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政治家や官僚、マスコミの誤魔化しを断ち切る

>マスコミの「わかりやすさ」を求める姿勢などは、実は現実の問題を誤魔化し、全ての問題に答を出させなくしている元凶であると考え直さなければならない。

「郵政民営化」を巡る論争は、言葉の「分かりやすさ」とは裏腹に、何が問題なのか?がいつまでたってもはっきりしてこなかったし、今もそれは変わらない。ここに政治家や官僚、マスコミによって仕組まれた誤魔化しがあるのだと思う。

制度を改革することは、今までの制度に機能障害や機能不全が発生したことを示している。それを変えるならば、まず、なぜ今までの制度が機能しなくなったのか?原因追求をしなければならない。どんな制度であれ作った段階で、状況判断をし、今後の変化の見通しを立て、突破方針を立てている。したがって、制度が機能しなくなったとすれば、そのどこかにに誤りがあったはず。その追求なしに次の現実の可能性は見出せない。

しかし、これまで政治家や官僚は「改革をすればこれだけ良くなる」ということを言っても、「今までの制度はこのような状況で機能不全に陥りました」ということは一言も言わない。マスコミも良くなる部分だけを取り上げても原因追求をしようとしない。これでは政治家や官僚、マスコミが一体となった責任逃れ・誤魔化しとしか言いようがない。その繰り返しがここまで社会を閉塞させてしまったのではないか。

今必要なのは、徹底した原因追求であり、事実を共認することなのだと思う。もはやこれまで誤魔化し続けてきた政治家や官僚、マスコミにそれは期待できない。私たち普通の人々が立ち上がらければならない時なのだと痛感します。

  斎藤幸雄
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アメリカ支配の怖さ

「森田実」さんのホームページにアメリカ支配の話もありましたので紹介します。
「新・日本マスコミ論[1]――小泉政権と一体化し従属化した上、アメリカ政府に制御された日本のマスコミの罪と罰 」
リンク
>大衆社会の形成以来、マスコミは一種の絶対権力になった。~中略~
>わが国の小泉政権は、事実上、ブッシュ政権の傀儡政権になってしまっていると思う。
 『広辞苑』によると、「傀儡」とは「あやつり人形」のことである。「転じて、人の手先になってその意のままに動く者」のことだ。『広辞苑』には「傀儡政権」の項目もあり、「ある国の意思のままに操縦される、形式的にだけ独立した他国の政権。多くは他国を占領した国が占領地に樹立して、占領軍の直接行政を代行させる。かつての満州国やフランスのペタン政権など」と記されている。
 1945年から1952年のアメリカの占領下におかれた日本の政権(東久邇、幣原、吉田、片山、芦田、吉田の各政権)は、本質的には傀儡政権だったが、傀儡と見られないように、当時の占領軍も日本政府も注意して行動した。そして国民を欺くことに成功した。独立後、鳩山内閣と石橋内閣は独立をめざしたが、岸政権は傀儡化した政権だった。岸政権は日米安保条約を強引に締結し、批准することによって日本を従米国家として固定化させた。
 その後の池田内閣は経済中心に日本の自立を求めた。鳩山・石橋両内閣の場合は、直接的に政治的自立をめざしたが、池田政権は経済力を強めることによって日本の独立度の拡大をめざした。池田内閣のあとの佐藤内閣は、岸内閣と池田内閣の中間的性格の政権だった。佐藤政権の7年7カ月を通じて池田内閣の自立的方向は弱められた。
 佐藤内閣のあと登場した田中内閣は池田路線を継承し自立をめざしたが、石油ショックと対米関係で躓いた。三木、福田、大平、鈴木の8年間は、日本政治の混迷期だった。アメリカも混迷期にあったため、日本への干渉は弱まった。
 1982年に登場した中曽根首相は岸政権の対米従属路線を復活させた。中曽根内閣の5年間を通じて日米一体化、すなわち日本の従米化が進められた。
 中曽根従米路線は、このあとの、竹下、宇野、海部、宮澤の各内閣によって踏襲された。
 1993年夏登場した細川非自民連立内閣は、「自立」を志向したが、アメリカによってつぶされた。細川政権が短命に終わったことは、日本にとって大変不幸なことだった。
 羽田超短命内閣が終わったあと、自民党が政権に復活する。自民党は村山社会党委員長と結託し、政権を奪取した。
 村山首相は、従来の社会党の基本政策を捨て去り、大転向を行い、社会党をつぶした。村山氏は、日本の政治の中のチェック機能を、自ら根絶してしまった。日本国内から、日本国民の立場に立ってアメリカにもの申すことのできる政治勢力をつぶしてしまった。
 村山後に、橋本政権、小渕政権、森政権と、中曽根・竹下両内閣の継承政権(従米政権)がつづいた。日本の富はアメリカに吸われた。

 このあと2001年春小泉内閣が登場した。小泉内閣は岸、中曽根の「従米政治」を引き継いだが、単なる継承にとどまろうとはしなかった。自発的にブッシュ政権の傀儡政権化への道へ突進した。ブッシュ政権という新帝国主義に積極的に協力し、ブッシュ大統領を後ろ盾にすることによって、国内の反対派を抑えようとした。ブッシュ政権をバックとしたことによって小泉政権は第二次大戦後のわが国の政権としては最強の政権となった。これにオールマスコミが従った。
 日本の政治家も行政官も経済界もマスコミも野党も、強大なブッシュ米政権に睨まれたら一巻の終わりである。みなブッシュ政権にシッポを振った。
 日本国内のすべての勢力が、アメリカから睨まれないように従順になった。共産党までが反米のトーンを薄めたように見える。
 しかし、おびえた者ばかりではなかった。むしろ積極的に日本をアメリカと一体化させようとするアメリカ至上主義者が現れた。彼らが小泉政権の主導権を握った。これらアメリカ至上主義者らはマスコミを支配し、マスコミを通じて日本国民をマインドコントロールしようと努めた。大新聞、大マスコミから、アメリカにとってのマイナス情報はほとんど消された。アメリカにもの申す勇気をもった批判者はマスコミから排除された。

 郵政民営化問題を、小泉純一郎という一人の政治家の政治的執念の面からのみ説明しているマスコミ報道は、あまりにも一面的である。不公平である。真実を隠している。「小泉首相の個人的執念」だけに無理矢理限定し一元化して報道している新聞記者、報道記者、マスコミデスク、ジャーナリスト、評論家は、事実上、嘘をついている。恥を知るべきである。
 郵政民営化はアメリカ政府の10年にも及ぶ強い対日要求であるという事実を、政府とマスコミはひた隠しに隠してきた。
 アメリカ政府の日本政府に対する「年次改革要望書」――これこそが、日本の構造改革の指令書であり、日本政府はこの10年間、忠実に実行してきた。アメリカ政府の「要望」を受けつける担当官庁である、外務、財務、経産の3省は、すでにほとんど無条件的な受け入れをつづけている。小泉政権の構造改革は、ワシントン製であることは、「年次改革要望書」を読めば一目瞭然である。
 マスコミは、「年次改革要望書」の存在を知りながら、これを隠しつづけてきた。いまもなお隠しつづけている。この目的は、小泉政権をあたかも独立国の政権のように見せかけるためだ。同時に、マスコミが、裏側で、アメリカ系の諸々の組織にコントロールされている事実を隠すためなのではないか。
 わが日本国は、悲しむべきことに、現実には、アメリカの従属国なのである。政治家もマスコミも行政官も経営者も野党までも、国が主権を失い、他国の植民地と化することが、どんなに悲劇的なことか、考えようともしないのだ。多くの国民は、日本が立派な独立国だと思い込まされている。だまされている。
 日本国民は真実を知る必要がある。国民が真実を知ったとき、日本の未来は開けてくる。いつまでもブッシュ時代がつづくわけではない。米新帝国主義は行き詰まりを示し始めている。われわれ日本国民は小泉首相の従米主義を勇気をもって否定し乗り越えなければならない。これなしにわが国の未来はないと思う。  <引用終わり

もはや「自由に情報を取捨選択できる」などと言ってる場合ではないと感じます。こうした事実を知ることができなくなっている構造をまずしっかり認め、アメリカ→小泉→マスコミの共認支配に対するべく、草の根の共認運動を進めていくことの大切さを改めて感じました。
また、るいネット以外のこうした良質なサイトとの協働ももちろん推し進めていくべきだと思いました。

平川要

アメリカと自滅するのは御免

アメリカでは、旧来から官と民における人材の往来はきわめてポピュラーです。現ブッシュ政権でも、その多くの閣僚が元石油会社重役で占められています。副大統領のディック・チェイニーは、長年、石油関連の大手ハリバートン社を経営していました。国家安全保障会議の責任者コンドリーザ・ライスは、石油メジャーの一角を占めるシェブロン社で、9年間も社外重役を務めていました。商務長官ドナルド・エバンスは、天然ガスや石油を扱うトム・ブラウン社の元社長で、商務副長官キャサリン・クーパーは、これも石油メジャー・エクソン社のチーフ・エコノミストだった人物です。

 なかでも、ブッシュ大統領本人、テキサスの石油人脈が出自であり、長年にわたり石油業界に身を置いていたことを忘れてはならないでしょう。かれは、1978年に石油探査会社アルバスト・エナジー社を設立しましたが、それも1986年にはハーケン・エナジーに吸収されましたが、その取締役に就任しています。そこには、サウジアラビアからも出資がなされていました。また、1990年から94年までは、カーライル・グループ(父親の元大統領当時の政権メンバーが経営に関わる資産管理会社で、ウォール・ストリート・ジャーナル紙がビンラディン一族から大規模な投資を受けていたことをすっぱ抜いて話題になった会社)の子会社ケイタレア社取締役会のメンバーでした。要するに、クリントン政権が概して、ウォール街との人脈が濃厚だったのに対して、ブッシュ政権の要職は石油業界の人脈によって占められているわけです。

このようなアメリカ中枢の人脈を観る限り、アメリカは国家と市場を対立的な力として単純に認識することがいかに一面的な見方であるかを示しています。

 同時に、日本に対するアメリカ政府のざまざまな要求や提案は全てアメリカ市場の維持拡大を基点に考えられていると観てよいだろう。郵政民営化を歓迎しているのも自国の利益発である。

 国家と市場をめぐるパワー・エリートのネットワークがアメリカを中心に多様に、さらに積極的に国境を越えてヨーロッパやアジアへと積極的に形成されている。

 市場の縮小は国家の縮小とイコールであることを一番よく理解しているはアメリカ自身であろう。アメリカは現在、台風一つで航空会社が半分以上潰れることからも、実は極めて脆い国家に成り果てている。

 このようなアメリカに振り回されつづけられることは、世界中の自滅に繋がるだろう。

神家佳秀

もはやマスコミと直接対峙すべき

>上記の斎藤さんの投稿にあるように、「受信するだけではだめ」というところに可能性を感じます。即ち、現実を変えるためには、マスコミに対して発信をしなければならないということを意味しているのだと。(97374)

 最近のマスコミ報道に対する「何かおかしい」「ココが変だ」という思いは多くの層に浸透していると思います。

 そこで、実際にマスコミに電話やメールで質問や抗議を行った結果をまとめて投稿する板があると便利なのではないでしょうか。質問した内容や回答を見て、新たな疑問が湧いて来て発信する動機付けになったり、後から発信したい人の参考にもなると思います。既に某掲示板で似たようなまとめサイトもありますが(参考:リンク)、やはり初めての直接対話だとうまく話せない人も多いようです。他の人の話した内容を読んでみるのも大いに参考になるでしょう。

 そのサイトに各種団体の連絡先がまとめてあったのでリンクしておきます。

井草貴浩

アメリカの意志の公式な証拠

日本がアメリカに牛耳られている公式な証拠を見つけました。
以下はネット記事です。

>ナゼ読めない…「アマゾン」で1年超も品切れの本
米が日本に提出する「年次要望書」の存在を暴く

 日本最大の書籍販売サイト『アマゾン・ドット・コム』で、ある本の品切れ状態が続いている。絶版本や希少本ではない。昨年4月に発売され、今年6月にも9刷となったロングセラーで、版元も大手の『文藝春秋』。ただ、郵政民営化を含めた小泉政権の規制緩和政策が、なぜ、“米国追従”なのかを種明かしする内容だけに、憶測が飛んでいる。

 この本『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)=写真=は、米国政府が毎年10月に日本に提出する「年次改革要望書」の存在を暴く内容。10年来、日本の規制緩和政策が、独占禁止法や郵政民営化、先に成立した会社法など、すべて「要望書」通り実現していく様を描いている。

 もっとも、「要望書」自体は、米国大使館のサイトで日本語訳が読め、同書は《数年後の日本になにが起きるか知りたいときには必読の文献である》と指摘する。

~中略~

 一体、なぜか。文藝春秋の担当者は、アマゾンでこんな状態になっていることを知らなかった。取次ぎを通じて調べてもらったところ、「アマゾンからの注文が来ていないようです。理由は分かりません」という。

 ネット上では、「米IT企業の代表格として日本に進出したアマゾンは小泉改革を推し進めたい。先の総選挙では、小泉陣営の邪魔になるから売らないのだ」との憶測が飛び交っている。

関岡氏は「アマゾンは、私の本が読まれると、要望書の存在が広く知られ、嫌米論調を刺激することになるのを避けたいのでしょうか」と推測する。

 【年次改革要望書】 平成5年、当時の宮沢首相とクリントン大統領の首脳会談で、相手政府への要求を提案しあうことで合意した。実際は米国からの一方的な“ガイアツ”を制度化するもので、毎年10月、個別産業分野から行政、司法制度まで具体的要求が盛り込まれる。その達成度合いは『外国貿易障壁報告書』として米議会でチェックされる。

ZAKZAK 2005/09/16
>(リンク)


戦後、一貫して行われていたアメリカ支配が、政府要求として公式なものになっていたこと、それをひた隠しにしようとする動きに唖然とします。

内山竜太郎 

“民主党攻撃を強化せよ! 徹底的にやれ!”

>>色んな新聞社で世論調査のバイトをした人たちから、何通かのメールが来たんだけど、どの人も、「自分がカウントした調査結果と新聞発表とがぜんぜん違うので納得できない」と言うものだった。(97391 西澤さん)

この記述に関して、ネットで見つけた気になる記述を2つ紹介します。

リンク(「森田実の時代を斬る」より)
>「TBSラジオの世論調査」(9月2日)

>今朝のTBSラジオ、「スタンバイ」で政党支持率を調査していました。約100件の回答のうち、結果は以下でした。
 (1)民主党 43%
 (2)自民党 22%
 (3)共産党 10%
 (4)社民党  6%
 (5)公明党  2%
 (5)新党日本 2%
 (7)国民新党 1%
 (8)なし  14%

民主党の支持率がダントツで、各新聞社が出したアンケートとまるで違う結果になっているのに注目です。

リンクより

>2005年森田実政治日誌[313]
>テレビ・ファシズムの危機性高まる。投票日の9月11日に向けてテレビと新聞による「小泉賛美・野党攻撃」の偏向報道の強化が「再び指示された」と、内部からの訴え。

>テレビ界ウォッチャーのQ君から電話がかかってきた。
>「9月11日の投票日に向けて、テレビ局の上層部から、現場に対して“民主党攻撃を強化せよ! 徹底的にやれ! 視聴者の偏向報道批判など問題ではない! 小泉政権を守れ!何がなんでも勝利させろ! 放送法違反などという批判は気にするな!”との強い指示があったと、テレビ局内部の友人から知らせがきました。テレビ局上層部は“小泉首相を勝たせるためにはどんなことをしてもかまわない。誤報もおそれるな”という姿勢だそうです。おそろしいことになってきました。テレビ局は狂気です。ファシズムです。このことを国民に知らせてくれませんか。テレビ局は異常です。これをとめるには、視聴者が、テレビ局へ電話等で抗議するしか方法がないと思います。各野党からも抗議する必要があります。候補者はみなマスコミをおそれ、遠慮しています。新聞は、記事と世論調査と投書欄で情報操作しています。日本は危機です。テレビと大新聞が、小泉政権・自民党・公明党の宣伝隊になってしまいました。日本人の心が権力者とその手先のマスコミによって弄ばれています。」


裏が取れていない情報なので何とも言えませんが、もし事実だとすれば大変なことです。

マスコミ界の腐敗が進み、正義感を持って入ってきた若手が疑問を抱き、内部告発に…という流れができつつあるのかもしれません。それを拾い上げて世間の注目に晒すというのも、マスコミにまっとうな報道をさせるには効果的かもしれません。
 

蘆原健吾

マスコミがアメリカべったりなのはなんで?

最近のマスコミの論調はますますアメリカべったりになってきているように思います。今回の選挙の争点にされた郵政民営化も、元々アメリカの要求であったものを、マスコミがこぞって取り上げたものですし、最近の談合叩きやセクハラ・嫌煙キャンペーンなどもアメリカの論理そのままです。イラク派兵問題などは、選挙の争点として取り上げられることはなく、アメリカに対する疑問や批判はひたすら封印されたままです。かつての日米貿易摩擦や経済構造協議などの時には、日本の国益を代弁するような批判的論調もあったことと比べると、全く様変わりしてきていると言ってもいいと思います。

変わって、最近は、大きなニュースがある度に、世界のメディア、特にアメリカのメディアがどう伝えたか?ということを熱心に伝えるようになってきています。これは、単に世界のニュースを紹介するということを超えて、アメリカにどう思われているかを異常に気にしているようにも映ります。マスコミは、アメリカのご機嫌を伺っていると言ってもいいのではないでしょうか。

この変化の背景には、やはり、「収束不全故の力の現実収束」という判断が働いているのではないかと思います。アメリカから直接圧力がかかっているのか、政府当局から報道規制が敷かれているのかは伺い知れませんが、少なくともマスコミ人の判断に、疑問や批判で売るよりも、目先、力の強い方に従っておいた方が無難であるという判断があるのは間違いないだろうと思います。

かつてのマスコミには、反権力という旗印があり、庶民の味方であるという観念が存在理由を支えていました。ところが、序列原理が無効化してくると、権力批判・体制批判も無意味化し、それだけでは大衆の支持(視聴率・発行部数)は得られなくなってきました。それどころか、マスコミの無内容化が進んだ結果、大衆のマスコミ離れが進んでいます。これは、マスコミ人にとっては、庶民の味方であるという肝心要の観念が瓦解してしまう存立の危機と言っても過言ではないだろうと思います。

そこで、マスコミ人が依ってすがろうとしているのが、「力の現実」というわけです。大衆の支持を離さないためには、勝ち馬に乗ることによって、大衆の見方であるというポーズをとり続ける必要があるのです。これは、マスコミ人が伝えるべき中身を失い、自らの存在理由を失ってきている結果であり、庶民の味方であるという観念を守る最後の悪あがきと見てもいいのではないかと思います。

表面的には、マスコミの共認支配が強まっているように見えますが、深層ではマスコミ人にも(実はマスコミ人ほど)収束不全(存在理由の危機)からくる焦りがあるはずです。それが、力の現実判断に向かわせ、表面的な共認支配に拍車をかけているという構造を見抜いておく必要があるように思います。
雪竹恭一

[目先の社会収束]を[根底志向]に向かわせるには?

今回の選挙結果は、2次大戦直前の翼賛選挙と同様でファシズムすら危惧される小泉圧勝。一見「日本人は何も考えていない=馬鹿だ」ということを証明するような結果ですが、若い層を中心に社会的関心が高まった=『社会収束』したことは、上辺・目先⇒本格・根底へのパラダイム転換の好機到来と捉えることもできるのではないか?と思います。

 実際“なんでや露店”でも「選挙って何?」「年金はどうなる?」など、政治系お題人気が一気に高まっています。それでも小泉政権のうちは、郵政問題どまりで誤魔化そうとし続けると思われますが、それでは構造改革の本丸であった年金や国の借金問題などの財政改革が一向に進まないので、「何か肩透かしを食ったような違和感」は残りつづけ「やっぱり目先ではダメ」というこことがハッキリしてくるでしょう。

 一見逆風とも感じる「目先の社会収束」をも追い風として、【目先ではダメ⇒確かな答(中身)探索⇒そのための根本原因分析=根底志向・本格思考⇒構造認識習得の必要】を明日からでも訴えていくことが、数年後の「答の供給者の発掘~育成~組織化」⇒“なんでや”の共認革命の成否を決することになる予感がします。

平野令

多くのマスコミ批判はあるのにマスコミが変わらないのは何で?

>「日経のように、投票日の約1週間前というタイミングで、民営化のいい面だけを強調し、他の側面を伏せるので有れば、それは欠陥商品を言葉巧みに売りつける悪徳商法にほかならない。」
「一面的で浅薄なうえ、読者をミスリードしかねない記事を、客観性を装いながら掲載しているようでは、やがて新聞は、社会にとって有害な存在になり果ててしまうだろう。」
「もっとも、読者離れが著しく、かつてのような世論形成力を失いつつある新聞にとっては、これまで以上に公権力と露骨に馴れ合うことでしか企業存続を果たせないのかもしれない。」<(97323)

この手のマスコミ批判は、既に多くの週刊・月刊雑誌で掲載されている。
にも関わらず、何も変わらないのは何でだろう?

恣意的な誤報、隠蔽、偏向報道、怠慢、傲慢……マスコミの報道内容を取り上げての批判は確かに多く見られる。しかし、マスコミのどのような意識(姿勢)がそうさせているのか、について深く言及している記事はあまりなく、常にスケープゴートをあげつらっているばかりのように見える。
それは、突き詰めていけばマスコミも所詮私益存在であることに行き着くが、批判している自身も同様に私益存在であるが故に深くは突き詰めることができず、単なる表層的な批判に留まってしまうのだろう。

さらに、「社会は人々の共認によって統合されており、マスコミが社会共認を支配している」という構造認識を明確にもっていないということがある。
この観念支配の認識があって初めて、マスコミが社会(みんな)の敵であるという対敵認識に至ることができるのだが、現在のところ潜在思念レベルに留まっているのであろう。

しかし、対敵認識があったとしても、マスコミに代わる共認形成の場=闘う土俵がなければ、批判するか、無視することしかできない。

今、必要なのは、批判から実現の思考であり、
実現のためには、私たち自身がマスコミに代わる「共認形成の場」を広げ、その土俵でマスコミと共認闘争をする他ない、と改めて思う。

前上英二

マスコミの「なんで?」に答える

マスコミが人々の共認を支配しており社会を変わらなくさせているのは周知の事実。よってこの事実を単純に捉えるならば、マスコミが変われさえすれば人々の共認内容も変わり同時に社会が変わると言える。

ではどうすればマスコミが変わるか…だが、それはマスコミの「なんで?」に答えてあげればよい。

例えばマスコミの代表テレビ。今やテレビ業界は何処も視聴率低迷に喘いでおり、要するに視聴者の興味、関心事がまったく掴めていないのだが(※だからこそ人工的に興味、関心事を作り出す演出ばかりに力点が置かれ、結局中身のない番組になり飽きられる…と言う悪循環を作っている)、それに答えてあげればいいのだ。

人々の…
意識が何処にあるのか?
何に興味、関心があるのか?
どんな答えを求めているのか?

これらは全て視聴率に直結する答え。そして決して人工的に作り上げられるものでもない。これらは全てみんなの潜在思念の中にある。みんなの中に答えがあるのだ。

そしてまたこれらは人々の現実世界に身を置くなんで屋だからこそ答えられるお題。なんで屋がマスコミの「なんで?」に答えてあげればよい。そうすればマスコミも変われるのではないか?

河村雅博

政治とメディア・コントロール

今回の衆院解散選挙を見ていると、10年以上前に、テレビ朝日で椿発言問題、というものがあったのを思い出しました。

当時、1993年の総選挙でも、マスコミ各社が挙げて「自民VS非自民」という、対決図式の大キャンペーンを繰り広げました。
そして、選挙の結果、自民党は惨敗し、はじめての少数野党となり、細川連立政権が誕生しました。これに前後して、テレビ朝日の取締役報道局長であった椿氏が「自民党政権の存続を阻止し、反自民連立政権の手助けになるような報道をせよ」と指示した、と疑惑を持たれたものです。椿氏は国会に証人喚問され、当時の郵政放送行政局長の江川氏が、放送法違反の恐れ有り、と指摘しました。

実は、椿発言と言われるものは、放送局内ではなく、日本民間放送連盟(民放連)の主宰による放送番組調査会での報告講演の内容であり、実態の放送内容の偏向があったかどうかは、結局有耶無耶にされ、椿氏の発言内容だけが一人歩きしました。

しかしながら、この椿発言事件は、放送に対する政治の側からの介入の口実を与えた感があります。放送法3条を言いがかりに、単純に放送局に注文をつけるだけでなく、テレビ朝日のスポンサーに対しての圧力も行われた、と報じられています。最近では、NHKの戦犯法廷報道に対する政治介入の有無が問題になりました。(ちなみに、放送法では、放送事業者はその放送内容に対して干渉されない、とある)
メディア・コントロールの力関係が、今、政治側に傾いているのを感じます。

今回の選挙で行われた報道を見ると、一方的な権力批判は影を潜め、むしろ首相の打ち出す2項対立の図式をそのまま持ち出しているケースが目につきました。郵政民営化、という特殊テーマを元にして候補者や政党が単純にカテゴライズされていたように思います。
本来ならば、単純に一つの政策を選択させる選挙など、正当性を欠くものです。(住民投票くらいが関の山)政権公約に掲げたからといって、争点を郵政一つに絞るというのは、他の公約をことごとく無視している事実の説明ができないでしょう。

もちろん、報道の中で、小泉批判もその枠の中では行われてはいましたが、そもそも、この対立図式を持ち出してフレームアップすること自体が、一方の主張に肩入れしていることに他なりません。野党は、「民営化、yesかnoか」というお題目にまともに答えられない上に、他の論点を持ち出しても、視聴者の目にはごまかしにしか映らなかったことでしょう。

問題は、最も影響力のあるTVが、放送法と許認可権に縛られた不完全メディアである点ではないかと思います。

渡辺卓郎 

少しでも物を考える若者は、○か×かの判断を迫る設問自体を拒否した

若者達はどのように今回の選挙を見ていたのだろう?
20~24才の有権者を対象にした意識調査をしているサイトを見つけたので、そちらから今回の選挙の中心である小泉内閣の支持率について見ていきたい。

(リンク)

「小泉内閣支持率」については

支持する    42.3%
支持しない   11.4%
どちらでもない 46.3%

という結果。また支持する/支持しない理由については

◆支持する
・なんかやってくれそうだから。
・総理大臣はみんな叩かれるものだから、何か少しの問題があっても好感が持てる人が良いです。
・改革に対し前向きだから。
・今までと違う雰囲気を持っているので、新鮮で、これからどうなるのか興味がある。
・みんな支持してるしかっこいいから!
・僕達若者にも熱意が伝わってくる。
・なんとなく好き。

◆支持しない
・政策が悪い。 国民に痛みを押し付けるから。
・口ばかり。もっと行動を早く起こしてほしい。
・道路特定財源の問題。 
・具体的に何が変わったのかわからない
・改革、改革と言っているわりには、三カ月たっても具体的にどんな事を行うかわからない。改革を行ったとしても総論賛成、各論反対がいいとこだと思うから。

◆どちらでもない
・支持率を下げる要因となっている田中外相をぜんぜん処分とかする気がないから以前は支持していたが興味がなくなった。
・まだ政策の結果はでていないと思うので。
・改革の必要性は支持するが、靖国神社参拝や雇用対策のビジョン等に支持できない面があるから。
・メディアの力で造られた人気のような気がするから
・人間的に面白いとは思うけど、まだ政権が始まったばかりで、何も成し遂げた事がないし、イメージだけで支持してもいままでの問題とかも解決してないから。何かをなしえた時に支持したいと思っています
・住みよい国づくりをしてくれるなら周りになんと言われようと人気有る無しなんか関係ないし
・色々とやってくれそうだけど、やっぱりアメリカなどの大国には弱腰な感じがするから。

===============================

といった結果。

「支持する」と答えた人の理由が「なんかやってくれそうだから。」「みんな支持してるしかっこいいから! 」「なんとなく好き。」等、メディアを中心にした小泉総理のイメージに対する支持が目につく一方で、 「支持しない」と答えた人の理由を見ると「政策が悪い。」「 国民に痛みを押し付けるから。」「道路特定財源の問題」等イメージではなく中身に触れている意見が多いことがわかる。むしろ、支持すると答えた人の中に具体的な政策に触れている人がほとんどいないのがいかに異常であるかがわかる。これは若者だけではなく今回の選挙全般にいえることなのだろう。

さらに注目したいのが「どちらでもない」と答えた人たちの意見。
「メディアの力で造られた人気のような気がするから」
「まだ政策の結果はでていないと思うので。」
「改革の必要性は支持するが、靖国神社参拝や雇用対策のビジョン等に支持できない面があるから。」
等、「どちらでもない」といいながら、現状の政策や内閣を明らかに否認している意見が多いこと。また、「支持する」と答えた人がイメージに流されているのに対し、「どちらでもない」と答えた人たちの方が現状の内閣をより冷静に見ていることがわかる。

小泉首相をはじめとする自民党の「改革か反改革か?」という問いに対し、若者の多くは「それでは判断できない。」と、判断することを拒否し、今回の選挙自体を否認しているようにも感じられる。そんなことで世の中が良くなるとは思えないし、答えが出るともとうてい思えないから・・・

「改革か反改革か?」多くの問題をこの2項対立に集約し、「改革」=「小泉支持」という構図を作り出す今回のやり方はアメリカにおけるブッシュ大統領の言い方と相似する。

>「君はテロリストを認めるのか、認めないのか、どっちなのか?」というような言い方で、アメリカは各国に、他国への侵略戦争への支持・協力・追従を迫る・・・
 
 テロリストの例でいえば、テロリストを抹殺しようとする前に、「なんでテロリストが生まれるのか?」という原因を明らかにしなければ、いつまでたってもテロはなくならない。

 つまり、相手になにかの観念に対して肯定か否定かを選択させようとする言い方には、
①「なんで不自由を感じるのか?」、「なんで戦争が起こるのか?」、といった、「なんで?」(=原因追求思考)を封じ、
②一見誰もが反論しようがない価値観念を「錦の御旗」につかって自己正当化する、という意図が隠されている。自分の思考停止をごまかすための詭弁なのだ。

 しかも、いったん例えば「自由」あるいは「民主主義」なる観念が絶対化されて(誰も反論できなくなって)しまえば、「自由のための闘い」 「民主主義のための闘い」など、その観念によって(おそらく非自由的な、非民主主義的な)破壊も暴力も戦争も正当化されてしまう。
 かつ、それら旧観念は永遠に実現しないのだから、戦争も永遠に続くことになる。 (83391)

 不全が蔓延する現在の日本で「改革か反改革か?」と問われれば、「改革は必要。」と答えるのは当然のことだろう。しかし、本当に世の中を良くしたいと思うのであれば、現状の何が問題で、なぜそうなってしまっているのか、よくするためにはどうすれば良いのか?が話し合われなければ現状を変えることなどできない。それらをすっ飛ばして、「改革か反改革か?」という問いを国民に突きつける現状の政治制度自体が問題なのであり、であるがゆえに判断すること自体を否認したのが今回の意識調査に現れている若者達の「どちらでもない」という意見なんじゃないだろうか?
 
東務

アメリカとどうつきあうか

小泉のアメリカ追従路線のおかしさは誰もが感じるところだと思うが、ではどうするかを考える為にも、アメリカ外交の基本構造を押さえておく必要があるだろう。

アメリカは欧州(その中心はイギリス)からの脱出組みでつくられたヨーロッパ的伝統に対する‘反’を原動力とする国家である。彼らは独立戦争を通じて母国イギリスに勝つためにイギリスの敵対国であったフランスと手を組み、そして勝利した。(あの有名な自由の女神はフランスからの贈り物。)この独立戦争を通じてアメリカは「旧大陸には新大陸に干渉して欲しくない、そのためには旧大陸(欧州のみならずアジアを含む)同士でもめてくれるのが一番いい」という思考を手に入れた。

例えば、ロシアが強くなりすぎれば日本を支援する(日露戦争)が、日本・ドイツが強くなりすぎると、ロシア→ソ連と手を組む(第2次世界大戦)。2次大戦後、ソ連の脅威が強まると今度は日本の経済復興を支援し、また日本を対ソ連の前線基地にする。最近では経済的に日本が強くなりすぎたため日本の弱体化を推し進めつつ中国を経済支援しているが、中国が強くなりすぎると、今度は日本と中国を揉めさせるかもしれない。

このようにアメリカという国は、常に自分の国土は無傷のまま、旧大陸同士を揉めさせるのが得策である、その為には常に旧大陸内国家どうしにケンカをさせるにはどうしたらいいかということを考えるのが得意な国なのだ。イラク戦争もイラクと隣国クェートの間で起きた油田の盗掘がことの発端であった。こうした視点から現在の日中、日韓関係の事態悪化はまさに、アメリカの筋書き通りに進んでいるともいえそうである。

歴代の首相は国民に「アメリカの犬」と罵倒されながらもアメリカ権力追従だけでなく、如何にアメリカからの独立、自立外交の確立を勝ち取るかに苦慮してきた。田中角栄は日中国交回復を実現し、またオイルダラーを操るアメリカ石油メジャーによって演出されたオイルショックを教訓に、日本独自のエネルギー源としてソ連からのパイプライン作りを志向した。(それがアメリカの反感を買ってロッキード事件につながったとの見方もあるリンク)社会主義諸国といえども自立外交の確立のためには社会党とも手を携えて努力していく・・・アメリカの外交原理がわかっているのならば首相に不可欠なのが多国間交渉能力であり、国際的バランス感覚である。その点では田中角栄はまさに国民宰相であった。

しかし、角福戦争という私憤だけを原動力とする小泉首相には、こうしたバランス感覚は望むべくもない。あるのはアメリカの力を借りた脅しのテクニックだけである。つまり「小泉はアメリカの手先」は経済のみならず、外交面でもいえるのであって、改革論議だけでなく、外交面でも小泉の暴走には注意が必要であろう。そして勿論、偏狭なマスコミの外交報道にも注意が必要だ。「グローバリズムからみて中国はオカシイ、そんな中国が日本の靖国問題に文句いう筋合いはない」などという暴論がいつ飛び出すかわからない・・・小泉翼賛選挙を通じてまさに日本はファシズム段階という危険水域に突入したとみるべきであろう。

山澤貴志

共認支配という「敵」の明確化⇒時代は闘争圧力を必要としている

>今回の選挙は男発(男主導)で盛り上がってるかのような。97127

7月まで飛ぶように売れていた「なんでやカード」の売上が落ちてきた。お客さんから、なんで屋は社会に対するメッセージをもっと発信してほしいという声もたまに耳にする。また、なんでやだけでなく、井の頭公園を初めとする路上パフォーマーの数も若干減ってきたような気がする。路上パフォーマーがいても、お客さんの反応もかつてほどではなさそうだし、パフォーマー自身もどこか元気がない感じ。

時代の空気が何か大きく変わりつつあるのを感じていた。それが何なのか?が今一わからなかったが、この間の選挙問題で、鮮明になってきたように思う。共認闘争圧力の顕在化ではないだろうか。

>'60年代後半までは貧困という言わば共通の課題=不全があり、だからこそ誰もが豊かさの実現に向けて必死に生きてこれたことになります。きっと、貧困も一種の「みんな不全」であり、豊かさ追求は「みんな期待」だったのでしょう。 そうだとすると、'70年以降のこの30年間は、「みんな不全」「みんな期待」が表舞台から一瞬消え去った時代なのではないか。52041「みんな不全が一瞬消え去ったこの30年」

みんな不全が消え去った特異な時代とは、闘争圧力が消え去った時代とも言える。実際、'70~'80年代の人々は遊びに収束し、「自分だけ、社会のことなど関係ない」という私権観念に囚われてきた。30年の特異な時代の後、収束不全が顕在化し、その閉塞感に人々は追い詰められてきた。遊び第一から仕事・勉強収束への転換を経て、ようやくみんな不全⇒共認闘争圧力が顕在化し始めたのではないだろうか。

しかも、今回は、政治権力とマスコミ権力という新旧二大権力の癒着による共認支配、つまり、明確かつ強大な共認闘争上の「敵」の登場である。自民党圧勝に対する路上の人々の反応も「何かおかしい、絶対におかしい」という声が多い。

これは違和感という次元を超えている。人々は、マスコミと政治権力による共認支配を、明確な「敵」として潜在思念で感じとっているのかもしれない。言うまでもなく、明確な「敵」の存在は闘争圧力(活力)を加圧する。時代は、共認闘争圧力を必要としているのではないだろうか。

そう言えば、この間流行の「構造改革」「勝ち組」という言葉からも、闘争系のニュアンスを感じる。30年間の特異な闘争圧力不在状況を経て、時代(人々の意識)は共認闘争の時代に転換しつつあるのではないだろうか。

>人類の存続と再生をかけて我々が今から開始する、共認闘争が生み出す圧力こそ、生存圧力に代わる同類圧力=共認圧力の原点となるものであり、人類が求める新たな活力の源流となるものである。支配共認根絶の共認闘争は、全ゆる点で次の人類社会=共認社会を象徴するその縮図であり、この共認闘争を担う共認ネットワークは、そのまま共認社会の原型となり、更にそのまま共認社会の基軸(統合機関)となるだろう。


冨田彰男

政治は遠いものか?

私たち30代を中心として、政治を遠いものと思ってきた人は多いと思う。それは常に利権調整と批判要求しかしない政治に、何かを実現することなど出来ないと、長い間諦めていたのだと思う。実際、これまでの政治の世界(とマスコミの報道)には、可能性を感じることは出来なかった。

今回の選挙で言えば、投票率は上がりマスコミも小泉翼賛を作り上げて目先の収束を煽っていて、中身が無いどころかこのままでは日本が危ないという状況にまでなってしまった。無思想、無関心を装う層でも、知らん顔は出来ないところまで来ているが、既存の思想、政治政党の中には、相変わらず答えが無い。

ところが、るいネットやなんでやで新認識に触れると、その状況は変わってくる。例えば国の借金が800兆円にも上ろうとしている問題について、これまでなら問題が大きすぎて何も考えられない=不可能視するしかなかっただろうが、なんでやではその原因と、解決方法が示されている。そしてそれを、周りの人に伝えることが出来る。
あるいは年金問題にしても、それが収支のやりくりの問題ではなく、役割創出の問題であることを知ることが出来る。

新認識という、モノを考える道具を得た私たちは、それを使って政治の問題も国家の問題も市場の問題も、答えを出してゆける。それなら、政治を単に期待できない遠い存在として傍観するのではなく、一つ一つの問題に対して、素人(普通の人)が考えて答えを出し、国や社会を動かしてゆけるはずである。このまま日本が壊されてゆく前に、私たち自身の手で立て直す時が迫っていると思う。

馬場真一 


なぜ小選挙区比例代表制に疑問が出ないの?

>得票数と獲得議席数のアンバランスは、比例よりもひどい。
>与党の得票数は半数に満たないのに、獲得議席数は4分の3を越える。

ホントひどい。
どうしてこんなことが起こるのでしょう?

小選挙区比例代表制のせいらしい・・。

小選挙区比例代表並立制とは、リクルート事件や金丸事件等の汚職事件をきっかけに、そんな腐敗政治はいかん!という政治改革の機運が高まって、1993年に政治改革関連四法が成立し、その中で中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への選挙制度改革が行なわれた。従来の中選挙区制に対する批判は、お金がかかる。同一党内で争うので派閥形成につながる。争点をめぐる選挙(政策論議)になりにくい。などがあった。そこで、小選挙区比例代表並立制は、それらの欠点を払拭し、さらに政権交代が可能な二大政党制をもたらすものとして期待された、そうです。

でも、政策論議になんかぜんぜんなってないですよね。
実直に政策を語ろうとした民主党は敗れ、単純に「郵政民営化、是か非か?」の二者択一を迫る自民が勝った。これは政策論議の土壌にすら乗っていない状態だと思う。
派閥だってそのままだ。いや実際小泉がやってることは、自民党内の派閥闘争(橋本派つぶし)でしかないと思う。(参考96492) (選挙後の派閥勢力図を見れば明らかです。)

何より、民意が反映されてないのが最大の欠陥。
なぜ選挙後、この選挙制度に対する疑問の声が起こらないのでしょう?
(少なくともネット上ではほとんどヒットしません。)

調べていくうちに、どうも、この小選挙区比例代表制が審議された当時もマスコミの煽動?が結構あったよう・・・。

>選挙制度に関して、マスコミがなすべきことは、何より有権者に対して判断材料を提供することであるはずです。ところが、「政治改革」論議のころ、政治学者の中で小選挙区制論者は決して多数派ではないのにもかかわらず、テレビには圧倒的に小選挙区制論者が多く出ていました。その一方で小選挙区制がもたらすさまざまな不公平については十分な情報を提供したというには程遠く、マスコミは小選挙区制実現の尖兵の役割を演じたといっても過言ではありません。

>その後の報道ぶりも、核心を常に外しています。その第一のあらわれが、重複立候補と「復活当選」への批判です。私自身も「復活当選」を好ましいこととは思いませんが、問題の本質は、「小選挙区で落ちた者がなぜ通るのか」ということではなく、「比例区で通るほどの政党になぜ小選挙区では議席が与えられないのか」というところにあります。「復活当選」という表現は、意図的かどうかは別として、小選挙区制をまずよしとした上での表現なので適当とはいえません。比例区を先に開票したら印象はがらっと変わってくるはずです。リンク


なんか今回の選挙の「造反組VS刺客」と同じだなーと感じました。
イメージで煽動しようとする。
ちなみに今回復活当選などこれっぽっちも批判されませんでしたね。
むしろ、小泉の送った「刺客」が復活当選でもとにかく当選したことを嬉々として報道してた気がします。

ぜんぜん論理一貫性がない。
うーん、どうしてマスコミはこうなのでしょうか?

谷光 美紀

マスコミの情報操作は法的にも裁ける!


マスコミは公共の電波を国(総務省)の許可を得て寡占的に使っている。
TVメディアが公共性を求められる根拠はここにある。

電波法によると以下のように明文化されている。
(目的)第1条 この法律は、電波の公平且つ能率的な利用を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする。
(罰則)第106条 自己若しくは他人に利益を与え、又は他人に損害を加える目的で、無線設備又は第100条第1項第1号の通信設備によつて虚偽の通信を発した者は、3年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する。

また公職選挙法には以下のような罰則規定がある。
(虚偽事項の公表罪)第235条2 当選を得させない目的をもつて公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者に関し虚偽の事項を公にし、又は事項をゆがめて公にした者は、4年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。

今回報道機関が行った小泉、自民に肩入れした報道、情報操作はすでに上記に重ね合わせてもいたることろで公共性、中立性において抵触いる。刺客ー造反組という構図を報道したのもまさに虚偽の事項を公にしていることになる。また、郵政民営化のように片方の事実だけを選択的に報道することが事項をゆがめて報道することとどう異なるのか。

他にもある。選挙期間中某TV番組で行われた党首懇談会においては小泉が話す時だけでなく他の党首が発言するときでさえ小泉総理の写真を背景にしていた。1時間の番組の間中、一候補者である小泉のポスターが全国民に公共電波を通して伝えられていたことになる。また某TVキャスターを使ったニュース番組では選挙に行かなければ非国民と暴言して憚らない輩までいた。書き出せば切りが無いくらい自民誘導を動機つける法すれすれの報道は各局で見られた。
マスコミ、メディアぐるみで小泉、自民を担ぎ上げ、結果320議席という国民の実感と著しくかけ離れた結果を生み出すことになった。

どこに事実の報道があるというのか!どこに公共性があるというのか!これは情報操作以外の何ものでもない。
2週間に渡る報道により、中身が報道される事なくサブリミナルと変わらない視覚的、聴覚的洗脳が行われたわけである。

明らかにしておかなければいけないのは、各メディアのそれらの操作報道が電波法、公職選挙法に抵触するか否かということである。今回、図らずとも敗北を舐めた野党の攻撃の矛先はまずはマスコミに向けられるべきである。そしてそれを巧みに利用した小泉ごまかし政権の正体をあばくべきである。

田野健

個人的な恨みとアメリカの意志に振り回される日本の政治


>アメリカの力を借りた角福戦争の派閥闘争しかしない小泉という変人、奇人に何が期待できるのでしょうか?<

 小泉首相が政策よりも政局(政権争い)の方が好きだと公言して憚らず、政策の中身については側近に丸投げしているのは有名な話ですね。

 そして佐藤さんが引用された、ポピュリストの政治手法
「民衆の感情を刺激し、理性よりも情念に訴えるという形をとり、しかも、その情念は反感、あるいは嫉妬という点に絞られ、その対象として敵を必要とする。」はまさに、小泉首相の政治スタイルそのものです。

 普段、これらの感情は良くないものとして、抑圧されるため心の深層に蓄積され、はけ口を求める事になります。
 ポピュリストとは、政治的な主張に乗せ、人々の抑圧されたマイナス感情に火を点け、正当化する事によって、人々の共感や支持を集める術を身につけた人たちではないでしょうか。

 小泉首相も、敵を作り攻撃する事によって、反感、嫉妬、恨みと言うマイナスの感情を刺激するのが非常に巧みです。それは彼が人一倍これらの感情が強い事を示唆しているように思われます。

 また、立花隆氏が「日本の政治を動かす“アメリカの意志”」として、次のような指摘をしています。
 リンク

>日本の戦後政治を支配してきた権力者たちは、権力中枢に近い人ほど、アメリカの意志が日本の政治を動かす陰の最大の動因となってきたことをよく知っている。<
>「いかに政治力があろうと、アメリカの意志に反することをする可能性がある政治家は、絶対に総理大臣になれません」<
>日本の経済力をつぶそうと思ったら、この根幹部分をつぶすほかないと見抜いたアメリカのプレッシャーと願望と、たまたま郵政省と郵政族に深い恨みを持った、ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家(小泉首相のこと)の望みが一致してはじまったのが、小泉改革の4年間とその頂点としての郵政民営化大騒動だったということではないのか。<

 現在は、マスコミとアメリカが一体になって、「ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家」を後押しし、衆議院の2/3の議席という絶大な権力を与えてしまった、きわめて危険な状態にあるのではないでしょうか。

玉川泰行

市場原理ファシズム


> 私権闘争が終焉したということは、私権闘争の止揚・統合体である国家の命運も、遂に尽きようとしているということに他ならない。
(31252)

9.11総選挙で大勝した自民小泉は、言うまでも無く市場第一主義者だ。自らの後継者探しを始めた小泉勢力の政局支配が続けば、今後、郵政民営化をはじめ、規制緩和、国債の大量発行(と、その相殺策としての増税)等々、衰弱し続ける市場への強引な延命策を次々と打ち出してくる可能性は高い。

しかし、大衆の小泉支持はマスコミ支配と社会不全の顕在化から来る秩序収束(目先、力の強そうな側になびいて行く勝ち馬収束)によるものであって、潜在思念が市場=私権活力に再収束しているわけではない。従って、それらの延命策は現実には悉く裏目に出ると予想される。郵便貯金は国際金融資本に吸い取られ、増税はデフレ圧力を強めるだけで国の借金は一向に減らず、人々はますます活力を失っていく。

人々はさらに追い詰められ、不全感は強まることになるが、それが根底思考に転換されず、相変わらず不安故の秩序収束の方に振れ続ければ、潜在思念と顕在意識がずれたまま、勝ち馬の発言力をより強化させていくことになる。

また、今回の選挙で、同じく大衆から見放されかけ、追い詰められたマスコミ、そして政治家たち統合階級も、自らの生き残り策のヒントをおぼろげに見出した可能性がある。それは、2大権力が結託してとことん大衆を洗脳していく道だ。とにかく強気に、扇情的に、ドラマチックに政治を演出すれば、視聴率も取れるし票も取れるという。

その結果、人々の潜在思念or新しい可能性とは全くずれているのに、(従って成果も出ない)無理な市場延命策を強権的に推し進めることが可能になる、という奇妙な構造が出来上がる。人々の社会不全を逆手に、「市場原理ファシズム」とでも言うような事態が始まりつつあるのかも知れない。命運の尽きかけた国家、市場の最後のあがきとして。

田中素

論理性が欠如した判断ほど怖いものはない

>造反組VS刺客」という言葉がくり返し報道されたということは、私たちは気がつかないうちに、小泉の視点(その視点の奥にある思想そのもの)を植えつけられ今回の選挙を見てしまっていた(見せられていた)のではないだろうか。

だとすれば、これはマスコミによる観念操作であり共認支配に他ならない。マスコミが旗印にする「公平・公正」は真っ赤なうそだということになる。もうこれ以上マスコミの共認支配を許してはいけない。


そもそも選挙で政党とか政治家選びをするということはどういうことか。特に、現在のように政治課題、つまり財政・年金・少子化・子育て問題など、課題そのものが現実の生活と直結しているだけに、選挙の争点として何を取り上げるべきかと有権者に問いかけてみれば、それらの問題が登場してくるに違いない。現に、選挙前のマスコミ各社のアンケートでも、何を今一番解決して欲しいかという問いかけには、郵政営化ではなく年金問題が多かった。

しかし、今回の選挙のように、郵政民営化に反対か賛成か、造反組VS刺客という選択を迫られるような報道が繰り返されることにより、いかにもどちらかを選ぶ事が今一番重要なことだと、多くの大衆が思わされてしまった、としか言いようのない現象が起こってしまったのである。

マスコミも小泉自民党を支持した人も、まさかここまで勝つとは思わなかった、逆に、一党独裁政治に繋がりかねないほど、バランス感覚を失った選挙となってしまった、という選挙後の意識からすると、明らかにこれは論理性を捨象した投票判断が、予期せぬ結果を招いたと言えるのではないでしょうか。

答えがないが故の、目先課題収束、多少なりとも共認充足が得られても、もともとは社会的な危機感発であるが故に、そこに論理性が欠如していては、決してみんな充足とは成り得ない、これほど恐ろしい判断はない。現在、我々は気が付かないところでそのような判断をしているのかもしれない。早くマスコミの共認支配から脱却し、本物の答え探索へと意識を転換していく事の必要性を強く感じた。

大嶋洋一

やばいかもしれない


自民・公明が衆議院の2/3以上を確保してしまった。
衆議院は思いのまま。参議院で否決されて衆議院に戻ってきても、2/3あれば通ってしまう。
もう、小泉なんでもありの世界。

来秋で小泉はやめると言っているが、「民意に沿う」とかなんとか言って、もっとやる可能性は大ではないか。
だって、やりたい放題やれるんだから。

これが本当に国民2/3以上の支持を受けてならこんなに違和感は無かったかもしれない。

>分析で明らかなのは、庶民の半分は「反小泉」だ、ということである。
自民は、決して過半数の支持など受けていないし、庶民の意識は「圧勝」とは程遠い。

今、多くの人が自民・小泉の圧勝を「しまった」と思っているのではないか。何か、「やばい」という意識が出てきているのではないか。
この違和感を顕在化させなければならないと思う。
街角でも、仕事の中でも、飲み屋の会話でも、みんなこの違和感を話合うべきなのではないか。
でないと本当にやばい。

日本人のバランス感覚はまだそんなにひどくないはず。きっとゆり戻しがある。2年後の参院選では自民が後退するだろう。そうなる前に小泉が何をしでかすか解らない。
今のうちに、小泉圧勝が日本全体の民意ではないことを人々の意識から、固定化しなければならない。

積満也

Re:今、正に正念場。

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