今回の放送制度改革は大手マスコミの既得権益を瓦解させるか!?

放送制度改革を行うという話が出て、大手マスコミが既得権益にしがみつき新規参入に激怒している。しかし、これまでの大手マスコミによる共認支配を突破する可能性をもっているように思う。

ダイアモンドオンラインリンク
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○放送法の「政治的公平」を巡る大手マスコミの詭弁
先月、政府が放送制度改革を行うという話がちらっと出た。今やニュースはスマホで読むのが当たり前となっているように、テレビもネットと同列にして何が悪いということで、放送と通信の垣根をなくし、新規参入を促すように規制緩和を進めようというわけだ。そのなかのひとつとして検討されているのが、放送法4条にある「政治的公平」の撤廃だ。
少し前、高市早苗総務相(当時)が、この条文に違反すると電波停止もあり得ると発言したことで、テレビ局がこの世の終わりのような大パニックになったことからもわかるように、この「政治的公平」という縛りによって、報道が萎縮するというのがマスコミの主張だった。
それをなくすというわけだから当然、みんな諸手を挙げて大歓迎かと思いきや、テレビ局をはじめとしたマスコミ各社が猛烈な反対キャンペーンを開始した。
思う存分に報道ができる規制緩和に、なぜ彼らは腹を立てているのか。テレビ局幹部、総務省、マスコミが引っ張り出してくる専門家など、反対派の主張を端的にまとめると、ざっとこんな感じになる。
「政治的公平を撤廃して自由にしてしまうと、偏向報道やフェイクニュースを垂れ流すロクでもないテレビ局がたくさん増えて、それをヒトラー安倍みたいな権力者が悪用するので絶対ダメ!」
こうした意見に賛同し、「そのとおりだ!これは政治のメディア支配だ!」と、今すぐデモでも始めそうな方たちも大勢おられるかもしれないので、ちょっと申し上げづらいが、残念ながらこれは、第2次大戦中くらいの、かなり前時代的なメディア観と言わざるを得ない。
確かに、新聞やラジオなど限られたメディアしか社会に存在していなかった時代は、大手マスコミを掌握してしまえば、権力者はフェイクニュースで世論誘導ができたということもある。
が、今では状況がまったく違う。むしろ今の日本では、テレビや新聞のように閉鎖的な既得権益業界の方が、自ら進んで「フェイク」の罠に陥っている。

○マスコミのフェイクニュースをネット民たちが正す時代
既存マスコミの弱点は、ネットで克服できる。たとえば、大相撲の女人禁制問題における春日野親方の「トイレ騒動」がわかりやすい。
当初、マスコミは行司が「女性の方は土俵から下りてください」とアナウンスした際、親方はトイレに行っており、会場にはいなかったと報じた。が、会場にいた観客が、親方が会場にいるところをスマホで撮影していて、その画像がネットで拡散されたことで、トイレ発言が「嘘」だということがバレてしまったのである。
つまり、マスコミが図らずも広めてしまった「フェイクニュース」を、一般人たちが検証して誤りを発見し、それをネットに拡散したことで是正したのだ。
もし仮に、テレビ局幹部などが心配するように、安倍首相が懇意のネットTVを悪用して、「信者」に対して事実と異なるデマを触れ回ったとしても、同じような検証が働く、というのは容易に想像できよう。
仮想通貨における「ブロックチェーン技術」を想像してほしい。よく「改ざんができない台帳」というたとえがなされるように、この技術はネットワークにつながる不特定多数のPCが相互に確認と検証をおこなうので、改ざんや不正な取引ができない。
それと同じように、「報道」というものも、ネットというオープンスペースに多種多様なメディアが乱立した方が、不特定多数の個人が相互に確認と検証をおこなえるので、「フェイク」や「偏向」を防げるのだ。
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蔵端敏博
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映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』が描いたもの(その1

ジャーナリズムも資本の下にいるがどうなのか。
リンクより引用
・・・・・・・・・・・・引用開始・・・・・・・・・・・・・・・・
権力と闘うジャーナリズムの矜持

3月30日から『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』が全国で公開となった。スティーブン・スピルバーグ監督が制作したこの映画は、1971年に米国防総省の秘密報告書を暴露したペンタゴン・ペーパーズ事件を描いた作品で、地方紙ワシントン・ポストの女社主の苦悩や、権力の嘘を暴き国民に真実を伝えようと身体を張ったジャーナリストたちの奮闘にスポットを当てたものだ。

 1945年以後に米国が展開したアジア戦略のなかで、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンと4人の大統領がかかわったベトナム戦争において、アメリカ政府は負け戦であることをわかっていながら泥沼の戦地に米兵(米国の若者)を送り込み続けていた。実際にはアメリカが武力によってベトナムを侵略統治することなどできず、ベトナム人民の抵抗に弱りきっていながら、国防長官マクナマラは戦況について「飛躍的に進展している」などとうそぶいていた。

 そんななかで、みずからもベトナム戦地に出向き、政府の大嘘に幻滅していた軍事アナリストのエルズバーグが、こっそりと「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史」と題したトップシークレットの文書を持ち出し、NYタイムズがすっぱ抜いたところから映画は展開していく。アメリカ政府がなおもベトナム戦争を続けていたのは、10%が南ベトナム支援のため、20%が共産主義の抑制のため、残りの70%は敗北となればその面子が丸つぶれになることが最大の理由であり、そのためにアメリカの若者が戦地に投げ込まれ、肉弾として散っていくことへの義憤が、情報提供者・エルズバーグが機密暴露を決意した動機だった。

 最高機密が暴露された大統領ニクソンは激怒し、タイムズが機密保護法に違反しているとして記事の掲載差し止め命令を連邦裁判所に要求する。さらに、ペンタゴン・ペーパーズを暴露しようとするすべての者に起訴準備を進め、抑え込みに動く。それは国民に知られてはならない真実に触れられた権力の条件反射であった。ライバル紙であるタイムズが差し止め命令を受けるなか、記者たちがかけずり回ってペンタゴン・ペーパーズを入手したのが、編集主幹・ベン・ブラッドリー率いるワシントン・ポストだった。

 夫亡き後の経営をひき継いだ同社の女社主は、経営難から金融資本を頼りにした株式公開に乗りだそうとしているタイミングとも相まって、掲載するか否かをめぐって揺れる。マクナマラは女社主にとって友人でもあった。周囲では社もろとも吹き飛びかねないことを懸念して、顧問弁護士や取締役たちがみんなして制止した。タイムズと同じ情報提供者から文書を入手しているのなら共謀罪が適用され、投獄される恐れもあるのだといって――。

 報道機関として権力から睨まれることを恐れ、尻尾をまいて逃げるのか、それとも弾圧覚悟で大本営発表の裏側に隠された真実を暴露するのか。女社主が葛藤し、経営上層部が肝を冷やしてドタバタするのとは裏腹に、ブラッドリーや記者たちは臆することなく機密文書の暴露に向かって突き進んでいくのだった。それは、既に触り程度の暴露によって矢面に立たされているタイムズへの援護射撃であり、より深くえぐった暴露によって共闘することを意味した。権力が拳を振り上げ、言論を志す者に殴りかかっている局面において、ならばと自分たちも熱情を込めて突っ込んでいく。ジャーナリストとして真理真実に対して無限の忠誠を誓った者の、恐れを知らぬ追及であった。「報道の自由を守るのは報道することだ」。ブラッドリーが貫く新聞人としての矜持が胸に響く。「守る」とは「守られる」ものではなく、極限であればこそ自分たちの行動によって守るのだというジャーナリストとしての強烈な自負である。

 ワシントン・ポストの断固たる報道に触発されて他紙も共闘の輪に加わり、みんなして追撃戦をたたかい、ベトナム反戦運動が高揚するなかで、最後には連邦裁判所の判事が「合衆国建国の父は、憲法修正第一条をもって民主主義に必要不可欠である報道の自由を守った。報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである」と述べ、政府の訴えを却下した場面でフィナーレとなる。

 映画のなかでは、まだオフセット印刷が台頭していない70年代当時、活版印刷時代に活躍した文選、植字、大組などの工程がさりげなく登場し、しかしそれらもディティール細かく再現されている。最後に編集主幹の「GO」が出たのを受けて高速輪転機がうなりを上げ始め、紙の弾丸が次々と刷り上がっていく様は圧巻だ。

(その2)に続く





匿名希望 

誰がテレビを殺したか? 娯楽の王様が、裸の王様になった根本原因

テレビの凋落ぶりが囁かれて久しいですが、当の放送局員たちも焦ってはいるようです。そんなテレビ業界人から相談を受けたというのは、メルマガ『週刊 Life is beautiful』の著者で世界的プログラマーの中島聡さん。中島さんは「テレビのネット進出」という一見正答に感じられる選択肢を「筋が悪い」とし、その理由について記しています。

mag2ニュースより以下引用です
リンク
先日、とある放送局の人とじっくりと話す機会を持つことが出来ました。放送ビジネスの将来に危機感を抱き、放送局はこれから何をすべきかを議論したい、と言うのです。

これまでも何度も書いてきたが、放送を含めたメディアビジネスは、これまでにない危機に見舞われています。新聞、雑誌、放送などの従来型メディアからインターネットを活用したネットメディアへのシフトが急速に進んでいる上に、そちらの伸びの大半をFacebook、Google、Netflix、Amazonなどが奪ってしまっており、結果としてソフトウェアを使いこなす一握りの企業による寡占化が進んでしまっているのです。

特に問題なのは、若年層ほど新しいメディアを受け入れる傾向があるため、年齢別の傾向を見ると、従来型メディアビジネスの敗北は明らかで、かろうじて従来型メディアを支えている人たちが高齢化すると共に、市場も縮小していくことは明白です。

先日も、ネットではソニーがチューナー無しの大画面テレビを発売したことが話題になっていました(参照:ソニー、NHKやテレビの映らないBRAVIA発表)。すでに地上波放送を見なくなった人たちにとっては、NHKの受信料聴取の対象になるチューナーは余計なもの以外の何物でもないのです。

こんな状況に置かれている放送局がしていること・出来ることは、以下のようなものです。
1.もっと面白いコンテンツを作って、人々を放送に呼び戻す努力をする
2.放送をまだ観てくれている顧客向きにコンテンツを特化する
3.同じ視聴時間からの広告収入を増やす(民法)
4.受信料が徴収できる対象を増やす(NHK)
5.ネットに進出する

1.と2.は、コンテンツの力で視聴者を呼び戻す・引き止めるアプローチですが、そもそも「決まった時間に特定の番組を配信する」というコンテンツの配布の仕方そのものが、常時接続が当たり前の現代にはあまりにも時代遅れであり、どんなコンテンツを作ろうと、どこでも、好きな時間にコンテンツを楽しむことが出来る、オンデマンドメディアと同じ土俵で戦うことは出来ません。

それと同じ理由で、3.と4.も延命措置でしかありません。民放の放送局が、質の悪いバラエティ番組だらけになってしまったのは、制作費を抑えて、広告収入をあげようという放送局の悪あがきの結果です。

NHKがワンセグ携帯を受信料の徴収の対象にしたのもの、そもそもNHKを観る人が減っているという根本的な問題に目を向けずに、今のビジネスモデルを1日でも長持ちさせようという悪あがきでしかありません。

そうなると、5番目の「ネットに進出する」のが唯一の解決策のように思えますが、技術のことが分からない人ばかりの放送局がそんなことをしても、ほとんどの場合、うまく行きません。私から言わせれば、「ネットに進出する」という発想そのものが、筋が悪いのです。

インターネットは道具でしかないのです。放送と違って、場所や時間を選ばずにコンテンツを視聴者に届けることが出来る素晴らしい道具なのです。「ネットに進出する」「インターネットビジネスで収益を上げる」という発想は、道具と目的を根本的に取り違えており、そんな発想では、視聴者に価値を見出してもらえることは出来ないし、すでにネットの世界で成功している巨人達と戦うことなど決して出来ないのです。


・求められる「視聴者中心」の視点

考えるべきなのは、「インターネットという道具を使って、(致命的とも言える)放送の弱点をどう補うか」であり、見つけるべきなのは。「常時接続時代の視聴者にとって、映像消費体験はどうあるべきなのか」という問いへの答えなのです。

別の言い方をすれば、「放送局はこれからどんなビジネスをすべきか」「放送局はネットをどう応用すべきか」という放送局中心の視点から、「視聴者は放送のどこに不満を感じているのか」「視聴者が、観たくてもFacebookやYoutubeでは観られないものは何か」という視聴者中心の視点から考えなければならないのです。

究極の目的は、「放送局を救うこと」「新しい収益源を見つけること」ではなく、「消費者にとてなくてはならない映像消費体験を設計し、提供すること」であり、ビジネスの存続や成長は、その結果としてついてくるものなのです。

そんな根本的な発想の転換が出来る人を新しいリーダーとし、その人が新しいサービスのビジョンを熱く語ることによってのみ、優秀な技術者も集まるし、本当に価値のあるサービスを生み出すことが出来るのです。
引用終わり




惻隠之心

番組の質や政治的に偏向しているかどうかは、放送業界が上から目線で決めつけるのではなく、視聴者の判断に委ねるべき

株式日記と経済展望【リンク】からの転載です。
現状のマスコミ報道は、今どうなっているのか?

転載開始

テレビもようやくモリカケ問題では視聴率が取れなくなってきたので、報道も下火になりましたが、朝日新聞としては材料を小出しにしてモリカケ問題で揺さぶりをかけていくのだろう。森かけが下火になるとどうしても北朝鮮問題が大きく取り上げざるを得ませんが、北朝鮮問題だと安倍内閣に支持率が上がってしまう。

だから朝日新聞としては、モリカケで国民の目をそらさなければならない。ご本尊の中国や韓国からそのように指令が出されているのだろう。田原総一朗は昭恵夫人が証人喚問に出されれば、安倍総理は辞めると気勢を上げているが、国民の多くはモリカケ問題に飽きてきているのではないだろうか。

テレビもモリカケでは視聴率が取れなければ、他の問題を取り上げざるをえませんが、ようやく北朝鮮問題が取り上げられることが多くなってきた。それと共に安倍内閣の支持率も上がっていくのだろう。安倍総理ほど北朝鮮の裏側を知っている人はおらず、手の内もよく知っている。だからこそマスコミは安部総理を引きずり下ろしたがっているのだ。

高橋洋一氏が当初から言っているように、森友学園問題は近畿理財局のミスから生じたものであり、売却用地を競争入札にかけていれば何の問題もないのに、随意契約にしてしまったから不正があったと怪しまれるようになってしまった。その経緯を記した決済文書も最初から公開していれば政治が関与していないことがわかりますが、わざわざその部分を改竄してしまった。

高橋氏は、『いくら筆者などが「真相はこれだ」といっても意味はなく、テレビがその問題をどれだけ報じるかで支持率が変わってしまうのは経験済みである。』というように、意図的な報道で国民の安倍内閣に対する支持率が動いてしまう。となりの土地がタダ同然で払い下げられているのに、それはテレビでは積極的に報じられず、取り上げないのはなぜなのだろうか。

文書改ざん問題にしても、結局は政治の問題ではなく霞ヶ関の官庁の体質の問題であり、今日も防衛省の日報が無かったはずの文書が出てきた報道があった。しかし文書改ざんは懲役10年以下の重犯罪なのですが、検察は起訴しないといった報道もある。マスコミは政治にはキツイが官庁に対しては甘い。監督官庁を敵に回せばえらいことになるからだ。

テレビや新聞報道だけだと真相がわからないので、ネットで情報を収集していますが、マスコミ報道が怪しくなればネットに頼らざるを得ない。コメンテータの話ではテレビでは、あれもダメこれもダメといった発言の制約がありますが、ネットにはその制約がなく自由に発言ができる。テレビはなぜ自分の首を絞めるような言論統制をするのだろうか。

「放送制度改革」は10年も前からの課題でもありますが、放送と通信の境目がなくなり、放送に対する規制もあまり意味がなくなってきた。90年代ならテレビの報道の仕方しだいで内閣がいくつも吹き飛びましたが、テレビ業界は今でもその快感に酔いしれているのだろうか。しかしモリカケではそれがなかなか通用しない。

以上転載終了




匿名希望

教育とマスコミによって刷り込まれている「常識」とはお伽の世界である

教育とマスコミによって刷り込まれている「常識」とはお伽の世界である。

以下、シャンティフーラ(リンク)より引用。

* * * * *
トランプ大統領が遂に「シリアからの米軍の退去」を言明しました。幸いにもシオニストたちによるシリアの侵略戦争が失敗、ようやく終結の時を迎えられそうです。

2000年時点で、中東にて同じアラブの同朋として大量難民のパレスチナの支援を実行していた国家はイラン、シリア、イラクとなっていました。他の中東国家はシオニスト側に寝返ってしまっていたのです。

更に15年前、イラクの破壊によってシオニストに同調しない国家はイランとシリアのみとなり、両国はシオニストから常に攻撃の対象とされてきました。「悪の独裁者アサドへの民主化を求めるシリア国内の内戦」との欧米日マスコミのプロパガンダが喧伝され、激しい侵略戦争の攻撃をシリアが受け始めたのが2011年からでした。もしこの侵略戦争でシリアが倒されていたら・・・。

1991年の湾岸戦争時、私はサダム・フセインが極悪だと思い込んでいました。油まみれの真っ黒になった水鳥の映像が強烈だったのです。映像による印象操作です。

私たちは気づかないうちに常時洗脳攻撃を受けています。多くの人はテレビであからさまな「侵略攻撃」を「内戦」と常に報道されていたら「内戦」だと「思い込み」、それに従った思考と行動を無自覚にとってしまいます。実際は自分の「思い込み」でなく支配層にテレビを使い「思い込まされている」のに関わらず、その考えが自分の考えだと思ってしまっているのです。

このように、支配層はマスコミや教育等を通して事実を改竄やねつ造して、自分に都合の良い「仮想現実」を大衆に押しつけて「現実」と思い込ませます。いわば大衆をお伽の世界をさまよう夢遊病者へと仕立てているのです。

私たちは夢から覚め自立した判断と行動をとる必要があります。そのために「この自分の考えとしている想念は本当に自分のものか? 外から植え付けられたもでないのか?」のチェックはすべきでしょう。

以上、引用終わり





匿名希望