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小泉首相は実はアメリカの手先ではないか…

1998年に破綻した旧長銀の破たん処理に投じられた公的資金は約8兆円。債務の約9割のカットをしたうえで、アメリカの投資会社、リップルウッド・ホールディングスがつくった投資ファンドのニュー・LTCB・パートナーズ(NLP)に1200億円で、営業権(普通株)が譲渡されました。そのNLPは不良資産を絶対に引き継がないことを条件としたので、NLPが拒否した国有長銀の不良資産の多くは当然回収不能になます。それを補填するのに使われた国民負担は総額で5兆円に達しました。

その後、リップルウッドが行ったのは猛烈な貸しはがし。その過程でおなじみ“そごう”や“マイカル”をはじめ142社が倒産に追い込まれました。猛烈な貸しはがしの結果、同行は「健全化」し、新生銀行として株式を再上場したのですが、その間5年。その上場益でリップルウッドは約2200億円を手にしたといいます。その後保有株を半数にまで減らし2900億円程の利益を得ることとなりました(しかも、それらは非課税だったという話)。

一方1998年、破綻し国有化された旧日本債券信用銀行(日債銀)に投入された公的資金は3兆5000億円です。その後2000年、ソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険などから成る投資グループに売却され、あおぞら銀行として再出発しました。しかしそれもつかの間、あおぞら銀行に490億円を出資し筆頭株主であったソフトバンクは、2003年9月5日に保有する同行の全株式をアメリカの投資ファンド・サーベラスに1000億円で売却しました。

このように、日本政府は血税を使って不良債権を処理した後、外資に貢物を贈ったと言われても仕方の無いことを結果的にはやっています。

日本企業に現在どの程度外資が食い込んでいるかのデータを見つけたので、以下に引用します。

医薬品上位5社の、外国人持ち株比率が 30%以上
4大銀行グループ外国人持ち株比率 20%超え
ゴルフ場所有数、外資系が1位2位
大手損保の外国人株主比率3社で 35%超え
オリックス 50.7%
HOYA 50.5%
ヤマダ電機 50.1%
40%超えの企業は以下羅列
キャノン、フジフィルム、クレディセゾン、TDK,野村ホールディングス

という感じですが、ご覧の通りかなりのものです。これがますます進んでいるのが近年の流れのようです。

それもそのはず、実は、アメリカの日本に対する年次要求書みたいな書類があるのですが、外資に有利な様々な政策を日本に要求し、その内容に添った法律が(大衆に注目されないまま)次々と制定されていっているらしいのです(ちなみにこの要求書では、既に10年前から「郵政を民営化しろ」という内容の記述があるそうなリンク)。

小泉が首相となってからは、「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)が設置され(2001年)、日本のアメリカ追従はさらに強化されたようです。

ちなみに、昨年の内容はこういったものです。
リンク

>米国は、小泉総理大臣の思い切った経済改革の課題を強く支持しており、その 課題への取り組みにより促された最近の日本経済成長を歓迎する…云々

と続いて

>本年(2004年)の要望書において米国は、日本郵政公社の民営化計画が進んでいることを受け、勢いを増している日本における民営化の動きに特段の関心を寄せた。これに関して、「日本経済に最大限の経済効果をもたらすためには、日本郵政公社の民営化は意欲的且つ市場原理に基づくべきだ」という原則が米国の提言の柱となっている。

その要求を受けてかどうかは不明ですが、郵政民営化法案では350兆円の国民の貯金資産の運用を新たに作る民営化会社の元、既存の民間企業に任せる形になっています。これは、既に様々な人が懸念している通り、350兆円もの郵貯・簡保資金が外資の自由にされてしまう(外資に関する規制は設けられていない)ということでしょう(以上、参考ブログ:リンク「一喝たぬき」ほか)。

国民が汗水たらして生産し、消費をひかえて作り出した貯蓄を、(長銀や日債銀の時と同様)「どうぞもってってください」とアメリカに貢ごうとしているのが小泉で、このようなことを考えもなしに推進するのは「国賊」と言うしかないと思います(「何を言う。“貢ぐ”んじゃない、市場原理に任せるだけだ」と反論されそうですが、アメリカはこれまで自分のところに富が集まるようなルールを勝手に作り、それを軍事力を背景にして各国に強制的に押し付けてきました。それが世界規模で進んでいるグローバリズムの正体です。実際、市場を開放した国は人工的にバブルを起こさせられたりしてことごとく食いつぶされ、ますます貧困にあえいでいるのは周知のとおり)。

「自民党をぶっ壊す」のは結構なことですが、このままでは日本がぶっ壊れてしまう。マスコミも単に「官から民へ」「改革をとめるな」というゴマカシのごたくをそのまま垂れ流すのはやめて、もっと中身について報道し、上記のような懸念が杞憂だという根拠があるならそれをはっきり提示することが最低限必要でしょう(もっとも、マスコミの体質から言ってあまり期待はできませんが)。

この動きに対して、安易に彼の口車やマスコミの創りだす空気に乗っかることで、自らの首を自ら絞めようとしているのが大衆です。私達普通の人々自身が「郵政民営化」というキャッチフレーズの背景にある事実やその危険性についてつきつめ、共認形成していかなくてはならないと思います。

蘆原健吾
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構造改革の本質は認識構造の改革

選挙戦に突入してしまいましたが、小泉首相の提唱する構造改革が何を意味しているのか、未だにはっきりしません。おそらく、答えがないが故に、目先の「郵政民営化」を構造改革の争点にするしかないということなのだろうと思いますが、それだけでは、なぜ、どのような構造改革につながるのかはさっぱり分かりません。しかし、みんなが変革を期待している状況だからこそ、それだけでも大きな争点になり得るわけで、構造改革の本質は何か?といったことを立ち止まって考えておく必要もあるのではないかと思います。

おそらく、(今までの発言を聞く限り)小泉首相の構造改革の意図は、「公営事業の無駄を省き、効率の良い質の高い行政サービスが提供できるような行政改革を行う」「そのことによって、恒常的な赤字体質が染み付いている財政構造も改革し、財政の健全化を目指す」「さらに言えば、小さな政府を志向し、民間に任せられるところはどんどん民営化することによって、市場の活力を再生する」「郵政民営化(及び特殊法人の改革)は、その試金石である」といったあたりかと推察されます。

これは、要するに「国の借金をどうする?⇒税金の無駄使いを止めましょう」⇒「それで景気が悪いのをどうする?⇒(国にはお金がないので)規制緩和しましょう」という議論でしかありません。「小さな政府への改革(規制緩和・民営化)」というレベルの改革は、いかに市場を延命させ、景気を浮揚させるか?といった従来の政策論議を一歩も出るものではなく、別に目新しいものでもありません。こんなことをことさら「構造改革」と称して強調するのはごまかしであり、詐欺であると言ってもいいくらいです。

>社会に対する否定意識や自我・性に対する拘泥は、この時代(とりわけ知識人)に共通する潜在思念である。従って、この偏った(誤った)「構造観念」が(主に知識人に)共認され、権威化されてゆく。更に、大学の権威主義が、それに拍車をかけてゆく。しかし、否定や自我に囚われた潜在思念が(20世紀を通じて)基本的に変わらない限り、それらに基づいて作られた「構造認識」が基本的に変わらないのは、当然である。(18717)

前述のような狭い論議に留まってしまうのも、本質的に考えれば、小泉首相を始め、多くの政治家たちが“否定や自我に囚われた潜在思念”に立脚しているからであると思います。「自分以外は敵であるという社会に対する否定意識や(だから)自分の私権は自分で守らねばならないといった自我に囚われた潜在思念」が変わらないから、社会や市場に対する「構造認識」も変わらないのであって、そのような「構造認識」に基づく「構造改革」が基本的に変わらないのは、当然と言えば当然です。

構造改革の本質は、目先の制度やシステムなどの改革以前に、認識の構造を改革してゆくことにあります。「否定や自我に囚われた潜在思念」を現実の人々の意識潮流に則して、「肯定や共認を求める潜在思念」へと転換してゆくことこそが、最も根底的な意味での「構造改革」であると思います。


雪竹恭一

いよいよ公示…党に利用されているブログも…

公職選挙法ではインターネットでの選挙運動は禁止されている。

参照:宮台氏のHP
リンク

でも、インターネット・ブログの世論への影響力は無視できなくなっている。

知人からこんな話を聞いた。

どうやらつい最近、自民党はこんなことをやったらしい。

“人気ブログの運営者30人を集めて秘密裏に「質問会」を開催”
(参照:リンク)

マスコミの取材は完全に排除された。

ブログの運営者にとっては、独自ネタはアクセスアップのためには非常に有効である。しかも、マスコミが流さ(せ)ない情報というのはその中でも格別で、そういう情報はのどから手が出るほど欲しいはず。

そんな意識を利用して、自民党は自分達に有利な情報をブログで流してもらおうと画策しているわけだ。

一般の人たちは、ブログの情報とういうのは自民党の利害から自由な一般市民が個人的な立場で書いていると普通思うだろう。それが口コミ情報に近い形でネット上に広がる。

ところがどっこい、実のところの情報の出所は特定団体の利害を背負った個人だった…

なんていうことも大いにありうるということだ。

9.11までのブログの動き、ちょっと注意しながら見ていきたい。

蘆原健吾

郵政民営化とは、“出来の悪そうな大銀行”を一つ増やすこと

日本の郵貯の残高は、現在約211兆円ある(平成17年6月末)。来年1月に誕生する世界最大の銀行、三菱東京UFJの総資産約190兆円を軽く凌ぐ。さらに、簡保資金を入れると340兆円と言われている。こんな巨大なライバルが国の保護下で楽チンに資産運用しているのだから、銀行業界としては民営化大賛成である。でも、預けている庶民にとってはあまり関係がない。金利が良くて預金が安全なら今のままで別に良い、ということになる。

それじゃあ、郵貯の資産運用は健全で安全なのか。
これまで、郵貯資金が財投資金を経て特殊法人に流れ、無駄な公共投資を増やし、多数の「隠れ公務員」を養ってきた。だから、この流れを断つべきだ、というのが、小泉を始め民営化推進派の最大の主張だ。確かにそれはそうかも知れない。

では、民営化すれば本当に健全で安全になるのか?
日本の金融業界がマネー経済下での運用がヘタクソなのは以前から有名で、日銀を始め、国際金融資本との大きな戦いに勝ったことが無いとまで言われている。ましてや、今までノホホンとやってきた元公務員をや、だ。

郵貯資金の運用状況を見てみる。
平成15年4月末リンク
平成17年6月末リンク
残高が20兆円ほど減っているのは、上記の銀行のような民業圧迫への反発圧力を受けて資産のスリム化を進めているからだ。財投への預託金も半分位になっている。一方、資金総額の減少以上に増えているのが、今や800兆円に膨れ上がった国債で、既に郵貯資金の運用先の過半を占めている。

この流れを見る限り、民営化後の郵便貯金も他の銀行たちと同様、確実な運用先を求め国債バブルの片棒を担いでいくことにきっとなるのだろう。それとも、国際金融資本という魑魅魍魎が手薬煉を引くグローバル市場で勝ちに行こうというのか?

要するに、郵政を民営化するということは、「大きくて、少し出来が悪そうな銀行が一つ増える」ということだ。かつてバブルに踊り、巨額の公的資金導入でようやく生き長らえ、それでも完全に立ち直れずに次々と合併が進む銀行よりも、もう少し出来の悪そうな。
これが、どうして“改革の目玉”なのだろうか?

田中素

何故「郵政民営化」が目玉となるのか?

衆院解散までして、国民に判断の是非を問うというからには、「郵政民営化」が小泉内閣における政策の目玉案件(=本山)であることは間違いない。長くなるが、そのことに警鐘を鳴らす記事があるので紹介したい。

――――――――――――引用開始――――――――――――
>米国の関心事は350兆円におよぶ郵政マネー

>「Los Angeles Times」の記事にしても、あるいは、CNNの長めのニュースにしても郵政民営化の説明で強調されるのはただ一点、郵貯が世界最大の貯蓄銀行で、それが民営化されたら、350兆円におよぶ郵政マネー(簡保も含めて)を持つ世界最大の銀行が生まれるということである。アメリカの関心は(政府も民間も)郵政民営化の問題で関心があるのは、この一点だけなのである。

>郵政民営化の問題で、日本のメディアで、あるいは日本の議会で展開されているようなあれこれの諸問題には誰一人関心がない。

>そんなことはどうでもいいことだと思っているのだ。郵政公社が(ひいては政府が)かかえこんでいた、そのとてつもない量の資金を、早くグローバルな金融資本市場に放り出させ、一刻も早く国際金融資本家たちが互いにキバをむき出しあってその取り合いをするにまかせよということなのだ。

>すでに幾つかの雑誌メディアが指摘していることだが、一般国民にはほとんど理解されていない、郵政民営化問題の最大の背景は、それが一貫してアメリカ政府が毎年、日本政府に突きつけてくる改革要求リストのトップにあるということである。

【中略】

>資金量350兆円の世界最大の銀行をつぶした後に残るもの

>小泉首相のやってきたことは、銀行の不良債権の処理の加速化などという外科手術だけで、手術が終わったらあとは病人も放ったらかしにして、あとは自力回復を祈るのみという無責任な医者と同じである。

>郵政マネーの回転で動かしてきた日本経済の相当部分を小泉首相は郵政システムぶちこわしのあとどうしようというのか。

>資金量350兆円の世界最大の銀行をつぶし、その回転力に頼っていた日本経済の一定部分から突っかえ棒を引き抜くからには、そのあとどのようなシステムに改変し、その過渡期をどのように混乱なしに切り抜けていくのか。

>少なくもそのためのベーシックなアイデアが出されていなければならないはずなのに、何もない。

>それなしでは、小泉首相はただ、破壊のための破壊に狂奔する日本国史上最大の国家システム破壊者といわれても仕方ないだろう。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」:
第38回 海外メディアが伝えた小泉・郵政解散劇の評判(リンク)
――――――――――――引用終了――――――――――――

「アメリカ政府が毎年、日本政府に突きつけてくる改革要求リスト」については、すでに、「消費経済研究会」の『「民営化」は「郵政」だけではない 米国政府要望書に見る「民営化」のターゲット 』(リンク) に紹介されているが、再録すると、

――――――――――――引用開始――――――――――――
> 本年の米国の提言の柱は、日本郵政公社の民営化が日本経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきであるという原則である。真に市場原理に基づいたアプローチというものは、日本の保険、銀行、宅配便市場において歪められていない競争を確保することを含まなければならない。日本郵政公社に付与されている民間競合社と比べた優遇面の全面的な撤廃は必要不可欠である。これらの優遇面は、米国系企業および日本企業の双方にとって同様に、長年の懸念となっている。

日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書 2004年10月14日(リンク)
――――――――――――引用終了――――――――――――

所詮、国家のカビでしかなく統合機能を持たない市場(31251)の原理を是とするグローバリズムを、改革政策の柱とすることがズレまくっている。銀行の不良債権穴埋めに多額の公的資金をブチ込んだ記憶も新しいにもかかわらず、それを大きく上回る350兆円規模の資金を無策で野に放とう、というのだから、けた違いの問題。「市場の活性化」という耳障りのよい標語に掲げ、本来の活力再生とは如何なることかの追求・共認形成を蔑ろにした「郵政民営化」とは、「目先収束」の最たる悪しき事例となろう。

しかも、その外圧は、米国発ということが歴然。こうしてみると、「属国」という言葉は、いまだに死語になっていないようだ。



小圷敏文 

共認形成のプロ、その無能ぶりがさらけ出される

>では、連日テレビで報道される内容に何を感じているのか。それは、今回の総選挙が「政界の体制変革を促すものではないか」という期待感ではないか。・・・秩序収束の流れの中でも「あんな奴には任せられない。何とかしたい」という社会の当事者意識の顕在化を促す出来事なのではないか、と。(96379)

私も、みんなの期待感を感じる。「今回の選挙は興味がある」という声を露店でもよく聞く。

昨晩の「朝まで生テレビ」では、案の定、今回の選挙騒動を題材にしていた。そして司会者は「マスコミがだらしない!」と叫んでいた。小泉の誤魔化しも喧伝していた。しばらくは少しの期待感をもって見ていたのだが、結局いつもの喧噪な言い合いになったところでスイッチを切った。
・・・おきまりの議論のための議論、誹謗中傷、共認出来る根拠が薄弱、論者の立場発の価値論→答えは出そうにない。といった諦め感から、眠くなったのだ。・・・結局は、同じ穴の狢(ムジナ)か、と。

現状、マスコミの共認支配は進んでいる。が、それと同時に共認不全、統合不全ともに進行中である。今回のお祭り騒ぎに乗じて、マスコミは報道や特番を組み、その流れを強めれば強めるほど、国民は「一体何?」「何が問題?」といった疑問を深め、社会は混迷を深めていくのではないだろうか?
そして、「選挙って何?民主主義って何?」 さらには「選挙って役に立つの?世の中を良くするにはどうしたらいい?」といった思考過程に入るのではないだろうか?・・・しかしここまでは、これまでの流れと同じ。共認支配からの脱却度合いにもよるが、答えが見えずに不可能視に陥っていた。

が、今回の構図はこれまでと違う。
「政治家」対「マスコミ・学者」という従来の構図が崩れ、政治家とマスコミが結託しているのが今回の特徴(96294 小泉政権とマスメディアの蜜月)だから、
「政治家・マスコミ等の発信階級」対「国民」という新しい構図の中で、その発信階級の無能ぶりは、みんなの白日の下にさらけ出されてゆく。

現在の共認形成のプロたちには、もう、もう期待できない!
・・・いよいよ、みんなが社会の当事者になって、真剣に追求していくきっかけになるのではないか?新しい社会の実現に向けての転換点になるのではないだろうか?

なんで屋にとっては、追い風である!


佐藤賢志

単なる泡沫候補を「刺客」とはやし立てるマスコミ

小泉の支持率が40%もあるのはなぜなんでしょうか?

普通に考えれば、発足当初の爆発的は支持率から半分に落ち込んでしまえば、マスコミ叩かれてお終いでしょう。しかし、現実は小泉が掲げる郵政民営化への関心が10%程度なのにも係わらず、解散後の支持率は10%も上昇しています。

このことを捉えても、国民の変革期待という理由だけでは片付けられない何かがあるように思えます。その原因を探る上で重要なのが今回の選挙の特徴である自民vs自民という対立構造だと思います。
今まで自民vs民主という構図だったのが、マスコミが自民党内の改革派vs守旧派の争いばかりを取り上げたり、単なる泡沫候補を「刺客」と称してはやし立てることによって、単なる自民党内の権力闘争をあたかも小泉が全旧勢力のアンチ(構造改革の旗手)であるかのような構図にすり替え、そのような認識を国民に植えつけているのです。

しかし事実追求をしていけば、小泉の口先だけの政策に踊らされていることは明白です。例えば、先の選挙の公約だった国債発行高30兆円にしても1回限りしか実現せず、その後はむしろ膨らんでいく一方です。言い訳もお粗末そのもので「この程度のことは大したことがない。」という、とても納得できるようなものではありませんでした。

それでも国民の支持が集まってしまうのには、やはり国民の収束不全に端を発する共認収束=みんなどうなん?という意識潮流を逆手に取ったマスコミの共認支配にその根本原因があると言わざるを得ません。自分達が食っていくために、国民の答え欠乏を流産させ、一色共認=小泉人気に染め上げるのは本当に犯罪的行為と言えると思います。

しかし、そのマスコミの共認支配も徐々に薄れていくのでは?と最近露店をやっていて感じています。というのもお題をやっていてなんで?に対して答えただけではカンパがもらえないことが多く、確かな拠り所=充足可能性を提示して始めて評価してもらえるということが多くなってきたからです。

今や相互依存して共生してきたマスコミと政治家でさえ、グルになっていくら小泉人気を捏造しても支持率増加の停滞していることから、収束不全に陥っていることは明らかです。

目先ではダメ。確かな拠り所を供給しているなんで屋の可能性をもっともっと拡げていきたいと感じると共に、みんなの意識が選挙=社会に向かっているいる今こそその可能性を拡げていく大きなチャンスなんだと思っています。

走馬灯

与党も野党もそろって年金制度擁護なのは政治家全てが思考停止の証拠

衆議院が解散され選挙になる。各政党から年金についてもマニフェストが発表されている。どれもよく分からないというのがほとんどの人の実感だろう。共通している事は与党の自民党から野党の共産党に至るまで年金を無くすのではなく存続させる事が当たり前になっている。

もう40代以下の世代はほとんどの人が払った以上の年金はもらえないと思っているし、20代の若者くらいになると、自分達の受給年齢に達する時代は年金制度なんか当に破綻していると思っている。

そうして、そんな不信の高まりに比例して未払いの人が増えている。各政党とも存続する事が前提ならもっと分かり易く、なぜ年金制度が破綻せず存続できるかのメカニズムを明らかにすべきだと思うのだが、さっぱり分からない、というより根拠がはっきりしない。

基礎年金の国庫負担を3ぶんの1から2ぶんの1に引き上げる、と言っているが財源はどうするの?パートやアルバイトも厚生年金に加入できるように法改正するといっているけど、そもそも不信感が高いから未払いなのに(加入しないのに)どうしてちゃんと加入して払うようになるの?等々普通に疑問に感じる事にちっとも答えていない。

共同体が解体され、私権社会の中で老後を自ら守るしかない、と自己防衛の欲求から始まった年金制度に対して、いかに制度を守るかという事にしか今の政治家は意識が向いていない。

本当に、人々が求めているのは、老後も役割が与えられ人々の役に立ちたいという事、仲間の中でお互いが助け合う事のできる居場所が欲しいという事だと思う。地域のコミュニティ-もなく、そんな将来の安心できる場所の確保に不安だから、仕方なく最低自活できる手段としてのお金を確保する事に汲々とするのであって決して年金をもらう事そのものを欲している訳ではない。そんな人々の孤独感が見える。

選挙報道が続く最近の新聞を見ても、相も変わらず、郵政民営化に賛成か反対かの矮小化された議論や「刺客」という名の女性泡沫候補の話題ばかり。本質の議論の必要性に全く踏み込まない政治家やマスコミの犯罪性を強く感じます。


新井重雄

まずは自らが答えの供給者となる

先日露店で、学生さんから政治関連のお題を立て続けに受けました。

後で分かったのですが、その日同地で政党の集会があったようで、そこに参加する学生さん達でした。

学生ながらに政党の集会に参加するのだから、話をしていても政治や社会問題に対する関心や問題意識がとても高いと感じました。
彼らは、自分たちの社会なのだから自分達で変えていかなければならない、という強い抱負を持っています。
でも彼らは必ず最後は「みんなが社会のことを考えなければいけない、だから選挙に行きましょう!」で終わってしまいます。

政治・社会への関心や当事者意識は強いのだけれど、その意識が「選挙」という目先の制度にまんまと絡め取られていると感じました。
そして、こうした意識の高い層をも目先の制度に収束させてしまう政治家やマスコミに犯罪的な物を感じました。

若者を中心に投票率が低い昨今、選挙に行く、政治家に投票するというだけであたかも自分が国政に参加している、主体的に物を考えている、という錯覚に陥りがちです。しかし実態は全く逆で、その意識が実は人々をプロの答えを待つだけの傍観者にズリ落としているのだと思います。
現在の選挙は、当事者意識を刺激しつつも実は傍観者意識を蔓延させるだけの制度になっていると思います。

自分達の社会の事を自分達で考えて行くならば、自らが答えの供給者となる事こそが真に社会の当事者になることだと思います。
そしてその為の活動、みんなの意識を掴み、そして次代の答え構築するという活動こそが、本当の意味で自分達の社会を自分達で考えるということに繋がるのだと思います。


山田孝治

小泉人気、マスコミに騙されるな!

お盆の休暇中に、義理の父と小泉人気について話す機会があった。
父は小泉支持派だという。
何故小泉なのか?という問いに明確な答えは帰ってこなかったが、どうやら、郵政民営化にしても、小泉が言うからいいというように、政策の中身より小泉という人そのものへの支持という印象を受けた。

自民党をぶっ壊す、殺されてもいい、骨太の政治、などその毒舌、パフォーマンスぶりは少なくとも、マスコミを通してみれば隠し事が無く透明で前向きな政治であるかのごとく演出され、かつ何かやってくれそうといった期待を抱かせるのだろう。
一方で地道に改革に取り組んでいる少数の政治家はマスコミからすれば、視聴率の取れないつまらない存在だと言えよう。だからマスコミに取り上げられる事も少なく、それが密室政治であるかのような印象を人々に与える。これは共認社会にとっては致命的で、この事がさらに小泉しかいないという幻想を人々に植え付け、小泉人気を維持させてきたように感じる。

しかし冷静に小泉政権を振り返れば、彼がやってきたこととは結局、アジアにおける外交を滅茶苦茶にし、増やさないと明言したはずの国債を乱発し、年金改革は放置のままと過去の首相と比べても戦後最悪の部類だと言わざるを得ない。それをいつの間にか郵政改革が改革の本丸であるかのごとく論点をすり替えごまかし、挙句の果てにこれら山積みの課題を放置したまま解散総選挙とは、もはや犯罪的である。

収束不全からくる既存秩序への破壊期待を背景に、芸能人の世界でもビートたけし始め最近では細木数子、杉田かおるなど、視聴率の稼げる毒舌派がマスコミに取り上げられ祭り上げられるている。政治もそれと同じレベルで、過激な毒舌を吐く政治家でないと、視聴率が稼げないという構造が根底にある。この事は一頃の田中真紀子や辻本清美、鈴木宗雄、石原慎太郎といったマスコミを賑わす政治家を見れば一目瞭然である。

行き詰った社会に対して何の答えも出せない傍観者であるマスコミは、自らの延命を図るべく、結局答えそのものはごまかしたまま政治の世界も芸能人と同じレベルで毒舌派を持ち上げ視聴率稼ぎに懸命となっているのが現状だと言えよう。ここまで考えてくると、冒頭義理の父が政策の中身でなく、小泉という人に収束しているのも頷ける。

マスコミに騙されてはならない。小泉人気とは結局マスコミが自己の延命目的で祭り上げた産物に過ぎないのだから。



吉川明博

今回の選挙の課題~なんで屋の役割

>しかし、関心を持った大衆にとって今回の選挙が意味することは、小泉首相の「郵政民営化に賛成か反対か」ではないだろう。では、連日テレビで報道される内容に何を感じているのか。それは、今回の総選挙が「政界の体制変革を促すものではないか」という期待感ではないか。小泉率いる自民党の分裂(?)、それは秩序崩壊を招く動きのようにも感じるが、何も実現できない首相を叩き出し、新たな安定秩序をもたらす可能性を、僅かながらも抱かせるからではないだろうか。(96379)

目が醒めるような投稿です。
今回の選挙の本当の争点は何か?まさに山崎さんが言うように大衆が唯一政治に参加できる選挙という方法で小泉を叩きだせるか否かにかかっている。

小泉が勝てば、多くの識者が憂いているように日本はまさに戦前のドイツと同じ道を歩き始めることになる。市場に流れ込んだ350兆で経済は外資等によって一旦活況を示すものの、アメリカや欧米の資本家達に不良債権等に使われることで蜂の巣にされ、経財破壊、精神破壊共に一気に進む可能性が高い。ヒトラー同様の体質を持つ小泉であれば軍事に進んでいくのも自明であろう。今回の選挙ではこの流れを何とかとめなければならない。

だから極端に言えば勝利する政党は自民党以外ならどこでもよい。民主でも新政党でもたとえ共産党でも。ただ、いずれの政党にも世論を巻き込む力も政策もないことは誰の目から見ても明らか。そもそも、これだけの収束不全の混迷期である。答えを政党政治による政策論争の中から導き出すことこそが不可能課題である。答えは小泉自民党を崩してからみんなで考え出せばよいのだ。
であれば、今回の選挙は批判だけでもいいのではないか。小泉の目先・ごまかし政策の見通しのなさ・恐ろしさとそれを演出、誘導するマスコミの巨大権力の恐ろしさを明らかにする事が極めて重要になる。

そもそも選挙とは誰かを選ぶものという発想を今回は改めるべきだ。選挙会場に行って誰を選べばいいか等迷う必要はない。選挙に行って自民・公明党以外の誰かに投票するだけでよい。小泉NOと意思表示すればいいのだ。
庶民はマスコミに洗脳され飼いならされてしまったのか、ここまであからさまにやられて初めて眼を覚ますか、日本人の心ある本源性がまだ残っているか否かを図る選挙でもある。

選挙まで残り2週間、残された時間は少ないが一人でも多く選挙に行ってもらうように呼びかけたい。ゴマカシより本物の答えを、マスコミより庶民の声を、政党に囚われない反小泉・反マスコミの選挙戦を路上でなんで屋で闘っていきたい。

田野健 

感応観念による歪曲(マスコミの共認支配の問題)

>逆に感応観念は、(次の2で明らかにするが)欠乏意識・課題意識をも状況認識をも共に歪曲し、極めて不健全な思考回路を形成する。(19059)

話題の小泉とマスコミの問題を、上記の観点から少し考えてみたいと思います。いくつかの投稿にあるように、小泉とマスコミの問題は、小泉の奇人的パフォーマンスをマスコミが煽っているという点にあると思いますが、もう少し突っ込んで考えてみると、なぜ大衆はマスコミの煽動にたやすく支配されてしまうのか?という疑問が残ります。マスコミの影響が大きいとはいえ、中身もないのに未だに支持率が40%もあるというのは不思議なことです。

人々の意識潮流の基底部に変革期待と答え欠乏の高まりがあることが、小泉人気を下支えしている共通項にあるのは間違いないでしょう。その上で、小泉支持の無党派層の意識は、次の3~4パターンぐらいに大別できるのではないかと考えます。

1.野次馬派:「自民党をぶっ壊す」「反対派には刺客」といった敵との対立姿勢を鮮明にした毒舌的パフォーマンスに反応している層。(世の中の現状に不平・不満を感じており、何であれ旧い秩序をぶち壊してくれそうなところに期待。但し、傍観者として野次馬的に見ているだけなので、選挙には行かない。)
2.目先の秩序収束派:「日本を変える」「構造改革」「郵政民営化」などの改革路線を強調するスローガン的パフォーマンスに反応している層。(中身はよくわからないけれど、どうしたらいいかの方針を断定的に言い切ってくれるところに、なんとなく(他よりは相対的に)期待を感じている。この層は、多数派(その基盤は突き詰めると国家秩序)を支持することによって、(目先であれ)安心充足を得たいという気持ちが強いので、意外と選挙には行くかも知れない。)
2'.感応観念収束派:「郵政民営化は善か悪か?」といった正義と善悪を鮮明に訴えるパフォーマンスに反応している層。(2と近い位置にあるが、感応観念的なわかり易さに反応する傾向が強い。今まで選挙に行かなかった層でも、郵政民営化の善悪を争点にすることによって選挙に行く人が増えるかも知れない。)
3.答え探索(態度保留)派:よくわからないし、内心小泉も怪しいと思っているが、変革期待だけは持っている層。(この層は、小泉支持でもない無党派の多数派を形成しているが、候補者の名前やイメージだけで、なんとなく投票してしまう人もいるかも知れない。但し、大多数はやはり選挙には行かない。)

このうち、小泉人気を支えている主流派は2、2'あたりではなかろうかと推察します。マスコミの煽動にたやすく乗ってしまう層は、収束不全が強い分、目先の秩序やそれを正当化する感応観念に安直に収束してしまうという傾向があるのではないかと思われます。

これは、感応観念が、プラス・マイナスの価値を鮮明にして分かり易くしてくれるという特性を持っているからであり、プラスの価値に収束することによって、不全を麻痺させてくれる効果を持っているからであろうと思います。しかし、問題は、冒頭の引用にもある通り、感応観念は、“欠乏意識・課題意識をも状況認識をも共に歪曲し”、思考を停止させてしまうという点にあります。

マスコミの共認支配は、このような感応観念を煽ることによって成立しており、マスコミの支配力を巧みに利用する小泉の政治手法は極めて危険であると思います。極端に言えば、事実や中身はどうでもいい(むしろヘタな中身はない方が都合がいい)わけで、人々の健全な答え探索思考を妨げるものでしかないと思います。

選挙が近づき、マスコミが騒がしくなってきている時勢だからこそ、マスコミの垂れ流す感応観念に振り回されることなく、もともと誰もが素人として持っている潜在思念の探索思考(その先端の実現回路⇒構造観念)に立ち返って状況を捉えることが肝要であると思います。

雪竹恭一

収束不全を捨象し続けた国、アメリカと日本

お盆休みに、TVでウッドストック・フェスティバルのドキュメンタリー番組をやっていたのを見た。(確かCS系の放送だったと思う)ウッドストック・フェスティバルというのは、1969年8月に3日間昼夜通して、アメリカのニューヨーク州の田舎町で行われた野外のロックコンサートのこと。40万人以上の入場者(その大部分が若者のヒッピー)が訪れ、多くの大物ミュージシャンが無料で出演したことから、ロックファンの間では今でも「伝説のフェスティバル」として語られているらしい。当時は、アメリカ国内外においてベトナム戦争の是非が問われており、そんな時勢の中「愛と平和と音楽の3日間」と言うテーマで開催された。

ここに集まった若者たちは、その大多数が入場券をもっていない無料入場者。会場で見ず知らずの者同士が(人種の壁をも越えて)水や食料、さらにはドラッグをわけあったり、豪雨の中お互い助け合ったりする様子が報道され、ものすごい社会的インパクトを与えたらしい。

この番組では、当時この会場に参加していた若者の何人かにインタビューしているのだが、その内容に驚いた。なぜなら、そのインタビュー内容があまりに現代の日本の若者に似ていたからだ。

彼らは、インタビューで次のように答えていた。
「お金には、魅力を感じない。何か(お金とは別の)やりがいのあることがしたい」
「自分が何をやりたいのかわからない」
「父は、会社に入って出世しろと言うが、全く意味がわからない。だから家を出た」
「恋愛に求めるものはない。束縛は苦しいだけ」
「結婚しようとは少しも思わない」
「今、何をすればいいのか。答えがない」
「答えを求めてここ(ウッドストック)に来た。ここに来れば何かあるかもしれないと思った」
まさに、収束不全に陥った現代の日本の若者そのもの。

50年後半~60年代中盤のアメリカは、若くして大統領になったケネディが政権を握り、経済・文化・国際的にもイケイケドンドンな雰囲気であったが、60年代中盤から、63年のケネディ暗殺に始まり、ベトナム戦争の泥沼化→敗戦。60年代後半から景気の低迷、さらにはドルと金の交換停止(ニクソンショック)による通貨安→政策の迷走→莫大な貿易赤字と、まさに一気に社会不全へと突入していった。
これは、現代の日本の状況に酷似している。
この状況と、ウッドストックの若者のインタビューを合わせて判断すれば、アメリカは60年代後半の社会不全の中で、既に収束不全を起こしていたと考えられるのではないだろうか。(もっとも、アメリカは貧富の差が激しいため、中~上流階級の市民レベルだけだと思われるが)

収束不全の答えを求めて、若者はウッドストックに集まった。しかし、「愛と平和」と言う旧観念と、ロックと言う感応観念の中には、何の答えもなかった。それどころか、何も得られなかった事+渦巻く収束不全の疲弊感によって多くの若者が更なる不全感・閉塞感に見舞われたらしい。(終了後の感想で、ウッドストックはカオス(混沌)と表現した若者が多い)

70年代以降のアメリカは、この収束不全を完全に捨象し(目先の)自由主義・市場主義と個人主義を徹底的に押し進めていった。その結果、今のアメリカがある。
精神破壊はとことん進み、凄まじい数の精神疾患患者を抱える。犯罪率は未だに上がっている。名実ともの銃社会で銃によって万単位の人が殺されている。離婚件数もすさまじく、家庭は完全にガタガタ。売春・フリーセックスやドラッグなどの社会悪も行き着くところまで行っている。経済も見た目上はまだ回っているが、破綻は誰の目から見ても明らか。(68577参照)国際的にも、イラク戦争を通じてすっかり厳しい立場に追いやられた。もう、どこからどう切っても破綻した状況の中で、徹底的な市場主義と旧観念支配(+見た目の軍事力)によってなんとか体裁を保っていると言うのが、現状のアメリカの姿だろう。
ここまでくれば、もはや「答えがない」と言うレベルではない。どこからどう手を打っても破綻するしかない状況と言っても過言ではないのではないだろうか。

今、日本は全面的に収束不全に陥っている。
誰もが答えを探している。その状況は露店に立てばすぐに認識できる。
この状況を捨象し続ければどうなるか。結果はアメリカと同じ道を辿り、いずれ破綻を迎えるだろう。
小泉を中心とする政治家や学者は、この状況の中で市場主義・個人主義を推し進めようとしている。このままでは、70年代アメリカの二の舞だ。
また、マスコミは相変わらずワールドカップ・オリンピック・世界陸上などと言ったフィーバー現象を生み出すことに終始している。(今回の郵政選挙もフィーバー現象と何ら変わりない)69年アメリカのウッドストック・フェスティバルは、ある意味最大のフィーバー現象だろう。そこでは何も生み出せなかったし、人々をますます閉塞させただけだった。目先のフィーバー現象は、人々の答え欠乏を裏切り、ますます閉塞感を強めるだけなのだ。

政治家、学者、マスコミと言ったプロに任せていては危険である。今こそ、我々素人が、社会の当事者として、次代の可能性を開いていかなければならない。

西谷文宏 

ファシズムは、支配階級が追い詰められた最後の姿

>答えがないから目先収束――。この潮流に乗って、ヒトラーとナチスは、合法的かつ国民の圧倒的支持により、権力を獲得します。目先収束がファシズムを生んだのです。96336

第二次世界大戦前、ドイツではナチスが政権をとり、日本でも軍国主義政権となった。日本・ドイツは、欧米による世界的な侵略戦争・市場競争の中で追い詰められた国家だった。ファシズム・全体主義が登場したのは、追い詰められたからである。逆に、侵略競争・市場競争の勝者である米英では「個人の自由」を謳歌できた。

当時の日本やドイツの国民も、追い詰められている危機感を強く感じていた。だから、たとえ誤魔化しであっても、戦争に勝てる基盤や根拠がなくても、(他に危機を突破する答えがないがゆえに)ファシズムを支持する他なかった。そうして、一切の批判が封鎖され、共認支配されていった。

戦後、後進国が続々と市場に入っていったが、いずれも市場競争の中では弱者であり追い詰められた。そして後進国は、ほとんど例外なく同じような全体主義・社会主義的な体制になっていった。このように、ファシズムとは、追い詰められた(にもかかわらず突破する答えが出せない)国家の専売特許である。また、そこでは、戦前の日本やドイツがそうだったように、国家とマスコミが結託して共認支配される。

今回の小泉問題にもこの構造は共通している。確かに、現代日本は、市場競争においては勝者側であり、そこでは追い詰められているわけではない。ところが、現代は、庶民も政治家もマスコミも収束不全の顕在化によって追い詰められている状況であると言える。

'00~'02年にかけて、私権観念が崩壊し収束不全が顕在化した。ところが、答えがないがゆえに、人々の意識は目先の秩序の収束していく。73070 73071 人々は、収束不全で追い詰められているが故に、そこに可能性がないことがわかっていても、目先の秩序に収束しているとも言える。

マスコミも自民党も答えを出せず追い詰められている。マスコミが小泉自民党の誤魔化しをなんら批判せず結託するのも、小泉以外に視聴率がとれないからである。あるいは、自民党の政治家たちが、奇人変人にすぎない小泉に頼らざるをえないのも、小泉に乗っからなければ票がとれないからである。今や、旧支配階級である政治家もマスコミのやっていることは、実は追い詰められた果ての最後の悪あがきである。この状況認識が必要ではないだろうか。

戦前、私権闘争で追い詰められてファシズムに走った日本やドイツは、私権闘争(戦争)に勝てる基盤と答えがなかったが故に、戦争で敗北した。収束不全で追い詰められたマスコミや政治家は、収束不全に対する答えが出せないが故に、共認闘争によって敗北するしかない。つまり、マスコミや小泉の誤魔化しであること、根底的な変革が必要であること、その基盤はすでに整っていることを、私たちがどれだけ明らかにできるかにかかっているのではないだろうか。


冨田彰男

諸外国の公共事業民営化はなぜ失敗したのか?

先日(8月20日)のNHKスペシャルでは、水道事業の民営化がテーマとして取り上げられ、具体的にフィリピンやアメリカなどでの民営化の失敗事例が紹介されていました。

確かに今回のNHKの企画は、現在巷で話題の郵政民営化論議の流れを受け、体制側に立つNHKからの「民営化に対するブレーキ」というメッセージであったとも受け取れますが、事の本質はそう簡単なものではないと思います。

それは、民営化に関する議論の構造には、
①公共事業の民営化は、是か非か。

という表面的なレベルがまず存在しますが、このレベルは、誰もが参加できる二者択一のお祭り的な議論にすぎず、「公務員は儲けすぎ」とか、「一部の民間企業が儲かるだけ」といった私権の相対比較に基づく感情的な意見に場が支配されがちです。むしろ、本質的な論点はその奥にあると思われます。

つまり、
②民営化の背後には、私権時代一貫して続いてきたグローバル化=市場開放の大潮流がある。そこでの主役は、新たなる市場拡大を目指して最後の聖域とも言うべき他国の公共事業を市場原理のもとに組み込んで、他国からの富の収奪をもくろむ多国籍企業です。

実際、今回のNHKスペシャルでも、フィリピンの水道事業に参入した欧州の多国籍企業がごく短期間で現地での収益を貪った上に、結局は通貨危機などを理由に数年で事業を放棄、フィリピン政府にその負債をおしつけて撤退したという経緯が紹介されています。

これは「民営化の失敗」というよりは、世界市場を牛耳る多国籍企業にフィリピン政府がだまされた、という方が正確であり、「水道代の値上げはしません」などのうまい言葉に乗せられて、フィリピン政府が検討不十分なまま多国籍企業の言いなりになってしまった、というのが実態に近いと感じました。

ただ一方で、一国の政府が、巨大な多国籍企業とは言え一企業にやすやすとだまされるというのも現実味に欠けます。ではその背後には何があるのか?

③多国籍企業の隆盛を支えているのは、その資本力、およびそれと密接に結びついた武力(軍事)力ではないでしょうか。実際に、多国籍企業は欧米の巨大財閥グループと一心同体であり、自ずとその影響力は国家間の政治にも関係してきます。

国家の最大課題は、秩序の安定です。そこに付け入って、不安定を作り出すことができれば、国家へのビジネスチャンスが生まれる。彼らはそこを切り口にしているように見えます。

例えば、ある国家の周辺に仮想敵国を作り出し、国民に不安を与えることで、武器の輸出チャンスが生まれます。また、麻薬や武器の流入が進めば、更なる不安定と追加需要も見込めます。あるいは今回のフィリピンでの水事業民営化のように、「雇用創出」や「公共料金の軽減(あるいは値上げストップ)」といった甘い言葉を武器に公共事業の民営化を迫ることもできるでしょう。

このように、先進国における貧困の消滅にもかかわらず、他国の公共事業にまで目をつけて市場の拡大をもくろむ強力な多国籍企業のビジネス(世界統合)モデル。これに代わる統合モデルの提示と実現が今、真に必要とされているのだと思います。

その答えは、フィリピンの水道事業民営化にしても、日本の郵政事業民営化にしても、当事者意識の低いごく一握りの政治家や官僚だけに、国家の命運を託しているだけではダメだ、ということ。どれだけ多くの国民が「社会の当事者」を自覚して、マスコミに代わる共認形成に参加し、政治家や官僚に代わる社会統合課題に参加できるか。

>旧観念を全否定した全く新しい認識が必要だということである。それは、これまで彼ら発信階級が撒き散らす観念をただ受信するだけであった『みんな』の協働によってしか生み出せない。<(44391)

ということに気付けるか、にかかっていると思います。

その意味で、今回の郵政民営化をめぐる一連の社会の動きは、徹底的に社会構造と歴史構造を掘り下げて共認をはかるのに絶好の機会ではないでしょうか。

竹村誠一