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日本の「食」もアメリカに支配されている

『アメリカ小麦戦略』(食生活史研究家の鈴木猛夫著)より抜粋し作成しました。
■昭和20年代(1945年~)---アメリカで農産物の過剰生産、過剰在庫
 戦後日本人の食生活が急速に欧米化した裏にはアメリカの存在があった。アメリカは昭和20年代、小麦、大豆等の過剰生産、過剰在庫が深刻化し、その余剰農産物のはけ口として標的にされたのが日本である。
■昭和29年(1954年)---余剰農産物処理法(PL480)成立。
 昭和29年、アメリカは余剰農産物処理法 (PL480)を成立させ、日本に対する農産物輸出作戦に官民挙げて本格的に乗り出した。当時の日本側栄養関係者も欧米流の栄養学、食生活の普及、定着が必要だとしてパン、畜産物、油脂類などの普及を意図した「栄養改善運動」に取り組み、日米共同の食生活改善運動が推進された。
■アメリカ小麦戦略
 活動資金の多くがアメリカ側から提供されたが、そのことは当時も今もタブーとして長く伏されてきた。 これを一般に「アメリカ小麦戦略」という。
■昭和30~40年代(1955~1975年)---フライパン運動、学校給食など
 パンの原料である強力小麦は日本では産出できず、日本人がパン食を始めれば永久的に日本はアメリカのお得意になる。戦前まで少なかった油料理を普及させるためにフライパン運動を展開し、油の必要性を強調する栄養指導が熱心に行なわれた。トウモロコシ、大豆は家畜のエサであると同時に油の原料でもある。余剰農産物処理の観点から欠かせない重要な戦略であった。学校給食ではパンとミルクが無償援助され、子供のうちから洋食嗜好の下地を作ることにも成功した。
■昭和52年(1977年)マクガバンレポート(アメリカは気が付いた)
 アメリカ合衆国政府は1977年に 『 ガン、心臓病、脳卒中などの現代病は食生活の間違いで起こる"食源病"である』(マクガバンレポート)と解明して、欧米型の食生活の改善を促した。欧米型とは、脂肪と動物性たん白質、砂糖の過剰摂取。ビタミン・ミネラルや食物繊維の減少のこと。
■食料自給率たった四割
 「アメリカ小麦戦略」の成功で、小麦、大豆、トウモロコシの九割以上がアメリカをはじめとする輸入品。食糧自給率は四割以下で先進国中最低。
■問題は命にかかわる
 ここまでは、食生活が変わった~。美味しい食べ物のバリエーションが拡がった~。程度の認識でいいかもしれない。
しかし、問題は・・・別にある。
■子供が糖尿病にかかり、アレルギー疾患が蔓延している
 問題は、欧米型食生活にともなって病気もまた欧米型となり、日本人の健康状態が非常に懸念される状況になってきたことである。戦前まで少なかったガン、糖尿病、動脈硬化、心臓病、痛風などのいわゆる欧米型疾患は子供にまで広がり、アトピー、花粉症、喘息などのアレルギー疾患も増加の一途である。糖尿病は予備軍を含めて1620万人にのぼり糖尿病に子供が苦しむという前代未聞の事態になってしまった。痛風患者も予備軍を含めて560万人とも言われる。
-------------------------(以上)-----------------------------
□早く、軌道修正すべき!
 今こそ伝統的な日本の良さを再認識すべき時ではないだろうか。食物が急激に変わっても日本人の体が簡単に変わるわけではなく、欧米型の病気やアレルギー疾患が増加するのは当然である。「アメリカ小麦戦略」によって日本の「食」が植民地化され、日本人の健康が奪われているのだ。
この事は「食」に限らず日本人の「意識=社会」もそうである。
心と意識の不整合によって起こる「心の病」も欧米によって植え付けられた「個人主義」の蔓延によって起こっている。
現在の日本人でも縄文体質(共同体)を受け継いでいます、潜在思念に則った行動をすればいいのです。このような事実を知らない人が多いが、気づいた人から警鐘を鳴らし続けなければならない。そうでないと日本は何時までもアメリカに支配されたままである。

向芳孝
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日本の政治家も、絶えず監視され報告されているようだ

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マハティール 『感情論』 批判

現在の民族収束は、旧観念支配を吹き飛ばす実現基盤となりますが、「感情論」⇒ファシズムに、足元をすくわれる危険も孕みます。

下記は、欧米諸国に対決姿勢をとり続ける、元マレーシア首相マハティールによる、身内イスラム教徒の「感情論」に対する自己批判の言葉です。ユダヤ人や欧米人に対して、感情に支配された「反撃」でなく、徹底的に「考える」ことで対抗すべしと説いています。
 
(以下は引用)================
>マハティールの最近の発言で目を引くのは、身内のイスラム教徒に対する厳しい自己批判である。今年1月には、イスラム教の最高学府であるカイロのアズハル大学での講演で、イスラム教徒の自爆テロに関して「怒りを発散し、復讐するためだけにやっている。イスラム教徒を敵視する勢力に攻撃拡大の口実を与えており、害悪である」と酷評した。

>「イスラム教徒は、世界の人口の3分の1を占める13億人もいるのに、迫害をはねのける力がないと勝手にあきらめ、テロという無意味な報復に走っている」」「今のイスラム教徒がダメなのは、コーランやスンナ(預言者ムハンマドが残した言葉)の本質を理解せず、どういう格好をしろとか、どういう行為をしてはいけないとか、表面的なことにばかり執着しているからだ」・・・。

>「ヨーロッパ人は(ホロコーストで)1200万人のユダヤ人のうち600万人を殺したが、ユダヤ人はそれを乗り越え、今や世界を間接支配している。彼らは(アメリカ兵など)他の人々が自分たちのために死を賭して戦ってくれる仕掛けを作っている」と述べた。

>マハティールは演説の中で「ユダヤ人は【考える】人々である。彼らは(欧州で)2000年間続いた差別を、【反撃する】ということによってではなく【考える】ということで乗り越えてきた。彼らは『社会主義』『人権』『民主主義』などの概念を考え出し、彼らを迫害することが悪いこととして認識されるような平等な社会を作り出そうとした。そんな人々と対決しているのだから、われわれも武力だけでなく、頭を使って対抗しなければならない」と述べた。<

山田真寛

エシュロンとNSAとの関係露呈の歴史

『エシュロンとNSA』という記事を読むと、自民党内派閥を持たない「コイズミ」が、
◆なぜ、選挙戦で大勝できたのか?
◆なぜ、トヨタはコイズミを担いだのか?
◆なぜ、アメリカの(市場の)意向にべったりなのか?
などが鮮明になってきそうだ。
・  ┌──────────┐ ┌───────┐
・  │アメリカの市場覇権派│←│エシュロン情報│
・  └──────────┘ └───────┘
市場開放etc. ↑ ↓ 覇権闘争情報の入手etc.
・  ┌──────────┐
・  │政権獲得・米追従施策│
・  └──────────┘
・       ↓ マスコミ統制・共謀罪適用etc.
・    ┌──────┐
・    │ 共認支配 │
・    └──────┘

==========【以下、記事より抜粋】===========
●1947年
アメリカ合衆国政府が自国民にスパイ活動を行うのは違法だ。イギリスも同じ。しかしUKUSA (米英間の合意) により、イギリスはアメリカでスパイ活動を、またアメリカはイギリスでスパイ活動を行い、両国はデータを交換することができる。
UKUSAの結果アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国が署名し、エシュロンが発足。

●冷戦時代
エシュロンの主な目的は旧ソ連を監視することだった。

●1960年9月
同性愛カップル、バーノン・F・ミッチェルとウィリアム・H・マーティンは旧ソ連へ亡命した。亡命後の記者会見で、両者は、暗号解読における英米の連携を明らかにし、NSAが常時40カ国以上に対し盗聴作業を行っていることを暴露した。

●1963年
NSAの中東部門調査分析要員ビクター・N・ハミルトンが赤いカーテンの向こうに渡り、「イズベスチア」記者に対し、NSAが外交通信のほか国連の通信をも傍受、解読作業を行っていることを克明に述べた。

●1968年1月23日
アメリカ海軍保安群 (NSG)の巡視船プエブロ (Pueblo)号が、北朝鮮により日本海海上で拿捕される事件をきっかけに、アジアでもNSAの存在が知られるようになる。

●1981年
ニュージーランド政府はアメリカのヤキマ基地と連携を密にし、日本の外交通信を傍受するよう目標を定めた。ヤキマ基地で傍受された通信は、翻訳と解読のためニュージーランドのウェリントンに送信された。のち1989年にニュージーランドのワイホパイ島基地が設立されると、日本関係の通信の傍受はここが一手に引き受けることになり、現在に至っている。

●旧ソ連の崩壊(1991年8月19日)以降
エシュロンは「テロリズム」と戦うためと称して、ひきつづき数十億ドルの出費をつづけた。
現代におけるエシュロンの問題は、エシュロンによって得られた情報が、国防や大規模なテロに対する対策など、盗聴・諜報システムの本来の目的に限定して使われているわけではなく、アメリカ、イギリスなどの国家の経済戦において有効活用されているのではないか、という点である。

●1997年12月
イギリスのロンドン・テレグラフ紙に掲載されたサイモン・デイビスの「わたしたちのようなスパイ」という記事は、欧州共同体がエシュロンを確認したことを公式に報告し、そのシステムについて触れている。
デイビスの記事によれば、エシュロンは、UKUSAによる情報交換システムの一部である。しかし冷戦中に開発された、ほかの多くの電子スパイシステムとは異なり、エシュロンはほとんどあらゆる国の政府、組織、企業を監視するという目的、つまり非軍事目的として開発された。

●1999年11月2日
イギリスBBCは、「オーストラリア情報保安局(GIS)監察官ビル・ベリックは、NSAを中心とする世界的な通信傍受ネットワークのエシュロンは実在し、また彼自身が勤務していたオーストラリア防衛通信理事会(DSD・Defence Signal Directorate)もこの盗聴網の一部であることを確認した」と報道した。

●1999年12月13日
「ニューズウィーク」誌は、アメリカ連邦捜査局(FBI)が、アメリカ国内のテロリストと犯罪者を追跡するために、NSAから先端技術のサポートを要求し、FBI支援を明文化するために、FBIとNSAの両者が「了解覚書」を作成中である、と報道した。

★世界的に有名な人物の中で、NSAに声紋の特徴を知られていない人はほとんどいないという。重要人物の音声を捕捉するやいなや、ただちに録音装置を作動させる技術を持っているといわれている。報告書の配布は大統領及び長官など、政策決定者たちなどの「センシティブな情報を閲覧する権利」を有する少数の人々に制限されている。

★NSAから情報の支援を受ける一般の企業は、NSA職員が許可した範囲内の情報だけを、産業・経済情報として活用するだけである。

★NSAこそは、まさしくアメリカの強力な情報力のバックボーンだ。アメリカの国防総省に属する二大秘密情報機関として、国防情報局(DIA)と双璧をなしているNSAは、パクス・アメリカーナを具現し、アメリカの世界支配を可能にする大黒柱的な存在なのである。

==========【抜粋 終り】==========


小圷敏文

中曽根・小泉両首相とアメリカとの関係について -金融面の具体的政策を通じて-

中曽根・小泉がアメリカとどのような関係を構築してきたのか、今回は金融面の政策に絞って調査してみました。

中曽根時代(1982~87)
1981 対米自動車輸出自主規制
1984 為替先物取引実需原則廃止
1984 日米農産物交渉合意により、日本が牛肉・オレンジの輸入拡大
1984 日米鉄鋼交渉により、日本のアメリカでの市場占有率5.8%とすることで合意
1985 中曽根首相が輸入促進のため、国民1人当り100ドルの外国製品購入を呼びかける
1985 プラザ合意により、円高ドル安が進行(バブル景気への引金)
1985 年金改正 基礎年金制度導入
1985 日本電信電話公社・日本専売公社の民営化
1986 GATT閣僚会議がウルグアイで開催され、多角的貿易交渉の開始宣言採択(ウルグアイラウンド)
1987 日本国有鉄道の民営化

小泉時代(2001~)
2003 日本道路公団の民営化
2004 年金改革関連法成立
2005 郵政の民営化

中曽根は国営から民営化の推進(電電・国鉄等)、さらには対米経済政策(内需拡大による貿易摩擦の緩和等)の遂行により、バブル経済を迎えることとなります。そしてバブルが弾けると、アメリカ(外資)に莫大な資金を吸収されています。
現在の小泉政権も中曽根と非常に近いものがあり、アメリカ支配の危機感を覚えます。

>両政権がアメリカの傀儡政権であるとの見方をすれば最も重要な共通点かも知れません。ハゲタカ国アメリカは実に巧妙に仕込みを行い実行するはずです、その目的を成就する為には短期政権ではおぼつか無いのも納得です。98737
とあるように、今後も小泉政権の継続が予想され、その間に米国に操られた様々な政策が遂行されることでしょう。このことから、日本経済は再びバブル化していく可能性が高いと思われます。

(参考文献)テーマで読む現代史1945~2005 森田真史著 朝日新聞社出版

船長

若者の右傾化もアメリカの意図通り

そもそも、小泉総理大臣の「靖国参拝」はアメリカの意図を十分に汲み取っている小泉の行為。その「靖国問題」に対する中国・韓国の反発は、アメリカの意図通りと読める。

反韓・反中に至る「右傾化」は、アメリカが仕組んでいる事ではないのか?

これまたアメリカの意図を充分に把握している安部晋三が、憲法九条改正→自衛隊増強→核兵器保持の可能性あり、との発言を繰り返すのは、アメリカの意図と十二分に合致するはず。(自衛隊を増強させて、核兵器を持たせたいのは、”アメリカ”ではないのか?)

また、面白い事に「右傾化している」と言われるネット上の議論のほとんどが、反韓・反中止まりで、反アメリカにはなかなかならない。

 
内藤琢

米教科書における凄まじい《言葉狩り》の実態 から見る教育基本法の改正?

>身体障害、職業、それに性別が関係している職業に関する言葉の言い換えと《言葉狩り》に関しては相当ウンザリしているが、《ポリティカル・コレクトネス》の本場アメリカでの《言葉狩り》は信じられないほど凄まじいみたいだ。

宗教とフェミニズムと人種が絡んでくるので、日本よりも遥かに錯綜した状況になってしまうのだ。特にヒドイのが学校の教科書。ありとあらゆる《差別》《偏向》がチェックされ、実におかしなことになっている。ちょっと次の文章を読んでいただきたい。

1)目の不自由な男が、恐るべき障害を乗り越えて、マッキンレー山の登頂に成功した。
2)有史以前には、地球上に恐竜がうろついていた。
3)あるアジア系米国人の少女が、祖父とチェッカーをして、ピザを持っていった。彼女の母親は教授である。

これみんな、《差別的表現》と《偏向》に満ちていて、とても教育に使える代物ではないんだそうだ。
まず1)では、「恐るべき」というのが許せないそうだ。目が見えないことの不利を強調しあたかも身体障害であるかのように扱っている。目が見えないのは、髪の色などと同じ《人間の個性》なのです。それに登山。これは犯罪的な《地域的偏向》だ。砂漠や都市に住んでいる読者はどうする?

2)恐竜?ダーウィンの進化論を受け入れるなんて、キリスト教の観点から絶対に許せません!

3)老人がチェッカーをしている描写は年齢差別にあたる。老人はもっと生き生きとした活動をしてなければならない。ピザはジャンクフード!学校でそれを食べるところを表現しちゃいけない。母親が教授?この表現はアジア系アメリカ人が《モデル・マイノリティ》だという神話を固定化するとんでもない人種差別だ……

冗談みたいだが、本当の話だ。USニューズ&ワールド・リポートの最新号で、コラムニストのジョン・レオが紹介している。拡大鏡でチリを探すように神経症的に《差別》と《偏向》を探し出し、告発し、規制するこうした動きの二大勢力は、宗教的右派と多文化・フェミニスト左派。

宗教的右派は、進化論、魔術、賭博、ヌーディティ、自殺、麻薬などの記述に敏感に反応する。一方、多文化・フェミニスト左派は、「ハックルベリー・フィンの冒険」のような御伽噺を《性差別的》と批判するのを始め、宗教、喫煙、ジャンクフード、銃、ナイフなどの描写、さらに《固定観念化行為》と呼ぶものを告発する。《固定観念化行為》というのは、黒人を運動選手として描いたり、男性が道具を使って作業したり、女性が料理をしたり子供の世話をしているところを描いたりすることだ。

教科書出版は採用されれば、何百万㌦もの利益を産むビッグ・ビジネスなので、出版社側はこうした右派・左派からのイチャモンに全面降伏して従っている。ある記述が「偏向している」と攻撃されて教科書として採用されなかったらえらいことなので、左右どちらからの非難にも耐えられる徹底的なガイドラインを作り、臆病と保身の結晶のような教科書を作っているそうだ。

ある人種・性別・年齢相のステレオタイプ化を避けようとした挙句、反対にハードな逆ステレオタイプ化とでも言うべき現象が起きている。女性が家庭にいるところを表現してはならない、メイドは黒人であってはならない、というように。

差別や偏向を正すために特定の言葉や表現を禁止しても、差別の解決には絶対にならない。かえって差別を隠蔽し内向させて、かえって複雑で手に負えないものにしてしまう。そして《差別》を食い物にして金や権力を得ようとする政治屋が繁殖する絶好の温床を提供する結果に終わる。

情報ソース
US News & World Reports : Now cut that out! より


最近日本でも、教育基本法の改正について、国会で各政党が、ケンケンがくがくと議論を行っているが、(愛?心?態度?何のことだ?)改正といいながら、実は、政治家の人気取りと保身だだけのために、実態と合わないものを作り、行われることで、社会閉塞を助長しているだけではないか?そう考えると、何のための改正か?結局、彼らは、架空の観念をこねくり回しては解釈論にばかりにこだわり、事実追求する気など無く、事実とは無縁の世界に存在しているのが問題なのだと思います。

八代至誠

操作された日本人観

たった数十年程前には、半島や大陸を勢力下に治め、アジアを征服しようとする白人国家と堂々と戦火を交えた歴史を考えれば、

>こういうことを総合して考えると、日本人が竹島問題を
>始めとして、消極的な態度でしかないのは納得できる
>かなあ、と思います。(確かに、これではイカンと思いま
>すけれど……。)

こうした認識は、何かを企図した結果生じたものであることは明らかであって、それに気づかない、或いは故意に「日本人は消極性を美徳とする」などという観念を流布しようとする意図の下に作り上げられたものであると疑わざるを得ません。

大東亜戦争後を除き、歴史上、日本は決して平和愛好主義などといった絶滅種しか持ち得ない観念に支配されたことはなく、夷狄に対しては常に厳しく対峙してきました。
しかしながら、敗戦後の占領下、米国によるWar Guilt Information Programや、マルクス主義に冒された教育の下、徹底的に洗脳操作された結果、生じたのが、日本は平和の国、とか、間違った戦争を犯した、などという観念です。

敗戦後、GHQが持ち込んだ「日本における民間検閲基本計画(Basic Plan for Civil Censorship in Japan)」と題される洗脳プログラムは、1945年に発行されたものです。つまり、これ以前に、既に、日本を侵攻・占領した後、日本を精神的に解体する作戦が実行に移されていた、と言うことです。

>まず日本を、「実効ある検閲の網の目」によって包囲
>し、その言語空間を外部の世界から完全に遮断す
>る。しかるのちに「広汎」な検閲「攻勢」によって、この
>閉された言語空間を占領権力の意のままに造り変える。
「閉された言語空間(江藤淳)」

ちなみに、WGIP下で検閲された項目は以下のようなものです。
A Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions, dated 25 November, 1946, The National Record Center, RG 331, Box No. 8568.

(1) SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判
(2) 極東軍事裁判批判
(3) SCAPが憲法を起草したことに対する批判
(4) 検閲制度への言及
(5) 合衆国に対する批判
(6) ロシアに対する批判
(7) 英国に対する批判
(8) 朝鮮人に対する批判
(9) 中国に対する批判
(10)他の連合国に対する批判
(11)連合国一般に対する批判
(12)満州における日本人取扱についての批判
(13)連合国の戦前の政策に対する批判
(14)第三次世界大戦への言及
(15)ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
(16)戦争擁護の宣伝
(17)神国日本の宣伝
(18)軍国主義の宣伝
(19)ナショナリズムの宣伝
(20)大東亜共栄圏の宣伝
(21)その他の宣伝
(22)戦争犯罪人の正当化および擁護
(23)占領軍兵士と日本女性との交渉
(24)闇市の状況
(25)占領軍軍隊に対する批判
(26)飢餓の誇張
(27)暴力と不穏の行動の扇動
(28)虚偽の報道
(29)SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
(30)解禁されていない報道の公表

ポツダム宣言が保証する言論の自由を全く無視する、このWar Guilt Information Programが収めた成功は、マルクス主義に冒された、国家転覆を謀る左派教師に引き継がれました。
彼等が跋扈した60年代~70年代に教育を受けた、現在40~50才の人間に見られる特徴な意識で、こうした輩が支配されているのが、今の日本は右傾化している、日本はもっと謝罪しなければならない、とか、近隣アジア諸国と摩擦を生じさせてはならないといった、国を売るイデオロギーです。

しかし、今や、場を乱しているのは、この国難において、未だにWGIP占領下の観念に他ならない、平和だの非戦主義だのと寝言を言っている、この世代であることを知らねばならない、と思います。

渡辺卓郎

地デジと共謀罪・人権擁護法・サイバー取締法とその報道

地デジとは、国費1800億円をかけ、テレビ、受信機購入を国民に負担させる役立たずの地上波デジタル放送の略。
許可は総務省より現放送局基準で与えられる。
ネットやCATVと熾烈な視聴者獲得競争を行う現アナログテレビ局(とその親新聞社)のネットとの互換性のない独自のシステム。彼らの政治へのごり押しで法案が成立した。
放送局のメリットは、金と情報が全てキー局に流れ込み視聴率獲得→広告費アップと合せての現局の救済となる。それと同時期の共謀罪などの法案未報道の現実は、救済してくれた小泉にマスコミが加担し、国民感情を煽る報道を自粛する取引をしたと考えられる。

少ないキー局で全ての情報発信を担い、全国あまねく同じ情報を大量かつ一方的に押し付けることができる地デジは、露出の時間に比例して自民・小泉の支持率があがることを知っていて、世論誘導と支持率アップを目論む小泉=マスコミ・その背後のアメリカの策略と一致する。
地デジ許可をちらつかせ、確信犯的報道統制が進行しているのを皆さん知っているだろうか?

近藤文人

批判ではダメ⇒目先ではダメの共認から始まる脱マスコミ派の答え探し

アメリカ支配への違和感やソフトファシズムへの違和感がネット界にひとつの流れを作りつつあるし、路上でもマスコミの問題意識そのものを問う(なぜ、こんなに騒ぐのか、何が問題なのか?)欠乏は高まりつつあると感じる。

勿論、アメリカ支配の問題も、人権ファシズムの問題もジャーナリスティックな犯人探しと反対運動に終始してしまっては何の意味もない。問題は、共認革命、認識革命というもっと深い位相にあるからである。しかし、大衆において旧観念はなんとなく捨象されている段階だから、新認識がすっきりとした答えとして届くとは限らない。(むしろ、どうする思考に傾斜し、なんで思考が封鎖されている分、本質追求を旨とし表層的妥協を許さないるいネット的思考空間は‘わかりにくい’と敬遠されがちである。勿論そこには‘わかりやすくなければ意味がない’とでもいうべきメディアの洗脳があるのだが)。果たしてマスコミに対する潜在思念的違和感を感じている層は、脱マスコミから、一体、どこへ収束していくだろうか?

まずは、メディアの行き詰まりから見てみるならば、批判の封印=批判するだけのメディアの退潮に注意が必要である。御用媒体へと堕落した大新聞が書かないスキャンダルジャーナリズムで一時代を風靡した週刊誌の凋落が止まらない。

>(週間文春の)選挙直後からのシリーズ「『小泉支配』を考える」の第3弾(10月13日号)はメディア、それも主としてテレビの主体性のなさを衝いた記事だが、その冒頭、リードにこうある。「はっきり言おう。今回の選挙戦は『週刊誌の敗北』だった。活字メディアがさかんに送り出した反小泉のメッセージは、小泉に乗っ取られてしまったテレビの前では蟷螂の斧に過ぎなかった」記事中に週刊誌の何がどう「敗北」だったのかの具体的な指摘はない。ただ、「週刊誌がマドンナのスキャンダルを報じても、態勢が大きく崩れなかったのは」うんぬんとある。 マドンナのスキャンダルとは、選挙公示直後に週刊文春が大々的に報じた佐藤ゆかり候補にからむ「不倫メール五百通」という記事であろう。文春の論法は「このような女性が衆議院議員候補とは」式の、古いモラルに訴えて「刺客」を「刺す」やり方であり、週刊誌のお家芸ともいえた。だが、今回これは不発だった。リンク「日本ジャーナリスト会議 マスコミ時評」より転載

不倫のタブーも、婚前交渉のタブーも消失した現在、一対婚のモラルに立脚したスキャンダリズムは確実に批判力を持ちえなくなりつつある。(但しセクハラやマスコミの横暴といった人権系スキャンダルは現在でも一定の批判力たりえているが)それどころか、芸能人は意識的に離婚やら婚前交渉やらの情報をリークし、自らの露出度=メディア的商品価値を挙げることに苦心しているくらいで、むしろ文春的スキャンダリズムは佐藤ゆかり議員の得票アップにすら結びついたといっていい。こうした批判するしか能がないという週刊誌の無能さ故に、販売部数は急降下を続けている。スキャンダリズム週刊誌の代表格であった週間ポストは全盛期の約90万部(1983)から大きく部数を減らし昨年は約51万部となった。また今年上半期の週刊誌全体の販売部数は前年比5.9%ダウンである。(以上、読売新聞9月21日の記事より)

批判するだけではダメ。しかし、だからこそ供給側の切迫感=答え欠乏は大きいのではないだろうか?勿論、世のジャーナリスト、マスコミ人は己の生活と権威のため、保身のためだけに焦っているだけ、という見方も妥当性がある。しかし、メディアといえども一色ではない。というか、これほどまでのマスコミに対する不信が渦巻いている中、かつ勝ち組みと負け組みの容赦なき争いが繰り広げられていく中では、独自色を模索するメディアが出てきてもおかしくない。(おそらく負組メディアこそそうした突破口を模索するのではなかろうか?)

例えば、毎日新聞は小泉圧勝の舞台裏をレポートする特集を続けているし、毎日インタラクティブで毎日新聞顧問の岩見隆夫は「政治家の目先主義が気になる。じっと未来を見据え、腰を落として、というところが乏しい。」と現状を憂いている。(以下は野田聖子の転向を受けて)
>野田は記者会見で、「法案反対という自らの政治的主張は、完敗したことを認める」と述べた。極めて難解だ。選挙区では主張が通って完勝した。しかし、自民党の圧勝で法案成立となったから完敗と言いたいのなら、それはまったくおかしい。議席差は大きく開いたが、得票数で見るかぎり、郵政賛否の民意は五分五分である。小泉純一郎首相の人気と強引な手法、さらに小選挙区制の妙味によって、勝ちすぎただけで、野田の政治的主張は確実に生きている。かりにいまは少数意見だとしても、筋を通し、将来多数意見にしてみせるという気概がなければ、政治家をやっている意味がない。目先の利害得失や気配りは排除すべきなのだ。

批判ではダメという世相に対して「目先ではダメ」が岩見に限らず、良識派ジャーナリストの合言葉になると思われる。しかし、ジャーナリストである限り、世相の表層分析に留まり、アメリカ問題であれ人権ファシズム問題であれ、問題は観念パラダイムの位相にあることへと突っ込むことができるかどうかは、疑問である。

しかし、それしかない以上、比較的良心的な庶民は比較的良識派といわれるジャーナリスト(るいネットでもよく取り上げられている森田実氏や田中宇氏)のサイトや出版物を経由しながら、またしても本質的ななんでに対する答えがないが故に、より収束不全を募らせるということになるのではなかろうか。批判ではダメ⇒目先ではダメの共認から始まる脱マスコミ派の答え探しの受け皿をどうつくって行くか。もっと積極的に働きかけていく必要があると思う。

山澤貴志

アメリカ追従って何が悪いの?

学生の頃から、アメリカが好きか嫌いかは別として「アメリカの言いなりになってて何が悪いの?」という疑問はあった。日本はアメリカの51番目の州だなんて皮肉を聞くことがあるけど、日本の自己保身に走るだけの政治家にこのまま任せとく位ならその方がマシなんじゃないか?などと思うこともある。
 ただ、ここ最近のアメリカの動向や日本の政治舞台の茶番劇をみているともうすでに日本はアメリカのものになっているんじゃないかとおもってしまう。国を動かしている当の本人たちがそれを知らないわけがないのだけど、自分達はすでに身分が保証されているからとにかく強引にでも構造改革の建前を武器にアメリカに都合の良い政策を次々と通していっている。あとは搾取されるだけされて捨てられてしまうんだろうなあ。という結末しか見えてこない。みんなも解ってる筈なんだけど、だからといって何かが出来るわけでもないし・・・と諦めてしまったいるような空気がある。

 アメリカ追従が良い、悪いではなく、このままの状態が続くとどうなってしまう。だからこうしなきゃいけないんだというキッチリとした理論構築が必要でなんとなく諦めている人々にもそれが行き渡れば世の中を動かす力になるような気がする。

岡村基之

なぜ、「トロ」志向なのか<表層潮流>

最近の子どもたちの「食べたい食べ物」…

カレーとハンバーグ、スパゲッティーは昔ながらの人気商品だが、なんと「肉」よりも「魚」が上位にくる。「肉」が最大の贅沢であった頃には考えられもしなかったことだ。
その背景として狂牛病発生から牛肉への不安感が上昇したこと、「サカナ」の歌が流行ったこと、直接的には「まわり寿司」の流行がある。おそらく、実際に各家庭で、「肉よりも魚が健康的」、「肉よりも魚が高級」といった内容が日常的に話されている結果だろう。健康志向・グルメ志向の表出とみていい。そしてその結晶が「トロ志向」だ。

マグロには「本マグロ(クロマグロ)・ミナミマグロ・メバチマグロ・キハダマグロ・ビンナガマグロ」などの種類がある。トロとはマグロが寒さを防ぐために腹や背中に蓄えている脂のことだが、天然本マグロのトロが酸味があって最高というが当然のことながらトロが取れるのはほんのわずか。一方、若者に人気のあるのが「蓄養」のミナミマグロのトロ。
<参考サイト>
リンク

30~50cmの若い天然のミナミマグロを捕まえ生簀で飼育し、イワシをふんだんに与えて脂をつけて40~80キロを超えるまで太らせる。1m以上になったマグロは現地で内臓を取り出してさばき、0℃に保ちながら日本へ空輸する。
日本人好みの「トロ」志向に合わせてミナミマグロを「蓄養」することで成功したオーストラリアのポートリンカーンでは「マグロ御殿」が立ち並んでいるそうだ。
おいしい「トロ」を食べるには、それまでに莫大な投資がある!

この脂が乗った「トロ」は、「善玉コレステロール」と宣伝されてはいるものの、どう考えても食べ過ぎれば健康を害するのは明らかであり、仮に「健康的」であったとしても、世界のマグロ消費量の過半数が日本であり、この日本のマグロ消費市場に向けて乱獲、改造が進んでいる現実を見れば、結果的には「健康・安全」という名のもとに生態系の破壊が進んでいるのも明らかだろう。
目の前の食卓に並ぶものがいかに健康的で安全であろうと、あるいは車がいかにハイブリッドな車であろうと、あるいは原発がいかに二酸化炭素を排出しないとアピールしようと、実は見かけの安全・健康実現のバックグランドには、膨大なエネルギー消費と生態系撹乱が行われている事実がある。
にも関わらず、あまりにも目先の安全・健康志向に走りすぎているのではないか。

>そこで、ある限られた対象(例えば食物)に関して、具体的な安全像を作って(安全という価値観念を作って)、そこに収束することで、その場しのぎしていると言えるのではないでしょうか。
 つまり、すっきり統合したいけど答えが見つからないということの現れが、安全欠乏だと思います。<

収束不全から適応欠乏が喚起し、適応主体が待ったなしの目先収束をする。その収束先は、みんなの評価を羅針盤に可能性を感じられるものであり、その一端として安全志向・健康志向があるのだろう。
くだらないと思うこの「トロ志向」も、大きく見れば統合不全(収束不全)に端を発していると言えなくない。その意味では、目先収束を煽っているマスコミの責任は大きい。

吉国幹雄

「気付かないこと」、「疑問を持たないこと」の恐ろしさ

>全般的な観念捨象と、支配観念への表層収束との関係は、どうなっているのか?観念捨象と云っても、潜在思念が何となく捨象しているだけで、明確に支配観念を否定した訳ではない。そうである限り、一旦観念回路に染脳された支配観念は(潜在思念が捨象しようとしても)残り続け、思考を支配し続ける。

勉強はずっと嫌いだったし、学校で教えられるもの(例えば、人権学習と男女同権とか、これは小学生の頃からずっと)って「めんどくさいな~」、「どうでもいいわ~」って思ってました。まともにモノを考えたりしたこともなく(ほとんどのことがどうでもよかった)、何か考えないといけない機会は、仕方なしにまず「やる」か「やらない」か決めて、「やる」ならとりあえず最初に思いついたことを実行してました。だから、私には思想や観念なんてないんだって思ってました。

ところが、るいネットを読んでいて「実は無意識に支配されてたんだ!」と気付き、驚きました。ほとんど頭を使っていなかったとはいえ、最終的に決断する判断軸は『価値観』だった。しかも、その価値観には根拠なんて全くなく、理路整然なんて程遠い。さらに、根拠がないってことにも気付いてなかったし、何も疑問を持ってなかった。ただ、自分の都合のいいことをしてただけだったんだ。

そう気付くと、「うわー、捨象したつもりの支配観念って、実は一番やばいんかも!」と思いました。まず、疑問を持てない(!)。だから、自分が支配されてるとも気付かない(!!)。考えないことが問題とさえも思わない(!!!)。

まずは、この現実を捉えること(気付くこと)。
そして、
>この状態から脱却する為には、支配観念を明確に否定し、本源収束を実現する新しい実現観念を構築することが不可欠である。

一人じゃ無理だから、気付いたら人にも教えて、気付いてもらう。
そして、みんなで新しい実現観念を考えていく。
この『不可能に近い超難課題』を突破しないことには、社会を変えることはできない!

山田純子

ばかにされないようにしたい

私も対中国外交に関しては疑問を抱いています。

>中国脅威論が、軍事産業や米国の思惑に乗っている、というのは事実の可能性は少なくありませんが、一方で、中国は脅威ではない、同じアジアの仲間なのだ、と無批判に肯定的に捉え、中国に対する警戒を低下させても、日本の利益になることなど、ほとんど無いのではないでしょうか。

 これには全く同感です。中国は日本を批判するくせにODAで多額の金(確か2001年あたりでは日本のODA援助国ナンバー1)をもらっているにも関わらず、平気で日本を批判する。「自国を侵略した国」から恵んでもらって恥ずかしくないのか! といいたい。(しかし、ある面、非常に合理的だともいえる。)なめきってますね、本当に。

 また、アメリカに関しても、

>一方、米国が日本を守ってくれるはず、という願望も、もちろん、今後破られる可能性はあります。しかしながら、今まで日本がのうのうと平和を謳歌し、経済活動に専念できてきた一端を確実に担ってきたのも事実です。

 おっしゃる通り、「今まで日本がのうのうと平和を謳歌し、経済活動に専念できてきた一端を確実に担ってきた」理由がここにあるわけです。こんな国、他にありますか? ですから、「安保反対」とだけ叫ぶのは、全くおかしな話です。わが国も徴兵令でも出して、軍備増強すれば別ですが……。また、アメリカも何の利益もなしに、日本の防衛に協力するはずがありません。対北朝鮮・対中国・対中東を視野に入れ、そこへの基点としての役割も大きいかと思われます。

 要するに、外交というものは自国の利益のために必死でやっているわけであって、そこに感情的なものが入る余地はないのです。私たち国民レベルでは、そこを勘違いしないようにし、もっと厳しく客観的な目で日本の外交を見ていく必要があると思います。

匿名希望

企業も家庭も共同体へと進んでいく

>思ったほど企業の共同体化は進んでいかない。むしろ、企業買収の横行や、アメリカ型経営の導入で共同体化から逆行していっているようにも見える。これは、何故であろうか。

企業の共同体化が進まないのは、企業がまだ私権獲得の場であることを意味していると思います(目的が私権の獲得である以上、共同体から離れてしまいます)。

現在、多くの企業の目的は私権の獲得であり、それが唯一になっています。また、それが、企業としての役割であると当然のように思われています。そのため、多くの人がまだ企業を私権獲得の場だと(そういうものだと)思わされてしまっているのではないでしょうか。 

共同体が解体されて以降、共同体の持つ闘争と生殖は分断されてきました。闘争局面は私権企業の中に、生殖は家庭という密室空間に含まれ、バラバラにされていく事によって、共同体にあった充足感が奪われ、人々の活力は衰弱していきます。

にもかかわらず、実現論>支配階級(注:自然科学者は、生産階級であって支配階級ではない)は、ごく少数の例外を除いて誰も己の存在をかけて現実を直視し、本気になって事実を解明しようとはして来なかった。
そのため、社会に新たな可能性が提示されないまま現在に至っています。その状況の中では、ほとんどの人はなぜ不全を感じるのかすらわからず、何をやっても充足しきれません。そして、その不全を隠すかのように目先の行動を繰り返しています。

また、それを利用するかのように、マスコミやアメリカの支配が蔓延し、市場の拡大・維持のための手段に邪魔され、企業の共同体化があまり進んでいないということではないでしょうか。

しかしながら、人々の不全は大きくなり続け、>今私達は、収束不全⇒潜在思念レベルで強烈に「なんとかしなきゃ!」という待ったなしの「焦り」が生起(どうする?どうする!!)⇒なんでもいいからとりあえず目先の何か(体制や勝ち組み)に飛びつく、という目先収束という大きな意識構造の中にいる

このような状況の中、人々は現在の目先収束にも可能性がないことを悟り、本物を求めて動かざるを得なくなってきています。“企業を全員参加の合議制で運営する”“全情報を全社員に公開する”というこれだけのことを広めるだけで企業は大きく共同体に向けて変わっていくのではないでしょうか。
また企業だけではなく、子育てにおいては既に共同体的なものを求めて動きつつあります。人々の意識潮流は止められないのであって、やがては企業をはじめとする闘争面も家庭や子育てといった生殖面も共同体へと進んでいくのだと思います。

中野泰宏

共認基盤=現実を完全に失うという欧米の思考形態にみる構造

>西洋の観念信仰が自我に基づく極めて独善性・排他性の強い唯一絶対神を非現実世界に構築したのに対して、東洋の儒教は残された本源規範に基づく仁・義・信など、現実世界を導く関係規範に収束した。

なぜ、こうも同じ人類なのに、欧米に代表される西洋人種とアジアに代表される東洋人が違うのはなんでだろうか?という単純な疑問を考察してみたいと思います。

詳しくは、実現論にあるとおりだと思いますが、端的に両者の違いを表現するならば、「同類闘争である掠奪、戦争より完全に、共認基盤を完全に失ったかどうか?」であると私は思います。この基盤を失ったヨーロッパは、貴族階級という身分序列が色濃く残っているため、性・私権闘争制御もある程度、可能でもあるのでと思われますが、それにもまして、自由の国、移民、奴隷の人種のるつぼと言われるアメリカは、序列原理も、共認基盤を持たずに、大陸に渡り、掠奪を繰り返し、序列闘争に明け暮れ、アメリカンドリームという幻想を掲げて、社会を統合するしかないんだろうと思います。

この共認基盤を完全に失うことの怖さを、欧米、特にアメリカに見るように思います。簡単に言えば、相手はどうでもいい、当然、楽して、儲けて、遊び、解脱して消費できる自分さえいればいいという意識になります。また、共認充足に現実の可能性が見出せなければ、必然的に、自由、愛、平和、人権という幻想を頭の中だけの非現実に、形作ってゆくしかありません。個人主義、戦争、掠奪を正当化するためにも必要だと思います。

私も、るいネットに集う人々も、多分、東洋人であれば、社会=人々の意識の集合体であると認識は、実感できるのだと思います。すなわち、共認が現実そのものであり、社会であり、また、その共認基盤は、ゆるぎない私たちの心をつかさどるものだと理解するでしょう。

当然、共認=現実という意識がさらさらない、ともに認め合うことなどに全く捨て去った欧米人種は、現実を捨てることとなり、非現実の世界で、宗教、文化、哲学、学問、経済、生産などのあらゆる面で、思考せざるを得ないことを示しています。それは、共認を捨象すれば、自我に収束するしかない構造も読み取れます。

戦争、掠奪、企業買収など人から奪うことでしか進化することができないという共認基盤のなさの怖さを痛感します。現実に立脚しない観念の一人歩きは、日本にも進行しつつあると思いました。

「なんで市場にあるTBSの株を買ってはいけないのか?」

という楽天社長の言葉が象徴しているように、かつての多くの経営者が、長年の企業育成の苦労「相手の気持ち」を理解して、経済界全体を統合しようとしてきたのに対して、欧米のように横取り、掠奪し、共認基盤を捨象する彼らの行動は、現実に立脚しておらず、多くの庶民が違和感を覚えるのは当然だと思います。

現実=共認=人々の意識の収束先である。共認で自我を封印することが私たちの東洋人のやるべき活動になるのだと思います。

 
近藤文人

自由を守るという「善」のペテン性を暴露する

>デジタル放送化は政府が決定したらしいのですが、いつの間にそんなことを決めたんだ!というのが大方の人の実感だと思います。(小泉首相がデジタル化を強力に推進しているらしい

誰が一体決めたんだ? アメリカの覇権主義を巧みに隠蔽した小泉傀儡の追随が為せるものではないでしょうか。デジタル化だけでなく、郵政民営化も然り。小泉翼賛支配階級が提唱する全ての政策は、人類の自由を守る「善」という幻想観念を盲目的に信奉し、民衆を幻惑する為にでっち上げた政策に過ぎません。自らの特権階級的立場の延命を画策するところが真の正体であって、決して皆のためなんかではありません。 

>「(近代的自由に基づく)善」と「(反近代的な)悪」という構図を作り、アメリカは「善」の守護者であるという言い方をします。

 
アメリカ独占支配の便法という巧みな演出事実も、構造認識で見抜くことが可能になります。いや、新しい認識を忌避する事は、自らを盲目奴隷に甘んじることに他なりません。


仙元清嗣

アメリカの代理人たち ~政・マスコミ・金融IT勢力の背後~

小泉政権の中で、最も注目されるのは、竹中平蔵である。
彼の時代になって、ハゲタカファンドの買収劇や弱肉強食のM&A、そして不良銀行のたたき売りなど・・・日本市場の乗っ取り作戦が実行に移されている。竹中はアメリカの手先度No1であり、アメリカのための構造改革代理人そのものではないだろうか?
 
またこの作戦を側面支援している勢力がいる。マスコミ界では、アメリカ市場原理を支持し、財界では、新興勢力としてハゲタカと共に自らM&Aを繰り返す勢力だ。これらの勢力の背後関係はどうつながっているのだろうか?

●竹中平蔵と金融IT勢力

>宮内、孫といった財界人人脈と共に、車の両輪として活躍している日本側のカウンターパートが、竹中平蔵経済財政担当大臣である。彼と宮内、孫は「IT戦略会議」の元メンバーという間柄だ。
>小泉政権になってからの経歴を確認しておくと、竹中は、2002年の9月に金融担当大臣に抜擢された。これはアメリカの共和党政権のブッシュ大統領の「経済ブレーン」を務めてきたグレン・ハバード元大統領経済諮問委員会委員長の強い後押しによるものである。
>前任の金融大臣の柳沢伯夫衆院議員は、日本の不良銀行に公的資金を投入、国有化して、ハゲタカ・ファンドに二束三文で売り払おうとうする政策に露骨に抵抗したので、アメリカに「邪魔者」として忌避された。
このハバードは、ブッシュ政権第一期に、日本の不良債権処理を名目としたハゲタカファンド進出の総指揮を執った人物だ。

●マスコミ界のアメリカ化
>日本のマスメディアにおいては、長らく米ソ対立を引きずった「冷戦構造」が、ソ連崩壊後もしばらく残されていた。すなわち、保守派としての産経新聞・読売新聞、中道派としての日本経済新聞、左翼・リベラル派としての、朝日・毎日新聞という構図である。
この構図は、90年代後半になって大きく崩れ、左翼・リベラル派の「朝日新聞」が微妙にその舵をアメリカの民主党政権寄りにシフトさせていく。
>「朝日新聞」で対米人脈の受け皿になっているのが、船橋洋一編集特別委員だ。船橋記者は、国際政治学者のジョゼフ・ナイ元国防次官補のカウンターパートでもある。
>また中道派の「日本経済新聞」も、経済戦略面でアメリカナイズドされた論調を出すようになった。日経における親米派の代表格が、伊奈久喜編集委員である。

これらの人脈の形成については、数あるアメリカの戦略形成を行うシンクタンクが巣窟となっているようだ。竹中平蔵と朝日新聞の船橋洋一は、シンクタンクの一つ国際戦略研究所(IIE)で共に働いた経験があり、所長のバーグステンとは強いつながりがあるようだ。そのIIEは、また相当にきな臭さそうだ。

>国際戦略研究所(IIE)は、国際経済を研究対象にしたシンクタンクである。民主党系で日本部門は持っていないが、日本とのかかわりは少なくなく、現在の日本政府高官や、現在のジャーナリストとのパイプもある。
>また1985年のプラザ合意や、1990年代の日米自動車交渉時に突如発生した急激な円高などはIIEが仕掛けたとも言われており、日本の金融政策に大きな影響力を与えてきた。
>現在のIIEの理事会には、デヴィッド・ロックフェラー、ジョージ・シュルツ元国務長官、出井信之ソニー元会長、アラン・グリーンスパンFRB議長、ポールボルガー元FRB議長、モーリス・グリーンパークなどがおり、ニューヨークの金融財界との関係はかなり深い。

(以上引用は「ジャパンハンドラーズ」(中田安彦著)より)
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以上のようにアメリカが日本の政界の人事に介入し、忠実な代理人を着任させている。同時にマスコミや財界にアメリカの息のかかった人々を送り出し、日本の政・財・マスコミ一体となって、アメリカの求める政策や制度改革を実行させる体制を整えていることが見て取れる。

こうしたアメリカの代理人は、官僚、大学教授、文化人など様々なレベルで存在しているようだ。(民間人で構成される政府審議会や政策諮問機関なども実に怪しい。)
多くはアメリカ留学を通じて、人脈形成を行い、アメリカの意向に沿って動くことで自らの活動域を広げている。いわばアメリカの代理人となることで自己実現と保身をはかっている人々のように見える。

(またこうしてみていくと、近年の中曽根の失脚や構造改革・既成緩和やハゲタカの動き、そして楽天のマスコミ買収などバラバラの動き・事件に見えたものがアメリカの意図を背景にした一連の動きとして捉えられてくる。医療改革も?)

井上宏

アメリカの代理人たち ~政・マスコミ・金融IT勢力の背後関係~

>奇妙というのは同じ自民党内で小泉にとって中曽根は政敵=政策を遂行する上での敵対者?であり、前回の参院選と今回の衆院選でその影響力を完全に駆追した事は誰の目にも明らかです。にもかかわらずその政策は非常に近いものがあり、むしろ小泉は中曽根の後継者では無いかと見紛う感すらあります。

中曽根氏については、不沈空母発言など親米的な反面、保守界の論客で、どう捉えたらいいか分からない存在でした。しかし小泉もアメリカべったりの反面、靖国参拝でバランスをとろうとしている。
共通項は中曽根も小泉もアメリカの力を背景に、自らの基盤と国威を保とうという姿勢です。

大きな違いは中曽根の頃は、共産主義勢力がまだ強かったという点です。共産主義が倒れ、アメリカにとってみれば、共産主義の防波堤としての存在から、日本は明確に経済上の敵であり、金融支配の対象に切り替わった。
アメリカは、日本をより強くコントロール下におくため、アメリカの新代理人ともいうべき人々を送り込み、中曽根などの旧代理人を排除し始めたのだ。

以下引用は、「ジャパンハンドラーズ」中田安彦氏 より
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>2004年は、カウンターパーツの「世代交代」が行われた記憶すべき年になった。冷戦期の1970年代から2000年に至るまで、日本の戦後論壇に強い影響力をもってきた、渡辺恒雄(読売新聞社元社長、ナベツネ)と中曽根康弘(元首相)を中心とした「論壇サークル」の凋落という現象が起こったのである。
>その代わり台頭してきたのが、宮内義彦、孫正義、三木谷浩史らを中心とする、金融IT勢力である。「新政商」とも言うべきこれら財界人と連動する形で、竹中平蔵のようなグローバリストたちが、アメリカ金融財界のカウンターパーツとなり日本政財界の中枢で暗躍しはじめたのだ。

>ナベツネは、読売新聞という巨大メディアと、巨人軍というプロ野球球団を支配していた戦後財界人の大物である。・・・・彼は読売ワシントン支局に飛ばされていた時代に、ニクソン大統領と、キッシンジャー大統領補佐官の活動に焦点を絞った『大統領と補佐官』(1972年)という著書を書き、アメリカ政界の陰の実力者であったヘンリーキッシンジャーに急接近する。
>一方、彼の盟友である中曽根康弘は、すでに1953年にハーバード大学のセミナーに参加して、若きキッシンジャーに属国日本の指導者として「青田買い」されていた。ここで生まれたキッシンジャー・ナベツネ・中曽根のネットワークが究極的には、戦後の1970年代頃から小泉政権誕生までの日本の保守政界を動かしていたのである。

>そしてこのキッシンジャー・ナベツネ・中曽根ラインが読売・PHP研究所などの新聞・マスコミを中心に日本の親米言論を作り上げ、それに「朝日新聞」のような親中国・北朝鮮の新聞が対立するという構図が戦後長らく続いていたのである。

>ところが、小渕・森政権あたりから、経済系のネットワークによる日米人脈が非常に強い影響力を持ち始めてきた。
投資ファンド(ハゲタカ・ファンド)が、日本をマネー・ゲームの実験場と位置づけ、従来のキッシンジャー・コネクションとは別方向から、管理するようになってきたのである。それに伴い、カウンターパーツもガラガラポンと入れ替わり始めた。2004年に起きた日本プロ野球界のゴタゴタとナベツネの失脚も、本質はここにある。

※カウンターパーツとは、操る側のジャパンハンドラーズの指令もしくは意向を受け、忠実に任務を遂行する日本人たち。
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アメリカの意向によって、日本の政界・マスコミ・財界の勢力が入れ替わるという現象・事実は衝撃的です。既に日本の統合階級の主要部がアメリカの手の中で管理されている段階といっていい状況のようです。

井上宏

広告の歴史

1945 GHQ、新聞、映画、放送などの言論統制法令撤廃を指令。日本新聞広告同業組合設立
1946 全国新聞広告同業組合、鉄道広告事業組合、日本雑誌広告協会設立
1947 日本広告会、日本宣伝クラブ、関西広告協会、東京屋外広告協会設立
1948 鉄道広告協議会結成
1949 戦後初のアドバルーン、銀座と新宿に浮かぶ
1950 日本新聞広告業者協会(現・日本広告業協会)設立。新橋駅屋上に「電光ニュース板」設置
1951 民間ラジオ放送開始、この年のラジオ普及率55.4%(NHK契約世帯数)。日本民間放送連盟結成
1952 新日本放送、朝日放送、大阪電通が共同でラジオ聴取率調査開始
1953 民放テレビ開局(テレビCM放送元年)
1955 街頭テレビブーム。この頃、白黒テレビが「三種の神器」の一つに。ABC懇談会が日本ABC協会と改称、新聞・雑誌部数の交査規定制定。この年から電通「日本の広告費」推定開始
1956 万国著作権条約発効
1957 日本広告主協会、全日本新聞社広告会、全日本放送広告会、日本国際広告協会、日本マーケティング協会設立
1958 10.20 第一回「新聞広告の日」。NHK、日本テレビ、ラジオ東京テレビ(現・TBS)が初のテレビ視聴率調査を実施。東京コピーライターズクラブ(TCC)発足
1959 皇太子ご成婚で企画広告、テレビ中継で受信契約者数300万件に
1960 CM合同研究会(現・全日本CM協議会)設立
1961 テレビスポットCM、15秒単位が主流に。ニールセンがテレビ視聴率調査を開始。日本ABC協会、新聞部数交査開始
1962 ビデオリサーチ設立。カラーテレビCM第一号、トヨペット・コロナ「ドラム缶」
1964 東京オリンピック開幕、応援広告盛ん
1965 不当景品類防止法施行。★総広告費が初の前年割れ
1966 郵便法改正、第三種の広告規制を全紙面の50%までと決定
1967 日本ダイレクト・メール協会発足
1968 4.21 「放送広告の日」制定。5.30 消費者保護基本法制定、この日を「消費者の日」に
1969 この頃、新三種の神器「3C」の一つマイカー、ブームに。IAA(国際広告協会)東京大会開催。日本広告学会、POP広告協会設立
1970 日本万国博覧会、大阪で開催。11.5 第一回「雑誌広告の日」
1971 新聞広告審査協会設立
1972 景品表示法、食品衛生法、割賦販売法の改正案成立
1973 郵政省、オイルショックで深夜放送の自粛を要望。★総広告費、1兆円台に
1974 大店法施行。郵政省、初の「通信白書」発表。通産省、初の特定サービス産業5業種調査。日本広告審査機構(JARO)、公共広告機構発足。9.10 「屋外広告の日」制定
1975 沖縄海洋博覧会開催。★この年、テレビ広告費が新聞広告費を上回る
1976 民放連「放送基準」、新聞協会「新聞広告倫理綱領」、「新聞広告掲載規準」改正
1977 ビデオリサーチ、視聴率が翌日わかる「ミノルメーター」開発
1978 CMソングブーム
1979 東京サミット
1980 企業イメージの統一を図るCI(コーポレート・アイデンティティ)がブームに
1981 広告つきハガキ発行(世界初)
1985 プラザ合意。この年、「分衆・小衆」が流行語に。ファミコンブーム起こる
1986 男女雇用機会均等法施行。公取委、比較広告は禁止されていない、との見解表明。銀行広告の自主規制見直し。雑誌クーポン広告解禁
1987 公取委、比較広告のガイドライン提示。弁護士広告解禁
1989 昭和天皇崩御で広告自粛、民放各局は2日間CMなしの特別放送番組放送。元号「平成」に
1990 新聞クーポン広告解禁
1991 折込クーポン広告解禁
1992 ★総広告費が27年ぶりの前年割れ、テレビ広告費も初のマイナスに
1993 民放連「放送広告の日」を「民放の日」と改称。銀行の広告全面解禁。★総広告費、2年連続の前年割れ
1994 ニールセン・ジャパン、機械式個人視聴率調査開始
1995 製造物責任(PL)法施行。「ウィンドウズ95」フィーバー
1996 景品規制緩和。国内初のインターネット広告専門会社(メディアレップ)営業開始。初のデジタル多チャンネル放送、パーフェクTV!本放送開始。電通、インターネット広告費の推計開始
1997 ビデオリサーチ、機械式個人視聴率調査開始。地方テレビ局でCM未放送問題発覚
1998 自主規制でテレビ、ラジオのタバコ銘柄広告禁止。★総広告費前年割れ、インターネットと衛星メディアのみ好調
1999 男女雇用機会均等法改正。携帯電話のインターネット接続サービス「iモード」開始。★総広告費、2年連続で前年割れ、増加は絶好調のインターネットと衛星メディアのみ
2000 不正アクセス防止法施行。テレビCMの機械式確認システム「第三者放送確認モニター」稼動。大店法廃止、大店立地法に移行。この頃から広告を収益の柱とする無料インターネットビジネスが増加
2001 消費者契約法施行。電通、東証第一部上場。9.11 米で同時多発テロ発生、90時間CMなしの連続放送。★総広告費前年割れ、インターネットと衛星メディアのみ増加
2002 改正特定商取引法、特定電子メール送信適正化法施行。★総広告費は再び前年割れ、増加はインターネットのみ
2003 大手テレビ局プロデューサーによる視聴率買収工作発覚。★総広告費は3年連続の前年割れ、テレビは微増、インターネットは大幅増
2004 消費者保護基本法を消費者基本法に改正。★総広告費は4年ぶりに回復、インターネットは大幅増でマス広告4位のラジオを抜く
2005 個人情報保護法施行。ニッポン放送株めぐり、ライブドアとフジテレビが対決、メディアのIR対応に関心高まる

注:広告費の増加・減少に関する事項に、★印を付けました。'90年代以降★印が増えているのは、日本の総広告費が戦後ほぼ一貫して増え続けたのに対し、'90年代以降、足踏みしている(減少と増加を繰り返している)ためです。

(出典)『図説 日本のマスメディア [第二版]』藤竹暁編著、NHKブックス、2005年

矢ヶ崎裕

世界を支配するグローバリストたち2

それに対して、企業経営者層や地方の金持ちたちの支持する保守的な共和党の方こそ、もともと伝統的に戦争反対、軍隊の海外派兵反対の立場である。彼らは「アイソレーショニズム(孤立主義、本当は国内問題優先主義と訳すべき)」や「アメリカ・ファースト(国内問題を優先して考えよう)」と唱えて、グローバリストと敵対している。この共和党の伝統であるアイソレーショニズムは、1988年に湾岸戦争を直前にパット・ブキャナンによって突如復活して、ワシントンのグローバリスト官僚たちを苦しめる一大国民運動になった。

ブキャナンは、「あの凶暴なソビエト共産主義は滅んだ。アメリカは勝ったのだ。だからもう海外に駐留する軍隊をすべて撤退させよう。そして山積する国内問題を解決しよう」「何故、アメリカの若者たちが、国際石油資本のために、アラブの砂漠で死ななければならないのだ。外国のことはそれぞれの国民が決めればいいことだ。アメリカはもう家に帰ろう」と、アメリカ中産階級の切実なうめき声を代弁したが、移民排斥を唱える極右の危険な人物だとリベラル派のメディアから宣伝された。

これら共和党保守派からの反攻は、民主党リベラル派の社会科学理論(失業や貧困や人種対立など社会の病気を治療することができると信じられていた)が、1980年代になって無理なのだと分かってしまったこと、そして煮え切らないリベラリズムに見切りをつけて、反ソビエト強硬路線の共和党のレーガン支持にアメリカ左翼知識人たちが大転換した(こうしてネオ・コン派が共和党内で勢力を持つようになった)ことを受けて湧き起こった、国内問題優先の反グローバリズムの逆流なのである。この対立は同時に、民主党を席巻するグローバリズムが、共和党をも占領しつつあることを示しているのである。

ところで、グローバリストの元祖ニューディーラーが敗戦直後日本に来ている。マッカーサーGHQ司令部の民政局を中心に結集した理想主義者のエリート将校たちである。日本復興の青写真を作った彼らこそ、ローズヴェルト大統領が始めた積極的福祉国家論に立つニューディール政策思想に強く感化された「隠れ社会主義者」たちであり、民主党系のネオ・コンの走りである。

彼らはその善意と進歩思想に基づき、たったの9日間で作文した日本国憲法を日本人に与え、民主主義教育を徹底的にほどこした。「お前たちは二度とアジア諸国を武力で占領するといった野心を抱くな。平和な国民となって、ここにいよ」と。マインド・コントロールにかけたのだが(マインド・コントロールはアメリカの社会科学を席巻した行動科学理論)、アメリカや西欧では、日本の現在の社会を指して、「日本はこの60年間、うまい具合にニューディーラーによって教育されて、なかなか良い国民に育ったようだ」と考えられているのである。

日米対等どころか教育対象であり、言いなりにできる対象なのである。憲法を作って与えて枠にはめておきながら、枠が自分たちの思惑に合わなくなってくると、あれこれ修正を迫ってくる。「次はこの議題について考えてくるように」と、次々と議題がアメリカから持ち出されてくるのである。
民主主義とは自分たちのことは自分たちでやるという政治思想ではなかったのか?与えられるものではないので、共認闘争によって勝ち取るしかないのだと思う。

 
岡本誠

世界を支配するグローバリストたち1

>これは明確な対日戦略書であり敵(=日本)の分析書である。
翻って日本人から見たまともなアメリカ人論があるだろうか?

世界をコントロールしているアメリカのグローバリストたちの歴史と政治思想を概観すると次のようになっているようだ。(副島隆彦著『属国・日本論』より)

現在の世界の政治を管理運営しているのは、ワシントンの「グローバリスト」と呼ばれる官僚たちと、シンクタンクの戦略学者たちである。グローバリズム(地球主義)というのは、世界の警察官と自らを任じ「アメリカの力で世界を管理・支配・指導していく」という思想である。現在では専ら「ネオ・コン派」の学者たちによって提唱されているので、「ネオ・コン=グローバリズム」と総称できる。

ネオ・コン(ネオ・コンサヴァティヴ)とは「新保守主義者」で、もともとはユダヤ系の左翼・社会主義者だった人々のこと。それが60年代に「社会主義の理想を裏切ったソビエト憎し」の一念にかられて思想転向し、民主党を裏切り集団脱退して共和党内にもぐり込み、やがて一大勢力を築いた学者知識人の集団を指す。

ネオ・コンの創始者はノーマン・ポドーレツとアーヴィング・クリストルの二人で、1950年代までは伝統と格式を誇るアメリカの左翼知識人雑誌『パーチザン・レヴュー』の仲間だったが、ソビエト共産主義の知識人弾圧や強制収容所の存在に強く反発し、やがて対ソビエト強硬路線を掲げてアメリカの財界人や政治家の顧問になっていった。

二人の影響を受けて、かつては民主党左派の左翼学生であったユダヤ系の優秀な若者たちが、後に超高学歴の政治学者集団として育つ。彼らネオ・コン派第二世代は、ジョージタウン大学CSIS(戦略国際問題研究所)という軍事研究で有名なシンクタンクに結集しており、一方経済問題を扱うAEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)にも割拠している。彼らは軍事政策学の権威者なので、国防総省の将軍たちよりもずっと格が上であり(アメリカは超学歴社会なのである)、湾岸戦争を裏で戦略指揮したのは実は彼らなのである。

グローバリストの戦略思想を完成させたのは、ハンス・モーゲンソー博士で、「バランス・オブ・パワー(力による均衡)理論」の大成者である。国際政治学における「リアリズム(現実主義)派」で、まず何よりも「現状維持」を旨とする。世界の各地域において、各国間の力の均衡の上に現状を固定し、その上からアメリカが支配する。「分断して統治せよ」という世界支配戦略で、国どうしを仲良くさせないで、互いに反目させることによってバランスを取るのである。そして2000年から始まったブッシュ(息子)政権とともに、ネオ・コン派第三世代が暴走し、世界を危機に陥れていっているのである。

グローバリズムはもともと民主党の思想であり(今もそう)、ニューヨークのユダヤ商人たちの思想である。表面上は「世界中の国々の人権とヒューマニズムと民主政治を守るために、アメリカは積極的に活動する。そして必要とあれば軍隊を出動させる」と考える。この主張は『ニューヨーク・タイムズ』紙や『USAトゥデー』紙のような、リベラル人権派と考えられている大新聞の立場でもあり、またハリウッド映画業界をも席巻している。

さらにグローバリストの元祖とも原型にあたるのがニューディーラーと呼ばれた人々である。ローズヴェルト大統領(民主党)が30年代に始めた革新政策が、アメリカの外交政策をグローバリズムへと駆り立てた。多国籍企業と呼ばれる巨大石油会社や金融法人やその他巨大企業が(これらはニューヨークのユダヤ系の金融財界の持ち物なのだが)、アメリカの権益を世界中に張り巡らしたのは、この時代からである。だから彼らの権益を守るために、いざというときに緊急に展開できる軍事力を、アメリカは世界中に駐留しておかなければならないのである。表面上の理由は、抑圧された国の人々の人権と民主政治体制を守るためだが、本当の理由はアメリカの権益の擁護である。グローバリスト官僚たちは、多国籍企業を所有するニューヨークの財界人たちの利益を守るために献身しているのである。

 

日本を分析する人々 ~アメリカの対日戦略のベース~

>1966年アメリカ人が書いた「菊と刀」の著書は膨大な資料を元に書かれており今でも稀有の日本人論として評価を受けているが、そのことをわれわれはどう見るべきだろうか?
これは明確な対日戦略書であり敵(=日本)の分析書である。


9月の選挙における電通の役回りについて調べていたとき、カレル・ヴァン・ウォルフレンが、「日本権力構造の謎」(1994年)で電通と自民党について緻密に分析していたことに、なんともいえない違和感を感じたのですが、これも対日戦略書の一つと考えればつじつまがあってきます。


そして今回の電通の利用も分析の結果、方針化されたものに違いないと思われます。

他にもそういう例は数多いのでは?とおもい探ってみると・・・・・見つけたのが「ジャパンハンドラーズ」(中田安彦氏)という本。その名も“日本を操る人々”。この本を読むと、日本を分析し操る人々がたくさんでてきて衝撃をうけます。
(※アメリカと日本の人脈を通じた関係とその歴史が、政界・マスコミ・財界それぞれ描かれており、興味深い本です。)

日本の分析者を例をあげると

●エドィン・ライシャワー:戦前の日本に生まれ、戦後駐日大使、後にハーバード大学で「ライシャワー日本研究所」を設立。またジョンズ・ホプキンズ大学にも「ライシャワーセンター」を設立。

>この2つのライシャワーセンターは、多くの日本研究者たちを輩出している。ライシャワーのような人文系の研究者だけではなく、経済学系、安全保障系の多くの日本研究者もここを根城にしており、日本のマスコミ関係者を留学させるときの受け入れ先にもなっているようだ。

●エズラ・ヴォーゲル 
ハーバード大学の教授
>ヴォーゲルが初めて日本についての研究を行ったのが、タルコット・パーソンズ教授の下でハーバード大学の博士号を取得した後の28歳の時だ。
彼はこのとき、千葉県の市川市で、比較文化的な視点で家族調査を行い、その成果を論文「日本の中産階級」として発表した。戦後初期の日本研究は、もっぱら日本社会について理解を深めるための情報集めという観点からなされていたのである。
>1993年にヴォーゲルは、CIAの一部門である国家情報会議(NIC)の分析官になっている。日本を徹底に打ち負かすというクリントン政権の経済戦略にヴォーゲルが、加担したことは、明らかだ。

ヴォーゲルは、1979年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著しているが、これも国家戦略にそったものであることは想像に難くない。

●ジェラルド・カーティス
コロンビア大学の教授。
>カーティスの代表的研究は、「代議士の誕生」(1969年)である。この日本の選挙制度に関するリーポートは、その詳細さで、日米の論壇に大きな衝撃を与えた。
>カーティスの処女作である「代議士の誕生」は、1967年の衆院選を扱ったものである。彼は、日本の政治、とりわけ近代的選挙システムという部分にテーマを絞り、「衆院選・大分二区」(別府や国東半島)に自ら住み込んで密着取材を行った。
>その極めて身近な環境での取材の結果「代議士の誕生」は、微にいり、細を穿つリポートとなった。ゲラ段階で消えたとはいえ、後援会活動の一貫としての、いわゆる「実弾攻撃」までもが活字化されるほどであった。

そのほかにも文学者のドナルド・キーンや経済学者のガルブレイスなど数多くの分析者が登場してくる。

重要な点は、これらの日本についての詳細な分析・構造的な把握は、国家戦略に沿うか否かで評価されて、実際に利用されているという点です。
例えば政治家や企業の弱点(汚職や談合)などは、上記のような分析から把握され、CIAのスパイ活動により注視されている可能性が高い。また規制緩和や構造改革要求も上記のような日本社会の仕組みを見通した上での要求であり、戦略的に組み立てられたものです。

日本は、こうしてアメリカによって十分に分析把握された上で、操作されているという事実をまず認識する必要があると思う。

 
井上宏

共認原理に転換できないアメリカ

>今、日本は全面的に収束不全に陥っている。誰もが答えを探している。その状況は露店に立てばすぐに認識できる。この状況を捨象し続ければどうなるか。結果はアメリカと同じ道を辿り、いずれ破綻を迎えるだろう。96417『収束不全を捨象し続けた国、アメリカと日本』

ここで、日本とアメリカの違いを押さえておく必要がある。

アメリカは貧困が消滅したにもかかわらず過剰消費を続けている。それが三つ子の赤字の原因であり、アメリカが他国を侵略・支配・搾取し続けなければならない根本原因である。

アメリカが過剰消費を続ける理由は、身分格差を堅持するため。77146

日本では1970年貧困が消滅し生存圧力が衰弱した(アメリカは'60年代)。これは日米とも同じ。日本では私権原理から共認原理に社会の根底から転換した。日本では共認充足の可能性が現実に開かれたがゆえに、旧観念は庶民から見捨てられ、仲間収束etc.共認充足を得るための実践模索が35年間続いている。ところが、旧観念に出口を塞がれて答えが見出せないでいる。

一方、アメリカはそもそも共認原理に転換できないのではないか。その証に、キリスト教の信者がアメリカ人の9割近くを占め、毎週教会に礼拝に通う人がアメリカ人4割、聖書の言葉を文義通り信じている人もアメリカ人の4割に達する(77146)。ここまで古代宗教であるキリスト教支配が強いのは、現実の世界で共認充足が得られず、頭の中で代償充足するしかないからだと考えるしかない。

いや、単に頭の中だけの代償充足では済まされない。アメリカの精神性の原点はピューリタリズムにある(83644)。キリスト教の一派であるこの宗教は、徹底的な神絶対主義。禁欲的に世俗の職業に励むことが神から与えられた使命として、私権獲得を正当化した。さらにアメリカの領土拡大は神から与えられた使命であるとして、アメリカ先住民侵略を正当化した。未だに侵略の正当化に使われることもあるらしい。私権拡大を正当化した「個人が絶対」の近代思想を、さらに「神が絶対」の古代宗教が正当化するという、欺瞞と倒錯の二重構造になっているようだ。これを400年近く続けてきたアメリカは、容易に共認原理に転換できないのではないだろうか。

貧困が消滅し生存本能を直撃する生存圧力が衰弱した結果、私権活力・労働活力は衰弱していく。ところが、共認充足の可能性は閉ざされている以上、格差の旨み欠乏・相対優位欠乏に収束するしかない(日本では、私権に可能性がなくなった結果、相対優位欠乏も衰弱したが、これは現実の共認充足の可能性が開かれたからであろう)。労働活力は衰弱したが、相対優位欠乏=ステイタスを充たすためには、過剰消費を続けるしかない。

そのための方法論が侵略支配と搾取。アメリカは建国以来一貫して現在に至るまで、侵略と奴隷・移民の搾取によって拡大してきた。共和党も民主党も、この点では全く同じである。力による侵略を主張する共和党と、グローバリズム=市場支配による搾取を主張する民主党との方法論の違いでしかない。

過剰消費を続けるために、侵略支配・搾取を続けるアメリカ、そうである以上、常に貧富の差が拡大し、私権欠乏が再生産される。これがアメリカの力の基盤であり、日本を始めとする世界中の国々が、私権原理に代わる新しい統合原理(共認原理)を作り出さない限り、アメリカ支配が続く原因でもある。

しかし、大局的にみたらどうだろう。 世界もすでに序列原理から共認原理に転換しつつある(98165)。共認原理に転換できないアメリカ、私権原理・市場原理から脱却できないアメリカ。この意味する所は、大局的にみてアメリカには次代の人類社会を担う資格はなく、未来はないということだ。


 

進むインターネットのアメリカ支配

急速な経済発展を続けている中国ですが、インターネットの利用も急速に拡大しており、インターネット利用者は1億人を越えて、アメリカの1億8600人に次いで世界第2位となっています。
しかし、実際の利用形態は世界的に見ても特殊な状況です。
まず、サイトの内容が中国政府の方針によって非常に制限されており、満足できない利用者は先進国のサイトを利用するようになっています。

その結果、中国ではインターネット利用に当たって多数の制限が作られています。
例えば04年に開設された「違法・不良情報通報センター」に見られる、ユーザー同士による相互監視の密告体制などもそうですが、最大のものは国家の公安部門の専門担当部署による監理システムです。
例えば、体制維持に都合の悪い言葉(天安門、人権、反共、台湾、等)やそれと関連するアドレスを入力しても、中国内ではインターネットでのアクセスが拒否されます。
また、英国やアメリカのニュースサイトへの中国からのアクセスは制限されています。

このような複雑な規制ができるのも、数十万通りの規制が自動的にできるシステムやソフトが米国の企業から供給されるだけでなく、それらを使いこなすための要員の育成についても支援を受けているからに他なりません。

一方で、そうした中国政府による人権や言論への弾圧に対する米企業による協力は、本来そのような中国の行動を非難するアメリカ政府によって規制されるべきですが、これまでは黙認されてきました。

「人権」や「自由」といったこれまでのアメリカ的価値の普及よりも、中国などの第三国における情報インフラの普及・拡大や、情報政策に深く関係することを優先するアメリカの姿勢は、インターネットにおける絶対的な地位を確立することを最優先と考えているからではないでしょうか。


(参考:雑誌「選択」2005年9月号」


 
小西康雄

アメリカを模倣するとどうなる

「官から民へ!」という掛け声により、新自由主義(市場万能主義)の政策が進められようとしている。
そして、その社会モデルは、レーガン大統領以降(1981年以降)のアメリカ社会が目指すモデルとなっている。

しかし、マスメディアから流れる「アメリカ」は、5%の勝ち組、富裕層の華やかな生活でしかない。
社会の多数派を占める中間層、そして膨大な貧困層の「アメリカの実情」は、ニュースに殆ど登場しない。

そこで、アメリカの格差社会(富裕と貧困)の実態を扱ってみる。

ハリケーンが、ニューオリンズを襲ったが、避難先の当てもなく、避難の足もない為に、多くの貧困層が海抜以下の居住地に残った。
そして、民間事業としては決して採算に乗らないために、放置された防潮堤防が決壊し、数千人の死者を出し、数十万人の被災者を発生させた。
富裕層は、さっさと避難し、貧困層が災害にあう。「避難勧告は出した。避難しないのは自己責任である!」
これが、新自由主義の実相である。
それに対して、アメリカが経済封鎖をして、政権崩壊を狙っているキューバでは、同じハリケーンに対して、国民一丸となって対処する規範性を守っている。どちらが、望ましいモデルなのか!

「温故知新」(ビル・トッテン氏サイト)が、その辺を生々しく紹介している。

>先進国一の貧困率
>米国勢調査局の発表によると二〇〇四年度の米国の貧困率は12・7%、人数にすると三千七百万人が貧困線以下で暮らす。ブッシュ政権成立の年から上昇して四年間で貧困者数は約五百九十万人も増えた。米国民の医療保険未加入率は15・7%で約四千五百八十万人が医療保険に入っていない。これも前年比八十万人増である。州別では今回ハリケーンの被害をうけたミシシッピやルイジアナはワースト10にランクされている。そして貧困者が暮らす地区が壊滅的な被害を受け、少数の黒人が行う略奪事件を、企業がスポンサーとなっている米国メディアは記事として大きく取り上げた。
>日本の大手メディアが取り上げることのなかった記事で私が興味深く読んだのは、米国を襲ったハリケーンのてん末をキューバと比較したものであった。二〇〇四年九月、過去五十年間で最大規模の風速一六〇マイルの大型ハリケーン“アイバン”がカリブ海諸国(グレナダ、ジャマイカ、キューバ)を直撃した。キューバでは避難勧告で千五百万人以上の国民が高地へ避難し、二万世帯が破壊されたが死者は一人も出なかった。ニューオリンズのような略奪や暴力、戒厳令が出されることもなかった。それは米国のような大きな貧富の差がなかったからであろう。
「民営化、自己責任の社会」から引用


アメリカの貧困層は、3700万人もいる。それを上回る4600万人が、医療保険に入れず、病気や怪我の際にも、病院から拒絶される。
例えば、怪我で救急車が駆けつけた時に、真っ先に、医療保険証の提示が求められる。最悪の場合には、保険証をもたない者は、保険無しで受入れてくれる病院(慈善病院)がなければ、救急車から下ろされる。

アメリカの貧困層の推移を時系列で整理したレポートがあった。

「米大統領選挙と貧困問題」(ニッセイ基礎研究所レポート)


このレポートを見ると、共和党政権(レーガン、パパ・ブッシュ、ジュニア・ブッシュ)になる度に、貧困層が拡大している。

>クリントン政権下で一貫して低下し、同政権最終年の2000年には、11.3%と戦後のボトムである73年(11.1%)に接近していた。その後、(ジュニア・)ブッシュ政権発足と共に上昇に転じている。

また、貧困層の拡大だけではなく、中間層の所得も相対的に減り、上位5分位(上位の20%)のみが、拡大し、上位5%が、富の専有率を急速に拡大させている。

>レーガン政権の発足した81年以降、ブッシュ政権発足に至るまで、所得最上位層のシェアが上昇傾向を見せる中、他の全ての層がシェアを減少させていることである。さらに最上位5%の世帯では、レーガン政権発足時の81年の15.6%をボトムに2001年にかけてシェアを6.8%ポイント増加させており、結局、シェアを伸ばしたのは最上位5%の世帯のみとなる。こうした所得格差の拡大は、ジニ係数にも表われており、レーガン政権発足以降の上昇は急である。

この富裕層の行動様式を典型的に伝えるものがある。

「温故知新」から、同じく引用します。

>独り占めする権利
>カリフォルニア州にマリブというところがある。この美しい海沿いには豪邸が立ち並び、多くがプライベートエリアになっていて一般人は入ることはできない。本来カリフォルニア州では満潮時の線よりも下にある海岸はすべて公共のはずなのだが、マリブに住む富裕層は長くこの州の法律を無視してきた。この南カリフォルニアの辺りには大きなショッピングセンターはいくつもあるが公共の大きな美しい公園というものがない。
>そういう意味で、美しい海岸は素晴らしい公共スペースとして一般の人々に広く開放されるべきなのだが、この辺りの美しい海沿いは一般人進入禁止の立て札ばかりの、プライベートビーチとなっているのが現実である。
>米国では金持ちの人々が住む地区はそれ以外の地区と完全に遮断することを求めて、近隣全体を高い塀で囲んでいることが多い。このマリブのビーチフロントに住む金持ちの住人たちは、一般の人々から完全に孤立したいと思っているし、またそれができると思っているために、海水浴客たちが自分の家のそばを通ることを許せず「進入禁止」にしているのである。

「官から民へ!」が目指す、「新自由主義」の社会モデルとは、突き詰めれば、上記のような社会への転換である。


村田貞雄

「対米追従」で失うものは何か? 貿易額の分析に見る対アジア外交の重要性

> アメリカが一番望んでいる状況に近づきつつある。反中国、反韓国の機運が高まれば、相対的に反米は収まっていく。
> 致命的な落とし穴に向かって、一直線に歩いているような不気味さを感じる。
「4大新聞が作り出す反中韓=親米の風潮」

 日本の2004年の輸出相手国を輸出額の順で並べると、以下のようになる。

    金額(億ドル)前年比  シェア(%)
 輸出総額  5650 20.3
1 米国   1268  9.9  22.5
2 中国    738 29.0  13.1
3 韓国    442 27.5   7.8
4 台湾    419 34.6   7.4
5 香港    353 18.8   6.3
6 タイ    202 26.8   3.6
7 ドイツ   189 16.0   3.4
8 シンガポール179 21.5   3.2
9 英国    149 13.8   2.7
10オランダ  133 14.2   2.4

 これまで、日本は対米輸出の割合が大きく、日本の経済は「米国頼み」というイメージがあったと思う。

 しかし、米国向け輸出は、2割強(22.5%)となっている。これは、5年前(1999年)と比較して、8ポイントのダウンである。
 一方シェアを拡大しているのは、中華圏である。
 中国、香港、および中国との経済融合が進行している台湾を合わせた中華圏のシェアは、26.8%で、米国を超える。

 これに、韓国、タイ、シンガポールといった10位以内のアジア諸国を加えると、4割(41.4%)になる(これは5年前と比較して10ポイントのアップ)。
 内需の縮小する日本で、経済力維持の基盤は、外需である。そして、現在(および中長期的な展望を見ても)その中核はアジア、特に中華圏である。

 現政権の対米追従路線は、(東アジア諸国間の不和を狙う)米国を利することはあっても、日本は失うもののほうが大きい。現在、反中、反韓が、一種のブームになっている。だが、単なる印象によって対外関係に関する世論が左右される風潮は、非常に危険だと思う。

※経済面だけではなく、軍事面についても、米国依存は問題である。
 現在の日本は軍事情報のかなりの部分を、米国に依存している。そのため、安全保障について、常に判断が狂うリスクを抱えている(実際、イラク戦争でそのリスクは現実のものとなっている)。他国との情報ルートの強化は急務だと思う。

資料
貿易・投資・国際収支統計「日本の貿易相手国TOP50」
急増する対中輸出が物語るもの
対米依存度が高まったアジアの輸出構造


阪本剛

今回の小泉選挙は米国流

<<(これに対する反論で、アメリカ在住のタレントが「今回のようにひとつの政策に絞った選挙戦はアメリカでは常識で、先進国の政治はこういったやり方でないと、勝って行けない」という意見を出したが、周り(出演者)の反応は薄っぺらな政策を垣間見たようで冷ややかなものであった。)>>
今回の小泉選挙では自民党の中に、従来の自民党には無かった組織的広報戦略を担ったチームが結成されました。(「現代」11月号レポート)それは「コミュニケーション戦略チーム」略称「コミ戦」という組織です。
今回の選挙で自民党は結党以来半世紀にわたって培ってきた伝統的な戦術や常識を覆すような手法を始めて取り入れた。その責任者が世耕弘成参議院議員。98年に父親の後を世襲する前はNTTで主に広報畑を歩んできたサラリーマンで米国留学中に企業広報の学位を取得している。いわば広報のプロと言える。議員になってみて世耕は首相官邸の広報戦略があまりに貧弱なことに驚き、首相1期目の小泉に戦略的、総合的なコミュニケーション部門の立ち上げを進言するが、小泉は「政治は直感とか信念とか覚悟なんだよ」と耳を傾けなかった。しかし8/8の解散後幹事長や飯島秘書官の同意を得て、「コミ戦」のスタッフを強化し、組織内の壁を取り払い、選挙広報の全権限をコミ戦に集中させた。
コミ戦の重要な課題の一つとして、小泉周辺が送り込んだ殆ど素人候補の「刺客」達の選挙戦をいかに演出するかがあった。例えば静岡7区の刺客片山さつきの場合、当初彼女の評判は散々であった。例えば年配者からは「あの髪型が古臭いし、清潔感に欠ける」「ブランド物のバッグとか、印象がよくない」対立候補からの「片山は落下傘候補」という口撃に対し「向うが地域密着でも良いんです、私は小泉首相に選ばれたんです」といった調子であった。危機感をもったコミ戦は片山が「どうしてそこまで言われなきゃならないの」という強い反発を押し切り、髪型を変えさせ、ブランドものを外させ、演説の第一声は必ず「本籍も移しました。この静岡に骨を埋めます」と言わせた。また岐阜の野田聖子の刺客である佐藤ゆかりの場合は「飛騨の白川郷には旅行で行ったことがあります。とてもいいところで大好きです」といった能天気な発言をすぐに「この岐阜に嫁ぐつもりでやって来ました」と変えさせた。
関係者が発信したあらゆる情報は全て幹部がチェックし問題があればすぐに修正させる。一時は郵政のみで攻める戦略を民主党が唱える年金問題に超えられる危機感から、コミ戦も年金にシフトすべきかどうか迷った時期もあった。しかし8/31の意識調査で、関心ごとが再度郵政に戻っていたことを確認し、最後まで郵政で突っ走る決断をした。
かくのごとく今回の選挙の舞台裏では、刺客候補のセリフや、短気な管直人との討論相手には冷静な竹中をぶつけるであるとか、テレビ出演の時には何を喋るかまで、選挙戦略は全てこのコミ戦の指揮下の下で展開された。
これは、CIAやFBIに見られる明らかなアメリカ流の手法であり、それを担ったのが米国留学で広報の学位を取った代議士と聞けば納得がいく。
マスコミもその戦略を知っていたかどうかは不明だが、明らかなことは完全に小泉コミ戦の戦略に同調し、片棒を担いだことは確かである。
わが国の政策の根幹が毎年米国から突きつけられる年次要望書に沿って、決められていくことを殆どの国民に知らせてこなかったことや、また湾岸戦争の時の油にまみれたかもめをフセインの悪行と鵜呑みにし世論操作に荷担したこと(実はやらせであった)や、今回の選挙報道が米国流の徹底した管理報道の下にあったこと等々、知らなかったでは済まされないマスコミの権力者同調志向に冷徹な視点を持つ必要があることを改めて感じた。


 
庄恵三

誤魔化しを見抜く目

>昨今のニュースを見ていると、このような違和感の持ち方は、マスコミ報道への違和感と直結する事が多い。マスコミがワイドショーやニュース番組等で総力を挙げて(?)報道する事件に対して、「何が根本の問題になっているの?」「考えないといけないようだけど、何をどう考えたらいいの?」という違和感を持っているようだ。確かに、基本的にマスコミ報道からは、「何の問題が騒がれているか」が非常によく分かる。また、そればかり報道され続けると、考えないといけないような気分にさせられる。

内藤さんの投稿にある通り、連日のマスコミ報道によって、考えないといけないような気分にさせられるという実感があります。しかし、いくらニュースやワイドショーを見ていても、「考えないといけないような気分」は一向に「気分」のままであり、思考回路が働かずに次の話題に移っていくといった事をよくしてしまいがちではないでしょうか。

マスコミにとってはテレビの視聴率確保を始めとして、自己の立場を存続していくためにとにかく話題性を提供する事に躍起になっています。マスコミがあれだけ騒ぎ立てて報道していることの理由が、適正な情報を万人に報道しなければという正義感からでも、庶民に娯楽を提供して充足感を与えようという思いやりからでもない事は、誰の目から見ても明らかです。当然、そのことは割り切った上で、視聴者はその報道を見ているわけですが、しかし、違和感までは感じるものの、その誤魔化し体質の本質を見抜く目までは、殆どの人が持ち合わせていないのではないでしょうか。


新理論(構造認識)が必要な理由はそこにあります。


潜在思念が少しでも働けば、生活の様々な場面で、社会に対する違和感を感じる事はできます。しかし、問題の本質は、それが問題であるという認識ができるかどうかというところも含め、見抜く目が必要であり、その目(ツール)として、構造認識は不可欠なものではないでしょうか。

マスコミがなぜ、あんなに捲くし立てるようにして、しかも次々と話題を変えながら報道していくのか。いくらニュースを見ても、その問題の本質が見えてこないのはなぜなのか。誤魔化し構造に気付くツールの獲得無しに、社会不全に対する答えの糸口は見出せないのではないでしょうか。

 
白石寛隆 

官からみんなへ

>国家と云っても掴み所がないが、その実体は官吏をはじめ、国家によって肩書きを与えられた学者や教師や弁護士や税理士etcの統合階級が棲息する場or機関と考えれば良い。

なるほど、国家をそのように捉えてみると、郵政民営化に代表される“官から民へ”というキャッチコピーが、ゴマカシそのものであるとあらためて認識できる。

要するに、官とは国家から与えられた肩書きに過ぎず、官から民へとは、その肩書きがあるか無いかの違いしかないということであり、市場の住民(私権追及の主体)という意味では何も変わらない。しかも市場がここまで冷え込んでいる以上、市場原理に委ねたところで、活性化するはずが無いことなど明らかだろう。

しかし、私権原理から共認原理への大転換に伴い、肩書きや身分は、もはや人々の活力源たり得ず、社会統合の役目を終えた。役に立たなくなった肩書きや身分など、解体されて然るべきだろう。だが、単に肩書きを解体するだけなら、私権追及の主体(=バラバラの個人)が姿を現すだけで、何の答えにもなっていない。では、どうするのか?

やはり、私権原理から共認原理への転換という認識が、決定的に重要なのだと思う。社会は、みんなの共認に委ねられる時代になったのだ。みんなが課題や役割を共認することで社会は統合され、みんなが共認した課題や役割⇒評価が、みんなの活力源になる。

従って、みんなの共認形成の場こそが何よりも求められており、それが統合階級やマスコミに牛耳られていることが、何よりも問題なのだ。つまり、官から民へなどと言うゴマカシの改革ではなく、共認形成の場を“官(マスコミ)からみんなへ”解放する(取り戻す)、という本物の改革が求められている。