FC2ブログ

マスコミ選挙からの脱却となんで屋の意義

今回の選挙は、中身がない。中身が全く伝わらない。というよりパフォーマンス選挙とでも言おうか?

今日、駅前で、つい先ごろセクハラで辞職した元衆議院議員が、ビール箱の上に一人立ち、演説をしていた。頭は坊主狩りだ。第一声は「皆さんお騒がせしました。本当に申し訳ありませんでした。・・・」といった具合だ。「性懲りもなく、もう出るの?」といった感じで、道行く人も遠巻きに様子をうかがっている。

彼は、どうやら哀れみを買い、同情票でも集める作戦に出たのだろうか?

周りに目をやると某民法テレビ局のカメラがその光景を狙っている。おそらく「みそぎは済んだのか?」とかと言って話題にするのだろうが、そんなことででさえテレビに露出すれば今よりましなのであろう。

考えてみれば、今回の選挙は、郵政民営化を最大の争点のように「演出」し、法案に反対の議員を(正義?に対する)「造反者」と呼び、その造反者に「刺客」を送る・・・・すべては、「敵」を鮮明にするドラマ的演出でしかなく、政策の中身など誰もわからない。郵政民営化も中身が解からないから、反対のしようもない。他にも重要な問題はたくさんあるではないか?しかしそれもうやむやになり問題はすり返られていく。

これまでもそうではあるが、今回の選挙で感じるのは、彼らは「中身などどうでもいい」ということである。重要なのは、演出である。どうテレビ受けし、刺激的な演出で大衆を洗脳するかである。

選挙=テレビ手法そのものである。要するに視聴率を取れれば当選するのであって、地道な事実の積み上げを土台にした緻密な政策など簡単に切り捨てられていく。

こういった選挙に安易に反応するように大衆もマスコミに飼い慣らされてきた。だから危険である。

今回の選挙を、大衆がマスコミの洗脳から目を覚まし、自ら答えの供給者としての自覚きっかけにしなければならない。そういった意味でも「なんで屋」の意義が問われているように感じる。




星埜洋
スポンサーサイト



体制の変化に、新たな秩序形成を期待しているのか

>郵政民営化法案が否決し、衆院解散、総選挙が行われることが決定した。(95897 西谷さん)

 私は投票に行ったことがない。日程が合わないことに加えて、候補者が何者か分からない、よって誰を選べばいいか分からない、そもそも選んだところで日本は良くならない、という理由が主だろうか。投票に行ったことがある友人に聞いても、顔で選んだ、親がこの人って言ってた、白票出した、鉛筆転がしたという類の回答しか得られない。それなら行かない方がまだマシなのでは?と思ったりもするが、どっちがマシかという議論は、社会統合活動に対して傍観者を決め込んだ挙句開き直った者同士の、どんぐりの背比べに過ぎないだろう。

 今回の解散を受けて、投票に行かなければという機運が高まっていると、なんでや劇場で知った。正直「何のために?」と真っ向からその意識潮流を否定してしまった。収束不全からくる答え収束の流れ。であるならば、答え探索に向かうのが必然と思っていた。
(しかし実態としては、目先であれなんであれ、一旦安定秩序を求める動き(秩序収束)になって現れている。)
 しかし、関心を持った大衆にとって今回の選挙が意味することは、小泉首相の「郵政民営化に賛成か反対か」ではないだろう。では、連日テレビで報道される内容に何を感じているのか。それは、今回の総選挙が「政界の体制変革を促すものではないか」という期待感ではないか。小泉率いる自民党の分裂(?)、それは秩序崩壊を招く動きのようにも感じるが、何も実現できない首相を叩き出し、新たな安定秩序をもたらす可能性を、僅かながらも抱かせるからではないだろうか。

 答えを強く求める者ほど社会統合に関心を抱くとするならば、今回の選挙はそういった層の関心を集めるのも理解できる。秩序収束の流れの中でも、「あんな奴には任せられない。何とかしたい。」という社会の当事者意識の顕在化を促す出来事なのではないか、と。

 彼らは今、新党結成を追いかけるマスコミ報道を静観しているだろうか。誤魔化し政治・誤魔化し選挙・誤魔化し報道の繰り返しに辟易して当事者意識が萎えてしまう前に、政治家とマスコミの誤魔化しの実態を伝えなければいけないのでは、と強く感じたなんでや劇場だった。

山崎許子

郵政民営化って何?

郵政民営化を世に問うという今回の選挙が誤魔化し以外のなにものでもないことは、10分も話せば、誰でも気が付く。しかし、じゃどうしたらいいの?の答えなくては目先の秩序収束を打ち抜くことはできない。小泉人気の背後にあるみんな期待の本質とその答え=出口は何か?

郵政民営化に関する小泉内閣の見解を踏まえながら答えを出していきたい。以下、引用は小泉内閣メールマガジン[2004/10/21]第160号~郵政民営化は「入口」の改革 リンク より

>「郵政民営化が改革の本丸だ。」ということは何度かこのメルマガでも書きました。特殊法人については、そのずさんな事業展開について批判があります。特殊法人改革を進めてきていますが、実は、特殊法人改革は「出口」の改革なのです。特殊法人の事業資金には、国民の皆さんからあつめた郵便貯金、簡易保険や年金の資金が使われてきました。特殊法人が無駄な事業で赤字をだしたからといって、その負担を郵便貯金に預けた国民に求めるわけにはいきません。ですから、最後は税金で負担せざるを得なくなるんです。この構造を改革するためには、資金の「入口」の郵政事業、資金の「出口」の特殊法人、そしてこの間をつないで資金の配分をしている財政投融資制度。これを全体として改革し、資金の流れを「官から民へ」変える、そして、民間で資金を効率的、効果的に活用してもらおう、というのが、資金の「入口」である郵政民営化から「出口」の特殊法人改革までの大掛かりな改革の狙いなのです。すでに、財政投融資制度については、郵貯、年金の資金全額を国に預ける仕組みをやめました。そして、道路公団を民営化し、住宅金融公庫を廃止して住宅ローンは民間金融機関に提供してもらうようにするなど特殊法人の廃止・民営化の改革を進めています。残された一番大きな改革が、資金の「入口」である郵政民営化です。

小泉さんのいうように郵政民営化は財政における「入口」の改革である。しかし、「入口」の問題でなによりも重要な問題は「国債=国の借金の削減」であり、2001年の所信表明演説でもそのことを明言したのではなかったか?

>小泉首相は所信表明で「構造改革なくして景気回復はない」と強調。答弁で「増税なき財政再建」を目指すことを言明、二○○二年度予算で国債発行額を三十兆円以下とする目標を○三年度以降も継続する意向を示した。 リンク 

しかし、現実はどうか?2002年こそ累積の国債残高増を24.8兆としたものの、その後は増加の一途をたどり、H16年度の前年度増は48.1兆、2001年から2004年までの間に小泉政権は累積で137.5兆(年間平均34.4兆)もの赤字を積み上げてきたのである。(ちなみにこの数字は凡人と呼ばれた小渕内閣、蜃気楼内閣と呼ばれた森内閣となんら変らない水準である。)リンク 

勿論、出口の改革がいっこうに進まないから、入口の改革も進まないのであって、「特殊法人の廃止・民営化の改革を進めています」とはいうもののその実態は、官僚の天下り廃止規定ひとつ作り出せていないというお粗末さである。

勿論、財政投融資制度に問題であることは、メルマガで指摘している通りであろう。しかし、この「出口」の改革が進まず、主要な入り口である「税収」と「国債」の改善が見込めぬまま、「財投」の財源をなす「郵便貯金」だけを問題としてピックアップするというのは、あまりにすり替えがひどくないだろうか?勿論、郵貯の使い道、従って財投債の管理は徹底すべきだろう。しかし、そのことと郵貯の民営化とは何が関係するというのか?あえて、理屈を好意的に解釈するならば、「郵貯に回れば無駄な公共投資にまわる、郵貯でなく銀行に資金がまわれば、民間(市場)に廻り経済が活性化して、税収が上がる。」という理屈だろうか。

しかし、よく考えてみて欲しい。現在の市場に復活の可能性はあるのかと、既に‘ほしいものがない’状況下で、市場が自力で再生する可能性はあるのかと。市場へ流入した資金の一部は、設備投資に回るかもしれないが、その過半は、アメリカ市場に吸い寄せられるか、日本国債へと吸い寄せられるしかないのが現状ではないのか。77945、90397

結局、市場原理の枠内で改革案をいくら考えても、突破口はだせないどころか、より事態は悪化していくばかりなのである。突破口は、これまで市場原理に乗ることのなかった人々の欠乏を顕在化させることに他ならない。それは、活力再生事業の活性化であり、答え=認識の供給者づくりであり、社会統合欠乏にこたえる場作りに他ならない。77403、79426

つまり、民間セクターの需要を喚起しても可能性はないのであって、むしろ今こそみんなが求める‘社会統合の場作り欠乏’に対する支援に公的セクターが乗り出すべき時なのである。そして、そのために郵便貯金が使われるというのならば、むしろ郵便貯金にしたいという篤志家も多数いるはずであるし、そのために郵便貯金を公的セクターとして残すことは、市場原理一色に染め上げんとするアメリカ支配への防波堤ともなるであろう。

人々が小泉に期待しているのは、突き詰めれば常識を超えるということではないだろうか。勿論、秩序収束は土台にあるから批判するだけではダメ。しかし、あれほどの奇人が注目を集めるのは常識では答えにならない、現在の収束不全はそれほど根が深いという直感があるからだと思う。ならば、臆することはない「活力再生需要を事業化する」「需要発から供給発へ」という(市場原理の常識からは考えられもしないしかし、確かな時代認識に基づいた)答えこそが「郵政民営化」という目先収束を突き抜ける鍵を握っているのだ。


山澤貴志

目先収束がファシズムを生んだ

> 目先の秩序収束の潮流に乗って、支配層の3/4と庶民の1/2は小泉の誤魔化しのパフォーマンスに飛びついた。今後しばらくは、この誤魔化し充足の風潮にマスコミ(や一部の学者)が乗り、ますます根本問題の本質追求は捨象されてゆくだろう。(73071)

 目先収束が大きな悲劇を生んだ事が、過去にありました。
 それは、ヒトラーとナチスの台頭です。

 当時、ドイツ社会は、不況と失業の増大といった閉塞状況の中にありました。

 それに対して有効な手立てを打てない旧政権に失望した国民は、
・マスコミによるイメージ戦略
(決まり文句のスローガンを繰り返し、感情に訴える)
・内部の邪魔者の粛清
(目障りになり始めた突撃隊幹部を粛清。これによって「やれる男」という評価を得て、国民の支持は上昇。)
・イベントによるフィーバー作り
(五輪史上最大規模のベルリン・オリンピックを開催し、世界で初めてマスコミを総動員した報道を行った。これで増幅されたイメージが第二次世界大戦での各国の対応まで遅らせてしまった)
・目先の政治テーマの宣伝
(ユダヤ人を敵視・迫害、禁煙など健康志向の大キャンペーン)
 といった、ヒトラーの目先のパフォーマンスに、国民も国際社会も取り込まれてしまいました。

 政治家・マスコミの手口は、奇妙にも、現代日本のそれと似ています。

 当時のドイツの国民は、ナチスが作った「目先」の新しさのイメージから、ドイツの財界は、「目先」の景気回復優先から、保守勢力は、「目先」の既得権益確保から、ナチスになびいていったのです。
リンク
リンク

 答えがないから目先収束――。この潮流に乗って、ヒトラーとナチスは、合法的かつ国民の圧倒的支持により、権力を獲得します。
 目先収束がファシズムを生んだのです。

 再び、目先のパフォーマンスに流されていくのか、草の根の共認を広めていくのか―。
 庶民の選択が問われているのだと思います。



阪本剛 

小泉政権とマスメディアの蜜月

小泉政権は、発足当初は8割と高い支持率を誇り、今だに4割台を維持する。その秘密は、「米百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯まず捉われず」「骨太の方針」「ワイドショー内閣」「改革の『痛み』」「抵抗勢力」「三方一両損」「感動したっ!」「自民党をぶっつぶす」等のボキャブラリーに負うところが大きい。しかし、

―――――――――引用開始―――――――――
 これらの言葉を並べてみて、改めて思ったのは、かっこよく分かりやすいが、中身には乏しいという点である。例えば、小泉改革の骨子とも言える「骨太の改革」は、言葉こそ聞こえは良いが結局のところ分からずじまいであった。その具体性の乏しさは、今日の小泉改革の迷走ぶりに如実に表われている。

 このように、小泉の言葉は表面のパフォーマンスに終始するあまり、肝心の中身の乏しいものとなっている。(「小泉語録から見る小泉純一郎の本質」リンク)
―――――――――引用終了―――――――――

と云える。「ワンフレーズ・ポリティクス」というからには中身が必要だが、それが無ければハッタリに過ぎない。文脈で喋れば馬脚を現すが、キャッチフレーズのみを連呼することで誤魔化している。事なきを得ている。小泉内閣の実績は、

―――――――――引用開始―――――――――
●郵政民営化
小泉内閣は、郵政民営化の実現を公約として掲げた。しかし、2005年に政府が国会に提出した郵政民営化法案は参議院において否決され、公約は達成されなかった。
●一内閣一閣僚
小泉内閣は、一内閣一閣僚を公約として掲げた。しかし、2005年現在、政権発足時からの国務大臣は竹中平蔵内閣府特命担当大臣のみとなり、公約は達成されなかった。
●国債30兆円枠
小泉内閣は、「国債30兆円枠を守る」ことを公約として掲げた。政権発足1年目の予算案では公約を達成した。しかし、政権運営2年目以降は国債発行額は30兆円を突破し、公約は達成されなかった。国会で公約違反を追及されると、「この程度の公約を守れなかったことは大したことではない」と答弁した。答弁への批判の煽りを受けて参議院議員選挙で民主党に敗北。その後、発言を撤回し謝罪した。
●年金改革
小泉内閣は、社会保障制度の根幹である年金に対し、抜本的な改革を行うと公約した。しかし、国民年金保険料の未納や、加入資格がないにも関わらず厚生年金への違法加入など、小泉純一郎自身の年金関連の違法行為が次々と発覚した。連立与党の公明党が「今回の年金制度改革は百年安心プラン」と宣伝したものの、早くも見直しが始まっている。
(「小泉内閣の実績:ウィキペディア(Wikipedia)」リンク)
―――――――――引用終了―――――――――
と悉く頓挫していることで、成果は何もないことは明らか。それどころか、郵政民営化問題にかまけて国政を私物化し、自民党どころか国をも潰しかねない暴走状態にある。にもかかわらず、今までの内閣なら必ず総辞職か少なくとも閣僚の一人は辞任に至るような出来事があっても、マスコミに叩かれる事がない。

それはひとえに、『ワイドショー内閣』化しているからに他ならない。その奇人・変人ゆえの意外性を珍重するマスメディアとの蜜月関係にあるからである。大衆の統合不全突破期待をいいことにして、社会統合不全に答えを出せない支配階級は、こぞって国を国民を食い物にしていると云わざるを得ない。



小圷敏文

今、最も『必要な改革』とは、いったい何なのか?

先日、『マスコミに踊らされてる気がするのは何で?』というなんで屋露店のお題を見て、興味を示した女性がいた。具体的にどういったことを指すのかは聞かなかったが、彼女の感じるところは非常に良く分かる(一連の選挙報道を見てもそうだ)。

しかし、彼女がふと「私はそうじゃない(踊らされてない)からね」と言ったのが気になった。私は違う、でも皆はそう・・・。どこかで、そういった(踊らされている)人々を見下しているような感じもした。

小泉キャンペーンとも言われるこの選挙戦の行方も、まさにマスコミ支配の様相を呈している。しかし、小泉のゴマカシ政治もさることながら、それを推奨するマスコミのゴマカシ報道も、さらにそれに踊らされる庶民も、この閉塞状況にさえ蓋をして無関心な人も・・・そして違和感を感じたままで何もしない人も、本質問題から目を背けていることには違いはない。

もし、その違和感を感じているなら、単なる独り言のような批判(政治に対しても、マスコミに対しても、庶民に対しても)でとどまるのではなく、ゴマカシの指摘や本質問題の提起を、真正面から発信していかなければならない。今、最も『必要な改革』とは、いったい何なのか?

>本当は郵政民営化など目先の議論であり、危険なのは人々の秩序収束が原理主義に向かっていることだと思います。(96065)

そう、それは紛れもなく『マスコミに踊らされない社会の形成』であり『マスコミに変わる共認形成の場の構築』。つまり、

>『自分たちの手で国家に代る新しい社会統合機構を構築しゆく活動』(「るいネットの主旨」より)

を実現してゆくことに他ならない。

「もうゴマカシじゃあダメだよね」を顕在化させる上でも、この選挙戦はチャンス!と言える。

浅田祥幸 

路上で拾った「選挙観」

今回の選挙は人々の意識潮流(目先の秩序収束と答え欠乏の綱引き73647)の行方を見極めるという点で、非常に重要な事件になるように思う。そこで盆休みの間、露店でいろんな方に、選挙に関する今回の意識状況をお伺いした。

Aさん(60代おじさん)おれはずっと自民党だから、もう小泉しかいないよ。亀井のように自民党を割っちゃいかん。もう小泉が最後の宰相かもしれんねえ、これからこんな人は出ないかもしれない。なんといってはっきりものがいえるからね。(??自民党をぶっこわすっていったのは小泉のハズじゃなかったの?)

Bさん(80代おじいさん)わたしはもう戦後ずっと共産党だから(・・そういえば終戦記念日ですね。戦後は路上のティーチインとか一杯あったらしいですね。僕らもそんな場を提供したいと思ってやってるんです)そうだねえ、上の連中はこうあるべきで頭かたくなっちゃってるけど、みんなの意見を聞くのって大事だよな。ワシも硬くなってしまった・・(その後、政治の話はあえて避けられ、‘想うって’のカードを買っていかれた)

Cさん(50代おじさん)小泉の支持率が高いのはなんでかって、それは聞かせて欲しいねえ(・・ひととおり私の話を聞いた後で・・)それはあんたのいう通りだ、確かに10%の関心しかないような郵政民営化を核にしていながら支持率が平均40%もあるっていうのは不思議極まりないよな。俺もずっと自分なりに哲学もって草の根でなんとかしようとふんばってきたが、なかなか人がついてこない、あんたがいうように政治家以上にマスコミが問題かもしらんな。また話聞かせてもらいに来るわ(・・実現論にも興味しんしんであったが、不可能視を覆すにまでは至らず・・・)

Dさん(40代おじさん、郵便局員、どうして日本はこんなになっちゃったの?というお題を選択)僕は田嶋陽子が大嫌いで、小泉も大嫌いです。(・・時代のパラダイム転換について話をし、つまるところ現実否定から現実肯定へ観念パラダイムを転換することが、日本にとってもあなたにとっても必要と説くと・・)今日は田嶋陽子嫌いの人と話ができてよかったです(・・とりあえず実現論お買い上げ・・)

Eさん(30代おじさん、露店2回目)やっぱ選挙はいかないといけませんよ。だって外国には選挙権のない国だってあるんだから、僕らは幸せだ。ちゃんと選挙はいかないといけない。(それほど大事な選挙が10%しか関心のない郵政民営化をテーマに進められていいの?)んんん~それは兄さんのいうとおりやな~これはおかしい。なんでや??(残念ながら今日は時間切れ)

Fさん(30代おじさん、なんでやカードのファン)私は小泉さんには期待してるんですよ。やっぱ変えてもらわないと(・・でも年金の赤字も国の借金も大きくなるばかりだし、民営化しても潤うのは銀行だけで、変えたいっていうみんなの期待感が大きいのはわかるけど、なんか誤魔化されてませんかねえ・・)そういわれたらそうですね。(みんな期待に応えて闘うのが男、あきらめない・ごまかさない・男は闘争存在、のはずで、小泉さんって一見‘闘ってるように見える’んだけど、なんか誤魔化してると思うんですよね)そうですねえ・・そうですねえ(でマスコミだと結局、一方通行でことの本質を明らかにできないからワンフレーズ政治にたけた、つまりはったりのきく人間が評価を集めちゃう、それじゃ日本は変人を指導者に仰いで、どっちにいくかわからなくなっちゃう。僕らはそれじゃまずいなってことでこうして路上でみなさんの実感から本質を明らかにしていきたいと思ってるんですよ)・・ああなんでやさんって実は大きいこと考えてたんですねえ。また、今度、話聞かせて下さい。

以上が、概ね30代以上のおじさんたちの反応である。

60以上のおじさんたちはもう最初っから‘党員として投票に行く’意識ははっきりしているが、藁をも縋る思いで小泉に最後の期待をかけている保守党員の危機感に比べると、革新党員はむしろ諦観に近いものが感じられた。収束不全が頭をもたげた90年以降の革新政党の凋落振りは誰の眼にも明らかで、この15年で完全に党員の信頼を失ってしまったという印象を受けた。しかもその諦観は革新政党の根本ともいうべき思想・信条のレベルでの限界感を伴っているというのも驚きであった。しかし、現在の迷走ぶりをみれば保守党とて他人ごとではない。保守党員も諦観をもってなんでやのことばを眺めることになるであろうことは、そう遠い話ではないだろう。

50代のおじさんは、おそらく新左翼残党か、サングラスごしに本物志向の片鱗が伺えるものの、大衆(とマスコミ)への諦観視も大きい。このタイプが動き出せば、運動を担える人材はまだまだいるという気もする。ただ、大衆の目先の秩序収束故にかえって、このタイプは傍観者性を強めているようにも思う。

40代以下は現実逃避のオタク型は未だに批判はするが政治は他人事という感じ。もう少し普通のタイプは小泉への変革期待も大きいが、その誤魔化しの構造を話すや、意外と簡単にひっくり返り、なんでやへの期待も膨らんでいくという印象を受けた。

50代以上は、政治体験といえば党派であり、保守党は町内会的な革新党は組合的な身近な共認集団を母体組織としていた。思想・信条が命脈を尽きてもいまだ、一定の党派が成立可能で、現在でも選挙となれば動員可能な理由は、この‘身近な共認集団’の故なのであろう。

それに対して40代以下は、そうした政治集団とは距離を置き、一方通行のマスメディアを媒介としてしか政治に通ずる方法を持ち合わせていない。その結果が、ワンフレーズ政治による誤魔化し選挙という異常事態を引き起こしているのであろう。

しかし、マスコミの誘導に誤魔化されてはいけない。小泉人気といえども結局は平均40%なのだ。つまり過半数を超えている訳ではないのである。そして仮に小泉支持者であったとしても、その大多数は、なんでやで10分も話せば、その誤魔化しに気が付いてくれるのだ。

>今までも国民不在の政治と言われてきたがここまであからさまでは、今後もますます国民の政治離れは進んでいくのだろう。だからといって政治離れをするだけではまだまだ悪い方向へ進んでいく。僕らは何をしたらいいんだろう?どうしたらいい方向へ進んでいくことが出来るのだろう?

僕らにできることは、なによりも草の根の運動としてのなんでやを定着させていくこと。その中で、一人でも多くの人に「目先では行き詰まるだけ、確かな拠り所が必要」という共認を形成していくことに他ならない。今回の政局の迷走ぶりはむしろ、人々がこの目先収束のおかしさに気付く好機であり、なんでやネットワーク拡大のチャンスである。



山澤貴志

郵政を問う選挙なら、郵政審議が終われば直ちに解散せよ

>もっと酷いのは、視聴率を取りやすい毒舌家や変人・奇人に過剰収束するテレビ人の体質で、その結果作り出されたのが「田中真紀子人気」であり常に40%を維持する「小泉人気」である。そして、テレビ人が人工的に作り出した「小泉人気」が日本の政治を支配してゆく。マスコミによる共認支配がいかに恐ろしい結果をもたらすかを、よく考えてみる必要がある。

郵政民営化、是か非かだけが争点の選挙のようだが、日本の国政はそんな程度の問題が1番上位にあるはずも無い。
これは誰もが理解していること。にもかかわらず、巷では「郵政民営化、あなたはどっち?」とやっている。今まで、テレビで政治報道なんか見なかった人たちまで見ている。

収束不全の世の中にあって、どちらを向くべきか判らない大衆。
ここにテレビ屋の飛びつきそうなネタを提示し、共認支配を目論む小泉。今回も、「刺客」をセンセーショナルに、マスコミネタとして提供。

考えても見て欲しい、今回、郵政民営化賛成で小泉一派に投票すれば、今後その他の政策も小泉にやりたい放題にやられてしまう。小泉が、郵政民営化の是非を問うための選挙というのなら、郵政の審議が終われば直ちに解散することを同時に宣言すべきだが,もちろん小泉はそんなことは一言も云わない。

ここは、われわれ庶民がはっきりノーと言うべきではないのか。

積満也

二大支配権力

>もっと酷いのは、視聴率を取りやすい毒舌家や変人・奇人に過剰収束するテレビ人の体質で、その結果作り出されたのが「田中真紀子人気」であり常に40%を維持する「小泉人気」である。そして、テレビ人が人工的に作り出した「小泉人気」が日本の政治を支配してゆく。マスコミによる共認支配がいかに恐ろしい結果をもたらすかを、よく考えてみる必要がある。(96078)

今やマスコミは「風にそよぐ葦」のようである。定見なく権力の風にそよぎつづけている。社会が私権統合体から共認統合体へと変質してゆく中で、マスコミは一種の絶対権力になった。もう一つの絶対権力は民主主義を捨てて独裁化した政権である。現在の大衆社会には、政治権力とマスコミ権力の二つの権力がある。

この二大権力が、互いに監視し合い、牽制し合い、ときには対立している間は、権力の分散=民主主義は維持されるが、この二つが合体したり、政治権力がマスコミ権力を支配したりすると、権力共認→支配共認の統合体でしか在り得ない。

このような状況は、独裁国では日常化しているが、民主主義を国是とする国においても実現する。いまのブッシュ政権下のアメリカがそうである。いまのアメリカは、マスコミも、一般国民の意識も、ブッシュ政権同様に新帝国主義化している。他国民を支配したり攻撃することに、政治家や行政官だけでなく、マスコミと一般国民が、躊躇しなくなった。(この状況が永遠につづくとは考えないが、とにかくアメリカという国が世界で最も危険な国になってしまったことは否定できない。)

また、今回の総選挙でもマスコミは小泉政権のお先棒を担ぐ最強の味方となっている。実際、テレビは朝から晩まで郵政民営化のみ宣伝し、「改革」「官から民へ」を繰り返し続けている。
マスコミには、小泉首相の側に立つのでなく国民の側に立って総選挙報道を行ってほしいと思うのだが…。小泉首相に有利な報道を繰り返すマスコミは、公職選挙法に違反してはいまいか?テレビは放送法違反を犯してはいないか?

我々に出来ることはこれら二大支配権力に誤魔化されず、『自分たちの生きる場を自分たちで築く』という意志もとに共認社会を実現させることである。


高田敦

今こそ本当の民主主義が求められている

郵政民営化法案否決後の自民党の対応はまさしく自分の意見に賛成しないものの存在は一切認めないという自我そのものの思想であり、これが民主主義を掲げてきた政党なのだろうかと思わざるをえない。

 ここまでくるともはや国民不在どころではないように思える。それに加えてマスコミの対応も支配権力にしがみついた報道姿勢は相変わらずで、

>マスコミには支配権力への迎合体質が根底にあるのではなかろうか。
支配者とスポンサーには決して逆らわない体質が出来上がっていて、その正当化に学者、評論家を取込み、世論調査も都合のよい質問と分析で論陣を張っている。

もっと酷いのは、視聴率を取りやすい毒舌家や変人・奇人に過剰収束するテレビ人の体質で、その結果作り出されたのが「田中真紀子人気」であり常に40%を維持する「小泉人気」である。そして、テレビ人が人工的に作り出した「小泉人気」が日本の政治を支配してゆく。(96078)

という状況を作り出していることに何の後ろめたさも感じないのはまさしくマスコミそのものが実は支配階級・特権階級でできていることを実証しているともいえる。本当の民主主義とは何か、実現論では、

>民主主義を口にするのなら、何よりもまず日々の仕事の場=生産体を、自分たちで動かすことのできる共同体に作り変えるのが、本当ではないのか。日々エネルギーの大半を費やして生産活動を営む、最も身近な集団を自分たちで動かすことのできない権力体のままにしておいて、はるかに遠い超肥大集団=国家(議会)に四年に一回投票するだけの、西洋式の民主主義など全くのごまかしである。(実現論4_7_05)

と述べられている。解散があろうとなかろうと今のような選挙体制ではもはや民主主義の確立などありえないと思う。自分達の社会は自分達の手で動かす、この共同体の確立こそが今の状況を大転換させることできる方向だと思う。まもなく始まるであろう空虚な選挙演説よりも、共同体を築き上げるのには何をすべきか、どうすれば広げられていけるのか、なんでや露店をはじめその芽は明らかに大きくなっている。その中にまず参加していくこと、そして発信していくことが我々ができる本来の民主主義の実現だと思う。

 


琵琶湖

‘00年、イスラム教の拡大が意味するもの(市場支配の深化)

>近代化に伴い多くの宗教において信仰心が薄れて行く中で、イスラム教が今日急速に拡大していることを見ると、現実から逃避するという思考ではなく、何かそこに現実を切り開く強さ、可能性を感じているのだと思います。人類の歴史は言い換えれば宗教の歴史と見ることも出来ます。現在宗教が求心力を失いイスラム教がその求心力を回復している姿を見ると、何か人間の本来あるべき姿を取り戻しているでは?と感じます。
何故イスラム教が拡大しているのかその原因を調べることは社会の状況を読むことにつながると感じました。<(92696)

イスラム世界と先進国は市場でつながって一体である、という認識がまず重要だと思いました。
戦後、先進国の経済成長を通して、他の地域は市場システムへ強力に組み込まれ、市場を介した搾取は一貫して拡大してきました。アフリカで‘90年代に100万単位といわれる民族虐殺が起きたのも、そのような市場支配の深化による貧困の深刻化→民族対立が背景になっているのは、間違いないと思います。

さて、2000年前キリスト教の拡大過程というのは、ローマ帝国の支配による「奴隷」など、何かにすがるしかない、徹底的に搾取される存在が大量生産されたことが大きいでしょう。
少し位相が違いますが、近代思想の「平等」教が拡大していくのも、19世紀に産業革命→市場社会の拡大を通して、これまた「労働者」という徹底的に搾取される存在が大量生産されたことによります。

キリスト教、近代思想など「宗教」が拡大していく局面はやはり共通する状況下であり、それは、収束先を失った敗者の大量生産という状況であると思います。

そして、今回、高度経済成長など戦後の経済成長を通して、先進国=勝者がはっきりしたとき、イスラム教の拡大(過激さ)が目立ってきました。

イスラム教の拡大は、やはり、「豊かさ追求」の道を絶たれ、伝統的なものへの「後退収束」(83385)していっているのだと理解する方がいいのでしょう。(それは、先進国vs後進国においても見られますし、欧米内でも貧しい移民は自分達の伝統宗教を守ろうとする、という形で現れると思います。)


山田真寛 

有害観念に染められ続けるか

郵政民営化の一連の政争で法案反対派の旗色がよろしくない。「民営化に反対ではないけれど、他にもっとやるべきことがある」「民営化はじっくり取り組めばよい」等々。真っ向から民営化反対とは言いにくい為、聞いていても歯切れが悪く、どうもごまかしのように聞こえてしまう。他を捨象して民営化一本で突っ走る方が余程ごまかしなのに、立場は逆転してしまう。

自由にしろ平和にしろ中身はないのに否定しにくい。郵政民営化も改革も都合の悪い現実を否定するだけで中身は無いのに否定しにくい。旧観念は中身が無い故に無害無益に留まらず、それを批判する者を悪者にしてしまう有害観念ですらある。

郵政民営化の騒動は旧観念の害悪を顕在化させる好例であると思われるが、それを伝えることなくしては好例とはならず、害悪は巾を利かせ続ける。何色であれ染めることだけに傾注するマスコミから離脱した共認形成の場が必要であると痛感する。

石橋直樹 

マスコミの奇人収束が、小泉支持率40%を作り出した

>マスコミは、解脱情報を武器にして、大衆を支配観念一色に染脳し続けてきた。それは単にニュース解説etcによってではない。娯楽作品そのものの中に支配観念が様々な形で美化されor正当化されて発信されることによって、大衆は染脳され続けてきた。
☆しかし、今や支配観念と娯楽作品は、新しい価値を生み出す力を、全的に喪失した。6324

終戦の一時期は食うや食わずの状態に置かれ、国民の楽しみはラジオ、映画であり、生きるのに精一杯であった庶民に与える影響は少なかったが、その後のテレビ時代に移ってからは、番組の大半がアメリカの娯楽映画であり、あっという間にアメリカを憧れの存在に仕立てると共に、自由、平等、博愛の観念を振りまいた。

終戦前までは、戦争遂行のキャンペーン報道に終始し、今度は支配者である連合群の手先に擦り寄るマスコミ人の体質はなんであろうか、
また、自虐史観にかたまり、自らの行動を総括することなく、まっとうに課題を担い死んでいった者を非難し、勝者の論理をそのまま受けいれ、意図的に世論を形成させてきたのはなんであろうか。

マスコミには支配権力への迎合体質が根底にあるのではなかろうか。
支配者とスポンサーには決して逆らわない体質が出来上がっていて、その正当化に学者、評論家を取込み、世論調査も都合のよい質問と分析で論陣を張っている。

もっと酷いのは、視聴率を取りやすい毒舌家や変人・奇人に過剰収束するテレビ人の体質で、その結果作り出されたのが「田中真紀子人気」であり常に40%を維持する「小泉人気」である。そして、テレビ人が人工的に作り出した「小泉人気」が日本の政治を支配してゆく。マスコミによる共認支配がいかに恐ろしい結果をもたらすかを、よく考えてみる必要がある。

とはいえ、テレビ離れも急速に進んでいる。マスコミの本質を見抜き始めた人々がマスコミの危険性を発信してゆけば、マスコミも少しはましになっていくのではなかろうか感じている。


 


井上光利 

残存する私権闘争は現実の一部だが、本質ではない

この間の郵政民営化をめぐる議論ですが、そもそも原因や構造がどうしても理解できなかったので考えてみました。

テレビやネットで報道される政治家たちの発言を拾い出しても、個々の問題らしきものは浮かび上がってくるものの、枝葉あるいは屁理屈と思われる根拠ばかりで本質が見えてきません。

民営化することで財政投融資にブレーキを掛け、また郵政事業に巣くう既得権益層(参考95634)を一掃するという点では意味のある改革のように思えすが、それすらも賛同を得る為のお題目に聞こえます。

一方、これらの議論の背後には莫大な金融資産をめぐる私権闘争があるという見方もあります。アメリカは日本の金融資産を略奪するために小泉に圧力を掛け、小泉はアメリカに追従して政策を推し進めているという構造もあるようです。あるいは国債引受先の拡大のため(90058)、という意図もあるのかもしれません。

しかし問題の本質は私権闘争なのか?

誰もが私権に収束していた時代は、社会は否応のない力の原理による序列秩序で統合されていました。既得権益は序列によって守られていましたし、また私権拡大が人々の期待であったからこそ、他国を侵略して支配するのは当然の行為でした。人々は統合階級を筆頭にその私権闘争圧力にどう対応していくかが最大の課題でした。

しかし、そもそも国が莫大な借金をしてまで金をばら撒いたのは、市場が拡大を停止したにも関わらず市場延命の政策しか行われなかったからです。アメリカが他国の資産を狙ったり国債を押し付けたり石油利権を狙って戦争を仕掛けたり大量の移民を受け入れたりするのも、私権統合が困難になってきているのにも関わらず、あえて私権活力を維持しようとしているからです。

小泉もブッシュも、現実にそぐわないことを己の固定観念に固執して強行するという点で、原理主義者と言えます。小泉は彼の政策に反対する勢力を造反者として攻撃していますが、旧観念を振りかざして現実の転換を妨げる彼ら自身こそ、造反者と呼ぶべきでしょう。

しかし最大の問題は、社会の統合原理が力の序列原理から共認原理に移行したのをいいことに、マスコミを利用して社会全体を旧観念(市場主義、自由、権利など)で染め上げようとしている点です。しかも一般庶民も統合不全から目先の序列秩序に収束しようとしており、小泉の支持率も上がってきているようです。

本当は郵政民営化など目先の議論であり、危険なのは人々の秩序収束が原理主義に向かっていることだと思います。

加来野浩史