目したのは某シンクタンクの幹部だった。名前の横に☆印が付けられ、「最終兵器」との手書きメモが添えられていたからだ。なぜ彼が最終兵器なのか尋ねたところ、先輩はニヤニヤするばかりだった。

 数日後、実際に外為市場が荒れた。このため筆者に対し、外為市場の乱高下を伝える記事に、専門家の分析コメントを追加するようデスクから指示が出された。

 筆者は早速、この幹部に連絡を取った。すると、なぜ彼が最終兵器と呼ばれているのかが即座に理解できた。開口一番、この幹部は筆者にこう言ったのだ。

 「やぁ、どうも。今日はどんなトーンでしゃべったらいいのかな? 強気、それとも弱気? リクエストしてくれれば、ご希望に沿うようにしゃべるから」――。

 要するに、筆者がこれから執筆する記事のトーンに合わせる形で、都合良くしゃべってくれるという非常にありがたい方だったのだ。

 具体例を示すと、以下のようなことになる。

 「円高脅威論」的な記事であれば、円高による日本経済への悪影響を説明する。「円高は一時的」とする分析記事であれば、投機筋による行き過ぎた動きだ、などとコメントしてくれるわけだ。

 経済ニュース向けにコメントを提供してくれる専門家には、持論を曲げない頑固タイプの方々が存外に多い。また、会議や出張などの都合で、メディア側が話を聞きたい際、物理的につかまえられないケースも多々ある。

 筆者に「最終兵器」のリストを授けてくれた先輩記者によれば、「彼はいついかなる時も、どんなトーンでもコメントしてくれる最後の切り札」ということだったのだ。

 実際、筆者が受け取った一覧表には、同幹部のオフィスの電話番号のほか、自宅の番号も載っていた。メディアには大変貴重な存在だった。

 だが、副作用もあった。同じテーマで取材したはずなのに、他のメディアでは全く別の事柄をコメントされる機会が少なくなかったのだ。筆者が想像するに、他メディアの担当記者の間でも、同幹部は「最終兵器」と同じニュアンスの扱いだったのではと確信している。

 現在、彼はシンクタンクから某大学の教授に転身。今も頻繁にテレビの情報番組などに頻繁に出演している。過日、某民放局記者から聞いたところによると、「新幹線で移動中でも携帯電話を介してコメントをもらえる」のだとか。これではほとんど御用聞きの世界だ。

●引き継ぎリストを見直せ
 引き合いに出した元幹部はいたって温厚な人物であり、筆者が個人的に恨みを抱いているわけではない。ただ、同氏ほどではないにせよ、経済ニュースに登場して解説を加える専門家の中には、「メディアへの露出が最優先課題」ととらえている向きが少なくないのだ。露出度が上がることにより、業界紙が実施するアナリストランキングが上がる、あるいは、講演のギャラが上昇すると割り切っている向きも確実に存在している。

 内外の通信社や一部の経済メディアを除けば、大手紙や民放テレビの経済担当記者の異動のサイクルは速い。長くて1年、半年おきに担当部署が変わるケースがざらにある。

 こうした際、手元にコメントを寄せてくれる専門家のリストがあれば、取材の手助けとなることは間違いない。また、通信社や業界紙に登場する頻度の高い専門家を選びがちになる。原稿をチェックするデスクに話を通しやすくなるからだ。

 ただ、先に触れたように「露出最優先」の関係者に当たり、おざなりなコメントを取る機会が増加する事態になってしまえば、原稿の価値は大きく減じてしまう。記者ならば自身の目で、自分の原稿を補完しつつ、読者をより高みに導いてくれる専門家をコメンテーターとして発掘する努力を怠ってはならない。

以上、転載。

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このような御用聞きコメンテーターは、政治・経済・環境etc全ての分野に溢れているのであろう。





yooten

金貸し支配の後に来る期待・応合の共認充足社会

約5500年前に同類闘争が始まって以来、世界を覆ってきた私権パラダイムの下で、性や土地(≒生産手段)を初めとするあらゆるものが所有の対象となり、その権利を獲得するための権威・権力に基づく私権共認が図られてきた。

その私権獲得の手段は当初は武力によって、やがて社会が序列統合化してくると騙しや脅しによってより巧妙になり人々の間に広まっていった。今日、その最先端の場こそが市場であり、国家に寄生しつつ肥え太っているのが、市場の申し子たる“金貸し”である。

彼らは元々、過去1千年間に亙り十字軍遠征や他国への植民地支配をけし掛け、多くの人命を奪い、冨を収奪し尽くした欧州貴族(大商人)の財テク担当者であり、更なる利鞘を掠め取るためにこれまで多くの災いをもたらしてきた。
国家間の戦争はもとより、政治家への脅し・暗殺、金融市場の操作、Co2による地球温暖化説のでっち上げ、縮まることのない南北問題など、その“類的罪業”を数え上げれば切がない。

そして今、その代表格であるロックフェラーとロスチャイルドをバックに、日本国内でも覇権を争っている。誰が勝とうが目糞鼻糞であり、金貸し支配に何ら違いはないという点では暗澹たる気分にさせられる。

しかし、この金貸し支配の構造を学んだサロン出席者の女性から「金を貸し付けるためにこんな複雑な事をやっていてはいつまでも続くわけがない」との感想が聞かれた。至極である。

生存圧力が低下し私権意識が希薄化する中で、パラダイム自体が転換しようとしているのだ。金貸し支配の余命は確実に縮まっている。その時計の針を少しでも進めようと思えば、まずは荒っぽいロックフェラーに退場願い、次いでロスチャイルドの3日天下の後にやってくる市場経済の破綻=私権社会崩壊の大波に備える必要がある。

つまり、新たな社会統合原理の構築である。
私権共認によって築かれた“何をするにもお金のいる社会”“所有・私有を争う社会”“自由や個人、権利といった近代思想に誑かされた社会”から、充足基調の共認統合社会に転換していく。
その為に、まずは身近な期待・応合の共認充足から拡げていこう。そして、みんなの未明課題へ、その先端的課題へと立ち向かって行こうではないか。





松岡隆

世論調査を信じるのはバカ

少し古いですが、田中良紹氏のブログに世論調査の信憑性の低さを言い切っているような文章が有りました。

田中良紹の国会探検 2010年2月16日

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世論調査を信ずるバカ

 2009年の5月に「『世論が大事』というデタラメ」を書いたが、また同じ事を書かなければならない。新聞やテレビの世論調査を振りかざす政治家が増えたからである。世論調査の専門会社が存在しない国で、新聞やテレビの世論調査を信ずるのは余程オツムのおめでたい人間である。日本の新聞やテレビの世論調査はせいぜい「もどき」に過ぎない。「いい加減な情報」で国民を扇動する政治家をデマゴーグと言うが、デマゴーグは民主主義を衆愚政治に堕落させ国を滅ぼす。

 アメリカには複数の世論調査専門会社がある。ピューリサーチセンターやギャラップなどが有名だが、いずれも世論調査の正確さに命をかけている。専門会社であるから信用を失えば潰れる。新聞社やテレビ局の片手間とは訳が違う。しかもわが国の新聞とテレビには捏造報道の伝統がある。朝日新聞には「伊藤律単独会見」や「サンゴ落書き事件」など、読売新聞には選挙の当落予測データを書き換えて気に食わない政治家を落選させる伝統がある。ましてテレビは捏造報道が日常茶飯事だ。

 本物の世論調査会社が存在する国では新聞とテレビもいい加減な調査は出来ない。しかしこの国ではいい加減な調査を発表しても誰もとがめる者がない。それをいい事に「もどき」が蔓延する。昨年、私が「『世論が大事』というデタラメ」を書いた後で、日本記者クラブが「世論調査」をテーマに研究会を行なった。新聞社の世論調査担当者が「新聞社の世論調査で分かるのはトレンドだけ」と言った。世論調査に正確な世論は反映されないと認識している。

 昔は新聞社もテレビ局も1回に1500万円程度の予算をかけて調査をしたが、今では150万円程度の予算で下請けにやらせていると言う。十分な予算があれば年齢、性別、職業別、地域別など対象に偏りがない調査を行なう事は可能である。しかし現在の方法はRDDと言って、コンピューターで電話番号を抽出させるやり方である。これだと固定電話にしかかけられない。固定電話に出てくる対象が果たして偏りのない国民と言えるのか、はなはだ疑問である。

 しかも顔の見えない相手とじっくり会話をする者はいない。電話をかけられた方はなるべき早く電話を切りたいに違いない。そんな状態なら答えを誘導するのは極めて簡単である。調査をする側の意図通りの回答を引き出せる。世論調査が頻繁に行なわれれば行なわれるほど予算も少なくなるから、結果もいい加減さを増す。つまり年に2,3度の世論調査なら信用もできるが、毎月とか毎週となると眉に唾をつけなければならない。

 その程度の調査データを振りかざして「世論が」とか「民意は」と言う仕組みをどう考えるかである。民主主義を尊重する仕組みとは思えない。それどころか民主主義を破壊する仕組みと言うべきである。そういう仕組みをせっせと作っているのがわが国の新聞とテレビである。そしてそのいい加減な調査データを振りかざす政治家が与野党の双方にいる。これは与党対野党の構図ではなく、民主主義を守るか壊すか、国民主権を実現するか衆愚政治に堕するかの話である。

 わが国の世論調査の仕組みで決して世論は分からない。世論を知る事が出来るのは選挙しかないのがわが国の現実である。選挙の投票に出かける時には、家にかかってくる電話に答えるよりじっくり考える時間がある。わざわざ出かけるのだから真剣さもある。こちらの結果こそが「民意」の反映で、日本では選挙でしか「民意」を推し量る事が出来ない。

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「捏造が伝統の朝日、読売」と名指しで小気味良いです。

ネットで「世論調査の信憑性」を検索すると、「世論調査って信頼できるの?」という質問と、「世論調査が信用できる訳が無い」と言い切るブログのオンパレードです。既にネット上では「大本営発大新聞発表」は全く信用されていません。小沢VS菅の支持率がネットと新聞で間逆であるのとも合致します。
「世論調査」の対象は、おそらく限定的で、我々国民を代表していません。





狒狒

9.11は、アメリカ政府の陰謀か?~京大教授・長崎大教授の追求

京大の西牟田教授、長崎大学の戸田教授を中心に「911の真実を求める日本の科学者の会」 を立ち上げている。

その第一回検証集会の様子の記事を紹介する。

以下「9.11は、アメリカ政府の陰謀か?」 より転載。

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2010年4月に「911の真実を求める日本の科学者の会」というのが、西牟田祐二(にしむたゆうじ)さん、戸田清さんらによって設立された。そして、その第1回目の検証集会が、9月4日、高知市の自由民権記念館で開かれ、私も見聞を広めるために参加した。西牟田さんは、京都大学大学院経済学研究科教授、戸田さんは、長崎大学環境平和学部教授である。

 西牟田さんは、冒頭、こんな挨拶をした。「私は、ここ自由民権記念館で、講演できることをとても誇らしく思います。なぜなら、911の真実がどうであったのかにこだわることは、自由民権運動と同じだからです。私は、歴史家です。ここ30年ほど歴史を研究してきて感じることは、公式の歴史と真実の歴史はどうやら違うらしい、ということです。私には、正義が何なのかはわかりません。しかし、真実がどうであったのかを知りたいと思うのです。こういう問題では、軽々しい断定は避けなければなりません。真実がどうであったのかは、皆さんがお考えください」

 午前10時半から『ボーイングを捜せ』のDVDが上映され、その後、西牟田さんと参加者との間に活発な質疑応答があった。ペンタゴンに激突した飛行機の残骸が全く見つからず、建物にあいた穴は翼の両端の幅よりずっと小さいという話だった。西牟田さんが、DVDでラジオ・コメンテイターの主張する陰謀説の根幹を認めつつも、いくつかの欠点を論理的に指摘したのが、印象に残った。西牟田さんにとって、結論でなく、事実が大切なのだと感じた。

 正式のプログラムは午後1時半から始まった。『真実への青写真』のDVD上映と西牟田さんの解説、そして、その後に質疑応答が4時半まで続いた。200名ほどが入る会場は満員で、パイプ椅子が通路の空間をびっしりと埋めた。前日までのチケットの売れ具合から、30名くらいかもしれないと予想していた主催者にとってはうれしい想定外であった。

 DVDの説明によれば、貿易センタービルへの飛行機の突入は、側面からであったにもかかわらず、その崩壊は左右対称の形を保ったままで、わずか10秒の自由落下に近いスピードだった。それは、爆破による制御解体を連想させた。事実、現場で活動した消防士らの多くは「爆発音を聞いた」と証言している。しかし、2004年になって最初に出されたアメリカ政府の「最終報告書」には、消防士らの証言はすべて却下されていたのである。また、テルミットというアメリカのロスアラモス国立研究所などで開発された特殊な爆発物が存在し、それはアメリカ軍が厳しく管理しているという話があった。それは、とてもアフガニスタンの洞窟などでは製造できない爆発物であり、酸化鉄とアルミニウムの粉末を混ぜ合わせることによって瞬間的に爆発するものらしい。そのテルミットが、911の焼け跡の現場から発見されているのである。反応後のものも、反応前のものもである。

 アメリカ政府の説明によれば、「ビルの崩壊は、飛行機の燃料の燃焼によってビルの鉄筋が溶解したことによる」とのことだったが、燃料燃焼時の温度は約600度で、鉄の溶解温度は約1500度なのである。その点を指摘されても、アメリカ政府はだんまりを貫いているということであった。また、ビルに激突した2機の旅客機の乗客名簿は謎のままで、その点を指摘されても、アメリカ政府はだんまりを貫いているということであった。
 検証集会は4時半で終わったが、その後夕食会(15名ほど参加)があり、私は、西牟田さんの隣に座ったので、9時くらいまで個人的に話す機会があった。


(筆者の感想)
 私は、取材には、アリバイ作りという意味もあって、カメラを持参することにしている。しかし、今回は、カメラを持参しなかった。全く取材の意志がなかったからである。自分には、複雑すぎる話だろうという思い込みがあったからだろうか。しかし、意外なほど問題点はあからさまであった。そして、西牟田さんの「911は、世界史的にとても大きな事件ですよ」という言葉を聴いて、記憶を頼りに書いておくことにした。
 西牟田さんは、9.11の「同時多発テロ」の直後にブッシュ大統領が発した「WAR ON TERROR」(テロとの戦い)という言葉に強い衝撃を受けたという。そして、ナチスが、自ら国会議事堂を爆破することによって、国の内外で何でもできる状況を獲得していった歴史を思い出したという。アメリカも9.11の「同時多発テロ」の後で、国の内外で何でもできる状況を作り出すことに成功していたのである。愛国者法(テロリズムを摘発し阻止するため適切な手段を提供し、アメリカを団結させ強化する法律)、タリバン政権を倒したアフガン戦争、フセイン政権を倒したイラク戦争がそれである。
 私は、西牟田さんに「それは、悪いやつは、どこでも同じようなことを考えるということではないのですか?」と質問した。すると、「私も最初はそう考えました。しかし、根気よく調べていくと、この手法には、ドイツとアメリカの間に、人的にも思想的にも確かなつながりが存在していたのです」ということであった。

以上、転載。





yooten

捕鯨は地球を救う②

続きです。
以下引用
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■5.増えすぎたクジラが食糧を求めて沿岸部までやって来た
 各海域におけるクジラの生存数や、クジラの年齢推定方法などは、日本の調査捕鯨などで明らかになってきたことだが、もう一つ驚くべき事実が判明した。

 長らく、クジラはオキアミ(エビに似た体長数センチほどの浮遊生物)だけを食べていると考えられていたが、実は近年、クジラが増えすぎて他の魚まで食べるようになってきているのである。

 たとえば、2009(平成21)年に釧路沖で調査捕鯨が行われたが、捕獲された、どのミンククジラの胃袋からも大量のスケソウダラが出てきて、関係者を驚かせた。2百リットル容量のドラム缶2~3本分のスケソウダラ、サンマ、イカ、オキアミなどが詰まっていた。

 また近年は、大型種のクジラが釧路沿岸で頻繁に目撃されている。
 これらの事実を総合すると、クジラの数が増えすぎて、オキアミなどの餌が足りなくなり、やむなくサンマやタラを食べ始めたこと、そして大型のクジラもそれらの餌を求めて、沿岸部に近づいてきている、と考えられている。

 実は、クジラの食害が釧路での漁獲高の急減の原因のようだ。釧路では1980年代には120万トンの漁獲量を誇っていたが、2005年には12万トンと10分の1にまで減ってしまっている。

 クジラによる食害は、釧路ばかりではない。函館では伝統的にイカ漁が盛んで、夜、集魚灯をつけてイカを集める。そこにクジラが大量にやってきて、集まって来たイカを食べてしまう、というのである。カナダやアメリカの漁民の間でも、クジラの食害問題が浮上し始めているという。

 日本鯨類研究所の試算では、1年間で地球上の人類が採る漁獲高の総量は約9千万トンであるのに対し、地球上のクジラが食べる魚の総量は3億トンから5億トンとされている。

 クジラの商業捕鯨を再開して、適切な生存数をコントロールすることによって、鯨肉の供給だけでなく、人類全体の漁獲高を大きく増やすことができる。これが迫り来る食糧難への有効な対応策なのである。

■6.地球環境を心配なら牛肉よりも鯨肉を
 鯨肉は、環境面においても、また健康面においても、牛肉などよりははるかに優れた食材である。

 まず環境面から見てみよう。牛肉を生産するのと、クジラを獲るのとではエネルギー効率がまるで違う。

 鯨の場合は、鯨肉一キロカロリーを得るのに、小型捕鯨船を使った場合、1キロカロリーの燃料を消費する。牛肉1キロ分を生産するには約120キロの穀物飼料が必要であり、それだけの穀物を生産するには、1200キロカロリーの燃料を必要とする。カロリー効率で見れば、鯨肉は牛肉の1200倍ということになる。

 また牛は大量の糞尿を出し、これが土壌を硝酸化する。さらに牛の発するゲップから大量のメタンガスが排出される。アメリカだけで数億頭の牛を飼育しているので、地球の温暖化にとって無視できないほどだという。

 海に棲むクジラには、こういう環境汚染の心配はない。鯨肉は牛肉に比べて、格段にエコな食材であると言える。地球環境危機を心配する人なら、牛肉よりも鯨肉を食べるべきなのである。


■7.鯨肉は優れた食材
 栄養面でも、鯨肉は大変に優れた食材である。100グラムあたりのタンパク質含有量では、牛肉赤身の17~18グラムに対して、鯨肉の赤身は24~25グラムもあり、動物性タンパク質の中ではもっともタンパク質含有量が高い。

 このタンパク質が口中で噛まれることによってアミノ酸となり、それが生命体の活力源となる。また、このアミノ酸がうまみとなるので、鯨肉は美味しいのである。

 コレステロールが少ない点も、健康食として多いに注目されている。100グラムあたりのコレステロール量は、牛肉が72ミリグラム、豚肉が61ミリグラムに対して、鯨肉は38ミリグラムしかない。

 健康に関心のある人なら、EPAやDHAという用語はおなじみだろうが、鯨肉はこれらを多く含む。EPAは脳溢血や心筋梗塞などの血管系の病気の予防に効果があり、またDHAは脳を活性化して学習能力を上げたり、眼の老化防止、疲労回復の機能がある。

 牛肉、豚肉、鶏肉を食べてアレルギーになる人はいるが、不思議なことにクジラでアレルギーになる人はいない。そこでアレルギー体質の子供のために、鯨肉を供給する運動も行われている。

 なぜ鯨肉にはアレルギーが出ないのか、理由は分かっていないが、一つの有力な仮説として、南氷洋で捕れたクジラには発ガン性を持つPCBや、水銀などの汚染物質がきわめて少ない点が挙げられている。他の魚の平均に対し、PCBは2700分の1、水銀は15分の1である。


■8.捕鯨は我が国の国際的使命

 適切なコントロールのもとで商業捕鯨が再開されて、このような優れた鯨肉が供給されたら、どうなるか。先進国においては、消費者は地球環境にも人体にも優しい健康食として、牛肉よりも鯨肉を歓迎するだろう。また発展途上国においても、安価なタンパク質源として、栄養状態の改善に貢献するだろう。

 その分、牛肉の需要は落ち込み、価格は低下する。困るのはオーストラリアやアメリカなどの牛肉輸出国である。これらの牛肉輸出国が代表的な反捕鯨国であることから、反捕鯨国の真の狙いは牛肉輸出を維持することだ、という穿った見方が出てくる。

 それが真実であるかどうかは別にして、鯨肉の利用拡大は我が国の食料自給率を高め、かつ世界の食糧問題、環境問題の解決に向けて効果的な対策になりうるのである。

 反捕鯨プロパガンダに対抗して、このような事実と論理によって捕鯨の妥当性、必要性を粘り強く訴え続けていく事は、我が国の国際的な使命と言えるのではないか。

(文責:伊勢雅臣)
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以上引用終り





佐藤祥司

捕鯨は地球を救う①

「反捕鯨活動の背景」を裏付けるような内容の記事があったので、紹介します。

以下のサイトからの引用です。
■ Japan On the Globe(660) ■ 国際派日本人養成講座 ■
     The Globe Now: クジラは地球を救う
   増えすぎたクジラを捕る事で、食糧危機と環境危機に立ち向かう事ができる

以下引用
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■1.年間300万頭のカンガルーを殺しながら反捕鯨を訴える偽善
 オーストラリアのケビン・ラッド首相は、日本が2010年11月までに捕鯨をやめなければ、日本を国際裁判所に提訴すると語った。このスタンドプレーに対して、オーストラリア国内からも常識的な批判が出ている。

 オーストラリアの有力紙「オーストラリアン」は社説で「日本はわが国の大きな輸出市場であり、重要な戦略的同盟国だ」と強調し、重要な同盟国との関係は、自分たちだけが道徳心を持っていると思い込む国内の自然保護団体をなだめるだけの首相では、支えられない」と批判している。

「自分たちだけが道徳心を持っていると思い込む」人々に対しては、もっと手厳しい批判が国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンから突きつけられた。

「鯨に銛(もり)を打ち込むことは、牛や羊の肉を常食としている者の間にさえ感情をかき立てるのかもしれないが、豪州は、作物や牧草を守るため年間300万頭余の野生のカンガルーを撃っているときに、苦情を言える立場にはほとんどない」と批判した。

■2.反捕鯨国でも捕鯨賛成が過半数
 もう一つ、反捕鯨派の足下をすくうような世論調査の結果が出されている。

 アメリカの民間会社レスポンシブ・マネジメント社が、1997(平成9)年から翌年にかけて、代表的な反捕鯨国であるアメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアの国民を対象に行った世論調査である。その設問は次のようなものであった。
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 ミンククジラは絶滅に瀕しておらず、国際捕鯨委員会(IWC)は世界中に100万頭のミンククジラが生息していると推定しています。では、あなたは次の条件のもとで行われるミンククジラの捕鯨に賛成ですか、それとも反対ですか。
 捕獲したミンククジラは食糧として利用される。
 一部の国民や民族にとってミンククジラの捕獲は文化的側面を有している。
 ミンククジラの捕獲はIWCによって、規制されており、資源に影響が及ばないように毎年適切な捕獲枠が設定される
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「強く反対する」「反対する」を「反捕鯨」、「どちらとも言えない」を「中立」、「賛成する」「強く賛成する」を「捕鯨賛成」と3分類すると、主要な反捕鯨国4カ国での回答は次のようであった。

           反捕鯨    中立  捕鯨賛成
  アメリカ     19%   10%   71%
  イギリス     31%    8%   53%
  フランス     27%   11%   63%
  オーストラリア  40%    6%   53%

 すなわち主要な反捕鯨国でも、過半数は捕鯨賛成なのである。もっとも、この設問はミンククジラが100万頭もいるというIWCの推定をきちんと説明し、さらに適切な規制が行わる、という前提を明記している。こういう点を知らない一般国民は、反捕鯨の比率がもっと高いかも知れない。

 しかし、このような合理的な説明をきちんとすれば、反捕鯨国の国民でも過半数が捕鯨に賛成するという点が重要なのである。したがって捕鯨問題の本質は、一部の反捕鯨派の政治宣伝に対抗して、事実と合理的な主張により、いかに国際世論の支持を勝ち取るか、という問題なのである。

(中略)

■3.ミンククジラは世界で100万頭
 まずは前節のアンケートの設問にも紹介されていたが、クジラの種類によっては、絶滅どころが増えすぎているものもある。

 1982(昭和57)年に行われた調査では、南氷洋だけで76万頭のミンククジラがいることが分かった。この数字は、IWCの本会議に報告され、承認されている。その後、IWCの科学委員会がさらに詳しい調査を行い、世界中の海には114万頭程度は生息しているというのが、現在のIWCの公式見解となっている。

 国際自然保護連合(IUCN)により絶滅危惧種とされているナガスクジラは、調査捕鯨により北大西洋で約3万頭確認されている。ワシントン条約で絶滅危惧種とされるのは、個体数が1千から2千の種とされているので、日本はIUCNがナガスクジラを絶滅危惧種としているのを見直すべきだと主張している。

 また生物学的にクジラは年に4~7%ずつ増えている、という調査結果が出ている。したがって、南氷洋のミンククジラの生存数は76万頭と確認されているので、商業捕鯨で年に4%、すなわち3万頭ほど捕獲しても、絶滅の心配はない。

 IWCの科学委員会では、これだけの生存数が確認されているのだから、年に2千頭は獲っても問題はない、と結論を出した。

 日本の調査捕鯨枠としてIWCから認められているのは、南極海調査海域で44万頭いると推定されているクロミンククジラの850頭、0.2%である。また北西太平洋調査海域で25千頭いると推定されているミンククジラの220頭、0.9%である。他の種も0.009%から0.4%の幅に入っている。

 このようにIWCは科学的にクジラの種類と海域ごとに生存数が調査され、そこからかなりの安全を見て、調査捕鯨の枠が決められているので、調査捕鯨がクジラを絶滅に追い込む恐れは全くない。

■4.絶滅が危惧されるホッキョククジラを採り続けるアメリカ
 83種類のクジラの中で、絶滅の心配のある種ももちろんある。たとえばホッキョククジラで、北極海には約8千頭が確認されている。

 このホッキョククジラの捕獲を、アメリカは行っているのである。アラスカに住む先住民族イヌイット族のための「先住民族生存捕鯨」として、年間54頭の捕獲がIWCにより認められている。

 ホッキョククジラは体長20メートル近く、平均体重が80トンもあり、平均5トンのミンククジラの16倍も大きい。寿命も150歳から200歳の個体が見つかっているので、ミンククジラの50年よりもはるかに長い。

 このようにホッキョククジラは寿命が長く、また極寒の海に住むため、増殖が非常に遅く、このペースで捕獲していると、ホッキョククジラこそやがて絶滅してしまうのでは、と危惧されている。

 またトン数で言えば、アメリカは4320トン、日本の調査捕鯨で南極海と北西太平洋を合わせても、ミンククジラで5350トンと、量的にもそれほど変わらない。

 アメリカは絶滅を危惧されているホッキョククジラを捕獲しながら、世界に100万頭もいて増えすぎだと言われているミンククジラの調査捕鯨を批判しているのである。
********************************
以上引用終り(つづく)






佐藤祥司

反捕鯨活動の背景

最近アジアの某国の大使を務めていた方から話を聞く機会があった。
IWC(国際捕鯨委員会)における、半捕鯨活動の背景についてである。

反捕鯨運動は建前上は海洋資源の保全や、「鯨知的生物論」などを旗印として声高に訴えられ、グリーンピースやシーシェパードなどの過激な環境団体の行動ばかりが報じられ目に付く。
しかし、実際はこれら反捕鯨活動の背景にアメリカを中心とした食肉輸出国の畜産団体や飼料穀物輸出団体のロビイストたちが活発に動いていたというのだ。

もともとIWCは1970年代半ばまでは捕鯨国の集まりであり、主要に漁獲量の調整を行う団体であった。加盟国も10数カ国であった。ところが、1970年代半ばにはいってアメリカを中心とした働きかけによって加盟国が急増し、一気に40数カ国に膨張する。しかもほとんどがヨーロッパと南米を中心とした反捕鯨国である。その結果、IWCの反捕鯨国が占める割合が条約改正に必要な4分の3に達し、その結果1982年には商業捕鯨のモラトリアムが採択される。
この一連の流れの中で背後に活動していたのが、上記の業界団体のロビイスト達で、有体に言えば彼らは資金援助等をちらつかせて、捕鯨と全く関係のない国をIWCに加盟させ反捕鯨に票を投じさせたというのである。

それが事実とすれば、その理由は明らかで、まず鯨肉が畜産業と競合することであるが、それだけではない。実は鯨が消費する餌(魚、えび等甲殻類、たこなど軟体動物、プランクトン)の消費量は、日本鯨類研究所の調査によれば、年間2.8億トンから5億トンに達し、その量は世界中の漁獲量9000万トンの3倍から6倍に達する。つまり反捕鯨活動によって世界の漁獲高が制限されるのである。もちろん長期的には生態系として鯨の増加はバランスするだろうが短期的には(といっても数10年のスパン)では、食肉輸出の後押しになっただろう。

実際、現在の主だった反捕鯨国を挙げてみると、アメリカ、ヨーロッパの殆どの国(イギリス・フランスなど)、南米(ブラジル、アルゼンチンなど)、ニュージーランド、オーストラリアなど食肉輸出国が大半を占めている。
畜産業界が反捕鯨の反対の黒幕であるという見方は、決して的外れとはいえないように思う。




北村浩司

『東京裁判と、日本人の思考停止』 【つづき】

■以下引用_________________________

Aobadai Life 2010年08月15日(日)

『東京裁判と、日本人の思考停止』

さて、つまり、ある段階から、日本は、植民地統治や、外交、さらに軍事戦略においても、過剰に自己を過大評価するという、過ちをおかして、リスクを十分に検証せぬまま、バクチのような戦略をとりつづけるようになる。
それは、上記のような植民地統治もそうだが、戦略的に検証も十分にせずに、日独伊軍事同盟を結んで、アメリカ、イギリスを敵にまわしてしまったことや、いざ戦争をはじめても、インパール作戦のような無謀な戦闘に、貴重な兵力を投入している件からも明らかだろう。

対する連合国側が、チャーチル、ルースベルト、スターリンなど、憎々しいほどに老獪な政治家たちが、軍部を手なづけながら、外交でもしたたかに勝利をおさめていくこととは、対照的でさえある。

              《中略》

さて、このようにブログをつらつらと書いてきても、15年戦争当時の日本は、日露戦争当時の日本よりもむしろ、現代の日本に似ているのではないかと思うのだが、結局、その理由は何かというと、やはり、東京裁判をもって、戦勝国の側で太平洋戦争を総括し、日本人自身が考えることを「思考停止」してしまったからであったのではないかと思うのだ。
つまり、戦前から戦後にかけて、日本人の手で、戦争を総括することができていないから、本質的には、負の構造を引きずったまま変われていない、ことになる。

東京裁判では当然、統治する側のアメリカ(GHQ)にとって、都合のいいところだけが切り出され、都合の悪いところは隠蔽をされる。
また、都合のいい人間が無罪となり、都合の悪い人間は処刑される。
しかし日本人は、例によって、戦勝国アメリカ(権力と同時に、権威を持つ)が決めてしまったことを、「思考停止」して、そのまま、ずるずると受け入れしまい、例によって、記者クラブで統制されたマスコミの偏向報道のもとに、アメリカが塗り替えた戦争史観をそのまま受け入れることになってしまったわけだ。

だが、ここにきて明らかになっていることだが、CIA文書で明らかになった、アメリカのエージェントとなっている岸信介、児玉誉士夫、正力松太郎、それからかなりグレーである緒方竹虎、笹川良一。
これらの主要人物は、当初、A級戦犯指定されながら、突如として、許されるわけだ。
普通に考えれば、岸信介なんて、東条内閣の商工大臣である前に、満州国の統治を「弐キ参スケ」の一人として主導して、さらには、官僚時代には、「新官僚」として、国家総動員法を、主導した人物でもある。A級戦犯中のA級戦犯である。

そんな人物が、アメリカの後押しを受けて、首相に就任し、それで、アメリカの属国統治を決定づける安保改定を、国民の猛反発をさえぎって、強引に推し進めてしまうわけだから。その後も、清和会の重鎮として、日本政治の黒幕に君臨するが。
ある意味、二重で国家を裏切ったともいえる。

岸は岸なりに、国家を考えていたというが、極めて独善的であると思う。
一方で、「落日燃ゆ」の主人公となった広田弘毅のような人物も、A級戦犯にはいる。

彼が、首相在任中に、軍部大臣現役武官制度を、軍部の圧力に抗しきれず、認めてしまったのは事実だが、しかし、それをもって、彼を戦犯とするのはあまりに乱暴すぎた。
広田の政治家や、官僚としてのキャリアのほとんどは、「幣原外交」の担い手として、協調外交の実現につとめ、また、軍部からの不当な要望も無力化することに尽力し、中国との和平にも、努力した人物である。
A級戦犯と一括りにされるが、彼のような、本来、和平努力につとめた人物も、東京裁判の結果、処刑されているのである。

結局、私たち日本人は、この戦争を通じて、300万人もの人命を失いながら、また、アジアでは中国、インドネシアを中心に、1,500万人を超える人命を奪っておきながら、日本人自身が、十分に、その検証を行ってきたいのではないかと考える。

靖国神社には、A級戦犯が祭られているから、参拝の是非がどうこうと、あるが、しかし、そもそもそのA級戦犯の定義自体が正しいのか。
安易に、われわれは中国、韓国などアジア諸国への「お詫び」がどうこういうが、そもそも、いったい何が「お詫び」する点だったのかを検証できているのか、そして、反省をきちんとできているのか。

また、アメリカによる原爆投下で30万人近い人がなくなっているが、この必要がなかった虐殺に対して、アメリカに戦後、きちんと抗議ができているのか。そして、世界に核兵器の恐ろしさを伝える努力を政府はしてきたのか。

また、戦後も長らく、犠牲になった沖縄について。
われわれは、いったい沖縄が一身で引き受けてしまったその苦労を、どこまで理解をしているのか。そのうえで、基地問題と、安全保障を議論することができているのか。

結局、いまだに日本人は、「思考停止」をしたまま、あの戦争も、悲劇のドラマとして、自分の涙腺の快感を満たす道具にさえ使って、本当に、戦争から、学ぶべき、反省や、検証ができていないのではないかと思う。

ここで私がいっている反省や、検証というのは、単に、アジア諸国や、戦争被害者に、お詫びをするべきだとか、そういう議論をいいたいのではない。
日本人自身が、戦略性のなさや、外交力のなさ、マスコミに踊らされる体質、マスコミそのものの既得権益としての実態、官僚主義とは何なのか、検察や裁判は戦後、民主化されたのか、われわれの集団無責任体質、それから暴走癖。
こうしたことについて、きちんと、いまだに検証も、議論も、反省もできていないのではないか。
東京裁判をもって、思考停止になってしまったのではないか、そのことを、きちんと考えなければいけないと思うのだ。
こういう反省や、検証ができないままでいるから、戦後、65年たっても、いまだにアメリカの間接統治を甘んじて受け入れているのだと思う。

_____________________________引用以上






火中の栗

『東京裁判と、日本人の思考停止』

全世界の中で奇跡的に本源性を保っている日本人。
反面、単一民族ゆえの欠点も併せ持つ。
我々は双方に眼をむけ、アジアの同朋との新たな関係を築き、今後の方向性を探ってゆく必要があることを、この記事を読んで理解することができた。

■以下引用_________________________

Aobadai Life 2010年08月15日(日)

『東京裁判と、日本人の思考停止』

              《前略》

それは考えれば、考えるほど、「現代の日本」というのは、太平洋戦争に凝縮をされていて、ここに日本人の本質というものが、良くも悪くも現れているからだと思うからだ。

しかし、やはり、その根本的な原因は、日本人の、「集団暴走」癖と、政治家の無力さと、国民の「思考停止」と、といったところであろうか。

そして、「現代の日本」も、無謀な戦争に突き進んだ当時と比較して、驚くほど、なにも変わっていないことに、唖然とする。

日本人は、ほぼ単一民族の国で、言語は一つで、宗教対立もない。
それで狭い国土に、1億人もの人口を抱えるのだから、世界でも奇跡的な存在の国であるといえる。

だから、一つの「風潮」があれば、そこにいっきに流れやすく、もちろんそれは、明治時代の殖産興業や、戦後復興のように、集団で大きなパワーを発揮することもあれば、一方で、日中戦争の泥沼化や、戦後のアメリカによる間接統治を受け入れてきたように、そこに疑問を呈することも許されない空気が生まれ、「そのうち、誰かが、なんとかするだろう」と、集団ゆえの、無責任体質が生まれてしまう。


とくに厄介なのは、その風潮が、なんらかの権威によって、絶対的に正当化される時である。

戦前は、その権威付けに利用されたのが天皇の存在であり、戦後は、「国際的には」「アメリカでは」といった海外の時流だろう。

そこを正当化する役割を担うのはマスコミである。
マスコミは、戦前から、数社に限られ、しかも当時も、記者クラブ(大本営発表)と、陸軍機密費などで、コントロールされていたわけであるが、結局、この構造は、今もまったく変わりないわけである。

コイズミ改革で、「官から民へ」と言いながら、実際は、アメリカや、財務官僚、経済界を利する政策をとって、むしろ国の借金はさらに250兆円膨らませていたとしても、国民は、個別の各論まで踏み込んで考えることはしない。

国の借金が危ないから、消費税を10%にあげます、といったら、普通はなぜそんなに借金が膨らんだのか、この20年、消費税増税や、社会福祉の切捨てや、サラリーマン増税などで、さんざん国民も生活を犠牲にして協力してきたのに、いったい、なんでまだ、増税をされる必要があるのか。

なぜ官僚や、政治家は誰も責任をとらないのか。

こういう疑問を、普通は考えるべきであるかと思うか、なぜか、日本人は国政になると、「思考停止」してしまうのである。

結局、戦前も、戦後もやっていることは、同じことの繰り返しなのだ。

ただ、今の日本は、少子高齢化社会が進んだためか、未来のことを議論するパワーがあまりなく、これからの衰退をいくにして、食い止めるか、と、議論がそもそも「老人化」してしまっている。

それでいて、マスコミがつくっては蹴落とす、バッシング対象の政治家や、芸能人に、国民がくいついて、一緒にバッシングをするという情けなさである。

なんせ、未来についての前向きな議論がない。
この点は、1930年代から40年代の当時と、現代との大きな違いであるかと思う。

              《続く》




火中の栗

ポール・クルーグマン 「明かりの消えるアメリカ」

経済学者のポール・クルーグマンが衰退するアメリカ経済の行く末について描いたニューヨークタイムスのコラムを翻訳しているブログがあったので紹介する。

無駄遣いをやめろとヒステリックに騒ぎ立てる経済右派のせいで、過去30年間、国の基盤-港湾、教育、道路に全く投資をしてこなかったツケが、景気後退局面で深刻になっている、という指摘。

かんがみて、日本でも民主党の仕分け作業とやらが脚光を浴びているが、何でもかんでも切り捨てて縮んでいくだけでよいのか、という気がする。

----------------------引用開始-----------------------------

クルーグマン「明かりの消えるアメリカ」(2010-08-08) 道草

明かりの消えるアメリカ

アメリカ中で明かりが消えていっている――文字どおりに.『コロラド・スプリングズ』のヘッドラインには,街灯の3分の1を消して節約にはげむ試みが紹介された.フィラデルフィアからフレズノまで,全米で同じことが行われたり検討されている.

一方で,エリー運河から州連絡高速道路システムまで,かつて先見の明ある輸送機関への投資で世界を驚嘆させたこの国は,いまでは道路をつぶしているありさまだ:多くの州で,地方政府は維持できなくなった舗装道路を砂利道に戻していってる.

そして,かつて教育を重んじた国が――すべての児童に基本教育を与えた最初の国が――いまや教育を切り詰めている.教師たちは解雇され,各種プログラムは取り消されていっている.ハワイでは,学年度そのものが劇的に短縮されつつある.しかも,あらゆる徴候は今後のさらなる削減を示している.

「他にどうしようもないんだ」と聞かされる.基本的な政府機能――過去何世代にもわたって提供されてきた基礎サービス――の費用はもうまかなえないんだ,とね.たしかに,景気後退で傷手を受けた州・地方政府が金欠なのは事実だ.でも,政治家が少なくともいくばくかの増税を検討する気にさえなれば,そう大した金欠ってわけでもない.

それに,インフレから守られた長期国債をほんの1.04%の低利で売れる連邦政府は,ちっとも金穴なんかじゃない.連邦政府は地方政府に援助を提供してぼくらの子どもたちとインフラの未来を守ることができるし,そうすべきだ.

ところがワシントンはほんの申し訳程度の助けしか出してない.それも,しぶしぶにだ.赤字削減を優先しなくちゃならん,と共和党員や「中道」民主党員は言う.ところがその二の句を継いで言い放つ言葉ときたら「富裕層減税は維持すべし」だ.この先10年間にわたって7000億ドルの予算コストでね.

実質的に,われらが政治階級の大多数は,優先順位をはっきりさせてるわけだ:アメリカの上位2%ほどの富裕層にクリントン政権の好況時に支払っていた税率にもどすのを頼むか,それとも国の基盤が崩壊するにまかせるか(道路なら文字どおりの「崩壊」だし教育なら比喩的な意味ので「崩壊」ですな),この2択をつきつけられた彼らは後者を選んでいる.

これは,短期でも長期でも破滅的な選択だ.

短期では,州・地方での削減は経済の脚を大いに引っ張り,とてつもない高失業率を永続化してしまう.

オバマ大統領のもとで浪費的なまでに政府支出がなされてるとかわめく声を聞くときには,州・地方政府のことに留意しなきゃいけない.そりゃまあ,みんなが思うほどでないにせよ,連邦政府はたしかに支出を増やしてる.でも,州・地方政府は支出を削減しているんだよ.両方を足し合わせると,実は大規模な支出増加は失業手当みたいなセーフティネット・プログラムでなされているだけ.これは不況が深刻なせいでコストが急増したから増えてるんだ.

つまり,刺激策は失敗したとさんざん吹聴されてるけど,政府支出全体をみてみれば,刺激策なんてほとんど打たれてないのがわかるんだよ.州・地方政府の削減がつづく一方で連邦政府の支出が尻すぼみになっているいま,支出増加から反転しつつある.

でも,富裕層減税をつづけるのだって財政刺激の一種にはちがいないんでしょー? いや,それはないって.教員の職を守れば,まちがいなく雇用援助になる.そうじゃなく億万長者にもっとお金をあげたってそのお金の大半は死に金になるのがオチだ.

じゃあ,経済の未来はどうなんだろう? 経済成長に関するあらゆる知識は,教育水準の高い人口と高品質インフラが決定的に重要だと告げている.いま台頭しつつある国々は,道路,港湾,そして学校の改良に猛烈に力を注いでいる.ところがアメリカではその逆をやってる.

どうしてこうなった? 反政府のレトリックを30年間もつづけた論理的帰結ってもんだね.なにかっていうと,課税で集まったお金はかならず無駄金で公共部門はなにもちゃんとできないと多くの有権者に信じさせてきたレトリックのことだ.

反政府キャンペーンはいつも決まって無駄遣いと詐欺への反対という体裁をとってきた.キャデラックを転がす「福祉の女王」宛ての小切手だの,むだに書類ばかりつくってる役人の群れだの,そういうのに反対するかたちをとってきた.でも,もちろんこういうのは神話だ.右派が主張するほどの無駄や詐欺なんて控えめにみてもなかった.キャンペーンが功を奏したいまになって,ほんとうは何が攻撃対象だったのかぼくらは目にしている:すごい富裕層以外の誰もにとって必要なサービス,公衆全体のための街灯やほどほどの学校教育みたいな政府が提供しなきゃ誰もやらないサービスが攻撃対象だったんだ.

この長年にわたる反政府キャンペーンでもたらされた結果,それはぼくらが破滅的なまでに道を間違えたってことだ.いまやアメリカは明かりのない暗い砂利道で立ち往生している.

----------引用終わり-----------






渡辺卓郎

2つの世界の断絶と接点

> 一部の支配階級及び特権階級と、その他大勢(一般庶民)とで作られた共認域が、全く別の共認内容によって統合されているという仮設が成立するのではないか

手先である日本の特権階級を含め、金貸しが頂点に立って支配する近代資本主義社会が“実体経済”と“マネー経済”に分かれた辺りから、世界は、全く別の共認内容によって成立する2つの共認世界に分断し始めたのかも知れない。

例えば、今や膨れ上がった賭博場と化したマネー経済の規模は、実体経済の規模を遥かに凌駕し、世界金融危機によって生じた損失は、何“京”円というオーダーに上ると言われる。このような想像を絶する損失が何を意味するのか大衆には全く実感できず、そこに意識上の断絶が生まれる。

それだけではなく、これだけの損失は、言い換えれば、大衆生活から奪い取って何とかなるような規模ではもはや無い。従って、この穴を埋めるために実体経済に損失を転化し、大衆生活を破壊することは、当の金貸したちにとっても愚行以外の何物でもない。損失の殆んどは実体経済とは切り離された“彼らの世界”で処理するしかなくなっているのではないか。

しかし、“彼らの世界”が大衆である“我々の世界”と全く無縁であるわけでもなく、現に日本でも米国でも失業者は確実に上昇していっている。だとすると、この2つの世界の接点はどこにあり、どの程度接しているのか?これを見極めることが今後の課題になってくるのではないだろうか。





田中素

「生き残るための麻薬的バーゲン商品」これが世論調査!

永田町異聞さんにメディアの世論調査について興味深い記事があるので紹介させていただきます。

物神化しメディアの自家中毒を誘発した世論調査

リンク

以下引用・・・・・・

テーマ:政治
世論調査はいったい何を調べているのだろうか。

むろん、世論を調べているということになる。では、世論とは何か。辞書にはこう書いてある。

「社会的問題・政治的争点や政策などについての人々の意見・態度を把握するための統計的な調査」

仕方がない、この説明にそって考えよう。

「社会的問題・政治的争点や政策」。「人々」は何によってこれを知るのかというと、言うまでもなくメディアであろう。

メディアは当然のことながら、社会、政治、政策のすべてを書いたり、放送したりすることはないし、物理的にもできない。

何かを主観的に切り取り、情報、あるいは評論という商品として、それを受け取る「人々」に提示するのが関の山である。

メディアの記者たちは「人々」の関心を惹きそうな物事を、例えばさまざまな利害のからむ政治というフィールドでも、瞬時のうちに探し出す訓練を受けている。

「取材」の前に、「狙い」があり、記者は「狙い」にそった発言や行動に目を向ける。それによって、締め切りまでの短時間のうちに、記号的なフレーズを多用して単純化し、「人々」の頭にすーっと溶け込むような情報商品につくり変えることができる。

その技術は、記者クラブという伝統的ギルド組織のなかで、メディア各社とも共通化しており、かくして画一的なニュースが巷にあふれる。

なぜかそのような情報が事実そのものであることを前提にテレビ番組がつくられ、有力キャスターの番組支配のもとにある評論家、コメンテーターがお追従して、肉や色をつけて強調することで、いったん「人々」の頭に入った記号的情報、論評が一時的に定着する。

その一時定着した観念が、辞書に言う「人々の意見・態度」と無関係であるとはいえないだろう。

電話による、いささか恣意的に構成された質問群によって、「人々」の頭に一時的に刷り込まれた観念を、「意見・態度」として引っ張り出すことくらい、世論調査にとっては朝飯前のことである。

つまり、タテマエはともかく、世論調査は実質的に、メディアの横並び、画一報道による情報シャワーが人の頭脳に与える影響を調べているのであり、いってみれば「社会心理学」「社会病理学」の範疇に属するものとさえいえよう。

以上は、筆者の独断と偏見かもしれないが、あまりにもマスメディアが世論調査を多用するために、このところ、硬派の雑誌媒体を中心に批判的な記事が目立っているのも事実である。そのいくつかを紹介してみたい。

中央公論9月号で、東大教授、御厨貴氏は「物神化された支持率」と題して、次のように書いている。

「日本の政治を危うくしている要因としては、メディアが主導する『支持率決定論』も大きい。支持率が下がっているときにどれだけ持ちこたえて上向きにするか、という場面こそが総理大臣の腕の見せどころなのに、逆に数字に一喜一憂している」

「今やどのメディアも支持率をのべつまくなしに調査している。私が出演している政治討論番組でも『庶民には一番わかりやすい』と支持率を示したフリップを毎回必ず出すことになっている。そこで「支持率が急落していますが菅政権は・・・」と、あたかも退陣期待の雰囲気を醸し出していく」

「知人の政治部記者も『確かに異常だ』と認めた上で、『けれども他社もやっているから止められない』と断言するのだ・・・確かに、支持率フリップを出した瞬間に視聴率の数字が上向く・・・結局、支持率調査を待ち望む国民もまた、振り回されている・・・数字の上げ下げを見て・・・ある種のギャンブルを楽しんでいる感覚なのだ」

月刊誌「選択」8月号には「マスコミ世論調査の大罪」と題する記事がある。

ここでは、大手メディアが理性を失ったかのように世論調査を繰り返している理由を、大手紙の政治部デスクがこう解説している。

「一つは世論調査による紙面づくりが恒常化してしまい自家中毒に陥っていること」

つまり、新聞もテレビも、世間の関心が高い世論調査という商品をバーゲンセールのように売り続けていかなければ、会社の経営がもたない状況に陥っているということであろう。

そしてもう一つ、実に忌まわしい理由が存在するという。

「メディア側が調査結果を政界に垂れ流すためだ。各党とも選対本部は落選しそうな人の元へ閣僚や党首クラスを投入してテコ入れするが、その遊説計画に世論調査は欠かせない。党幹部はデータをこっそりもらって遊説計画を組み替え、半面、新聞・テレビは党幹部に恩を売って相手に食い込もうとしているわけだ」

政治家にとって、報道機関との個人的な関係を通じて情勢調査をいち早く入手できることは「実力」のバロメーターと見做されている、とも指摘し、メディアと政治家の「共犯関係」を強調している。

物神であり、悪徳でもあり、メディアにとっては生き残るための麻薬的バーゲン商品でもあるこの不可思議な数字の詰め合わせ。「世論調査」「支持率調査」なるものを待ち望んでも、まさにギャンブル的上下動を面白がるくらいの意味しかないだろう。

・・・・・引用終わり。





阿留毘