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企業を共同体に変える時がきた

>外資が日本の企業を食い物にしようとしたら、赤子の腕をひねるようなものだと言う。<98733

三角合併とは、外国企業が日本に子会社を作り、その会社を通じて日本企業を買収できる仕組みです。
三角合併されれば、株式時価総額の大きい欧米の有力企業は、株式時価総額の小さい有能な日本企業を簡単に買収出来るようになります。今後、海外企業によるM&A(企業の合併・買収)の活発化が予想されます。日本企業にとって、敵対的買収からいかに自らを防衛するかが重要な課題となって来ます。

海外企業(アメリカ)と日本企業の株式時価総額を比較すると、日本企業は1/10以下です。

家電では、 松下電器産業:米電機大手ゼネラル・エレクトリック=1:10
物販では、イトーヨーカ:米小売大手ウォルマート・ストアーズ=1:14
石油では、国内トップの新日本石油:米メジャーのエクソン・モービル=1:30

企業合併により時価総額を増やした銀行でさえ
三菱東京フィナンシャル・グループ:米シティ・グループ=1:4

これらの数値を見れば、三角合併されれば、日本の企業はひとたまりもないことが分かります。

また、法務省は今回の通常国会で、新たに「会社法」案を提出し、「企業合併の際、吸収される会社の株主に、買収する企業の自社株だけでなく、現金や保有株式などの交付も認める。」方針のようです。日本企業は完全に侵略されます。
これに対して日本の各企業は太刀打ちできるのでしょうか?市場縮小の中で、今更、株式時価総額を極端に上げることは当然不可能です。
いよいよ、アメリカの圧力により制度も変わり、日本企業の買収が始まります。

対策案として、将来の収益予想を織り込んだ「理論株価」を試算し、敵対的買収の対象になった場合は、市場価格より高い理論株価の根拠を示し、株価を引き上げて敵対的TOBを阻む方法や、既存株主に安価で新株を発行し、敵対的買収者の持ち株比率を下げる「ポイズンピル」(毒薬)等が検討されているようですが、実現度はまだまだ薄いようです。


このことは、株式経済の限界を、また市場の限界を示していると思います。株式で設備投資資金を確保し企業を成長せる時代は完全に終わりました。こらからの株式とは、資金を持った支配階級とそこに侵略される被支配階級を作り出す仕組みでしかないのだと思います。このまま行けば、その中で被支配された企業の働く意欲は一段と衰弱し、閉塞感だけが更に進んで行く社会が予測されます。

今こそ、市場や株式制度から脱却し、企業を共同体に変革する時ではないでしょうか。

共同体体制にすることにより、自分たちで出資し、また企業意志に賛同する人だけが株式を持ち、企業を守ることが出来ます。
また、企業を共同体に変えることにより、今の閉塞した社会が待つ「活力衰弱」「高齢者・福祉問題」「子育て・少子化」等の答えを一からみんなで考えて解決し新しい社会を作っていくことが出来ます。その方向は、すでにこの「るいネット」でも議論されてきた通りです。
このまま日本企業がアメリカに買収されて行けば、今の日本の閉塞感は増大し、アメリカに完全に支配された国となることは明らかです。危機的状況ではないでしょうか。




村上祥典
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なんでいまさらアスベスト規制なのか?

なんでいまさらアスベスト規制なのか?

「静かな時限爆弾」として1985年頃から指摘されていたアスベストが、2005年6月末に大手メーカーのクボタのアナウンスによって、クローズアップされたのは、ごく最近のことです。アスベストの発がん性は、1972年から国際的に世界保健機関(WHO)や国際労働期間(ILO)で指摘され、世界的には、80年代にヨーロッパ中心に使用禁止されたことから、日本においても1992年12月に当時の社会党から、「アスベスト規制法案」が議員立法として国会に提出されましたが、審議されずに廃案となった過去の経緯があります。
また、この問題が日本で発覚する前に、アメリカでは、アスベスト訴訟により、多くのトップ企業(2001年10月に米国の多国籍自動車部品会社フェデラル・モーグルなどの上場企業)が、倒産しました。日本でアスベストの輸入が急激に伸びたのは70年代で74年に最大の輸入量35万2千トンを記録しています。70年代以降の輸入がなければ現在の中皮腫・肺がんの発症は半減しているともいわれます。

 まず、日本における1992年のアスベスト規制法が、廃案となった背景には、当時のアスベスト関連業界の労働組合が、社会党へ法制化反対の陳謝を要請し、規制は雇用不安を招く恐れがあると反対し、石綿協会は同党に文書で「健康への影響について誤解され、危険性を過大に受け取られることで、石綿業界は社会的に大きく制約を受けている」と主張し、「代替品についてはコスト高で資源エネルギーを余分に消費する。安全性確認も不十分で、安易な代替は望ましくない」とし、法案への反対姿勢をとりました。また、政党と省庁(当時の通産省)にも働きかけ、当時の宮沢首相(1991年11月5日- 1993年8月9日(首相在職期間))率いる自民党が、この法案を一度も審議されずに廃案に持ち込んだようです。

 アスベスト(石綿)とは天然に存在する繊維性のケイ酸塩物質で、超微細な針状ガラスです。ガラスなので、当然、その成分自体に毒性などはないのです。問題はその単繊維径 約0.1~0.03μmと言う小ささにあり、人類が自然界にある状態から、更に細分して使用しているところに問題があるのだと思います。それが、人体から排出されず、発ガン性を誘発し、中皮種や肺がんを引き起こしている原因になっているのです。

 その背後には、企業と官僚、政治家、マスコミとの癒着と利権が見え隠れします。アスベスト業界と政府与党が己が利権を守るための図式があったということ。規制前は、規制される製品業界との癒着、利権を保護する動き、規制後は、その対策業界への利権の確保という構図ができあがるということです。莫大な量のアスベストを何十年にもわたって消費し続け、利益を享受したあと、今度は、アスベストは危険だ!と叫んで、このアスベスト除去という専門技術を必要とする市場ニーズが生まれます。危険物を扱うので除去費用はおそらく業界の言い値となるでしょう。

また、日本のマスコミは、この問題を、火がついたように集中的に報道しました。ほとんどの日本人は、アスベストはとっくの昔に解決済みだと思い込んでいたと思います。しかし、こうした事例が、突然、マスコミに浮上するときは、行政、業界、メディアが一体となった巧妙なトリックがあります。彼らは、政治家や官僚、資本家や企業の不正腐敗の資料など山ほど持っていますので、絶対に表には出しません。それは、彼らとその関係者の利権を守るためです。メディアがそうした不正腐敗を表にするときは、新たな利権が生まれるときです。この「アスベスト」がいい例だと思います。
なぜ、いまになってアスベストがメディア上にでてきたのか?メディアが、今日までアスベストのことを知らなかったとは思えません。建築業界、旧建設省、建設族議員の巨大な利権のために、メディアは口を閉ざしてきたのだと考えられます。すべてが手遅れになって、新たな利権構造「アスベスト除去という利権」を構築してから、表にすることによって、アスベスト利権に、二重に加担してきたのだと見てよいと思います。

メディアというのは、日本に存在する巨大な利権機構の一部です。独立した存在などではありません。メディアが隠すものの中に真実があり、メディアが声を大にして叫ぶものの中には非常に巧妙かつ姑息な罠があるとみてよいとのではないかと思います。

なんでいまさらアスベストか?それは、マスコミと企業と官僚、政治家との利権構造の変化という事実を隠蔽して、己の私権獲得のことしか考えていない情報だからこそ、庶民はそのような疑問を持つのだと思います。「マスコミ、メディアの勝手を許すな。監視せよ」は、「身勝手な古い私権構造を存続させるやつらは赦すな!」という意識につながってくると思います。アスベスト問題から学ぶことは、私たちの快美欠乏への自戒をも含み、社会の市場原理、私権原理の破綻と事実の隠蔽の怖さを教えるものだと思っています。 


近藤文人

「近代思想」そのものは大衆には根付いていない

>'70年以降、あまりにも自分主義の弊害が大きくなってきたので、「他人の自由や権利を最大限に尊重するのが、本当の個人主義だ」という論調に変わってきました(そうでないと人々の共認が得られない)。(972)

 露店でお客さんと話している時のこと。よく出てきたのが、「自分を持つ」とか「人それぞれ」ということば。その言葉だけを捉えてしまい、上記のような個人主義に立脚した発言だとして対立してしまったこともあったが、何かかみ合わないというか、ズレを感じていた。

 「自由、個人、権利」などの観念を核とした近代思想も、かつては輝きを放っていたが、貧困がほぼ消滅した70年代以降は急激に輝きを失っていき、大衆から見捨てられていった。だから普通の人は、「自分」とか「人それぞれ」という言葉は使うが、その立脚点を「個人主義」という思想に置いている人はほぼいないと思う。「自分」「個人」「人それぞれ」といった類の言葉は、そういったところから用いられているのではない。

>分かり易い言葉というのは、要は価値対立の起こらない言葉であり、誰もが認める言葉のことである。

 こっちが答えなのだと思う。誰かと価値対立を起こさないように使ったのが「人それぞれ」であり、分かり易い「自分」という言葉であっただけのこと。新しい概念、言葉がないために旧い言葉をよりどころにせざるをえなかっただけで、中身は決して近代思想を原点にしてはいないということ。その言葉だけを捉えて、「それは個人主義だ!」と批判すれば、的外れもいいところ。言葉のみが浮いてしまい、相手は引くだけだ。

 このるいネットでは、近代思想(旧観念)の問題性を明らかにすることが一つの議論の核であったと思う。その議論の中でわかってきたことは、「近代思想そのものは、決して大衆に根付いた思想ではない」ということなのではないだろうか。だとすれば、とっくに見捨てられた旧観念をわざわざ引っ張り出して批判するのはムダになる可能性が高く、やってもズレるだけ。「普通の人はそのような考えなどとっくに見捨てている」という認識は非常に重要で、それを忘れてはならないと思う。

 むしろ注意しなければならないのは、今議論の中心となっているマスコミの発信であり、彼らを監視していくことの方が、今は学者批判よりも求められていることなのではないか。


矢野悟

電通の力の基盤は何?

マスコミの共認支配の構造を解明するにあたって、確かに電通の存在は見逃せない。TV、新聞、雑誌、ラジオなどの主要メディアで圧倒的な広告シェアを握り、電通に逆らっては、マスコミの経営は立ち行かないほどの支配力を持っている。その支配力を武器に、番組編成や流す情報にまで圧力をかけ、世論操作をすることも可能である点では、マスコミの影の支配者であると言ってもいい。さらに言えば、自民党や政府ご用達の情宣機関としての役割を担ってきた会社でもあり、毎回の選挙でも、その首謀者であったと見て間違いない。今まで、見過ごされてきた点かも知れないが、電通の支配力の構造は究明しておく必要があると思う。

そもそも、元はと言えば、ただの広告屋(明治時代は借金取りと広告取りは裏口から入れと言われるぐらい、扱いの低い仕事だった)にしか過ぎなかった会社が、なぜここまで支配力を持つようになったのだろうか?

たかが広告と侮れないのは、物が売れない時代になって、企業の売上がますます広告頼みになってきているという傾向があるからである。商品自体で差別化が難しくなると、商品や会社ブランドの持っているイメージで差別化を図るしかないわけで、そこに広告ニーズが増大する余地はある。マスコミも営利企業であり、その経営が企業からの広告収入に拠っているのだとすれば、収入源たる広告を牛耳る代理店が、支配力を強めるのも当然と言えば当然ではある。

しかし、より突っ込んで考えてみると、そもそもなんで商品の売れ行きが広告に左右されてしまうのか?という疑問が残る。多くの人は、広告なんてものにはたいして注意を払っていないにも関わらず、なんで広告の露出度が高いものを買ってしまうのであろうか?

それは、非常に逆説的ではあるが、人々にたいして欲しい物がなくなり、何が本当に必要かの判断基準がなくなってしまったからである。必要か否かの判断基準がなくなってしまったが故に、人々が注目しているであろうと思われるところに注目が集まり、商品の売れ行きが左右されるのである。そのような注目共認を無理矢理にでも作り出すのが広告業の役割であり、それ故、とにかく目だ立たせるとか、繰り返し露出させるとか、わかりやすいキャッチコピーに訴えるとか、都合のいいところばかり強調するいった広告の基本戦略がますます有効になるのである。(たいして注意を払っていないにも関わらず、いつのまにか洗脳されてしまうのは、おそらく判断能力がない状態にしておいて、何度も繰り返すことによって、潜在思念に刷り込んでしまうといった広告理論があるのだろう。)

つまり、人々の間に判断基準がない(言い換えれば答えがない)という意識状況があるが故に、注目共認への収束力が高まり、注目共認を作り出す戦略に長けた広告業が支配力を強めているという構造があるのではないか。そのような観点で、今回の小泉翼賛キャンペーンを振り返ってみると、小泉のマスコミ対策は、全くもって広告の基本戦略に沿ったものであったことがわかる。

広告の基本戦略によって、商品の売れ行きはおろか、今や政治的・社会的な世論を操作することさえも可能になったというのは、由々しき事態であると思う。マスコミの背後にある広告戦略の危なさにも注意を払っておく必要がある。


雪竹恭一

路上で聞いた「アメリカ支配の足音」

最近、露店で政治系お題をやり始めてから、お客さんからいろんな情報を得る。特に男性客からの発信が注目される。その中でも、気になる二点についての報告です。

①「みんな景気が悪いというが、今後は(日本の)株価がドンドン上昇するよ。国債バブル? 違うよ、これからは新会社法バブルだよ。」

②「こういう場(=路上で共認形成)は今まで無かった。でも、今度の国会で共謀罪が成立してしまったらヤバイよね。」

新会社法?共謀罪?。普段は大衆紙しか読むことのない私にとって始めて聞かされる言葉だ。露店の看板には「アメリカ⇒官邸⇒マスコミの共認支配を許すな!」と掲げており、これに対する発信だとすればその背景を調べる必要を覚えた。そこで、ネット上で少し調べて見ました。

■「新会社法」に関する指摘
リンク

> 構造改革の本質 (=日本金融植民地化計画)
>1)日本型資本主義から米国型資本主義に
 …… こうしないと会社買収がやりにくいでしょう?
>2)民営化を促進して、小さな政府に
…… 民営化したら買収も可能ですね.また小さな政府は弱い政府でもある.
>3)自由化を促進し、外資導入歓迎で、会社法を改定に
…… 既に新会社法は可決され2007年施行!.これで外資は自由に企業買収できる.

■「共謀罪」に関する指摘
リンク

>「共謀罪の危険な法律的構造」 
>政府が今国会での成立を目指す、現代の治安維持法と言うべき共謀罪は、国連の「越境組織犯罪条約」の批准にともなう法整備として出てきたものです。この法案は、犯罪の実行行為が行われなくても相談や確認をしただけで処罰ができるというものです。

>共謀罪の対象となる犯罪は、刑法・特別刑法で550を超えます。道路交通法、消費税法、公職選挙法……。なんでもありです。たとえば、消費税反対運動をした場合も処罰の対象になる。一般の人には関係がないと思われるような、組織性、団体性ともいっさい関係がないと思わせるようになっていますが、実際は刑法の改正を狙っているのではないか。結果が発生しなければ犯罪ではない刑法43条を、未遂でも処罰が可能とする真の意図が感じられます。

・「新会社法」を知ると、外資ファンドによる最近話題の阪神タイガース買収の動きも理解できる。又、証券会社による地元の公民館でも行われ始めた個人ネット取引無料講習会や梅田の一流ホテルでの株式講習会などの動きも繋がってくる。株価の上昇予測の背景には、外資による日本買いが呼び水となって個人金融貯蓄が市場へ流出し始めている。いよいよ、アメリカによる日本市場支配が本格化した。

・「共謀罪」は始めはピンとこなかったが、適用範囲が不鮮明であり運用次第で国家権力の介入が有りえるとしたら恐ろしいことになる。道路交通法や公職選挙法と政治活動(政党や市民活動)に対する拡大解釈がまかり通るとしたら本当にヤバイ。露店活動にも影響する。こんな法律が成立したら正にファシズムだ。

他にも、私たちが知らされていない重要なアメリカ支配の制度がある筈だ。危機察知は生き残りの生命部分。今こそ、みんなの情報を集約してアメリカ支配の実態を告知していく「情報の拠点」が先ずもって必要となる。もはや、売国奴と化したマスコミは全く信用できない。

 
橋口健一

民営化の陰で「共謀罪」が成立されようとしている

05年10月4日に「共謀罪」が閣議決定された。早ければ1ヶ月でこの法律が成立してしまう。大衆がイメージしている「民営化」とは全く正反対に位置する、共認支配を強める危険性のある法案である。

リンク
> 犯罪を実行していなくても組織犯罪の事前相談に加わっただけで罪となる「共謀罪」の新設や、コンピューターウイルスを作成すること自体を犯罪とすることなどが柱だ。
 国際組織犯罪防止条約とサイバー犯罪条約批准に向けた国内法整備の一環。国際組織犯罪防止条約は、110の国・地域がすでに批准し、アメリカやイギリスも批准に向け、国内法を整備している。政府は今国会で必要な法整備を終え、早期に条約を批准したい考えだ。
 政府は過去2回、共謀罪新設に関する法案を国会に提出しているが、「共謀の対象となる犯罪や犯罪組織の定義があいまいだ」などとして野党側の反発が強く、廃案となっていた。<

衆議院が解散後、閣議決定した「共謀罪」は国際組織犯罪防止(テロ防止)を表向きの理由にはしているが、この「共謀罪」は下手をすると「共認罪」に繋がる。

統合階級にとって、「観客(傍観)民主主義」を実現するには徹底的に大衆をバラバラにして組織化を防ぐことであり、已む無く組織化された認知集団は統合階級に迎合する集団でなくてはならない。新共認集団を異端視して合法的に解体させる「現代版治安維持法」だ。

大衆の共認を形成し何が問題かどうすればよいのか追及する本来の共認媒体ならば、この法律は本来は共認形成上極めて危険なはずであり、その重要性はマスコミがすぐに問題にする「表現の自由」の比ではないはずだが、どの新聞も極めて扱いが小さい。(「赤旗」はさすがにやばいと思っているようだが)

大衆がボーとしている間に、やば~い方向に向かっている危惧を覚える。
もっとも、この法律廃案に向けての運動もないことはない。
リンク

署名運動に走って法案成立を阻止するのも手ではあるが、それだけでは単なる反対運動にしかならないような気がする。
むしろ、このような事実や懸念を発信すること、根本のマスコミの対応のおかしさを指摘して、新しい共認の乱を形成することが重要ではないか。



吉国幹雄

マスコミ、電通、その傘下の業界、企業の力関係と小泉翼賛体制

マスコミ・マスメディア業界とはどんな構造をしているのか?ニュースや報道、広告制作や番組制作の大きな枠組みはどうなっているんだろうか?調べてみました。

まず、広告業界、放送業界、新聞・出版業界、イベント業界、インターネット業界の背後に、広告代理店が存在します。この代理店の基本的な企業形態は、各種のメディアの広告枠を必要とするクライアントに売り、手数料をとるという業態で、広告そのものを制作することもあります。日本で有名なのは、電通、博報堂、読売広告社、大広、外資系で日本で展開する総合代理店は、・マッキャン・エリクソン(米:インターパブリック傘下、博報堂関連あり)・I & S/BBDO(米:顧客に自民党)、TBWA/JAPAN(米:オムニコムグループ傘下)・JWT(米:J.ウオルター・トンプソン)・ピュブリシス(仏:その傘下のビーコン・コミュニケーションズ(レオ・バーネット、ダーシー、電通の合弁))などがあります。かつてより、広告会社は、各種メディアに広告費を通じて強い影響力と主導権を持つといわれ、情報操作まがいを批判されていて、ブラックボックスとなっているようです。

 要は、資本の脆弱な日本の放送業界などなら、代理店の金の力でどうにでもなる存在のようで、実は、新聞・出版業界も同じ状況だそうです。日本では、第二位の博報堂の倍の売上げのある電通が寡占・独占し、マスコミ、マスメディアをほぼ支配下に収めています。日本に限らず、マスコミ・マスメディア業界の全ての経営は、広告部門の収益営によるもので、広告収入が経営の全ての鍵を握っています。よって、報道部門さえもスポンサーの意向に背けないという構造があるようです。日本におけるそのスポンサーは、いまや、全て、アメリカの巨大ハゲタカファンドであり、巨大ファンドと通じているアメリカ・ネオコンからの支配を受けているようです。

一方、ニュースの問屋と言われる通信社(直接的に取材したり、報道機関からニュースを収集し、他の報道機関に配信する企業や団体で新聞社や放送局と違って自ら報道はしない。)は、日本では、社団法人の共同通信社、民間の時事通信社などがあり、海外では、APやAFPなど社団法人や半国営企業が中心で、ロイターやブルームバーグ、UPIなどの民間企業も存在します。日本では、現在、時事通信社の経営悪化にともない殆どが共同通信社にシェアを譲る形のようです。また、(株)時事通信社と(社)共同通信社は電通株をそれぞれ、12.4%、10.6%持ち、1,2位を争う株主であり役員を派遣しているようです。

また、電通の歴史は1900年まで遡ります。

>電通の歴史は1901年、広告業の日本広告株式会社と通信業の電報通信社のスタートに始まる。このふたつの会社は1909年、通信と広告を兼営する日本電報通信社となって新聞界に君臨するようになる。だがこの電通は広告では圧倒的だといわれるが、通信業のほうでは1926年にできた日本綜合通信社と競争する関係が続いていた。
 一方、報道への干渉を強めたい陸軍と政府は1931年9月の満州事変以降、国家代表通信社を作って国際社会に日本の立場を宣伝したり、情報操作にも役立てようと1936年、綜合と電通の通信部門を引き継いで同盟通信社(現在の共同通信と時事通信の前身)を設立した。当時の電通社長・光永星朗は様々な形で抵抗したとされるが、電通の通信部門を分離する代わりに綜合が持っていた小さな広告部門を電通が引き継ぐ形で決着した。この際、同盟通信は電通の倍額増資分の株式100万円を引き受けたが、これは政府が国策通信社・同盟を通じ、広告会社・電通も支配しようとした戦略でもあった。

その後、電通は、政界・官界・財界・マスコミ界に大きなコネクションを築いていったようです。

近年の通信社の経営状況は、外資系通信社との競合や加盟社からの収入源よりかなり厳しくなっているようです。その反面、広告代理店は、経営状況がよろしく、電通に出資している共同通信社と時事通信社の経営は、電通株に依存しているということになります。歴史的に見れば、3社は、一企業の分社、報道やニュースソースを経営状況のよい電通が、電通株を手放せない通信社に対して制御することは安易ではないか?と思います。資本金5億程度の通信社なら、年間売り上げ1.4兆円を超える電通にはたいしたことではないのだろうと思います。

 こうして、電通は、広告、新聞・出版、放送業界、また、報道をつかさどる通信社全般を背後のアメリカファンドの力を借りて、統制をとっているという構造が理解できます。一般企業の広告枠を牛耳るのも電通。その広告枠を統制すれば、顧客といえども、企業は電通に頭を下げざるを得ません。ちなみに、広告費がもっとも多い企業はトヨタで約950億円程度と聞いています。

また、視聴率調査会社で知られるビデオリサーチも電通グループ。電通の出資の多い放送局は、TBSです。

こうして、「電通にそっぽを向けると業界では生きてゆけない」構造が出来上がるのだと思いました。


近藤文人

“答え”を探索するよりも先に“注目共認”に流されている

>おそらくその中で現在人々は、同じく収束不全(本能不全)に陥った原猿時代の回路を使っているのではないかと思う。事実、原猿時代の共認機能形成の過程を辿れば先ず「相手注視(注目)」があった。
>現在人々は答え探索の中で無意識に、この評価共認以前の注目共認に後退収束しているのではないだろうか。答えが見えない中で取りあえず人々が注目していることを行動や判断の羅針盤にしていると言うことではないだろうか。これは目先収束とはいえ、答え探索の半顕在化現象とも言える。

これは注目共認(みんなから注目されていると思われているもの)に後退収束せざるを得ないほど、社会が複雑化し、観念捨象した結果とも言えるが、この注目共認が、思いのほか力を持っていることを考えさせられることが多い。

この注目共認は人が一人の観念だけでは社会が捉えられないことを悟り、無意識のうちに人々が注目していると思われているものを評価の対象とすることで、安心を得ていることが背後にあるのだと思う。言い換えれば、自分の観念を使って、社会を捉えられなくなった以上、“何が事実なのか”や“答え”を探索するよりも先に、“人々が注目しているのは何なのか”を無意識の内に探索し、そしてそれがあたかも答えであるかのように目先収束しているという状態にあるのではないでしょうか。(その現われか、新聞にせよ、テレビにせよ、人気度ランキングや視聴率、売れ筋等が強調されることが多くなったように感じます)。

現在人気のあるといわれる(人、書物、番組…)ものは、中身の良し悪しから発信したというより、マスコミ(企業)発の注目させるための仕掛けに乗じたものが多いのはこれまでにも明らかにされているところである。これは、みんなを軸にしているという点では意識潮流と整合するとも思われるが、それすらマスコミの誘導に載せられている状態であることに変わりがない。そのため、人々の評価らしい評価がほとんどなく、必要性が低い(評価共認にも満たない注目共認である)ため流行も直ぐに廃れてしまうのだと思います。

>しかし収束不全は最終的には答え=観念によってしか突破できない。目先に振り回される現在の状態から正しく評価共認を機能させる上で必要とされるのは、本来の評価基準=事実→「構造認識」なのである。


中野泰宏

共認原理の時代に、戦争を仕掛ける国

> 力による制圧以外に統合の方法がない以上、力によって統合するしかなく、諸国家は数千年に亙って戦争→支配→滅亡を繰り返してきた。
(30554)

日本を筆頭に世界の先進各国で私権活力が衰弱し、戦争という究極の私権闘争からは遠ざかっていく中、アメリカだけがなぜ未だに嬉々として戦争を仕掛け続けるのか、釈然としないものが残る。世界有数の武力、経済力を手にした以上、貧困(生存圧力)を脱し、私権・序列原理から共認原理に転換していても全くおかしくないからだ。

しかし、アメリカはそうはなっていない。国内的には、わざわざ“貧困を輸入”(88925)し、格差による私権活力や反のエネルギーを生み出している。そして対外的には、自らの意に添わない国をその都度見つけ、“敵国”を作り出しては様々な手管で追い詰め、最終的には戦争へと持っていく。まるで、誰も何も言っていないのに自分で勝手に怒りを溜め込んで、周囲に撒き散らしている癇癪もちの人間のようだ。

おそらく、アメリカには既に生存圧力から脱する基盤は潜在的にはできており、従って潜在的には共認原理に転換していると言っても良いのではないだろうか。現在アメリカが行なっている戦争は、従来の、外圧に対応した国家間の序列闘争とは性格が違ってきているのかも知れない。

例えば、ベトナム戦争の後、多くの米兵たちが精神に異常を来たした話は有名だが、近代までの戦争ではこのような話はあまり聞かない。むしろ仕留めた敵兵の数、奪った戦果が多ければ多いほど、誇らしげに武勇伝として語られるというのが当然だろう。この違いは、究極の私権・序列闘争である戦争という行為が、個々人の意識や体との間にズレを孕み始めたということではないか。食うに困らなくなった体は既に共認原理に転換しようとしているのに、ムリヤリ戦争という行為を強いたが故の病理だ。

建国時あるいはそれ以前(13412,97774)、いわば幼児期に刻印された共認不全の記憶が歴史観念を通じて継承、増幅され、本来は生存圧力を克服できる段階に至っているにも関わらず、覇権幻想に基づく他者攻撃と自己正当化を繰り返し、自らの存在不安を拭い去ろうとする。これが、アメリカの集団自我82960の中味であり、アメリカのやっていることがいじめのように見える98165理由ではないだろうか。


田中素

一番焦っているのは誰?

先日のなんで屋劇場で、「焦りの適応主体と、目先収束」というテーマを扱った際に、現在の政治に見る意識潮流として、収束不全から焦りの適応主体が、真っ先に目先や勝ち馬へと収束し、無理やりなゴマカシのパフォーマンスを受け入れる土壌を形成している、という構造は納得でした。
その中でも重要な視点として、答えが出せないが故の焦りは、庶民よりも統合階級=マスコミ・政治家の方が大きい、という視点は今後の情勢を計る上でとても重要な視点だと思います。

既に政治と、マスコミ権力の2軸が同化し、ファシズム化に入っている。しかも、その背後にはアメリカの圧力が明らかに働いている。
この構図を眺めると、実は巨大権力を元に圧力を強めているアメリカこそが、一番の焦りの主体なのではないか?と思えてきます。

市場原理の拡大http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/a007515fe78ed1e175ca03a630eabf1c限界は、先進諸国共通でとっくの昔に見えている(どの先進国も国債発行無しではGDP成長維持が不可能)事であり、私権に変わる活力源(お金の使い道)を模索している状況のはず。その中でも、相変わらずアメリカだけは貧富の格差を意図的に生み出し、あるいは略奪闘争(戦争)の大義名分を掲げ、ひたすら序列原理(力の原理)での統合を推し進めようとしているかのように見える。

事実を見れば、未だイラク戦争は収拾が付かず、民主化(自由化)への流れは一向に見えてこない。
国内情勢は、3つ子の赤字が膨らむばかりでなく、最近ではハリケーン被害を受けて、その対応の酷さにブッシュ政権の支持率はかなり危機的状況に陥っている。

自然災害は偶然の出来事ではあるが、その災害が思わぬアメリカの脆さを露呈した結果になっている事からも、アメリカはとにかく焦りに焦って、ただひたすら自国の理念、自由という御旗を他国に押し付けていくことでしか活路を見出せない状況に追い込まれているのではないだろうか。(リンク

アメリカの力といえば、軍事力・経済力(消費力)・情報力の3つが挙げられるが、この中で今後も有益に使えそうなカードは、情報力の一点に絞られていくように思われる。
軍事力での圧力には、大量破壊兵器の保有など、破壊すべきお題目が必要であり、消費力ではアメリカを簡単に上回る程の需要は、世界各地にまだゴロゴロと存在している。
とすれば、既に独占的なアメリカの情報力に対向しうるネットワーク形成と、その情報網を構造的に統合できる認識力こそが、アメリカの暴走に歯止めを掛ける最も有益な対抗手段となるのではないだろうか。

とにかく、日本は既にファシズム化に入った。しかし、民意(得票数)こそが、今後の日本を舵取りする最も有益な羅針盤だとすれば、まだ闘える地盤は残っている。このチャンス、逃さずものにして行きたい。


川井孝浩

「拒否できない日本」を読んで

>この本『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)=写真=は、米国政府が毎年10月に日本に提出する「年次改革要望書」の存在を暴く内容。10年来、日本の規制緩和政策が、独占禁止法や郵政民営化、先に成立した会社法など、すべて「要望書」通り実現していく様を描いている。

 もっとも、「要望書」自体は、米国大使館のサイトで日本語訳が読め、同書は《数年後の日本になにが起きるか知りたいときには必読の文献である》と指摘する。
(97621)

 文藝春秋社のサイトで注文後、2週間も経って届けられたこの本を読んで、最もショックだったのは、アメリカの内政干渉とも言える数々の要求を、「まぁ、今までよりよくなるということだし、アメリカ方式結構。変化を受け入れて、早く対応して時流に乗ろう。」という土壌が常に国内にあったという実感だった。

 指名入札からコンペプロポ方式への移行、阪神大震災後のタイミングにして逆に緩和の方へ改定された建築基準法の性能規定化、商法の改正、金融の自由化、裁判の迅速化を掲げた法曹人口の増員、etcetc・・・・。

 郵政民営化もサービスの向上や税収の増、官から民へ・・・・とマスコミを通じて喧伝されたが、それを真に受けてその気になった層はアメリカの国益になるような方向へ投票してしまった。

 だがアメリカは何も日本国民の利益を考えて数々の要求をしてきたわけではない。

 北京で開催された建築家世界大会の話から始まる、様々な分野における一連のアメリカの布石、その目的と動機に関わる考察を読み進めると、とても勝ち目のない相手の土俵に引き出されつつある現状が明らかになってくる。

 自由競争市場というシステムでの利権争いが変わらず繰り広げられている。金融・株式市場では企業買収や空売りなどのテクニックを駆使した勝者が、敗者から収奪していく。既に日本は参戦してしまっているが、外資が日本の企業を食い物にしようとしたら、赤子の腕をひねるようなものだと言う。
 
 勝者となるべく戦略を持って自国に有利な国際基準を整備し、他国に干渉し、布石を打っていく。勝つためには手段を選ばず、敗者がどうなろうと顧みることはない。「市場の勝者となる。」ために、財界政界法曹界一糸乱れぬ動きをとっていく。

 アメリカは日本の指名入札制度を非難し、圧力を掛け続けてきた。しかしイラク復興事業はアメリカの企業の指名入札でなされた。「アメリカ国民の税金を使う事業において、アメリカの企業に利益を還元するのは当然である」と開き直るアメリカ。それは日本が数々の非難を受けながら、言いたくても言えなかった台詞であったという。

 アメリカは常に正しく、日本は間違っている。日本の制度は不公平である。だから是正するように。と日本政府は要求され続けてきた。談合や贈収賄などの不祥事をすっぱ抜き、マスコミをうまく使い、日本国内にもアメリカ親派、アメリカ流儀肯定ムードを作り続けてきた。

 マスコミを通して洗脳され続けている結果、アメリカは日本という大事な同盟国に対して悪いようにするはずがない。という感覚がどこかにあったのではないか。

 EUという対抗勢力を作り上げたヨーロッパ諸国や、巨大な市場を楯にアメリカとの駆け引きに臨む中国に対して、アメリカの温情を信じて何も手を打ってこなかったかのように見える日本は、共認社会の先進国として可能性を拓くどころか、今や孤立無援でアメリカの餌食になりつつあるように感じる。

 でも、それにようやく気付いたからといって、アメリカに負けないよう、国際社会で多数派工作して市場競争に勝っていくことが日本が目指す道ではないのだろう。

 市場は縮小している。市場主義の限界・矛盾・破綻は明らかである。全ての側面に於いて共認原理に移行しつつあり、人々の活力源・可能性の所在、その意識潮流は動いている。そのシステムを一から創っていくことでしか根本的に問題を解決することはできない、ということを、リアルに迫る危機感のもと、改めて認識する。


渡邊かお里

「民主主義」その本質を問う

>民主主義は、私権統合国家の核心部を、(全く実質を伴っていない、形式だけではあるが、)身分制から合議制に変えた。その意義は大きい。合議とは共認であり、国家は社会共認に従う存在となったのである。だが、合議制になったにも拘わらず、なぜ国家→社会は根底から変わらないのか?その答えは、既に明らかだろう。確かに、国家は社会共認に従っている。しかしその社会共認は、全て支配共認なのである。(実現論3_1_01)

民主主義とは一体何なのか?国家統合が根本からガタガタになり、ファシズムへと突入しようとしている今、その本質を問うことが求められていると思う。

民主主義>人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。(大辞林)

民主主義とは、本来、万人が当事者として政治に参加すること=「共認原理の政治的表現」である。しかし現実的には、”人民が権力を有する””人間の自由や平等を尊重する”などの表現に代表されるように身分制度へのアンチ≒「市場主義の政治的表現」として登場している。それは、絶対王政・身分制の転覆という歴史的事実からも明らか。民主主義と言う観念そのものが、私権・市場原理によって生み出された旧観念であることは疑う余地がない。
また、市場主義に対立する社会主義が登場して以降の民主主義は、現代のアメリカに代表されるように「個人主義の政治的表現」としての意味合いを強めてきた。つまり、「民主主義」とは、「共認原理とは正反対」の市場主義→個人主義の政治的表現であるというのが現実だろう。
この「共認原理とは正反対」の現実を、主権在民と言う響きの良い言葉(=共認原理的言葉)で覆い隠してきた既存の民主主義の詐欺性は極めて重大である。
確かに、主権在民も、思想・表現・結社の自由なども憲法で保障されている。しかし、万人が主権を行使する場は4年に一度の選挙しかない。誤魔化しも甚だしい。思想・表現の自由はマスコミに共認形成の場を支配され、思考停止に陥って機能していない。
「共認原理の政治的表現」としての民主主義は、幻想に過ぎないと言うのが現実なのだ。

’70年貧困の消滅によって、社会は序列・私権原理から共認原理へと転換した。民主主義が本来の共認原理の観念であったならば、人々は文字通り「社会の当事者」として、政治に参加してきたはずである。しかし、現実には思考停止し、完全に傍観者へと成り果てた。
市場主義→個人主義の政治的表現と言う「共認原理とは正反対」の民主主義、マスコミに共認形成の場を支配された現実において当事者意識など生起するはずがなかったのだ。

現代、政治の場は、ファシズムと言って過言でない小泉政権に握られ、共認形成の場は旧観念・欺瞞観念を操るマスコミに支配されている。さらに、最近の投稿で明らかにされてきたように、両者は結託し、完全に社会統合の場を一色共認に染め上げてしまった。
4年に一度の選挙と言う誤魔化しだけでなく、今回の選挙に見られたように衆院の解散も、選挙の勝敗操作も、もはやマスコミと政治家(小泉)の思いのままである。共認原理とは程遠い、独裁支配体制が生み出され、本来の民主主義(=共認原理の政治)は完全に機能停止しつつある。ある意味で、今回の選挙で「共認原理とは正反対」の旧観念としての民主主義体制が完全に確立されたとも言える。

一方、人々には'02年収束不全の顕在化から進んで「焦りの適応主体」(98507)が生じている。

>最基底の本能次元からの【当事者意識の生起】ということであり、「傍観者から当事者への転換」⇒(みんな)共認社会実現に向けてのプラス要因と捉えることができます。(同98507

傍観者意識を打ち破って本能次元から芽生え始めた当事者意識。
その意識は、既存の民主主義の上での政治関心へと向かっている。しかし、現実の政治・共認形成と言う社会統合の場面は、「共認原理とは正反対」の独裁・支配体制。このまま、社会統合が共認原理へと転換しないまま支配され続ければ、人々は「焦り」から、どんどん目先へと収束し、社会は更なる閉塞(→破綻)へと追い込まれていく。

'70年以降、社会が共認原理に移行した以上、「共認原理の政治的表現」としての民主主義が後退することはありえない。当事者欠乏が芽生えた人々の政治意識は、本質的には本来の民主主義=「共認原理の政治」としての民主主義を渇望している。それを妨げ、目先に走らせているのは、政治家(小泉)と、マスコミの共認支配。

>人々は、マスコミと政治権力による共認支配を、明確な「敵」として潜在思念で感じとっているのかもしれない。言うまでもなく、明確な「敵」の存在は闘争圧力(活力)を加圧する。時代は、共認闘争圧力を必要としているのではないだろうか。(97509

敵は明白である。
なんでやによる、政治・社会系お題の展開(98572)、マスコミへの攻撃(97449)そして、るいネットでの数々の事実追求投稿を持って、共認闘争の幕は切って落とされた。
近代に実現できなかった、「共認原理」としての本来の民主主義を我々素人の手で、今、この時代に築いていくのだ!


西谷文宏

「勝ち組」って何?

世間で「勝ち組」って言われてる人々って、どんな人でしょう?政治家やマスコミ、経済界を見てみると、毒舌派だったり、みんながやりそうにない様な珍しい事をしている印象の彼ら。だけど、彼ら「勝ち組」のやってることってハッキリ言って中身が無い。批判するだけだったり、誤魔化してるだけだったりで、何をやろうとしているんだろう…って、疑問を感じる事も多々ある。偉業を成し遂げた訳でもないのに、何で「勝ち組」なんだろう?

そこでまず、「勝ち組」って言われてる人達の共通点を考えてみました!それは、いつもマスコミで取り上げられていると言う事です。実は、その内容はどうであれ「マスコミに取り上げられること=勝ち」と言う、あまりみんなには意識されていない構造が現代の社会にはあります。

>現代は「注目されれば勝ち」という時代である。そして注目度はメディアへの露出度によってほぼ決定される。実際ライブドアの堀江氏は世間の耳目を集める行動を意識的に演出し(プロ野球・テレビ局の買収、そして今回の選挙出馬)、それによってライブドアの知名度を上げ、株価を上昇させている。

ホリエモンのやろうとした、プロ野球・テレビ局買収も、選挙出馬も、結果としては全部失敗に終わっているのに、株価は結果的に上昇。勝ち星なんてひとつもないのにマスコミに取り上げられて国民から注目されればされるほど、「勝ち組」だって思っちゃう。

>現在人々は答え探索の中で無意識に、この評価共認以前の注目共認に後退収束しているのではないだろうか。答えが見えない中で取りあえず人々が注目していることを行動や判断の羅針盤にしていると言うことではないだろうか。

確かに評価云々よりも、答えを探している時って、まずみんなから注目されている所を見てしまう。みんなが注目しているって聞いたら、とりあえず自分もチェックしてしまう部分があります。

>現在は評価以前の注目が決定的に成ってしまった時代と言える。

それってちょっと危ない。一番大事なのは、やっぱり注目度じゃなくて当然中身です。注目先を作り出してるのはどう考えてもマスコミ。マスコミが注目するのは、最初に記述したようなちょっと周りとは違う変な人達。視聴率稼ぎの為に作り出されたニセモノの「勝ち組」に私たちって騙されてる部分がありそうです。


清水志保

電通を媒介にしたアメリカによるメディア支配

マスコミ支配の取りまとめ役として広告代理店の電通は、選挙でも重要な役割を担っていたようです。

以下の引用は、森田実氏の政治日誌より引用したものです。アメリカによる電通を通じてのメディア支配について、そして選挙運動中のマスコミの動きをかなり正確に予見している点で注目できると思います。
また、より支配を完成させるために、国民の受信料から成り立っているNHKに対する策動も始まっていることが見て取れます。

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7月28日の日誌より(参照:リンク

>日米関係に通じている友人によると、米国は日本を思うように動かすためにはまずマスコミを握らなければならないと考え実行してきた。そして、民放についてはほぼ目的を達した。民放を支配するのは比較的簡単だったという。広告業界が一元化されており、広告の巨大独占体である電通を押さえれば、民放を支配できる、というのである。
 民放で働いている知人は、「電通に睨まれたら民放はやっていけなくなる。個人的にも電通に睨まれたら民放では働く場所がなくなる」と語っている。
 電通を媒介にした米国による民放支配はほぼ完了した、といわれている。民放の報道番組はブッシュ政権と小泉政権の広告塔になった、というのが米国在住の友人の見方である。

8月8日の日誌より(参照:リンク
>日本の広告業界は、事実上、丸ごと、アメリカに買収された。日本の広告業界は巨大独占体のもとに一元化されている。この巨大独占体がアメリカ巨大資本に事実上買収され、アメリカのコントロール下に置かれれば、日本のマスコミを自由に操ることができる。マスコミ企業は広告巨大独占体に睨まれたら倒産させられてしまう。生きるためには巨大独占体の言うとおりにしなければならない。いまや巨大独占体はアメリカそのものといって過言ではない。ブッシュ政権の意向は、日本の広告業界、マスコミ界にそのまま通るようになっている。

>例外はNHKのみ。公共放送だからだ。NHKだけはアメリカも直接支配できないから、一方で政府・自民党を通じてNHKの政治報道に圧力をかけながら、他方で大新聞と民放テレビと雑誌ジャーナリズムを使ってNHKを解体させようとしている。NHKの民放化に成功すれば、NHKもアメリカと一体化した巨大独占体の支配下に組み入れられる。これが、NHKをめぐる事件の本質だ。NHKの最近の混乱の裏側で外国の諜報機関が暗躍したことは、関係者の間ではよく知られている。

>小泉首相はブッシュ大統領にとって最良のジュニア・パートナーである。したがって日本の広告独占体もブッシュ世界戦略の道具と化している。
>小泉内閣はいまや衆院解散・総選挙に向かって突進している。9月4日か11日が投票日だ。ここで小泉首相を勝たせるため、アメリカと日本の巨大独占体は各テレビ局と大新聞に対して、小泉を勝利させるために総力をあげるよう工作を強めている。

各テレビ局と大新聞は、この要求を受け入れ、全力をあげることを誓った、との情報が広告業界とテレビ界で流れている。 これから日本の民放テレビ、大新聞は、広告巨大独占体の指導のもとに、総選挙で小泉政権を勝利させるため大キャンペーンを行うことにしている。同時に反対派に対するネガティブキャンペーンを準備している。
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一方で電通と政府・自民党との関係は古く

>電通のもう一つの機能は、官僚および自民党のPR活動をしたり、《世論調査》を通して国民の《伝統的な価値》を支えることである。電通は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して《世論》を作り上げる手伝いをする。自民党の選挙キャンペーンというもっとも手のこんだ部門は、電通が引き受けている。原子力発電所の安全性の宣伝や、さまざまな省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。
 このような官庁および自民党のための仕事は、主に電通の《第九連絡局》でおこなわれ、ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。公式には民営化されたが実際には以前とほとんど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。この第九連絡局は、総理府の広報予算の三分の一以上、他の省庁の同四〇パーセントを吸収する〔原注3〕。また、自民党の広報宣伝予算についても、電通が独占に近い形で自由に使っている。
(以上参照:リンク


電通のアメリカ→小泉支援は、直接的には顧客としての政府・自民党や、今後顧客として期待される外資系(参照:98328)、大顧客としiてのトヨタなど輸出産業・・・の意向が働いているのではないかと思われます。

どうもはっきりしないのですが、アメリカと電通とは直接的に何か(ビジネスを通じた取引?)関係がある感じもします。
 
 また各マスコミに記事を配信する共同通信社や時事通信社が電通の株主であり、そこを通じたメディア支配や配信元である国際的な通信社との関係も気になるところです。



井上宏

アメリカ発『世論操作』

日本のメディアはNHKから民法まで、アメリカに世界の情報ソースを抑えられていることもあって、アメリカ発の情報を事実報道として垂れ流ししていることが多い。が、実はこの情報自体にアメリカの『世論操作』があることを押さえておく必要があるだろう。

>最初の現代的な世論操作から話を始めることにします。米国では、ウッドロー・ウィルソン政権の時代にさかのぼります。ウィルソンは、1916年、「勝利なき平和」を唱えて大統領となりました。第一次世界大戦のさなかでした。当時、米国民は極端な平和主義者で、ヨーロッパの戦争に参加する理由を何一つ認めていませんでした。一方、ウィルソン政権は戦争に荷担していたので、国内のこの平和主義を何とかしなくてはならなかたのです。そこで政府は、クリール委員会という政府の世論操作委員会を設置しました。この委員会は、設置後6ヶ月のうちに、平和主義の国民を、ドイツのものは全て破壊し、ドイツ人を八つ裂きにし、戦争に出かけて世界を救済しようと望むヒステリックな戦争屋に変えることに成功しました。<『メディア操作・世論操作の目覚しい成功』
リンク

上記は言語学者でもあるノーム・チョムスキーの著作『メディアコントロール』からの引用であるが、この「クリール委員会」がアメリカ内部の世論操作は無論のこと、特に映画を通じて海外へ「世界のアメリカ化」を形成するための最初の機関である。後に「USIA(米国情報代理店」へ引き継がれ、現在国務省に統合されているが、彼らの役割とはパブリックディプロマシ-である。
*パブリックディプロマシ-:「外国の市民を理解し、情報を与え、影響を与えることと、米国の市民や組織と海外のカウンターパートとの対話を促進することを通じて米国の国益と安全保障を高めようとする(旧USIAの定義)」政府の活動である。
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このパブリックディプロマシ-の特徴は、情報提供活動と教育・文化交流を包含するところにあるようだが、ウィルソンが設立した「クリ-ル委員会」発足時から、教育学者デューイなどの「社会の知識階級層」を登場させて御墨付きを与え一般大衆を鼓舞するやり方だ。つまり、「国家による組織的宣伝は、それが教育ある人々に支持されて、反論しがたくなったら、非常に大きな効果を生む」というのは現在でも通用する教訓である。つまり、情報提供(嘘)=メディアと教育(洗脳)制度は「世論操作」に欠かせない両輪でそれを保障するのが知識階級というわけだ。

具体的な事例としてチョムスキーは次のような点を上げている。もちろん、「デッチあげ」「捏造」情報は前提としてだが。

・ストライキ鎮圧に対する組織的宣伝は、公益に反する社会分子だと思わせるのがねらい。「全員が共生できるように、私たちは彼らの活動を止める必要がある。みな同じ利益を共有している。私たちは調和を保ち、ともに愛し合いながらアメリカニズムのために働けるはずだ」と、メッセージを広める。(「モホークヴァレーの公式」というらしい)
つまり、誰も「調和」や「アメリカニズム」に反対することはできない。つまり、実体のないものには反対しようにも反対しようがない。倒錯した感応観念は否定しようがない。先だっての選挙で鼓舞された「民営化」は、中身・実体がないから(中身・実体を明らかにしてないから)反対されない、ということだろう。これらの感応観念を何度も繰り返し繰り返し広報されることで、中身・実体がないことすら考えなくなる。

・何であれ「大衆を怖がらせれば勝ちだ」。拷問の様子やテロを取り上げて、大衆に恐れを抱かせ、それを解決することが正しいことだと認めさせる。盛んにテロを取り上げて、他の事実を捨象してそれが全てであるように鼓舞するのは何も今に至ったことではない。アメリカの常道手段である。ベトナム戦争しかり、日本の原爆しかり。「平和のため」「侵略者のための防衛」というおかしな論理が成立する。

アメリカの考える民主主義とはリップマンの言葉に代表される。
>「一般の人々は共通の利益というものを全く理解しない」ので、ものごとを処理できるスマートな責任ある特別な階級の人々がそれを理解して管理しなくてはならない<
少数のエリート(デューイが言うところの知識階級)は、私たち全てが共有する共通の利益を理解することができるが、「一般大衆」にはそれらは理解できないというわけだ。大衆は「とまどえる群れ」である。彼らは「観客」にとどまることが理想であり、唯一参加できる行動は「特別階級の知識人」を選ぶ(選挙)することである。

「観客(傍観)民主主義」…その実現のために大衆をそのように導くこと、それがアメリカの統合階級の考えである。この民主主義とはまさに全体主義ではないか。その実現=彼らの公益=私権獲得のために世論操作が今でも行われている。

報道される記事の内容も何が報道されるかもしっかり見極めないと、容易く洗脳されていく恐ろしさを感じる。
徹底して事実は何か、事実を明らかにする新しい共認媒体が求められる。大衆自らが新しいメディアと政党→統合組織を実現するしかないだろう。


吉国幹雄

ODA…そしてIMF・世界銀行の真の意図は…?

ODA(政府開発援助)というのがありますが、数年前まで、日本もなかなかええことをしてるんやな、と能天気にも思っていました。

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でも、この本『SEED』(ラデック・鯨井:本庄 敬 集英社)を読むと、かなり問題がありそうな感じがします(慎重に判断したいところですが)。

どうも、こういう事が行われているようです。

発展途上国は、資金を低金利とはいえ3%前後で貸し付けられて(与えるのではなく借金をさせる)、先進国が「近代化が遅れている」と勝手にレッテルを貼った地域をターゲットに開発していきます。

ダム建設や農地の大規模開墾や圃場整備などは、日本のゼネコンが受注してそこが中心となって行われることが多いようです。また、近代農業に必要な農業機械や化学肥料、生産性が高い(とされる)種苗なども、日本の機械メーカー・化学・製薬メーカー・種苗会社から購入されます。

政府が発展途上国にお金を貸しておいて、そのお金で日本企業ががっぽり儲ける(日本に戻ってくる)、というからくりです。

開発が終わったあとも、農業機械のメンテナンスや部品、そして燃料などを先進国から買うために、現地の人々は借金を続けなくてはならず、またそうして収穫した農作物はたいていの場合、激安の値段で買い叩かれることがほとんどなので、現地では借金で首が回らなくなる人々が続出します。実際、そのようなことになって、燃料を買う金もメンテをする金もなくなって放置されている農業機械(給水ポンプやトラクターなど)が、アジアのそこここにゴロゴロ転がっているそうです。

日本の援助によって作られたダムが、土砂災害や、下流の漁業に大被害を与え、現地の人々の生活に大打撃を与えている例もあります(スマトラ島のコトパンジャンダム) 。

あと、「緑の革命」 リンクの深い傷跡から立ち直ろうとしているバングラディッシュは有名ですね。

実はこの背後には、IMF・世界銀行(その背後にはアメリカ)の意図が巧妙に隠れています。少し長くなりますが引用します。

リンク
(「途上国はなぜ飢えるのか」Blog:報道写真家から)

>IMFや世界銀行の融資というのは、使用目的が制限されている。たいていの場合、農業や教育といった分野には使えない。食料生産を伸ばしたくても、農業にお金をまわせない。ただし、融資金を輸入食料の購入に当てることは許されている。そして、その場合の食料購入国もあらかじめ指定されている。要するに、アメリカや先進国から買わなければならない。隣国で小麦が豊作であっても買えないのだ。

>IMFによるこうした理不尽な制約を「コンディショナリティ:付帯条件」という。いくら理不尽でも、これを承諾しない限り、融資は受けられない。途上国には、選択の余地も交渉の余地もない。こうして、融資を受ける途上国は、100余もの付帯条件を甘受する。先に書いたように、農業や教育、福祉、医療といった分野には一切使えないよう条件が付けられている。それでも、無いよりはましと途上国は考えた。しかし、「コンディショナリティ」とは、罠以外の何ものでもない。

>IMFや世界銀行の融資というのは、鉱工業などの資源開発分野に集中していた。鉱物や石油・ガスの開発と輸出だ。また、それらに付随する産業や輸送手段の整備といった分野も含まれる。アメリカが必要とする膨大な原料や燃料を開発・輸送することに限定することによって、農業生産力をも奪うことできた。

>もともとの農業人口の多い途上国の労働力は、必然的にこうした分野に流れた。途上国の農業の衰退がはじまる。農業生産力が落ちた分、途上国政府は、融資金で先進国の農業製品を輸入するしかなかった。

>農業の衰退が進むと農産物の価格は上昇し、安い輸入品と競合できなくなった。農業生産で生活できなくなった農村人口は、都市へと流れ始めた。人口は時と共に都市に集中し、農業の衰退はさらに進むことになった。したがって途上国政府は、農産物の輸入を増加せざるを得ない。途上国の農業衰退と食料輸入は構造的なものになり、歯止めが利かなくなってしまった。


こうして彼らの思惑通り、資源は安くアメリカに入ってくるようになり、自国の農業生産品まで途上国に売りつけることができるようになり、ついでに自国の建設業者や農薬・種苗・肥料メーカー・農業機械メーカー・エネルギー企業が潤うことになった。

しかも、これらのエゲツないことを、途上国になんとなく「いいことしてやってる」と思い込ませながらやるわけやから、実に見事というしかない。途上国の悲惨な現状を助け、彼らの「人権」を守る、なんていう欺瞞観念で周囲を洗脳して、そういう大義名分で大儲け。“詐欺”もここまでいくと芸術的って感じです。

アマゾン.comに寄せられたこの本の書評の中に、こんなくだりがあります。

>日本のODAは女子高生と援助交際をする援助オヤジと同じレベルなのだ。自分の快楽しか考えず金を出すオヤジ。その援助のせいで女子高生は自立を妨げられている。日本とインドネシア間のODAもそう。日本のODAの場合、さらにタチが悪いのは金をやるのではなく利子がつく金貸しであること。結果、現地の住民はもともと豊かな暮らしをしていたのだが、援助の美名のもとに生活を破壊されるのである

「日本のODAは援交するオヤジと一緒」。厳しい指摘ですが、事実の一面を言い当てていると思います。

しかし一般には、日本のマスコミ等のメディアも、なんとなく発展途上国を支援する行為は「いいことだ」と報道しているし、社会常識もなんとなくそうなっている。そして、漠然と「何か役に立つことがしたい」という気持ちを持つ若者を、短絡的「豊かになりたい」という一部の現地の人々の要求に応える行為に向かわせる。せっかくの、「途上国の人たちの役に立ちたい」という若者の純粋な意識が、結果的には、現地の人々を欧米型の「市場システム」に取り込み、現地の生活環境や共同体を決定的に破壊することにつながっていく。そして若者たちの「役に立ちたい」という意識は、農業や生活を破壊された人現地の人々の恨みや憎しみとなって戻ってくる。彼らが洗脳に用いる、“人権”や“豊かさ”などの欺瞞観念を剥ぎ取り、徹底的に事実を明らかにする必要性を感じます。


tanvool

「あなたの生きる道さえ示せない観念に意味があるのか!?」

現代ほど、固定観念による偏狭な魔女狩りに支配されている時代はないかもしれない。
 福祉であれ、男女同権であれ、嫌煙権であれ、それに反論を持ち出そうとすることさえ、憚られるような雰囲気が、社会に蔓延してしまっている。

 しかし、一方で、若者は「自分って何?」「やりたいことが見つからない」と、己自身の生き様の羅針盤を探している。
 若者だけではない。老人を含めた大人たちも、生きる実感、役割に飢えている。

 上記の偏狭な主張をする人々に問いたい。
 「あなたたちの押し付けている観念は、あなた自身の生きる道を示してくれるのか?」
 「あなた自身(を含めた大多数の人々)が活力、役割、生きる意味を見出せない現実をどう説明するのか?」
 「その現実こそ、実はあなたの観念は何一つ、『答』になっていない証拠ではないか?そんな観念にどんな意味があるのか?」と。

 絶対視されている観念が、実は、すべて(主張する本人でさえ)意識とまったくつながっていない。
 そんなイイ加減な観念を押し付けるのは、やめてくれ、と庶民がどんどん発信していくことが必要ではないだろうか。


阪本剛

何故注目度が決定的に重要になったのか?

現代は「注目されれば勝ち」という時代である。そして注目度はメディアへの露出度によってほぼ決定される。実際ライブドアの堀江氏は世間の耳目を集める行動を意識的に演出し(プロ野球・テレビ局の買収、そして今回の選挙出馬)、それによってライブドアの知名度を上げ、株価を上昇させている。また芸能人は例えば離婚や愛人騒動等一般的にはマイナス評価に繋がりかねないような事でもテレビに取り上げられることで注目度が上がり、出演料が吊り上って行く。更に今回の選挙における自民の勝利もその背景にマスコミへの露出度=小泉の注目度の高さがあったことも明らかである。それらの事例に留まらず、現在は評価以前の「注目」が決定的に成ってしまった時代と言える。

共認動物であるサル・人類は仲間の共認を羅針盤にし行動を決定しているが、その中でもとりわけ評価共認が羅針盤となっている。つまりどう行動するかの探索は評価共認によって方向付けられる。ところが現在はそれが注目共認に支配されている。これは、どういうことであろうか?

現在は収束不全の結果答えの見えない時代である。皆が無意識の内に次の方向性を探索しているとも言える。しかし現在は「答えが見えない」と言うことは、評価共認の前提となる評価基準即ち旧観念・価値観念そのものが相当にぐらついている時代でもある。

おそらくその中で現在人々は、同じく収束不全(本能不全)に陥った原猿時代の回路を使っているのではないかと思う。事実、原猿時代の共認機能形成の過程を辿れば先ず「相手注視(注目)」があった。

>不全課題を抱えて依存収束した弱オスたちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆく。実現論1_4_05

現在人々は答え探索の中で無意識に、この評価共認以前の注目共認に後退収束しているのではないだろうか。答えが見えない中で取りあえず人々が注目していることを行動や判断の羅針盤にしていると言うことではないだろうか。これは目先収束とはいえ、答え探索の半顕在化現象とも言える。

しかし収束不全は最終的には答え=観念によってしか突破できない。目先に振り回される現在の状態から正しく評価共認を機能させる上で必要とされるのは、本来の評価基準=事実→「構造認識」なのである。


北村浩司

放送法に守られた既得権益

マスコミの公共性原則については、電波法よりも、放送法に明確に謳われています。
電波法は主にラジオや無線設備、放送法はテレビを対象として制定されていますが、より影響力の大きいテレビの内容を規制するため、放送法では、電波法に定めのない、下記のような項目があります。

■編成の自由
放送番組の編成は、誰からも干渉されることがない

■編集の原則
・公安及び善良な風俗を害しないこと
・政治的に公平であること
・報道は事実をまげないですること
・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
・教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け、放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない
・放送の計画及び内容をあらかじめ公衆が知ることができるようにしなければならない
・聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。
・「番組基準」を定め、これに従つて放送番組の編集をしなければならない

「番組基準」とは、放送各社が自ら定め、公表しているものですが、基本的人権の尊重や、品位のある番組作り、等といった当たり前のような項目の他、不偏不党、公正な事実の報道という基準が、どの放送局の番組基準で謳われています。不偏不党という報道姿勢のあり方については、政府の立場は、これまでの国会答弁の中である程度うかがい知ることができます。

郵政省・江川晃正放送行政局長の答弁(1993年10月)
政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組が全体としてバランスのとれたものでなければならない。意見が対立している問題については、できるだけ多くの観点から論じられるべき。政治的公正をだれが判断するのか。最終的には郵政省である。

総務省・麻生太郎総務大臣の答弁(2004年6月)
政治的に公平であるとの判断は、一つの番組ではなくて、放送事業者の番組全体を見て判断をする。

放送事業者の番組全体で、というが、これは実現されているのか、きわめて疑わしいものです。
例えば、政見放送を各社は早朝の時間帯、誰もTVを見ていないような時間に放送していますが、これは、事業者に義務づけられているにも係わらず、NHK以外の民放は、視聴率にダメージを与えないよう、時間帯を調整しています。一方で、視聴率の高い時間帯では、明らかに量において、片方の陣営の特になるような番組作りをしている様に見えます。

やっかいなことは、ゴールデンタイムの報道番組の、有名キャスターや解説者の発言を取り出してみると、どうも反自民の色彩が強く、あたかもバランスがとれているかのように見えることでしょう。
彼ら自身は明らかに出自は旧左翼であり、権力批判体質を残存させた古臭い考えの持ち主ではあるのですが、特定の政治公約だけに的を絞る、と言うやり口は、結果としてみれば、どちらの味方をしていたか、明らかではないでしょうか。

しかしながら、もちろん、メディアに関わるものとしては、ヘビーローテーションで郵政改革を争点とした番組作りを行っていけば、必然的に、それ以外の主張をする党は、ふるい落とされるという事態は想定しているはずで、これは結局のところ、目立つ(わかりやすい)主張をする人間を番組に出演させたり、興味の対象として取り上げることが、視聴率につながる、ということだけを優先させた、悪質な手法であると思います。

こういう放送局が、一方で、語感の美しい番組基準なるものを掲げ、しかも放送事業を独占している、というのが現状です。もちろん、独立系のケーブルTVや、インターネット放送など、こうした事態に風穴を開ける機運も生まれてきてはいますが、かれら既得権益者による、新規参入者つぶしは、ライブドア騒動を見るまでもなく、すさまじいものがあります。
あまり大きく報道されることはありませんが、ライブドア以外にも、インターネットによる2次配信を行おうとした小規模な事業者に対して、民放からNHKまでが総動員で訴訟を起こし、ほとんど必ず勝訴し、事業の芽を潰しています。

誰よりも抵抗勢力的であり、よほど権益にさといのは、他ならぬ彼ら放送事業者であり、それは、彼らが、共認形成の媒体を独占することのうまみを、誰よりもよく知り、利益を享受してきたからなのでしょう。

渡辺卓郎 

米国の駐日大使の役割は日本の機関化?

>【年次改革要望書】 平成5年、当時の宮沢首相とクリントン大統領の首脳会談で、相手政府への要求を提案しあうことで合意した。実際は米国からの一方的な“ガイアツ”を制度化するもので、毎年10月、個別産業分野から行政、司法制度まで具体的要求が盛り込まれる。その達成度合いは『外国貿易障壁報告書』として米議会でチェックされる。<
>戦後、一貫して行われていたアメリカ支配が、政府要求として公式なものになっていたこと、それをひた隠しにしようとする動きに唖然とします。<

 駐レバノン国日本国特命全権大使のとき、イラク戦争に反対する公電を送り小泉首相の対米追従外交を批判して、外務省を辞めた天木直人という元大使がいます。
 彼が、米国の駐日大使トーマス・シーファー氏と彼の発言について、興味深い指摘を指摘をしています。

>外交はおろか、国際問題にまったくといっていいほど知見のない典型的な米国人である。ブッシュ大統領との関係が極めて深いというただそれでけで、駐日大使に任命された人物である。<
>彼がブッシュ大統領の意向を実現するというだけの大使に終始するだろうからである。<
>8月2日の日経新聞、「ひと スクランブルー人間発見」において「人間発見」は、このようなシーファー大使の正体を、みずからの言葉で明らかにしている。見逃せない貴重な記事である。<

>「・・・『日米関係の機関化(Institutionalization)』とでも呼べばいいのでしょうか。そうしたものへの基盤を我々の時に作り上げる事。それが大統領と駐日大使である私の『共通の目標』なのです・・・」<

>この機関化(Insutitionalization)という言葉こそ米国が日本をまともな主権国家と考えていないことを証明するものだ。これは誰が大統領になろうとも、誰が駐日米国大使になろうとも、日本との関係を一つの制度としておこう

玉川泰行

スパイ天国日本

日本の政界、マスコミ業界とアメリカ画策の一要因として、日本ほどスパイ天国の国はないということが挙げられる。

アメリカにしろドイツにしろ、他国の人間が自国内若しくは領海内に入って諜報活動を行えば、スパイ防止法によって捕らえられます。しかし日本ではそのような法律が存在しない為、日本国内で外国人がどのようなスパイ行為を行ってもそれ自体は合法になる。具体的に言えば、北朝鮮工作員やアメリカCIAが反日目的の情報収集、情報工作を行っても捜査する事すらできず、電波法、刑法、入管法等の日本国民同様の法律に抵触しない限り問題がない、というような状態だ。が故に、今までスパイが発覚した北朝鮮やソ連等の事件などは、他の法に抵触したもののみ検挙できた後に発覚したものであって、現実には表にでないスパイ行為は星の数ほど存在しているという。だから日本は国際的にもスパイ天国の国として有名である。

もちろん日本でもこのようなスパイ天国の現状に対し、スパイ防止法の策定は議論にのぼっており、時の中曽根内閣自民党が86年に法案を作成している。しかし、社会党、共産党の反発、さらには三大紙全てがスパイ防止法の猛烈な反対姿勢をみせ、結局スパイ防止法は立ち消えになっている。

親北の社会党、親露の共産党の反発はおいとくとして、何故マスコミがスパイ防止法を猛烈に反対したのか。
他国の利益の為に自国の機密情報を漏洩し、自国への情報工作を行う事は、スパイである。今回の小泉翼賛選挙に対するマスコミの行動には、これに当てはまるのではないだろうか。そして、このようなマスコミの言動は小泉翼賛選挙に限らず、ロッキード事件による田中おろし、二大政党をもくろむ選挙制度の改正、新党ブーム、橋本、野中つぶし・・・と70年以降マスコミが第一権力化して以降、あらゆる現象の裏にアメリカとマスコミの関係が見え隠れする。もしスパイ防止法が制定されれば、真っ先に売国の汚名を受けるのは、他ならぬマスコミなのではないだろうか。

この先マスコミに変わる新たな共認形成機関が誕生し、マスコミによる共認支配が解かれたときに、マスコミの問題性は必ず総括される時が来るだろう。

喜田育樹

アメリカによるメディア支配

アメリカからの圧力は硬軟両面から行われている。

◆1.外資系金融業の広告が急増している
昨年の外資系金融業の広告宣伝費の増加は武富士のCM自粛を補って余りあるようだ。
2004年の主要業種のテレビ・ラジオ・新聞・雑誌広告費の伸び率
リンク

◇金融・保険(前年比113.9%、構成比7.9%)
消費者金融が引き続き大きく減少したが、外資系を中心に医療保険を含む生命保険の増加が非常に大きく、外資系の自動車保険が活況の損害保険、個人口座や国債などで活況の証券、ICカード化したプリペイドカードなどが大きく増加した。<中略>媒体別では、保険や証券の伸びの大きいテレビが大きく増加している。<ここまで「電通資料室」引用リンク>

郵政民営化で外資参入の増加はマスコミ業界にとっては願っても無い増収になるだろう。
仮に手数料収入が資産の2%、売上に対する広告費の割合が1%とすると、郵便貯金370兆円の1割が外資に流れるだけでも74億円の広告費が見込め、現郵政公社も民営化され競争が激化するとさらなる広告費の増加が期待できるのだ。

◆2.買収圧力
ライブドアのニッポン放送買収騒動は記憶に新しいが、最終的にソフトバンクの関連会社がフジテレビの筆頭株主になったことを覚えている人は少ないのではないか。
96年に米FOXテレビを持つメディア王マードックと提携してテレビ朝日を買収(資本参加と表現されていた)に加わったのがソフトバンクである。当時は朝日新聞が株を買い受けることで和解したが、今回もライブドアに金と知恵をつけたといわれるリーマンブラザーズの背後にマードック+ソフトバンクがいるとも囁かれている。彼らはいつでも買収可能な体勢にあり、今回は脅しだけでも十分、マスコミに圧力が加わっていることだろう。
ちなみに米FOXテレビはイラク戦争報道においてもブッシュ翼賛報道を貫き、ニュース番組では3大ネットワークを越えた視聴率を獲得している。

この間の選挙・政局報道を見ていると、既にマスコミは支配を受けていると見て間違いないだろう。
辻一洋

統合サイトを素人の手で立ち上げる

>貧困が消滅し、私権の強制圧力がとことん衰弱してゆく以上、もはや私権によって(人々が私権に収束することによって)社会を統合することは不可能である。従って、教宣階級をはじめとする旧い統合階級の存在基盤は日に日に亙解してゆき、早晩消えて無くなるだろう。それだけに、長い間人々を閉じ込めてきた強制共認に代る、素人たちの手による共認形成の場の成立が急がれる。(9561)

韓国のインターネット新聞で、2000年に開設された「Oh my News」リンクは、市民がバンバン現場から写真と一緒に報告してくる記事が受けて、1日に十数万件のアクセスがあり、社会影響力の点で、すでにトップランクのメディアとなっているそうです。人口比を考えれば、日本の大手新聞のインターネットサイトの数倍の人がアクセスしている計算になります。

政府の支援を受けたり、指導で育ったわけではなく、1万人に上るといわれるリポーターからの情報を活用し、常に新鮮なニュース配信をモットーに、政治思想で統一された既存メディアからは発信されない、タブーを破る独自ネタなどにより、大衆の期待を集めているわけです。今や、インターネット新聞が掘り起こした問題に、既存メディアが追従している状況まで産まれ始めているようです。

日本でアクセス数が多いインターネット新聞は、既存メディアが配信しているものが多いのが事実ですが、2002年に開設された「JANJAN」リンクというインターネット新聞は、すべての市民は記者であるというコンセプトで運営されており、記者登録した市民が記者になって記事を配信しています。庶民の視点で書かれているものが多く、今回の衆院選に関する記事でも、投票者の半分が小泉にノーを突き付けていることや、メディアに対する批判を打ち出していることが目を引きます。

マスコミが配信する記事も掲載されていますが、記事に対しての意見が書き込めるようになっており、これまでの受信するだけという状態から一歩進んだ形態になっています。
インターネット新聞は、市民が起点となった情報発信の場であり、市民のための記者クラブ的要素とジャーナリズムの役割を担う媒体として機能していくのではないかと思います。

もはや事実をねじ曲げ、ゴマカシ報道しかしないマスコミによる支配を許しておくわけにはいきません。るいネットのような認識形成サイトが母体となり、インターネット新聞の情報発信機能を合わせ持った統合サイトを、我々素人の手で立ち上げていく必要に迫られているのではないかと感じます。

酒井裕志

反マスコミ連合

認識形成サイトとは、また違ったアプローチでたどりついてはいるが、ネットを丹念に見ていくと、すでに、マスコミに対する大きな不信感が渦巻いているのがよく分かります。
主義主張はバラバラですが、これら多方面からの声が、「マスコミ」はおかしい、という一点を共通項として湧き上がってきており、普通の人々が、既に潜在思念では、この答えに収斂しているようにも見えます。そこで、各分野からのマスコミ批判の代表的なものを、勝手にまとめてみました。

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■反人権派
主として、事件報道、犯罪者報道において、マスコミの姿勢に疑問を持ち始める。例えば、被災者の心情を無視する震災報道、少年事件や精神障害者が加害者となった事件での腰の引けた対応や、加害者の人権に配慮して、被害者やその遺族をないがしろにするような報道に対して反対の意志を示す。最近では、人権擁護法案に対するアンチを掲げている点で、他派とも重なる。組織化されておらず、ブログを主としてつながっている模様。政治信条も特に決まっておらず、「反人権擁護法」であれば、自民でも、共産でも共闘する。ある意味、もっとも普通の人を手広く視野に入れている。

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■旧左翼派
新聞メディアから姿を消した、旧左翼系の一派の漂着先。「○○市民ネット」など、新しさをアピールしているが、実は極左団体の隠れ蓑だったりする。もっとも旧観念に凝り固まっており、現実社会から追い出された、遺物集団。市民ジャーナリズムを標榜する、韓国の「OhMyNewes」などを理想としており、反日・売国的色彩が強く、他派との接点が最も少ない。ごくたまに、鋭い視点の記事も見られるが、タブロイド紙のゲンダイで相も変わらず展開されているような批判のための批判、あるいはオカルト陰謀論に終始しており、見るべきものがほとんど無い。

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■歴史認識派
ワールドカップや竹島問題、小泉首相の靖国参拝に対する中国や朝鮮半島の反日行動などを契機に、マスコミの報道の偏向に対し、反対の意志を示す。歴史問題を掘り下げれば掘り下げるほど、マスメディア、特に新聞・テレビの事実と異なる、異常な報道が明らかになるため、自分たちで歴史の文献を調べるなど、よく勉強しており、ネット上でもそうしたまとめサイトが多く存在する。民族主義的主張も多いが、政治的スタンスは、おおむね親米派と見られる。

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■民族主義派
歴史認識派と出自を異にし、どちらかというと反米の色彩が強いため別派とした。下記のチャンネル桜は、ケーブルテレビ配信による、独立系メディア。いわゆる右翼言論人が出演する。読むべき内容は多いが、一世代前の言論人が多いため、見た目がぱっとしないのが特徴。

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■宮台派?
社会学者、宮台信司および、彼を崇拝する人たちの一派。社会科学的アプローチによるマスコミ批判と共同体批判は、一部であるが、高学歴者層に確実に支持者を集めている模様。政治スタンスは、反米・リベラル主義。民族主義的主張は少なく、粘着質の日本的共同体批判によって、歴史認識派とは相容れない。共著やトークイベント共催も多い神保哲夫のビデオニュースは、欧米でも盛んなインターネット配信による、独立系メディア。民主党をイメージ的、心情的に肩入れしており、今回の総選挙では大きなダメージを受けている一方、メディアと政治との関係について、積極的な分析を試みている。(有料なので見ていません)

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表面的には対立しているこれら各派ですが、既存のマスメディアが全く役に立たない(それどころか、社会を変えてゆく上での邪魔ものでしかない)、という点では、誰もが気づきはじめているように思います。今後、現実の政治にコミットしてゆく場面では、こうした反マスコミ大連合を組織化する可能性も、少なくないと思います。

アメリカの戦争支配~過去の事実から

古い話になるが、太平洋戦争は1941年12月7日未明(日本時間12月8日未明)に、日本がハワイの真珠湾内の米軍基地を空爆したことに始まるが、当時アメリカは、これを「宣戦布告なき卑怯な奇襲攻撃」と日本を罵しり、アメリカ国内世論の沸騰と戦争意欲を画策し、成功したといわれる。

 60年余を経た現在、今度はアメリカがイラクへの宣戦布告の際、ブッシュ大統領はアメリカ国内のテレビ演説で「48時間以内の武装解除もしくは、フセイン大統領の亡命」要求という最後通告はしたものの、正式な外交ルートを通じてはいなかった。フセイン大統領にしてみれば、バグダッドへいきなりミサイルが飛んできたのであるから、布告無き「卑怯な攻撃」と言ってもよいだろう。過去、自ら非難した行為を犯してもそこに何ら矛盾を感じないというのがアメリカという国家である。

 アメリカは結果として、戦争に勝てば、それは卑怯な行為ではなくなり、負ければ、全ての行為は「不正義であった」と断ぜられる国なのであり、これこそが、圧倒的な軍事力を有するアメリカの徹底した論理である。



 イラク侵略戦争に至るまでの一連の国連安保理での交渉を見ていても、アメリカには、まず「フセイン政権と戦争をする」という結論が先にあり、その後で、相手をむりやり戦争に引きずり込むためにはどうしたらいいか?をこじつけているだけである。

 そして、相手に難しい要求を突きつけ、相手側がひとつでもその要求を受け入れたら、次々とハードな要求へとエスカレートさせてゆき、遂には「フセイン大統領の退陣」のように相手にとっては絶対に呑めないような要求をふっかけて、相手に何がなんでも「戦争」という手段を選ばざるを得なくさせるのが、アメリカという国の常套手段なのである。

 かつて太平洋戦争開戦直前の1941年11月26日の段階で、日本政府に対してアメリカが突きつけた要求も当時の国際常識からしても無理難題であった。

 当時、「戦えば亡国、戦わざるも亡国…」という言葉を日本国民に吐かせたのもアメリカであることを忘れてはならない。

 戦争における「ならずもの国家」は、実はアメリカのほうであり、ブッシュ大統領の言う「悪の枢軸」とは、実は米英両国自身のことである。

 アメリカ一国の軍事費は膨大で、第2位から20位までの諸国家の軍事費の合計よりも大きい。人類を数回絶滅させ得るだけの大量破壊兵器を保有するといわれている。

 たとえばオハイオ級の原潜は核弾頭24発を搭載可能でその1発はなんと広島型原爆の数百倍とも言われている。アメリカはこれらの原潜を太平洋上に少なくとも20隻近く保有している。つまり太平洋に遊弋する潜水艦のみで世界中を死滅させることができるのである。

 そのアメリカ合衆国は「自由」「平等」「平和」など極めて偏った宗教的ともいえる動機づけによって、その意思決定を行なっているが、「自由と民主主義を世界に広めるため」という表向きアメリカ教が説く「教義」の欺瞞性は世界一の軍事費にものをいわせた「力の支配」を行使していることから想像するに容易いだろう。

 また、世界の多くの国で共通して言えることは、その政権がその国が共産主義国家であれ、イスラム教国家であれ、独裁国家であれ、アメリカは自国の私権、利益に繋がるためならなんでも味方とし、敵の敵は味方につけるという単純な論理に貫かれている。

 イラクがクエートに進行した時、多国籍軍を構成した欧米諸国が自らの犠牲を払って守ったクウェートという小国は、ジャビル首長一族が支配する独裁国家といわれており、物質的には豊かであるが、クウェートには、議会も選挙もなく、途上国出身の労働者を二級市民としているとんでもない国である。また、聖地メッカの守護者を自認するサウジアラビアも、ワッハーブ派というイスラム原理主義を国教とする独裁国家であり、国家の名称が示すようにサウド王家が莫大な石油収入という富を独占的に支配する前近代的部族国家であり、もちろん選挙も議会もない。

 国王が首相を兼ね、皇太子が外相を兼ねるというまさに独裁国家である。これらの独裁王政が、国際社会において「所領安堵」されているのは、とりもなおさず、政府が「親米」という一点で、アメリカから庇護されているからである。

 一応は、選挙で選ばれた民主的なイラクのフセイン政権のほうが、反米であるという一点(イラン・イラク戦争ではアメリカはイラクを支援していた)によって、イラクはアメリカから軍事攻撃を受けたのである。

 再度、「世界に自由と民主主義を広める」というアメリカ国家のお題目が、いかに自分勝手でインチキ臭いものであるかは、ここでも明白である。

 この、「自分たち(アメリカという私権国家)に協力する勢力であれば、たとえそれが独裁者でも、その政権と組む」というアメリカの
基本的な政治方針にとって、中東の要衝は長年サウジアラビアであったといわれている。

 今でも、サウジアラビアにはアメリカ軍が駐留するが、それを「聖地の守護者」を自認するサウジアラビアの本音は、厳格なイスラム教的模範に基づくイスラム革命がイランから波及することを恐れて過去20年間にわたって「イスラム革命封じ込め」政策を進めてきたが、まさにその一点において、アメリカと利害が共通していたからであるといわれている。

 本来のイスラム世界では一部の王族に富が集まる体制を許していないからである。

 また、その見返りに、アメリカは世界一のエネルギー消費国である自国の必要とする原油の価格が上がり過ぎないように、OPECの最大メンバーであるサウジが、アメリカの利益を代弁して石油価格高騰に歯止めをかけさせてきたのである。

 世界はこのようにしてアメリカの軍事力でもって動かされており、この支配に反旗を翻す国は「まず、滅ぼされる」ことを知らしめる場が近年ではアフガン攻撃イラク攻撃であった。

 戦争がなくならないのはもちろん、国際社会、日本の社会が疲弊し閉塞していく元凶は、国際秩序を守るための「保安官」の顔をした「暴君アメリカ」が世界中を巻き込みながら自国の私権に目の色を変えているからに他ならない。

神家佳秀 

アメリカの郵政マネー獲得準備は整いつつある?

>…『ウォールストリート・ジャーナル』は「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との見方を述べている。
 3兆ドルとは、国民が郵政公社に預けている350兆円のことである。…(97941)

上記のようなコメントも、外資による日本企業買収の状況みると納得である。

>2005年1―月の日本企業対象M&A、件数ベースで過去最高
【東京 4日 ロイター】 2005年1―6月に日本企業をターゲットにしたM&A(企業の合併、買収)が、金額ベースで前年比118.6%増え、1088億ドルに上ったことがトムソンファイナンシャルの調査でわかった。半期の数値としては2000年上半期以降、最高水準。件数ベースでは、同19.2%増の1196件で過去最高を記録した。
>トムソンによると、世界全体では、前年比42.8%増の総額1兆2600億ドルとなり、日本企業を対象にしたM&Aが、全世界の8.61%を占めたことになる。

現在の、日本市場に対する外資の企業買収劇も日常的に耳にするようになった。

>KDDI(株)、米カーライル・グループ(The Carlyle Group)、京セラ(株)の3社は21日、KDDIの子会社であるディーディーアイポケット(株)(以下DDIポケット)の全事業をカーライルと京セラ、KDDIのコンソーシアムが買収することで合意したと発表…

>米カーライル、学生援護会をMBO方式で買収…
 
>村上ファンド、西武鉄道買収を提案・1株1000円でTOB
 投資ファンドのM&Aコンサルティング(東京・港)がコクドなどの西武グループに対し、西武鉄道の完全買収を提案していることが3日、明らかになった。西武グループ企業の了解を条件に、M&A社が欧州の大手金融機関クレディ・スイス・グループと共同で一株1000円で株式公開買い付け(TOB)を実施し、発行済み株式の100%を4300億円で買い取る…

>JTB(東京)が営業する神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ(神戸市)が、七月一日に米大手投資会社のローンスターグループに売却される…今回の売却で、神戸市内の大手ホテル六社のうち三社が米国系の所有となる。
>ローンスターグループは日本でホテル買収を進めており、二〇〇四年十二月現在でチサンホテルなどビジネスホテルを中心に二十九の直営店を持つ…

>東京スター銀:来月25日に東証に上場
 東京証券取引所は15日、東京スター銀行(東京都港区)が10月25日に上場すると発表した。同行の前身は99年に経営破たんした東京相和銀行。米大手投資ファンド、ローンスターが01年に買収、約400億円を投資し再建を進めてきた…

>旧ダイエー福岡事業のうち球団を除く福岡ドームとホテルなどの事業を2004年3月に米投資会社コロニー・キャピタルが買収…

有力投資会社がこれだけの投資を行うには利益を上げられるという見通しが不可欠である。彼らも儲からないところに投資はしないはず。アメリカの日本市場開放圧力にべったりの小泉政権だからこそ、見通しがたつのだと思う。

日本市場に開放される郵政マネーを、日本企業を買収または経営参加により、事業による利益,株式売買による利益を通して獲得しようと画策しているのだろう。

既に、アメリカの郵政マネー獲得準備は整いつつあるのではないか?

 

澤根和治

民意はどこへ消えた?

今回の選挙結果を受けて、参議院で郵政法案を廃案に追い込んだ議員達が、次々と賛成派に転換している。その大きな理由が、「民意を汲み取って…」ということのようだ。テレビでも何度か取り上げられていた。

しかし、97269で明らかなように、“民意”は決して小泉支持などではない。そんなことは、政治家はもちろん、ジャーナリストならば絶対に判っているはずだ。にも拘わらず、司会者をはじめ出演しているジャーナリストたちは、誰一人としてそのことを口にしようとはしない。彼らは全て確信犯であると、断言して間違いないだろう。

また当事者の政治家は、「民意に応じて柔軟に対応していくことも、政治家として筋を通すことになると思う」などと言っていたが、結局それも誤魔化しで、目先の保身が第一なので、初めからそんな気はさらさら無いということなのだろう。本当に民意に従うならば、とことん反対派として闘うべきではないのか?

今やマスコミも政治家も、すべて誤魔化しだらけ。
「いい加減にしろ!もううんざりだ!」これが本当の民意なのだ。

「誤魔化しは許さない!」「目先ではダメ!」という、みんなの共認圧力(監視圧力)を強化していくことが、共認形成の場を自分たちの手に取り戻すための、闘いの第一歩になるのだと思う。

小松由布樹 

マスコミは中立か…?

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福祉という言葉が思考を停止させる

>「福祉」と言う言葉を出せば、どれだけ莫大な予算がつぎ込まれても、全く問題にされないし(問題に出来なくなると言う方が正しいかもしれない)、成果は問われない。

 この投稿に象徴されているように、「福祉」という言葉が出てきただけで、それは無条件に「社会的に良いもの」と見なし、具体的な内容や成果については深く考えないという風潮が今の社会にはある。(これは愛、平等そして平和といった旧観念群に共通するものである。)
 
 このことを端的に表している現象が、このところテクノラティリンクの検索キーワードの第一位をキープし続けている「ホワイトバンド詐欺問題」であると思う。

 ホワイトバンドとは、中田英寿ら有名人が「指パッチン」しながら「ほっとけない世界のまずしさ」というキャンペーンで宣伝しているものである。これの何が問題になっているかと言うと、一本300円するこのホワイトバンドの売上の4割が流通費、3割が原価、残りの3割はNPOの活動資金に使われており、寄付金はなんと0円だった(つまり募金ではなかった)ということである。現在までの売上数は、日本だけでも200万個を超えているため、売り上げ総額は6億円にのぼるわけだが、このうちの一銭も貧しい国々へ渡っていないということになる。

 しかし、本当の問題は、ホワイトバンドが詐欺かどうかということではなく、このような代物に大勢の人達が無条件に(無思考で)賛同したという事実である。ほんの少しの思考(例えばどの団体が指揮をとっているか、売上はどのように使われるか)を働かせればこれがどれだけ如何わしいものなのかがすぐに分るはずなのに、「貧しい国々へ」や「3秒に1人の子供が死んでいる」といった言葉に思考を停止され、多くの人がいとも簡単に騙されてしまったのだ。

 このような構造は何もホワイトバンドに限らず、多くの現象のなかに垣間見ることが出来る。例えば先日行われた選挙がそうだ。少し考えれば、何のメリットもないと分る郵政民営化に多くの方が騙され、賛同し、結果300を超える議席を連立与党に与えてしまった。3年後に小泉に文句を言っている世間の人達の姿が今から浮かんでくる。 

 このような無条件に万人に「+」のイメージをもたらす言葉(=旧観念)が世の中に蔓延っている限り、そしてそのことに我々日本人が気付かない限り、この種の詐欺事件は後を絶たないだろう。

 耳障りの良い言葉達に思考を停止させられる前に、もう一度その言葉の意味を深く吟味することを忘れてはならない。


加藤弘行 

多数のマスメディアが、既成事実のように繰り返し強調して報道するとき・・

9で紹介されていたブログに掲載されていたマスメデイアとアメリカに対する内容を紹介します。
(このブログは、中司達也というフリーランスの報道写真家が管理していて、選挙前から「郵政民営化」の問題も訴えていました。)

(以下引用)リンク
>メディアのウソを見抜くというのは、簡単なことではない。僕自身が騙され続けてきた。あとになって「そうだったのか!」と悔しい思いをしたことはいくらでもある。

たとえば91年の第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」と「油まみれの水鳥」などは典型的な例だ。アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作をおこなった。世界が、みごとに嵌められてしまった。

「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器からだし、次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。しかし、この証言で世論は一気に会戦へと転じた。周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させてしまった。しかも、素人の少女のウソ泣きによって。

もうひとつの「油まみれの水鳥」の映像でも、世界はまんまと騙された。フセイン大統領がわざと原油を海に流出させたという証拠はなかった。アメリカ軍の爆撃による可能性も十分考えられた。しかし、米政府はサダム・フセインの暴挙だと非難した。「油まみれの水鳥」の映像はフセインの「環境テロ」として世界を駆け巡った。「極悪フセイン」のイメージが、世界の何億という人々の脳裏に焼きついた。この原油流出の原因は、今日では米軍の爆撃であるとされている。

この二つの事例は、情報操作の典型例として、かなり広範に流布してはいるのだが、人は忘れるのが早い。そして、いまだに世界はアメリカの情報操作にまんまと振り回されている。

2003年、パウエル国務長官(当時)は、イラクの「大量破壊兵器」の確固たる証拠を持って、世界の首脳に提示して回った。日本にも来て小泉首相と会談した。小泉首相は「(大量破壊兵器の)存在を確信した」と発言した。しかし2004年に、パウエル長官は大量破壊兵器について「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう」と証言した。小泉首相は、いかなる証拠によって、大量破壊兵器の存在を確信したのか。

あるいは、ジェシカ・リンチ上等兵の劇的な救出作戦も、安物の映画を模造した稚拙な演出だった。病院には、武装した人間は一人もいなかったのに、戦闘の末、救出したと宣伝された。暗視カメラによる迫真の映像だったが、リンチ上等兵の証言によってすぐにウソが露見した。

こうした過去の一連のウソから重要な教訓が得られる。つまり、
「多数のメディアが、繰り返し強調する事例はまず疑え」
ということだ。

ソビエト連邦=共産主義=世界の脅威
サダム・フセイン=大量破壊兵器=世界の脅威
タリバーン=原理主義=世界の脅威
「アル・カイーダ」=テロリスト=911、疸阻菌、ロンドン爆破=世界の脅威
・・・etc.

メディアが総出で、あたかも「既成事実」であるかのように連呼するとき、まず疑いの眼で見ることが大切だ。しかし、ことの真相をすぐに見抜くことはたいへん難しい。情報を正確に評価するのは簡単なことではない。しかし、疑いの眼で見ている限り、情報操作に振り回されることはない。メディアが大騒ぎしているときは、クールになろう。

また「感性や直感:こころの眼」もとても大切だ。「なんか怪しいな」「腑に落ちないな」という感覚は往々にして当っているものだ。ただ、そのあと理性がそれを打ち消してしまうことが多い。

安斎育郎氏(立命館大学教授)は、
『(人間は)部分の情報から全体をイメージできる』そこから思いこみが生まれだまされてしまう、と述べておられる。『(人間は)理性的だからこそだまされやすい』と。

過去の情報操作の具体的事例を知り、また、人間とはいかに騙されやすいものであるかを自覚しておくことが大切だ。

ソビエト連邦も、フセインも、タリバーンも世界の脅威ではなかった。
意図的に強調されてきたにすぎない。
「アル・カイーダ」は実際に存在するのかどうかさえ怪しい。
本当の世界の脅威とは、常套的に情報操作し、平気で他国を爆撃するアメリカ合州国自身ではないのか。

「油まみれの水鳥」について、日本のテレビ番組がそのウソを解説している。


麻丘東出